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第85話 ゲル②

 ――ずっと、奪われ続きだった。

 うちには何もないんだって、そう痛感させられる毎日だ。

 ただ、愛されたかっただけで。

 ただ、構ってもらいたかっただけで。


 ……うちにはないものを持つあの子。

 ………うちが比べられ続ける原因のあの子。


 憎い。妬ましい。どっか行け!


 それでも、『彼女がいなければ』とは思わない。おかげでいじめられる立場にはならず、助かってきた部分も多々あるから。

 だけど、彼女がひたすらに気に食わない。

 うちは全てを奪われてきたから。


 ▲▽▲▽▲▽▲


 第十三期世代のワルキューレとしてオリジナルの器から滴り落ちるドラウプニルの数だけ生み落とされ、異界警備隊としての技能を身につけるために学舎に押し込められていた若き乙女たち。

 ゲルやホルンを始めとする第十三期生の面々。

 そこには、当時、上下関係などという概念はカケラも存在していなかったように思う。


 ただ、そこにあるのは技能の優劣。


 何が出来て、何が出来ないのか。三系統ある主な因子(ブリュンヒルデ/エイル/スクルド)のうち、どの性質をもっとも色濃く引き継いできたのか?

 教官のワルキューレも教師のディースも個としての生徒自身に興味はなく、淡々と教え、その力量を図る。


「……ッ」


 故に、ワルキューレとしてはあるまじき一つの〝欠落〟を抱えていたゲルは、当時から強い劣等感に苛まれていた。

 当たり前のように他の子にできることが、ゲルにはいつまで経っても、逆立ちをしてもどうしてもできない。

 自分よりも若いホルンが、自分を軽々と飛び越えていくことへの焦り。


 生まれたときから外見上の見目が変わらず、人と時間の流れが違うゆえ、彼女たちが天穹陸の学舎で過ごす期間は最低でも十五年近くある。


 その最初の一年目においては、ホルンは飛びきり優秀で物覚えがよく、かなりの有望株の生徒だった。


 だけどこの頃の乙女たちは、あまりにも無垢すぎる側面があった。

 井の外を、まだ何も知らなかったのだ。



「ったく、可愛げねェなぁお前ら〜? 優等生ぶりやがってよ〜〜〜」



 ある時からOGのような形で、すでに警備隊員として活動する第十二期生との交流が盛んに行われるようになった。そこには末妹のホルンから数えて二十二番目の姉に該当するカーラがおり、カーラは十二期生のなかでは一番若いワルキューレに相当する。


 そして、ここで目の当たりにする十二期生が第十三期生たちにとっての初の姉との対面になり、それまで対等な横の繋がりしか知らなかった十三期生たちに、縦軸の繋がりでできた上下関係の世界を思い知らしめる出来事となった。


 すなわち、年功序列制で全てのカーストが制定される異界警備隊の仕組み。

 姉という偉大な存在は絶対的に偉く、その妹は絶対的に弱い立場であること。


 特にカーラは、誰よりも楽しそうだった。


 飛び抜けて嘲り笑い妹をこき使うカーラと、純粋に見下している素振りで冷徹な他の姉たち。十三期生たちは徹底的に上下関係を叩き込まれ、遠くないうちにそれが当然で当たり前のことだと思い込むようになる。


 そうして、いつしか末妹であったホルンは晴れて〝みんなの下〟の存在になっていき……。


 ゲルは、誰にも見向きされなくなっていた。


(――おかしい)

(――おかしい。どうして。うちも他のみんなと同じなのに)

(他の子と同じように扱ってもらいたいだけなのに)

(どうしてどうしてどうしてどうして!)

(無視され続けなきゃいけないの)

(……あの子ばかりが、構われている)


 まるで腫れ物のようだった。

 誰も欠陥の抱えるゲルを相手しようとしない。触れようとしない。関わろうともしない。

 十二期生のみならず、自然と同期にまで〝下の妹〟として舐められるようになったホルンに比べて――。


 ゲルの周囲はさざなみ一つ立たない、虚空のなかにいるようだった。


 独りぼっちの、空気みたいな存在だった。


「グズ」「ノロマ」「なんで言われたことができないの」「そんな顔したって、あなたが末っ子なんだから仕方ないじゃない」「早く言われたことやってよ」「人に聞こうとしないでよ」「自分でやれよ」「鈍臭いよ」


 ホルンに浴びせられる憂さ晴らしのような罵詈雑言を、ゲルは一番近くで耳にしてきたと思う。

 日に日に輝かしさを失っていって気落ちしていくホルンの姿を、末妹の一つ上の姉であり、かなり近しい立場に立っていたゲルは誰よりも案じていたのだ。


 ……否、羨ましかったのかもしれない。


 いじめられているホルンを見るたび、気の毒に思う気持ちは確かにある。しかしその一方で、良くも悪くもみんなに構ってもらえるホルンを見るたび、どうしても羨ましく思ってしまう。

 うちはずっと一人ぼっちだから。


 だから。


「……大丈夫っすか? ホルン」


 ある日、人目につかない場所で悲しそうに蹲るホルンへ、ゲルは声を掛けた。

 もちろん打算があった。


 全ての姉に見向きもされず、とにかく人恋しさに飢えていたゲルは、『孤独なホルンに寄り添ってあげられるのは自分だけだ』と思い込んで彼女へ救済の手を差し伸べた。


「うち、馬鹿だし無視されてるから何かを変えるとか呼びかけるってことができないっすけど、ホルンの話を聞いてあげることはできるっす。寄り添ってあげたいっす。何を隠そう、うちも思うところあったんすよ! 一緒に悪口とか吐き出して、スッキリしないっすか??」


 ホルンはうちのことを神様同然に感謝するようになるだろう。

 傷口に付け込もうというわけじゃないが、誰も味方がいないのだからうちを必ず必要とするはずだ。

 うちがいなきゃ、困るのはホルンだ。

 孤独がどれほど恐ろしいかは分かっている。ホルンだって、きっとそうはなりたくないはず。


 だからうちらはお互いを依存し合えると思うんす。


「………」

「……な、なな、なんで無視するんすか? おかしいじゃないっすか。どうなっても知らないっすよ?」


 ホルンは、一度もゲルのことを見なかった。


 塞ぎ込んだように三角座りするまま、泣き腫らした目で遠くの地面を一点に見つめて微動だにしない。

 ゲルがどれだけその体をゆすって気を引こうとしても、ホルンは固く口を閉ざしたままで、拒絶したように袖をぎゅっと握り締めた。


「………本当に、知らないっすよ?」


 焦ったゲルが脅すようにそう口にすると、ホルンはふいっと顔を背けたあとで、懐に顔をうずめてまた泣きじゃくり始める。



 ――あんたも、うちを無視するんすか。



 ゲルは唯一の勝算すら失敗に終わったことで、誰よりも孤独になったように感じた。

 そばで立ち尽くすゲルを不気味に思ってか、タッとホルンは逃げるように去っていく。


 ゲルは拳を握りしめる。


 うちの〝優しさ〟を、払い退けるホルン。うちの存在を、無視するホルン。

 みんなに見てもらえるホルン。みんなに構ってもらえるホルン。ホルン、ホルン、ホルン、ホルン!



 ……もう、同情してあげるのはやめようと思った。



 うちだけがホルンの持つ痛み・苦しみを理解してあげられる存在だと思っていたが、それさえも振り払って孤立して、いじめられる立場にありたいと言うのなら話は別だ。


「そっか、あんたは姉様たちを独り占めしたいんすね」


 それなら、ゲルにも考えがあった。

 本当は気が進まなかったが……。

 ホルンへの情が失くなれば、その選択を選ぶことに迷いはなかった。

 ゲルは、カーラに取り入ることにした。


「ぁん?」

「どもっす!! うちの名はゲル! 姉様と、お友達になりたいっす!!」

「……ハァ?」


 しばらく息を潜めて観察するなかで、ゲルはカーラが十二期生のなかでも特に浮いている存在だということが分かった。

 そしてその反動で、年下である十三期生への当たりが強くなっていたのだとも、すぐに理解した。


 つまるところ、彼女もまた自分の居場所を求める存在で、その相手に立場の弱い妹を選んでいるようだった。


「うちと友達になるの、嫌っすか!?」

「はっ、はぁ?? 別に、嫌じゃねーけど……」


 本当はただ友達が欲しくて、寂しいだけの女の子。

 そんな裏の顔をうっかり目撃してしまったことがあったから、同じ感情を知るゲルはここぞとばかりに彼女に積極的なアピールをした。


 初めての経験にカーラは戸惑い、それからすぐに仲良くなることができた。

 ゲルは、孤独じゃなくなった。


「――うち? うちはホルンとは全然違うっすよ」

「は? 同じだろぉー? あいつは末っ子で、お前はその一つ上ってだけ。アタシから見たらなぁんも変わらねー」


 相変わらずカーラはつっけんどんな態度だけれど、話しかけてもらえるたびに嬉しそうにしているのがゲルにはすぐに分かった。


 それでも妹には侮られたくないみたいで、カーラは事あるごとにゲルをホルンと比較する。


 ゲルは、カーラがホルンのことを粗雑に扱っている姿をこれまでにもよく見てきていたから、ホルンと自身との違いを強調するために「ホルンなんか大嫌いっす」と吐き捨ててやった。


「……へえ?」


 と、カーラは弧を描くようなニヒルな笑みで、そこで初めてゲルに強い好奇心を抱いてくれたようだった。

 その強い反応が、侘しいゲルの心を満ち足りた気持ちにもさせた。


 ………………


 …………


 ……


 でも、そんなことでもしなければ誰かと楽しくお話しできることもないうちとは違って、ホルンはいつまでもホルンのままだった。


 多くの姉と接点を持ち、どれだけいじめられ、どれだけ蔑ろにされても、ホルンはうちのように〝自分を折る〟ことがない。


 うちはこれだけ自分を犠牲にして、作りたくない友達を作ってまで、例えちっぽけでも確かな居場所を作ることにずっと必死だったというのに。


 ホルンは誰かに激しくいじめられる一方、また誰か(ラーズグリーズ)にはそれとなく気にかけてもらえるようになっていた。それはまさしく長年ゲルが求め続けていた〝愛情〟で、とても妬ましく羨ましいものだった。


 彼女は本当にずるかった。うちがその立場なら、うちだって腐らず、悪者になることもなく、謙虚で直向きで努力家でいつの間にか味方もできているような末妹になれていたに違いない。


 ……うちが欲しいものを全部持つホルン。


 嫉妬で、気が狂おしくなる。

 これだけ騒いでようやく初めて見向きされるうちの心は、誰にも認めてもらえないままなんだ――……。


 ▲▽▲▽▲▽▲


「……――うち、自分がみっともないの、ちゃんと自覚してるっすよ」


 ………っ。

 俺はゲルの過去回想を聞いて、思わず絶句していた。

 いったい、どこから突っ込めばいいのか分からない。これまでのホルンの境遇を知っているから、同情しようにもそんな気持ちには全くなれない話。


「こんな話、誰かにしたのは初めてっす。うち、それだけ自分のことを理解してもらいたいんす」

「………」

「この気持ちをホルンに譲るのだけは、絶対の絶対に、嫌なんす」


 こいつを拒絶するのは、簡単だ。

 だけどその後に何をしでかすか分からない危うさをこいつは抱えている。

 どこまでも、厄介な存在に思う。


「……どういうつもりでこの話をしたんだ?」

「ホルンの、実力の証明試験。その最終日の内容が、今日正式に決まったからっす」


 どこか遠い目をして答えるゲルの普段とは違った雰囲気が、徐々に忍び寄る不穏な気配を俺に強く意識させた。


「スクルド姉様に頼み込んで、その日はうちとホルンの決闘をさせてもらうことにしました」

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