第6話 今後の方針
その後は車を別の場所に運び、明け方まで車中泊することにした。
言葉通りに緊張が取れたのか、食事を摂ったあとのホルンはそれからほどなくしてうつらうつらとし始め、いまではすっかりと規則正しい寝息をしている。
幸の薄そうな困り眉も、寝ているときは穏やかな顔つきに戻れていて、無事に休むことができたみたいだった。
俺も背もたれを倒して眠りに就く。
人生初の車中泊。これがなかなかままならなくて、安眠とは程遠い結果だった。辛い。
そんな形で迎えた翌朝は、着信音で目を覚ました。
時刻は朝の七時前。その相手は祖父だ。
「じっちゃん! 無事にしてたか!」
『おぉ志久真! お前ぇもなんとかなっとか!』
慌てて飛び出した車外で通話する。
じっちゃんの安否を確かめることができて嬉しい。
お互いが無事であること、その喜びを分かち合うようなやり取りを数度交わしたあと、それぞれの近況報告に移る。
まずは俺たちが逃げ出したあと、実家では何が起こったのか?
『あんよく分からん女はお前ぇらが出て行ったあと、おらには目もくれずビューン飛び出してってよ。心配で仕方ねがったんだ』
「こっちに追いつかれることはなかったよ。じっちゃんこそ無事でよかった。本当に無茶な真似はしないでくれ……。あのときあの女の標的がじっちゃんに移っていたらと思うと、ゾッとする」
『んなぁ、することしたまでよ』
電話越しにかっかっかっ、と笑い飛ばすような祖父の豪胆さに辟易する。
あのとき足止めしてくれたおかげでいまの俺らがあると言っても過言ではないが、それでもやはり、無茶な真似はしないでほしかった。
じっちゃんは自分が後期高齢者であるという自覚が足りない。
『女の子は無事か?』
「うん……。ちょっと仲良くなった。ホルンっていうらしい」
『お前ぇに似た変な名前じゃないの』
んん、急に失礼だなじじい……。
無事を確認し合えた高揚感もあるせいか、随分と懐かしいいじり方をされて苦笑する。
祖父の本名が斉藤志一郎であることからも分かるように、うちの家系の男子は「志」という字を継ぐことが多いのだが、時代も相まって俺の名はこれだ。
久々の会話はところどころにアットホームな笑いを交えながら、今度は俺の近況報告。
「……そんなわけで、旅は道連れってわけじゃないけど、色々鑑みて手を貸してみることにした。これも何かの縁だと思うし」
『おお、やったれやったれ。死ななきゃなんでもいい』
さすがのじっちゃんである。背中を押してもらえるとは思っていたが、実際にそうしてもらえるとかなり嬉しい。
「それで、そっちが無事そうなら一度物を取るためにも帰ろうと思っているんだけど、大丈夫か?」
『や、それは辞めといだほうがいいな。昨日の晩から自衛隊が来よって、このへんはきっつい警戒網が敷かれとる。昨日はうちまでわざわざ聞き込みに来てよ』
「はあ? なんで」
『おらん家は現場から離れてっちゃけど、あん周辺はおらが仕掛けだ罠もあっから、なんか知んねぇがって探りに来た感じだ。おかげで今朝まで拘束よ』
それで昨日は連絡がつかなかったのか。
しかし、自衛隊による警戒網。出入りが厳しくなる可能性については全く考えていなかったが、状況を考えると無理もないかもしれない。
そう考えると、すぐに町を出たのは正解か?
ホルンを自衛隊に引き渡す……はおそらく難しい話だし。
長時間拘束されることと、問答無用で家屋に突撃してくるような襲撃者に命を狙われている状況であることを踏まえると、しばらくは帰らないで逃亡生活を続けるほうが賢明か。
「一緒に猟できなくなってごめんな」
『馬鹿言え、どっちみちおらも行がねぇよ。おっかねぇべ』
かっかっか、と楽しそうに笑い飛ばされる。
そんなじっちゃんの気遣いを嬉しく思いつつ、耳が痛くなるようなその声の大きさにはうんざりするものを感じながら。
「とりあえず、状況が変わったらまた連絡するよ。じっちゃんも気をつけてな」
『おう。気張れよ志久真』
ぷちっと通話が途切れた。じっちゃんがそこにいるわけではないのに、背中を引っ叩かれたかのような激励を感じることができて嬉しい。
朝早くから気持ちを切り替えることができた俺は、いそいそと車内に戻った。
その頃にはホルンも起床しており、またよそよそしい態度に戻っていた。
「おはよう」
「……おはようございます」
朝飯はこれ、と昨日のコンビニで買ったおにぎりを手渡すと、彼女はお礼を言う。どうも先ほどまで車外でした電話の内容を気にしているみたいだったので、食事の合間に内容を簡単に共有する。
すると、彼女は小さな声で「……そっか。よかった」と安堵したように口にした。
俺はそれを聞き逃さなかった。
「何が?」
「え……と、おじいさまがご無事で。私のせいで、酷いことにならなくて」
「ああ、そういうこと」
なんだ、ホルンいいやつじゃん。しかしおじいさまて。
その呼ばれ方が全く祖父のイメージに合わなくて、吹き出しそうになるのを堪える。
危うくおにぎりが詰まるところだった。
「――それで、今後の話なんだけど」
「はい」
簡単な朝食を済ませ、落ち着いた頃。
激動の一夜を乗り越えて冴えた頭で、ホルンと作戦会議を開く。
「俺たちが逃亡生活をしていくにあたって、まず確認しておきたいことがある」
「はい」
「一処に留まるのは危険なのか?」
「………。はい」
やっぱり、そりゃそうだよな。
どういうわけかピンポイントで我が家を襲撃できた何者かを相手に、どこか一処に身を隠せば安全だと考えてしまうほうが浅はかだ。
自ずと自衛隊に保護してもらう案も棄却となる。
険しい顔をする俺を見て、彼女は両手を持ち上げながら言葉を付け加える。
「でも、もしも彼女が攻めてきたときは、私のドラウプニルに反応があるはずです」
「ドラウプニル??」
「はい」
いや、『はい』じゃなくて。
両腕のバングルを見せつけるようにするから、そのことを言っているのだろうとは思うが。
……ドラウプニル。どらうぷにる?
聞いたこともないワードだった。スマホで検索すれば言葉の意味の一つや二つでも出てきたりしないものだろうか?
後ほど調べておくことにし、いまは用語を忘れないように気に留めつつ。
「反応って昨日の点滅だろ? それが分かったところで逃げる時間はないんじゃないか?」
改めて議論の続きへ。
それはものの数秒ほどの出来事だったように思う。
あれでは不意打ちを回避できるだけで、実際に逃げ出す時間が確保できるわけではない。
俺がそう指摘すると、彼女は言葉を詰まらせる。
やっぱり対策のしようなんてないんじゃないかと憂いてしまっていると。
「……でも、頻繁に攻めてくるとも思えません。私たちは重要な任務中で、彼女は私の追跡にあまり多くの時間を割くこともできないはずですから」
「重要な任務……アイツも言ってたよな。巨獣か?」
ホルンは躊躇いがちに首肯する。
あまりオープンにできない情報だったみたいだ。
それを共有してくれるのだから、少しは俺に対する信頼も芽生え始めてると考えていいのかな。
ともかく。
「それなら少しは余裕があるな。あまり悠長にはできないだろうけど……」
「はい」
結局、いま俺たちがこうして無事でいられるのも向こうが本気で探してはいないからだ。
ずっとマグロのように泳ぎ続けなければ死んでしまう、なんていうハードモードな話よりも、随分と気が楽なのは確か。
あまりいい考えた方ではないが、あの巨獣が時間を稼いでくれているうちに俺たちは対策を練ったほうがいい。
「ちなみに、アイツの索敵方法は分かるか?」
「分かりません。私のものとは、少し機能が違うから」
オーケーオーケー、ドラウプニルね。それはあとで調べてみるから。
ひとまず、逃避行を続ける上での前提条件はまとまったか。
「じゃあ、そうだな。案がある」
現在地点が隣の市とは言えど、襲撃された実家からの距離で考えるとそれほど大きく離れているわけではない。
どういう形で索敵されているのかは分からないから、ひとまずは距離を取るように逃げ続けることを目的とする。
「仙台まで行こう」
宮城県登米市から南下した先にある、東北最大の都市へ。
一時的な潜伏場所として、人の流れが盛んな中心街で様子見することを画策する。