第99話 失墜
憔悴しきったゲルを連れて俺たちはスクルドのもとへ向かう。
どうやら俺も足を捻ってしまっていたらしく、一人で支えとしての機能を働くのは困難だったため、ホルンがゲルを介助することになった。
「へっ、屈辱っすね……」
「うるさいですあなた」
憎まれ口は健在のようだった。
視線の先には、いまだにガクガクと怯え切った様子で丸くしゃがみ込むスクルドの背が見える。
それを恐る恐ると労わるレギンレイヴに、やや遠巻きになって見守り続けるラーズグリーズの姿があった。
「あ」
……と、ここで初めて俺もホルンも、ラーズグリーズと目が合うことになった。
しかし彼女は口元に人差し指を運んで、『静かにしていろ』と俺たちに向かってジェスチャーを飛ばしてくる。
思わずみんなと顔を見合わせた。
俺には、ラーズグリーズの意図がよく分からない。それは俺だけじゃなく、ホルンも、夫妻のどちらもラーズグリーズの真意は知らないままのようだ。
「?」
当然、ゲルも。
ラーズグリーズには何かしらの考えがあるのは伝わる。慎重に様子を伺いながら、俺たちはスクルド一行と合流を果たすことにした。
「っ、近寄るな!」
すると、スクルドの醜態を庇うように従順なレギンレイヴは俺たちの前に立ち塞がった。
それは信奉するご主人様を外敵から守ろうとする殊勝な立ち回りに思えるが、スクルドの無様はいまさらそれで隠し通せるようなものでもない……。
現にレギンレイヴこそ、スクルドのこんな姿を見るのは初めてなようで、具合を悪くした表情をしている。
彼女もスクルドのいまの有り様を心から受け入れられてはいないようだ。
だって――ワルキューレとしてあり得ない。
あれだけ散々驕り高ぶり、妹を抑圧し、高慢に振舞ってきたスクルドが、たかが一匹の魔物の出現に怯え散らかしている。
許せるわけがないだろう。認められるわけがない。
歯痒さに、思わず拳を握りしめてしまうなか、機を伺ってラーズグリーズはスクルドに声をかけた。
「スクルド」
その冷淡な呼びかけに、スクルドはビクッと大袈裟に肩を震わせる。
しかし同時にようやく状況の変化を呑み込むことができたらしく、直ちにスクルドは己の醜態を自覚したようだ。
コホンッといまさら遅くもキャラを取り繕って、立ち上がったスクルドはラーズグリーズに目を向けた。
「な、なんでしょう?」
その白を切るような虚勢に、ラーズグリーズはほとほと呆れたように頭を振った。
「なんでしょうも何もないだろう。先ほど、この地に竜が出現した。ゲルの魔力暴走に起因してだ。しかしその責任は、スクルド、貴女にある」
「んなっ……なぜですか!」
「もっとも高位の〝姉〟だからだ」
「ッ……」
そこから始まるのは、ラーズグリーズによるスクルドへの攻撃。すなわち、この事件の責任追及。
どうやら、ラーズグリーズには〝ある思惑〟があるようであった。
▲▽▲▽▲▽▲
ワルキューレ第三期生。
長姉のブリュンヒルデから数えて十六番目の妹に値するラーズグリーズは、のちに生まれる大量の妹たちと比べても、誰よりも賢しい女だった。
――原初のワルキューレであり、スクルド、ブリュンヒルデと生まれ年を同じくする〝エイル〟。
久しく誰の口からも聞くことがなかった彼女の名を以前に志久真の口から耳にしたとき、ラーズグリーズの隠された計画はひっそりと幕を開けることになる。
ラーズグリーズは、およそ三百年前にスクルドの手で永久牢獄へ投獄されたエイルを『姉さん』と慕い、深く敬愛しているワルキューレのうちの一人だった。
〝――逆境だが、活路は見出せる〟
その計画の始まりは、スクルドがゲル、レギンレイヴを連れて地上へと出立した一度目のときだ。
当時、カーラが人間を天穹陸に連れてきた件についてまだ不自然な点があることから共謀の疑惑を掛けられていたラーズグリーズは、スクルドが天穹陸からいなくなるこの瞬間を狙って志久真と交信を図った。
そのときに得ることができた情報は、
『ブリュンヒルデがこちらと話したがっていること』
『現体制に反対するワルキューレへの言及』
『エイルを知っているか? という問い』
……の三つ。
短い時間のなかで、志久真が口にしたこれらの情報からラーズグリーズは彼らが長姉と手を組み、異界警備隊を相手取るつもりなのだと推察した。
ブリュンヒルデが異界警備隊の現状を知れば、必ず何らかの行動に出ることは容易に想像できたからだ。
求められているのは追加の情報。
エイルの名が出たということは、スクルドの独裁政治状態を知ったことの証。ならば現在のエイルが永久牢獄にいることまで伝えれば、確実にブリュンヒルデは現体制にメスを入れようとすると考えた。
であれば、内通者であるラーズグリーズが他にできることは根回しだった。
ヘルヒヨトゥルの監視の目がある以上、ラーズグリーズには取れる手段も限られるが、幸いにも、ホルンの元へ派遣されるゲルから情報を聞き寄せることはできる。
この一ヶ月、ゲルから近況を聞き出す形で無理なく彼らの最新の動向を手に入れることができた。
この時点でラーズグリーズの計画は明確に固まり、スクルドの失墜とエイルの復権。現体制の年功序列制から旧体制の実力主義制に異界警備隊を戻すことを悲願とした。
……そのとき、不自由な体を持つ自身は一気にカーストの最下層へ行くことになるが、ラーズグリーズはそれでも構わなかった。
実力も経験もないのに、ふんぞり返るスクルドのことを内心根強く見下げ果てている。
ここ数百年間の異界警備隊の体たらくは、全て彼女のせいだと言い切っていい。
これまでは堪えるしかなかったが、ラーズグリーズにとってこの絶好の機会、逃す手立ては一ミリもなかった。
――かくして、ここに至るまでの全てはラーズグリーズによって仕組まれたものだ。
ゲルの隠れた才能を知っていた。ゲルの持つ危うさを知っていた。昔から世代の離れた妹たちに強い関心を持つのはラーズグリーズぐらいなもので、当然、ゲルとホルンの関係性にも理解があった。
本当は、カーラという友人を得たことでホルンへのコンプレックスはとっくに解消されたものだと思っていたのだが……。
その勘違いも、ゲルとスクルドが面会した際のゲルの言葉で無事に晴らされた。
ラーズグリーズの計画は、ますます強固になるばかりだった。
「――あぁああなたがゲルを推薦したでしょう? 今回の件はラーズグリーズ、戦術顧問であるあなたの采配に全ての責任があります。私のせいではありません」
現在。
見苦しくもなんとか言い逃れようとする憐れなスクルドを、冷ややかに見据えるラーズグリーズは淡々とした言葉で追い詰めていく。
「幼稚なことを言い張るなスクルド。全ての最終決定権は、常に貴様が持っていたではないか」
「ッ貴様と言うんじゃありません!」
余裕のなくなっていくスクルドは声を荒らげる。
ここまでくれば、あとはチェックメイトになるまでチェックを繰り返していく西洋将棋のようなものだった。
確かに恣意的にゲルが大型魔物の呼び水になる危険性があると知って、地上でホルンと争わせたが、その決闘を最終的に認可したのは誰でもないスクルド自身である。
そうしてスクルドが居合わせる現場で起きた出来事を、スクルド以外の責任にすることは難しい。
当然、戦術顧問である自身も苦しい立場に置かれることにはなるだろうが、それでもスクルドだけを逃がすことはない。道連れのように引きずり込める。
「異界警備隊ワルキューレの総司令・スクルド。貴女はミッドガルド内に竜を呼び寄せた事例の最高責任者としてノルニル裁判に掛けられる」
「ッ……認められるものですか!」
「現に事件は起きてしまった。この最終試験は本来、契約の更新可否に必要のなかったものでもある……。ノルニルの追及は避けられないだろう」
「ふざけっ……!」
スクルドはたじろぐ。何よりも自分のプライドが許さなかったのか、この失態を静かに見守る、志久真を始めとした観衆に対して強い怒りを露わにした。
ラーズグリーズはなおも言葉を重ねた。
「加えて、事態を早急に収めたブリュンヒルデはその功績を認められることにもなるかもしれない」
「……!」
スクルドとオリヴィア(ブリュンヒルデ)の視線は交差する。
「あ、あなたたち、実は手を組んでいるのでしょう! これは出来過ぎています!」
絶叫するようにスクルドはオリヴィアを指差して言った。
ラーズグリーズの思惑に理解を寄せたオリヴィアは、得意げな顔をして前へ進み出る。
「あら、そうかしら? 必要とあらば、私もノルニル裁判へ出廷したっていいわよ、スクルド」
「〜〜〜っ絶対にヴァルハラへ上がらせるものですか!」
憎しみをぶつけるようにスクルドは奥歯を噛み締める。これはあくまで、オリヴィア側にあった予言とラーズグリーズ単独の計画がたまたま噛み合っただけのことに過ぎず、スクルドには起死回生の術もない。
――よくできているのは、その通り。
確かな神々の恩寵を受けていたのはどちらであるか、という話なだけだ。
「……スクルド様。ここは一度、引きましょう。冷静になられるべきです」
「うるさい! あっ……」
レギンレイヴは振り払われた手に失意に染めた顔をする。スクルドもまた、この状況における味方がレギンレイヴだけなのをよく理解していたからか、すぐに反省した表情をした。
孤高ぶるスクルドとは言えど、味方がいなくなることへの恐怖には抗えないようだった。
しばらくの沈黙。
そして、とうとう立つ背がなくなったスクルドは、改めるようにコホンと咳払いをして虚勢を放つ。
「……分かりました。一度この件は持ち帰りましょう。ブリュンヒルデ、ホルンの処遇については後回しです。ゲルには話があります。レギンレイヴ、連れてきなさい」
「はっ」
すぐさまゲートを用意したレギンレイヴは、続けざまに彼女の指示に従う。ホルンの手で支えられていたゲルに向かって、憤りを込めた力強い足取りでレギンレイヴが接近すると――ここで前に立ち塞がったのが志久真だった。
「……待て。ゲルはどうするつもりなんだ?」
「私は彼女を許しませんので。あなた方には、関係のない話でしょう。ゲル、早く、こちらへ来なさい」
「おにーさん、別にいいっすよ。うち、覚悟していたことっすから」
庇い立てようとする志久真に少しだけ笑みを溢しながらも、諦めたような表情をするゲルはホルンの手から離れてスクルドのもとへ行こうとする。
けれど、ホルンもまたその手を離さなかった。
「いいや、譲れない。俺、さっきゲルに触れちまったんだ。ゲルはもうお前らの仲間じゃない、ワルキューレじゃねえよ」
「はぁ??」
志久真がそう答えればスクルドはひどく怪訝な表情をする。思わぬ話の展開にラーズグリーズは堪らず微笑を浮かべた。
スクルドはどこまでも不愉快そうだった。
「穢らわしい人間ッ……!」
「レギンレイヴも、それ以上近付くようなら容赦なく俺は触るぞ」
「っ……」
流石に、この状況下でレギンレイヴらも武器を抜くような真似はしない。彼女らにとっては、志久真よりももう一人の人間――シグルドのほうがひどく恐ろしい。
奴は竜の力を宿している上に、純人間であるため、簡単には御せない。最大の天敵とも言える人物がそこにいるのだ。
「……ッ!」
ギリッとスクルドは歯軋りした。
彼女にとって、ここまで何もかもが思い通りにいかなかった日は他になかった。
「ならば、もはや勝手にしてください。面倒臭いッ」
最高責任者の器とは思えぬような言葉を吐き捨てて、冷静さなどまるでなく、怒り心頭な様子でスクルドはゲートの向こうに消えていく。
それは誰が見ても明らかなほどの惨めな後ろ姿だ。
付き従うレギンレイヴもまた慌ててゲートを潜っていく。
残された面々の間には、深い沈黙が横たわった。
やがて、ラーズグリーズは肩をすくめながら言った。
「………とまあ、そういうことだ」
道化を演じるようなファニーな台詞に志久真は思わず苦笑する。説明を放棄したようにしか感じられない言葉だが、無理もないとこの場の全員が納得した。
長らく、高慢なふりをし続けたスクルドの〝底〟がこんなにも露呈した。それを見た者たちの心は一様の感情を抱いていて、そこに追加の言葉は必要ない。
これがいまの異界警備隊の実情であり、巨獣が巻き起こす異界の危機とは別に、早急に解決していかなければならない課題。
愚かなるスクルドの矮小さが、浮き彫りとなった瞬間であった。




