第98話 竜
「ひぃぃいいっ!」
そんな悲鳴を高らかに上げ、身を丸くするようにしゃがみ込み、耳元を覆ったのは何を隠そうスクルドだ。
「えっ!? スクルド様っ!?」
誰よりも《《普通の少女のような》》リアクションを誰よりも高慢な姉が見せたことに、思わず取り乱してしまうレギンレイヴ。彼女らだけではなく、竜の出現の影響で騒然とする現場では、この場にいる誰もが三者三様の反応を見せる。
突如として、地球上に出現してしまった竜。
それは叙事詩や神話のなかで語られ、ゲームや映画に広く登場するソレと大きくは違わない姿形をする。
巨大な翼に蜥蜴のような胴体、鋭い眼孔に鋭利な角。荒々しく硬質的な鱗。正しく、西洋のドラゴンだ。
「くっ……!」
暴風を撒き散らして君臨する体長二十メートルほどのドラゴンの下、事切れたようにふらりとよろめくゲルの身を案じながらも、俺は真っ先に翻って夫妻に目を向けた。
呼びかける。
「オリヴィアさん―――っ」
視線移動の途中、一瞥したラーズグリーズはこんな状況にありながらも全く狼狽えない様子を見せている。
その冷静沈着な様を気がかりにしながらも、俺はオリヴィアさんやシグルドさんに事態の解決を願った。
夫妻の動き出しは、とても素早かった。
「いましめる竜の鎖!」
ドラゴンとて、偶発的なスリップ現象の影響に振り回され混乱している状況。
地上にいる俺たちを睨み据えながら空中に留まっていたドラゴンへ、オリヴィアさんは両手を差し向けながらそう呪文を唱え上げる。
周囲から鮮やかな魔力光が寄り集まって、ドラゴンの足首に形成される鎖。それは捕縛のルーン魔術で形成されるものと酷似はしているものの、同一ではない。
――夫妻が、日本に訪れた理由を〝竜の出現の予兆〟としていたことは知っていた。
つまりこれは、彼らにとっての運命の瞬間。
生み出される鎖は、ドラゴンを拘束するためのもの。
張り詰めた弦のように人の変わった顔をする夫妻は、まるでこのときを待っていたかのように、ただドラゴンだけを見据えて全力で対処に当たる。
「ギャアアアアアアアウ!!!」
拘束に暴れ狂うドラゴン。
繋がれた鎖はオリヴィアさんの両手から発する〝戸〟を起点にして一定の長さでロックが掛かる。
ガキンッ! とけたたましい音が響き渡り、ドラゴンは高い飛翔を阻止されてしまう。オリヴィアさんは鎖の繋がる両手を精一杯振り上げると、足元の大地にその〝戸〟を力強く植え付けた。
ドラゴンを繋いだ鎖は大地と強固に結びつけられる。
「やったわダァリン!!」
しかも、それだけじゃない。
大地に手を当てたオリヴィアさんが目を瞑って念じれば、長さのロックされていた鎖は急速に〝戸〟に向かって巻き取られていく。
ぐわんっと引き寄せられて抵抗もままならないまま、大地へと引きずり込まれていくドラゴン――。
「―――――神威顕現・〝魔剣グラム〟」
その無様を待ち受けるかのように、瞳を鈍く光らせた竜殺しの英雄・シグルドはその真価を発揮する。
鞘のように見立てた左手から、赤黒い火花とオーラを迸らせて抜き出すは禍々しい魔剣グラム。身動きが取れず引きずり込まれるドラゴンの瞳はその刀身に釘付けになり、本能的に恐れているような反応を見せた。
「フッ――ッ」
短く、息を吐いた。強大な力で大地へと接近してくるドラゴンを天に仰ぎながら、狙いを研ぎ澄ますようにシグルドさんはぐっと腰溜めに剣を構える。
踏み込む。地表がヒビ割れるほど、力強く。
一瞬の隙を見定める。
蹴り付けられる大地。跳躍。抜刀。目にも止まらない神速で急接近するドラゴンを迎え討ちに飛ぶシグルド。
狙うは、その首――。
一閃。
「……!?」
そして、静寂。
「どうなった……!?」
世界から、一度、音が消え失せ……
……のち、戻ってくる。
「まじかよ……!!」
一刀両断だった。ドラゴンの首筋に一刀の線がピシリと刻まれ、ぐるんと白目を剥くドラゴンの眼孔。激しく動いていた羽ばたきは緩やかに停止し、その頭部は胴体と分かたれ、ひゅうう、と弧を描くようにして裏庭のほうへ墜落する。
その行方を、ぜひ目で追いたいところだったが――。
一方、大地に向かってなおも引き寄せられ続ける、力のないドラゴンの骸体。
直感的に、まずいと感じた。
そのままこの勢いで地面に落下すれば、真下にいる俺たちをはじめ、周囲の人間は巻き込まれることになる――。
すぐさま退避しなければ。
「……!」
だがしかし、俺は一瞬体を硬直させた。
我ながら気付かなければいいものを。
ゲルに目を向けた。
よろよろと、彼女はこちらへ手を伸ばしているようだった。
「ッッッッッ!!」
見捨てることがッ、できないッ!!!
奥歯を軋むほど噛み締めた俺は、もう一度ゲルに向かって全力で駆け出す。ひどく不思議な感覚だった。
全ての始まりの日が思い出されるような、どこか重なるところがあるような、そんなシチュエーション。
スローモーションに世界が歪んでいく感覚。閉塞感のある空。チラつく走馬灯が、この濃密な期間を鮮明に思い起こさせてくる。
魔物の死骸は忽然と消えることもない。今度は、助からないのだろうなという漠然とした思いもあった。
「ゲルッ!」
ゲルの手を、拾い上げるように手に取った。抱き抱えるようにして救出を目指すが、やはり時間が足りない。
ぐっと目を瞑って死を予感する。
「―――しぐまっ!!!」
しかし、体に浮遊感があった。
横からの追突。直後、地面と転がり落ちる衝撃。
まともな受け身も取れない着地だ。半ば骨折のリスクまである転がり方で俺は地面に倒れる。しかし仰ぐ空は眩しく、頭上に感じていたはずの死の気配は、数メートル先でどごんっっっと墜落した。
俺は苦悶に呻きながら身を起こす。
人影が近付いてくるのを感じた。
「っ、ホルン!?」
「バカなんですかッ、あなたは!!」
置かれた状況に戸惑っていると、俺を見下ろすホルンがひどく泣きそうな顔でそのように憤った。
どうやら、無謀な行動に出た俺を見かねて咄嗟に大地と骸体の隙間を縫うようトップスピードで飛来したホルンが、俺とゲルの体をまとめて抱える形で安全圏まで連れ出してくれたようだった。
俺とゲルは彼女に救われたのだ。
「死ぬかもしれないのに! いえ、死ぬところだったのに!! どうしてあなたは! バッ、バカすぎます!! 愚かです! 信じられない……!!」
矢継ぎ早に俺を咎めていく彼女の言葉は、いつになく鋭くてとても激しい。珍しいほどに動揺していて、気が昂っていて、混乱しているのが伝わる。
次第に、彼女の言葉には嗚咽が混ざっていって、だんだんと、安堵から涙声になっていく。
「よ、よかったぁ……!」
「い、いたい……」
一方的で、力強い抱擁だった。
無理な不時着で全身に捻ったような痛みと擦り傷があったから、どうしても甘んじて受け入れることが難しかったが、それでも彼女の背に手を回す。
ホルンは、誰よりも俺の死を一番に恐れていたようだった。ちょっとやそっとで離してくれる気配もなく、跨られるような態勢でのハグにホルンからの重ためな感情を知る。
かふっ、と少し離れた場所で、転がっていたゲルが意識を取り戻した。
「あ……」
俺とホルンは一度顔を見合わせ、ゲルのところへ向かうことにする。
光のない目で空を一点に見つめていたゲルは接近する俺たちに気付くと、自嘲げに口にした。
「なんで、うちを助けたんすか……ホルン」
俺はホルンを見つめる。彼女は迷わずに言葉を返した。
「しぐまが救おうとしたから」
「ははっ……」
……そう、ゲルを救おうとしたのは勝手な俺のエゴだ。ホルンにとっては、必ずしも嬉しい行動じゃなかったかと思う。
それでも、ホルンは見捨てなかった。
「私は、あなたのことがよく分からないよ。ゲル」
「うちも、ホルンのことはよく分からないっす」
息も絶え絶えで言葉を返すゲルと、冷静にその姿を見下ろし続けるホルン。
明確な対比があるなか、相容れない二人の声は重なる。
「「どうして、そんなに心が強くいられるのか」」
俺は息を呑んだ。そうか……と符合するものを感じる。
性格も生き方も何もかもが全く違う二人。共通するのは周囲に対してのコンプレックスと、認めてもらいたいと最後まで足掻ける心の強さ。
居場所を得る方法や、他人との向き合い方が違っただけで、お互いがお互いの持たざる部分に羨望の眼差しを向けていた。
ホルンのように気高く生きられたら。
ゲルのように貪欲に愛を求められたら。
どちらが正しい・正しくないじゃなく、当時からそう振る舞える一方のことを羨ましく感じていたのかもしれない。
「私は、私をいじめることを選んだあなたのことが嫌いだけど……」
「うちも、うちを無視したあんたが嫌いっす」
「――でも、あなたに死んで欲しいとまでは思わない」
「――うちだって、あんたが唯一の妹っすもん……!」
愛憎入り混じる、二人の姉妹関係。どれだけ憎んでも嫌っていても、《《行き切る》》ことはない腐れ縁のような仲。
二人は、それを良しと思っていないだろうが――確かに二人を繋ぎ止める何かがあった。
「大丈夫だった!? 三人とも!」
と、駆けつけるように夫妻が俺たちのもとへやってくる。
地上に叩きつけられたドラゴンの死骸を大きく迂回しての合流のようだった。
「っ……」
「こら! 無理に起き上がろうとしないの!」
どこか気まずいものを感じたのか、ゲルが体に鞭を打って立ち上がろうとする。しかし魔力を極限まで消耗した体は言うことが効かないみたいで、すぐに倒れた。
オリヴィアさんが慌てて寄り添う。
応急処置に値するルーン魔術をすぐに施した。
「大丈夫よ。まだ命は欠けていないわね……やっぱり、とんでもない魔力量。あれだけ出し尽くしても存在消滅に至らないなんてとびっきりの才能だわ。私でさえ、比にならないほどの潜在能力……」
オリヴィアさんは驚嘆したようにゲルを見て呟く。あれほどの死力を尽くしてなお、まだ生きていられるのが何よりもゲルに《《類稀な魔力量の才能》》を表す。
欠陥、欠陥と長らく言われてきたようだが、他の者に当然のようにしてできることができなくとも、彼女にだって本来は認められてしかるべきの力があったということなのかもしれない。
オリヴィアさんによる治療を受けたゲルは、苦痛が薄れ、ようやく少しだけ表情を柔らかいものにさせた。
「さて……」
唐突に舞い込んでしまったトラブルは、これにて一件落着。通常状態の姿に戻ったシグルドさんが、折を見て遠方にいるスクルドたちへ目を向ける。
「聞かなければならぬ話が多いな」
「……ええ」
「待って、ください……。うちも行くっす」
安静にしておくべきなのに、ゲルは我慢ならず体を起こそうとする。
「大丈夫なのか?」
「うっす。支えてもらえると、嬉しいっす……♡」
その言葉に隣のホルンが苛立った顔をする。
ゲルってやつはほんと……。
支えがないと歩行ができないのは、見て明らかなことだったから、仕方なく俺は肩を貸してやることにした。
――何はともあれ―――。
俺たちはいま、怒りを感じている。
今回の事態について、スクルドらには必ず問い質さなければならない話があった。




