第97話 スリップ
その試合展開は、実にあっけなく、ひどく一方的なワンサイドゲームだった。
「つぅっ!」「あぐぅ!?」「かはッ……!」
幾度も容赦なく攻撃を加えられ続けるのは、ゲルだ。
彼女がせっかくの思いで作り出した帯状の混沌武器は、しかしその密度が甘く、数多の実戦経験を積んでその技術力を高めたホルンのドラウプニルには決して敵わない。
「な、んでっすかァ……ッ!!」
叩き付けるようなその攻撃も、簡単に押し返されて分解されてしまう。隙の多いガラ空きの胴体に、何度も見舞われるホルンの柄突きや圧し返し。
反対の刃で斬りつけないのはただの慈悲であるが、故にゲルも諦めの悪い獣のように何度も起き上がってホルンへ迫っていく。
その度に、彼女は何度も倒される。
あまりにも見苦しい応酬が、続いていた。
「……もう、諦めたらどうですか」
「ッッ嫌っす! なんで、ふざッ……。ふざけないでくださいよ、ホルン……!! うちっ、本気なんッすから……!!」
歯茎を剥き出しにして、尚も起き上がろうとするゲルに、ホルンは本意じゃないと顔を歪める。
ボロボロで、痛々しい身なりをしたゲル。
口端の唾液を拭いながらもふらふらと立ち上がってこちらへ駆け出してくる姿は、無謀そのもの。
当然、その腕のドラウプニルは再び武器の形を取るため流体金属に戻ろうと反応を示すが、わずかにどろりと溶け出すのみで、武器の形にまで形成されることはない。
身一つでがむしゃらに突撃してくるゲルを、ホルンは苦い表情で迎撃する。
我慢ならず、周囲を見渡しながら声を張り上げた。
「っ……、もう決着はつきました! 終わりにしてください!」
「まだっす!!!!」
しかし、その声に覆い被さるように声を上げるのが地面に倒れ込んでいたゲルだった。
執念とも呼ぶべきそのあまりの気迫に、ホルンは息を呑む。
「な、ど、どうして………」
「どうして……? ハハッ、分からないっすよね。分かるわけない、ホルンにはうちの気持ちなんてなぁーんも分かんないっす……」
腕を立て、力を振り絞りながらゲルは立ち上がる。
狼狽えるホルンは、思わず後退りしてしまうが。
「――これは、止めたほうがいいのかしら……?」
「いや、必要なことだ」
同時刻。決闘の行方を見守る夫妻は、スクルドたちには聞こえないように耳打ちで相談をしていた。
「それは、そうなんでしょうけれど……」とシグルドに同意を示すオリヴィア。しかしその表情はそれでも浮かばれず、判断に迷っている様子だ。
一方で、同じく戦況を見守るラーズグリーズはやはりその鉄面皮に感情の色を見せない。
「………」
同様にスクルドも微笑を浮かべたままで、ゲルの失態にあからさまなリアクションを見せるのは「情けない……なんだ、その姿は……!」と静かに打ち震えるレギンレイヴくらいなものだった。
どうやら信奉するスクルドの目の前で、自身がおもりを仰せつかったゲルが、誇りも矜持もないような意地汚い姿を衆目に晒すことに憤っているらしい。
すぐ隣にいるスクルドの顔色を、思わずチラチラと伺ってしまうレギンレイヴの感情はさておき――。
当のスクルドの心情というのも、ここで細部まで解き明かしておく必要がある。
(ラーズグリーズは、いったいどの面を下げて……)
張り付いた微笑を浮かべるスクルドは、目の前で決闘に挑むゲルよりもそれを静観するラーズグリーズのほうに強く関心を向けていた。
ここに至るまでの経緯を順を追って説明するのなら、まず、元よりゲルに対する期待など一欠片もない。
スクルドの約束した第三分隊への昇格など、ほとんど嘘の口実だ。
元より期待のできなかったゲル。
そんなゲルをスクルドが使うことに決めたのは、一重に末妹へ不快感を与えるための当てつけ。
当時、追放されていた長姉と合流した末妹を不穏分子に感じていたスクルドは、どうにか彼女らを利用する手立てはないかと思考を巡らしているところだった。
そこで戦術顧問のラーズグリーズが推薦してきたのが、ゲルだ。
正直、眼中になかった半人前のワルキューレ。
ラーズグリーズが推すのなら、程度の認識だったが……ホルンとの関係を知ってからは実に〝ちょうどいい〟存在に思えた。
故の契約と試験だ。
当初の予定では、ゲルに心を乱され、高難易度の任務に失敗するようならホルンの実力はそこまでとする。
仮に、ホルンが長姉の言うように有用であればそのまま使い潰していくだけのこと。
予定を修正する必要が生まれたのは、ゲルについて、ラーズグリーズの更なる熱心な後押しだった。
彼女は何を思ってか、本気でゲルが第三分隊の穴埋めに相応しいと感じているらしく、途中からゲルをホルンの任務に同行させるよう進言したり、最終試験の内容を二人の決闘とするように提案をしてくる事態となった。
すでにゲルの能力についての情報を頭に入れていたスクルドにとっては、正気か? と疑わしいものだ。
ラーズグリーズのその思惑も定かではない。
しかし、スクルドは了承することにした。
ひそかな悪意をもって。
この時、すでにラーズグリーズは戦術顧問として以前に討伐隊に推薦したホルンが〝掟破り〟になるという顛末を辿っている。
そのため、今回も贔屓にするゲルが推薦するだけの結果を出せないとなれば、彼女は戦術顧問としての責を問われ、処罰の対象にできると考えたからだ。
ラーズグリーズにはカーラとの共謀疑惑がある。その尾は掴みきれていないものの、追及するため、公に罰せられる機会はスクルドが待ち望んでいたものだった。
……と、そのような前提があるとした上で。
(これは、期待以下の結果なのですが……)
想像以上に、ゲルはダメだ。
全くもって実力不十分なゲルの失態を受け、ラーズグリーズにはもう正しく戦術顧問としての才がないのだと感じるばかりだった。
《《これ》》を推す意味が分からない……。
ゲルがどうなろうとスクルドの思惑には関係ない話だが、あとがないラーズグリーズはゲルを必ず勝たせなければならない場面のはず。
だというのにこの冷静さ、そしてゲルのこの体たらく……。
(頭が痛いですね)
スクルドは嘆くように頭を振るった。
ゲルも、ラーズグリーズも、もう不要だ。
使えない奴らは切り捨てることに決め、スクルドは長姉と末妹をこの先も利用していく方針に切り替えることにする。
ゲルはまだ戦う気があるみたいだったが、期待したところでもう隠し玉などないだろう。
そう思って、振り上げた片手をまっすぐに下ろし、「――そこまで」と終了の合図を出した。
そのとき。
「遅れた! どうなってる!?」
受験勉強を終えて帰宅した志久真が、ようやく現場へと駆けつけてきたようだった。
▲▽▲▽▲▽▲
――なんとか、ホルンの試験に間に合わせることができた俺は、真っ先に屋敷の外から聞こえてきた騒ぎに大慌てで荷物を投げ捨てて庭へ出る。
「そこまで」
ちょうど、決闘の終了の合図が出たところだったらしい。静まり返る現場のなか、俺は肩で息をしつつ、状況把握に努める。
まず、場の中央には傷一つない姿のホルンと、ズタボロの姿のゲルが。
次に夫妻に目を向けると、次第にレギンレイヴ、スクルドの姿まで見え、最後にラーズグリーズまでもがこの最終試験の行方を見に来ていることが確認できる。健在そうで何よりだが、再会を祝福し合うことはやはり難しそうだ。
「あ、え……」
目を向ける。決闘の舞台の中央では、終了の合図を出されたゲルが茫然自失状態になって呟く。
ホルンは苦々しい表情をしながら、両手にしていた武器を腕輪状に戻して納めた。
これは……ホルンの勝ちで、終わったのか。
ほっとして、思わず笑顔を浮かべてしまうと。
「――まだだって、言ってるでしょ」
ゲルの様子がおかしいことを悟った。
その瞬間、俺の瞳には異様な光景が幻視される。早送りで映し出された数秒後の決定的な未来の図。
それがどういった因果で起きたものかは分からない。しかし少なくとも――
「!?」
これは……起きてしまってはいけない事象だ……!!!
「なっ、なんですかこの魔力……!」
俺が自分の身に起きた不可解な現象に戸惑う束の間、スクルドやレギンレイヴ、ホルンに夫妻たちは目の前のゲルを見て混乱した様子を見せた。
途端に膨れ上がり、起爆するような巨大な魔力の渦中に、ゲルがいる。それはオリヴィアさんの儀式魔術をも超える、純粋な魔力の暴走。
ゲルすらも自覚がなかったような潜在魔力の発露。
これは、まずい。
尋常じゃない。
これは普通のことじゃない。
《《限度を超えてしまっている》》。
―――――先ほど、幻視した光景が、このままでは避けられないことを痛感した。
ゲルが死んでしまう。
「ッ!」
俺は弾かれるように歩み出していた。
「っ待て! 待て!! ゲル! 止まれッ!!」
魔力に何も感じなかったときとは違う。可視化されるようになったからこそ渦に飛び込むのがものすごく恐ろしい。それでも俺は懸命にゲルを目指して突撃し、静止の言葉を掛け続ける。
けれども。
その静止も虚しく、感情の昂りによって暴れ狂う魔力は、否応がなく解き放たれてしまう。
さながら、自爆とも言えそうな現象だった。
――そうして、時空の歪みが発生する。
「ッッッ!」
「なんだっ、これはいったい……!」
「――竜……ッ!」
たったいま、ゲルの放出した尋常ならざる魔力反応を呼び水にして――
大きく翼を広げた巨大な竜が、屋敷の庭に転移してきてしまうのだった。




