8.
「…お兄様、今なんて?」
「殿下との婚約は破棄しよう」
「へっ?…あの…わたくしちょっと何だか耳の調子が?…えっ?」
「すぐに父上に頼んで、正式な手続きをしなくてはね」
「……………………」
想定外の話の流れに頭がついていけず、とりあえず冷めきった紅茶で口を潤す。
(えっ!?公爵令嬢としての責務とかは?絶対王政ってそんな軽いものだったかしら?いやいやいや…。えっ破棄して大丈夫なの?もしかして冗談だったりする?ここ笑うとこ!?)
どう反応すべきかさっぱり分からず、とりあえず外れかかった公爵令嬢の仮面を、そっとつけ直して優雅にカップを戻す。
心なしか肖像画のお母様が誇らしげに微笑みを浮かべている気がする。
(もしかして、最強のカードはやっぱり効果が…)
「…あの、やっぱりお母様の」
「もちろん母上のお告げなどという話は信じていないよ」
戻した瞬間お兄様に断言され、カップとソーサーがカチャンと変な音を立ててしまう。
(ですよね!)
「だったら、どうして…」
「だってエリーは王家に嫁ぐのが嫌になったんだろう?殿下とは幼い頃から親しく過ごしていたのに、彼は君の心を繋ぎ止めておけなかった。それだけで婚約破棄に値するよ」
「あの…。じゃあわたくしが変な事を言い出して、怒ったりは…?」
「もちろん怒っているよ。熱が出てから様子がおかしいし、何やら必死に考え込んでいると思ったら、今日になってあの小芝居だろう?
僕に隠し事をして嘘をつくなんて、怒るに決まってる」
(えっ?そこ!?婚姻を嫌がったことでなく?)
「とりあえず、紅茶がすっかり冷めてしまったから淹れ直させよう」
お兄様がテーブルの鈴を鳴らしながら、ひたりとわたくしの瞳を見据える。
「今日の愛する妹とのお茶会は、長くなりそうだからね」
__________
その後、微笑みを浮かべたお兄様によってすべてを、本当にすべてを吐かされたわたくしは、お兄様の有能さを嫌というほど思い知ったのだった。
そうして数日前、わたくしの杜撰な計画は泡と消えたものの、お兄様の手腕によってあっという間に王太子殿下との婚約は内密に破棄された。
(正式な公表前で良かったけれど…。悪役令嬢ってもっと必死に運命に抗って、悪戦苦闘するものじゃないかしら…?王太子殿下にお会いすることもなく、全てが終わってしまったわ)
「お嬢様」
(普通、婚約破棄の動きを察した殿下に「今更僕から離れるなんて許さない」とか執着されて逃げようとしたり、革命組織を壊滅させるために暗躍したりとか、そういうものじゃないかしら…。いえ、別にそうしたかった訳でもないけれど…)
「お嬢様?髪飾りはどちらになさいますか?」
(革命組織の残党も、再度洗い直しをさせるとおっしゃっていたし。もうわたくしがすることは何もないような…)
「あっ!婚約者探し!?」
「えっ?」
鏡の向こうでわたくしの髪を結い上げていたラリサが、不思議そうに首を傾げている。
「どうなさいました?」
「ああ、ごめんなさいラリサ。少し考え事をしていたものだから。髪飾りだったわね、どちらでもいいわ」
「婚約者探しについて、ですか?」
バッチリ聞かれていたようだ。
「でしたら髪飾りはこちらにしておきますね、きっと旦那様が大喜びなさいますわ」
そう言って楽しそうに、黄色のデイドレスを着ているわたくしの銀髪に、クリーム色のミニ薔薇を挿していく。
結局、お兄様は婚約破棄の理由を「エリザベスが母上からお告げを受けた」からとゴリ押ししたので、
「なんと!亡き妻からお告げがぁぁ!!」
と感動に震えたお父様によって、わたくしはあれ以来公爵家カラーに染められている。
(銀髪に淡い金色の瞳と、黄色のドレスにクリーム色の髪飾りの相性は最悪だわ…。でも…)
鏡に映る、薄ぼんやりして消えてしまいそうな自分の姿を見ながら、きっぱり宣言する。
「ラリサ、わたくし新しい婚約者探しをするわ!」