18.
あの後、わたくしとオリバー様は後ろ手に縛られ猿轡をされた状態で、厨房に積まれていた複数の箱と一緒に馬車の荷台に押し込まれた。
先程まで頻繁に方向転換をしていたけれど、ようやく目的地に進み始めたようだった。
(おそらく追手を心配して…?でもたぶん南西方面に向かってる?)
王都の地図を頭に展開して、進路の予測を立てる。
将来の王太子妃として受けた教育を総動員させるが、いまこの窮地を脱するのに、どれも役に立ちそうに無かった。
(わたくし本当に役立たずだわ…!)
せめて、気を失っているオリバー様の頭が床板にぶつからないよう、不自由な体でなんとか自分の膝にのせた。
(巻き込んでしまって、お怪我の状態を確認することもできないなんて。
ごめんなさい、オリバー様ごめんなさい!
あれほど止められたのに、わたくしが勝手なことをしてしまって…
どんな事をしても、絶対にオリバー様だけは助けますから!)
こんな時こそ冷静にならなければと、ギュッと目を瞑るのに、後から後から涙が出てきてしまう。
せめて、その苦しげに伏せられた長い漆黒の睫毛から、早く瞳を見せて欲しい。
祈るように目を開けたその時、
「まるで月のしずくだな、美しい…」
膝の上から甘やかな声が響いて、信じられない思いで見下ろすと、そこには静かにこちらを見上げる、紺碧の海のような瞳があった。
「んんんーー!?」
(えっ、えっ?気がついて?
でも、オリバー様も猿轡をされていたわよね!?)
「君の膝の上は天国のように心地よかったが、これ以上怖がらせたら可哀想だからね」
「んんっ!」
声にならない声をモゴモゴと上げた。
「いま外してあげるから、大きな声を出さないように」
そう言って上体を起こすと、その唇をわたくしの耳元にそっと寄せ、口を使って猿轡を外した。
「な、なに、きゃっ?」
「静かに」
「ごめんなさい、でもいま…」
(いま絶対オリバー様の唇が耳に触れたわ…!)
思わず顔が真っ赤になってしまうが、今はそれどころではないと思い直し、ささやき声で話しかけた。
「お怪我は大丈夫ですか、ひどく痛みますか?」
「いや、痛みなどないよ。直前に風魔法で身体強化を掛けたしね」
「……魔法……?」
オリバー様の言葉にぽかんとしてしまった。
(…………魔法!? ああ!そうだったわ。前世の「私」を思い出してから、すっかり馴染みがなくなっていたけれど、ここは魔法が使える世界だったんだわ…)
自分の迂闊さに呆然とする。
ここ聖セプタード王国では、生活魔法が盛んだ。
攻撃魔法や転移魔法などのような派手な魔法は無いけれど、貴族や一部の平民は水や土や風など、大自然の力をほんの少し借りることができる。
(それだったら…!わたくし、あの時魔法を使っていれば、オリバー様を守れたのに!)
「何だか遠い目をしているが。後をつけている騎士達も、さすがに見失ってはいないだろうから、心配しなくていい」
すっかり力の抜けてしまった体をなんとか動かし、オリバー様を見た。
そこにはこちらを強く見据える青く美しい瞳があった。
「君のことはよく知っているつもりだったが、どうやらずいぶん跳ねっ返りだったようだ」
「えっ…」
「今回の件は筆頭公爵家の令嬢として、有るまじき軽率さだ。少し反省するように」
「あの…」
オリバー様の言葉は至極もっとも…。
きちんと謝らなくてはと思うけれど、なんとも言えない違和感を感じて、小首をかしげた。
「そんなかわいい顔をして見せても無駄だよ。
結婚した後も、あまり自由にさせてあげられそうにない」
そこには、アプロウズ家の嫡男であり「宵闇の君」と呼ばれるにふさわしい、気品を感じさせる佇まいのオリバー様がいた。
わたくしのよく知っていたオリバー・アプロウズ様の姿だった。




