14.
真っ赤に燃える薔薇のような赤髪が、視界に飛び込んできた。
(真紅の髪色…!?もしかしてエマ!?)
「あっ、あの、止めてちょうだい!」
「はっ、はい!」
焦って御者台に大きな声を掛けると、公爵家の御者が慌てながらも巧みな手綱捌きで馬車を止めた。
「きゃっ!」
「エリー!」
急なことでも御者は上手に止めてくれたが、少しガタッと揺れた車内で体が浮いてしまい、オリバー様に抱きとめられてしまう。
「も、申し訳ありません、急に…」
「僕は大丈夫だけど、突然どうしたの?」
オリバー様の腕に強く抱き込まれ、その宵闇色の髪がわたくしの頬に触れた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
(わ、わたくしオリバー様に抱きしめられて…!?
こんなこと殿下ともなかったのに!)
激しく混乱するけれど、オリバー様の息づかいや熱いほどの体温を直接に感じてしまい、身動き一つとれない。
(わたくし、どうしたら…!)
「あっ、あの離し…」
すると、御者や後方から隠れて護衛してくれていた騎士たちが、ドアの外から声を掛けてきた。
「お嬢様、アプロウズ様もお怪我ございませんか!?」
「いかがなさいました?何かございましたか?」
「エリザベス嬢も僕も大丈夫だよ」
オリバー様はそう伝えると、ようやく抱きしめていた腕を解いて、その美しい紺碧の瞳でわたくしを見据えると、銀髪を一房スルリと撫でた。
「エリー、どうしたの、何か気になるものでもあった?」
「えっ」
(そうだったわ!そうエマ!!
わたくしのバカ、ここは呆けている場合じゃ…!)
「そ、そうなんですわ、この辺りがなんだか興味深くて、降りたくなったんですの…!」
オリバー様は少し訝しげな視線を向けつつも、周囲の安全を確認して、下車を許してくださった。
エスコートされながら目抜き通りの石畳に降り立ち、急いで周囲を見渡したけれど、それらしき姿はもう見当たらない。
(いないわ…。顔は見えなかったけれど、綺麗な薔薇色の髪なんて、ヒロインの特徴にぴったり合うのに…まだどこかに…)
物語のヒロイン・エマは、その真紅の髪色と新緑のような瞳が美しいと讃えられていた。きっと目立つはずと、キョロキョロしていたらオリバー様に左手を握られた。
「ひゃっ!なに…を」
「迷子防止のためだよ、決して離さないでね」
「ま、迷子?わたくしなら大丈夫ですわ…!」
「エリー、ここからは僕らは少し羽振りの良い商家の婚約者同士だよ。僕のことはオーリと、いいね?」
そう言って勝手に決めて微笑むオリバー様を、ぽかんとして見つめ返してしまった。
(そんな…!結局、愛称で呼ばなきゃいけないの?)
「あの、他のお名前では…」
「だめだよ、もちろん」
これから婚約者探しをする身なのに、平民のフリをするために、結婚の見込みもない相手を愛称で呼ぶなんてと、がっくり肩を落とした。
「オリバーさ…ではなく、その、お、オーリは少し強引なのではありませ……いえ、強引よ」
「あはは、やった!やっと呼んでくれたね。さあ、パン屋を探すんだっけ?」
「…………はい」
はぐらかされたことにムッとしつつも、先程のエマらしき後ろ姿はもう見当たらないし、予定通りパン屋探しをしようと気を取り直す。
「目抜き通りの有名店がいいのかな、それとも」
「いえ、大通りから北西方面に外れた裏道にあるような…」
「これはまた、ずいぶん具体的だね。…初めてじゃないの?」
(あっ、うっかりしてしまったわ!わたくし、もっとぼかせば良かったのに…)
「もしかして、以前の婚約者と?」
なんだか急にオリバー様から剣呑な雰囲気を感じて、慌てて答える。
「い…いえ、初めてですわ。…じゃなくて、です。あの、以前噂で聞いたことがあって」
「そうなんだ。なら、いくつか思い当たるから、行ってみよう」
「えっ」
(何となく感じていたけれど、やっぱり下町に慣れてらっしゃる…?第一、オリバー様の平民風の服も、エリックがお兄様のクローゼットから出してきたものなのよね)
「なら、初めての下町デートは僕の為に取っておいてくれたんだね」
「デートではありませんっ!」
すっかり淑女の仮面を外してしまって言い返したけれど、握られた左手がこそばゆい気がして、隣を歩くオリバー様の横顔をそっと見つめた。




