かじかの湯
湯川内紡績工場で働く松野は日給50マンギラートの賃金で何不自由ない生活をおくっていた。そんな松野の退勤後のルーティンは、全国でも30か所ほどしかない足元湧出の共同湯『かじかの湯』に入浴することだった。外気との温度差によって起きるヒートショック防止のため足元からしっかりと掛け湯を行う。湯桶は檜の意匠であった。泉質は単純硫黄泉で成分統計は155mgと薄い成分量。しかし『かじかの湯』のつるつるとした浴感と透明度の高い新鮮な湯は温泉ファンの間では知らない人はいない名湯として広く認知されている。
足元湧出であるため1度も外気に晒されたことのない温泉が松野の足元から湧き出ていた。細かな気泡がぶくぶくと立ち昇り、湯の表面で弾ける。湯は阿蘇の天然水採水地である白川水源を彷彿とさせるほど澄み切っており、神秘性を帯びていた。
『かじかの湯』浴槽の造りは地面を掘り下げた堀湯となっており、大人が4人ほど入れば手狭になるほどの小さなものであった。浴槽は小さければ小さいほど新湯との入れ替わりは早い。浴槽の縁から勢いよく流れ出ていく湯量を見て松野の口許は綻ぶ。やはり足元湧出の湯は鮮度が違う。
昨今はレジオネラ菌による死人が増加傾向にあるため保健所の指導も年々厳しくなり、塩素消毒を実施する入浴施設も増加傾向にあるようだ。公衆浴場衛生管理要綱か何だか分からないが昔ながらの湯治文化が時代の潮流と共に淘汰されるようなことがあってはならない。何とか今後も保全していって欲しいものだと松野は思った。