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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人の罪を描く絵画展

作者: ウォーカー

 これは、手癖が悪く盗みを繰り返している、ある若い男の話。


 夜も遅くなった電車の中。

終電間際のせいか乗客はまばら。

車両に数人いるかいないかの乗客も、

酔っ払っていて正体不明だったり、疲れて居眠りをしていたり、

まともな状態の人は少ない。

そんな中で、周囲を注意深く伺っている若い男がいた。

その若い男は、酔っ払って居眠りをしている中年の男の隣に座ると、

中年の男の懐にそっと手を伸ばした。

起こさないように注意深く懐をまさぐって、何かを取り出す。

懐から取り出されたのは、分厚い長財布。

それからその若い男は、長財布の中から札を全て抜き取ると、

数枚を財布に戻してから、中年の男の懐に仕舞い直した。

残りの札は自分のポケットに入れる。

その一連の動作は僅か一分にも満たない手際の良さで、

同じ車両に乗っている他の乗客はおろか、

財布から金を抜き取られた本人すら気が付かず居眠りを続けている。

そうこうしている内に電車は駅に到着。

その若い男は何事もなかったかのように立ち上がると、

次の獲物を求めて電車を降りていった。


 よく晴れた昼下がり。

その若い男は、駅前の待ち合わせ場所で、

手持ち無沙汰に煙草を吹かしていた。

落ち着き無く時計を確認して、待ち合わせ相手が来るのを待っている。

やがて、通りの向こうから若い女がやって来るのに気が付くと、

若い女から見えないように煙草を揉み消して、

その若い男は自分から駆け寄っていった。

「やあ。

 今日は来てくれてありがとう。」

手を振るその若い男に、若い女も笑顔で応える。

「あら、あなた。

 もう来ていたの?

 待ち合わせ時間まで、まだ間があると思っていたのだけれど。」

「君を待たせるわけにはいかないからね。

 少しだけ早く来ていたんだよ。」

「まあ、あなたって親切なのね。」

柔らかく微笑む若い女と、照れ笑いで応えるその若い男。

少しだけ早く来ていたというのは嘘で、

実は一時間以上も前からずっと待っていたのだった。

身形みなりの良い若い女に比べて、

その若い男の格好は良く言えば年相応、

悪く言えば見窄みすぼらしく、どこか釣り合っていない印象だった。

若い女が笑顔のままで首を傾げて尋ねる。

「それで、今日はどこに連れて行ってくれるの?」

「あ、ええと、

 この近所の美術館で絵画展をやっているんだよ。

 そこに行こうと思って。

 それでも良いかい?」

「ええ、もちろん。

 あなたが連れて行ってくれるなら、私はどこへでも行くわ。」

「それは良かった。

 じゃあ行こうか。」

そうして、その若い男は若い女の小さな手を取ると、

ふたり連れ立って目的の美術館へと歩いていった。


 美術館で絵画展をやっているらしい。

それは、その若い男が恋人を連れて行ける場所を探していて、

偶然見つけたものだった。

その若い男と若い女は、恋人同士になってからまだ日が浅い。

ずっと片思いをしていたその若い男が、

何度も諦めずに交際を申し込んでやっと成就させた、身分違いの恋だった。

憧れの彼女と恋人同士になることが出来た。

そう大喜びしたのも束の間、苦労したのはそれからだった。

不釣り合いな相手と付き合うということは、多大な負担が伴う。

美術館や高級レストランなど、

普段の自分は寄り付きもしない場所について調べなければならなかったり、

その費用のために、少なくないお金を用意しなければならなくなる。

必要な労力も費用も、その若い男には重すぎるもので、

無理が無茶へと変わっていくのに時間はかからなかった。

電車の中でスリを働いたり、

仕事先の売上金をちょろまかしたり、

盗んだ物を売って金に替えたり。

元々から手癖が悪かったその若い男は、

とても人には言えないようなやり方で金を集めていた。


 その若い男が若い女の手を引いて歩くことしばらく。

目的の絵画展が行われている美術館へとたどり着いた。

その美術館は古い民家を改装したような建物で、

美術館としては小さめだが、民家としては大きい。

学校の体育館くらいの広さはありそうだ。

入り口には絵画展の看板が設置されていて、

「人の罪」

と題されたそれには、叫び声を上げる人の絵が掲げられていた。

恋人を連れてくるには相応しくない題材だっただろうか。

その若い男は内心舌打ちしたが、

当の若い女は意に介していないようで、手を合わせて感心している。

「まぁ。

 人の罪という絵画展なの。

 あなたって高尚な趣味をお持ちなのね。」

「い、いやぁ、そんなことはないさ。

 君に喜んで貰えたなら嬉しいよ。」

お褒めの言葉を頂いて、その若い男は頭を掻いて苦笑いを浮かべた。

もちろん、その若い男に絵画をたしなむ趣味などない。

育ちが良い若い女の趣味に何とか合わせようと、必死に調べただけのこと。

そうしてその若い男と若い女は、美術館の中へと足を踏み入れた。

入り口の敷居をまたぐ時に、

その若い男はもう一度その絵画展の展名を確認する。

「人の罪」

その言葉に胸がざわざわと掻き立てられるような感じがした。


 美術館の中は静かな空間が広がっていて、

来場者が多くない館内は恋人と過ごすにはうってつけ。

その若い男と若い女は肩を並べて絵を鑑賞していた。

「まぁ、あの絵を見て。

 すごく雰囲気のある色使いね。」

「ああ、そうだね。」

嬉しそうに絵を眺めている若い女に、その若い男は曖昧に相槌を打つ。

絵などまともに見たのは学校の授業くらいなもので、

良し悪しなど聞かれても分かりようがない。

その若い男の返事が手抜きだと分かってしまったのか、

若い女の口が重くなって言葉が少なくなっていく。

機嫌を悪くさせてしまったかと様子を伺うが、どうもそうではなさそうだ。

若い女が言葉少なくなっていったのは、

どうやら絵画展の内容が原因のようだった。

人の罪、という展名の通り、

展示されている絵は暗い印象のものが多い。

人を殴る情景の絵だったり、

車が人を轢く情景の絵だったり、

はたまた人が盗みを働く情景の絵だったり。

恋人との逢瀬を彩るには相応しくない絵が並んでいた。

その若い男はまたもや内心後悔する。

やはり、人の罪などという題材の絵画展は避けるべきだったか。

絵画展なら何でも良いと考えて、

その内容にまで気が回らなかったのは失敗だった。

恋人が気を悪くしない内に、他所へ移動した方が良いかも知れない。

そう考えて、もう一度若い女の方を見る。

すると、若い女は驚いたように目を見開いていた。

何を見ているのかと視線を追う。

若い女が見ているのは、たまたま目の前に展示されていた絵のようだ。

その絵を目にして、その若い男もまた顔を強張こわばらせたのだった。


 若い女が驚いた表情で見ていたのは、

「奪う者」

と題された絵画だった。

その絵の情景は、どこかの車内だろうか。

窓が並んだ車内で、長椅子に腰掛けた中年の男が眠っている。

そしてその横に座った男が、

中年の男の懐から財布を盗み出す場面の絵だった。

絵の情景にその若い男には心当たりがある。

つい先日、自分が電車でスリをしたその場面に似ている情景だ。

いや、似ているどころか、

その絵に描かれた人物の服装は、

自分がスリをした時の服装にそっくり。

よくよく見てみると、その人相まで自分そっくりに見えてくる。

これでは犯罪の決定的瞬間を絵にされたようなものだ。

その若い男の顔を冷たい汗が滑り落ちていった。

慌てて若い女の手を掴む。

「そんな絵よりも他の絵を見ないか。

 ほら、あっちにもあるよ。」

応えない若い女の手を引っ張って、絵の前から引き剥がす。

そうして隣の絵の前に若い女を連れて行く。

隣の絵は、

かすめ取る者」

という題名で、

どこかの事務所で男が金庫から金を盗んでいる場面の絵だった。

その絵の情景もまた、その若い男には心当たりがあるものだった。

それは、仕事先の売上金を盗んだ時の事。

この絵はまるで、その時の場面を描き写したかのような絵で、

絵の中の男の背格好も人相も、その若い男にそっくりだった。

若い女も気が付いたのか、やはりその絵を見て表情を曇らせている。

それから他の絵を見ても、

その若い男には心当たりがある情景のように思えてしまってならなかった。

結局、若い女の目からそれらを隠すように、

早々に美術館を後にすることになったのだった。


 美術館を後にしてから。

その若い男は、予約していたレストランなどにも足を運んだが、

若い女の表情は優れないまま、会話も弾むことはなかった。

夕食を手早く済ますと、

送っていくというその若い男の申し出を固辞して、

若い女は言葉少なに帰宅してしまった。

夜の予定が全てふいになって、

その若い男は途方に暮れたのだった。


 その日の深夜。

その若い男は、人知れずまた美術館の前へとやって来ていた。

閉館時間はとっくに過ぎていて、

美術館の内にも外にも人の気配は感じられない。

周囲に街灯は少なく、静かな夜の闇が広がっている。

それはその若い男にとっては都合が良いこと。

今のその若い男は、全身真っ黒の服を着ていて、

黒い帽子と黒いマスクで顔や人相を隠していた。

深夜の美術館にその若い男が来た目的は、日中に見かけた絵。

まるで自分が盗みを働く場面を描き起こしたかのような絵を、

このまま人目に触れさせるわけにはいかない。

絵から足がついてしまわないように、盗むなり破損させるなりするしかない。

そう決意して、ここまでやってきたのだった。

ぐずぐずしてはいられない。

その若い男は美術館の周りをぐるっとまわって、

中に入ることができる場所はないかと見てまわる。

すると、物陰に人が通れそうな大きさのガラス窓を見つけた。

その若い男はガラス窓に近付くと、鞄から金槌とガムテープを取り出した。

窓にガムテープを貼り付けて、金槌で叩き割る。

泥棒がよくやる手口を、見様見真似で再現する。

案外大きな音がして、その若い男はギクリと体を飛び上がらせた。

恐る恐る周囲の様子を伺うが、誰かが来るような様子はなかった。

ほっと胸を撫で下ろすと、その若い男は、

ガラス窓を開けて美術館の中へ体を滑り込ませていった。


 閉館後の美術館の中は真っ暗で、

火災報知器か何かの明かりが点々としているだけだった。

忍び込んでいる手前、大っぴらに明かりを使うわけにもいかず、

その若い男は全身真っ黒な格好で、暗闇に溶け込むようにして足を進めた。

日中に来たばかりの美術館だが、

明かりが無いと別の建物かのように感じられる。

迷ってしまわないように、慎重に現在地を確認する。

自分が描かれているのはどの絵だったか。

その若い男は持ち込んだペンライトを取り出すと、

なるべく目立たないように絵を照らして内容を確認していく。

「えーっと、この辺りにあったと思うんだけど。

 ・・・あった。」

やがて、自分が電車の中でスリを働いている絵を見つけることができた。

この絵は残すわけにはいかない。

持ち運ぶには大きすぎるし、切り刻んでしまうのがいいだろう。

鞄から刃物を取り出して絵に突き立てようとして、

その若い男が首をひねる。

「それにしても、この絵を描いた奴は、

 俺がスリをするところを見ていたのか?

 そうでもないと、こんなにそっくりな絵は描けないはずだ。

 あの時、誰かに見られてないか何度も確認したはず。

 誰がどうやって、何のためにこんな絵を描いたんだ?

 悪事をとがめたいからか?

 いや、もしそうなら、

 スリをするところを止めるなり通報するなりすればいい。

 わざわざスリを見逃して絵にして、その絵の絵画展を開くなんて、

 それじゃまるで絵の題材にするために悪事を働かせたみたいだ。」

そんなことを思案していると、突然後ろで小さな物音が聞こえた。

驚いて、危うく道具を取り落しそうになる。

背後を振り返るとそこには、何者かの人影が立っていた。

黒いフードに全身黒い服を着ていて、顔や人相は確認できない。

だがその様子から、警備員や警察官というわけではなさそうだ。

では何者か。

その若い男はすぐに一つの可能性に行き着く。

「お前も、俺と同じ目的なのか?」

閉館後の美術館の中に姿を隠して忍び込むのは何者か、

その正体は、自分と同じ泥棒くらいしか考えられない。

世の中には、盗み出された美術品を売り買いする人達もいて、

特に外国では美術品の盗難は珍しいことではない。

きっとこの相手も、美術館の絵を盗みに来たのだろう。

しかしそれは、その若い男にとっては都合が悪い。

自分が盗みをする場面を描いた絵を盗み出されて、

人の目に触れさせるわけにはいかない。

絵を盗むのを阻止しようと、目の前の相手と絵との間に立ち塞がった。

そうして目の前にして分かったが、

目の前の相手は、その若い男よりも幾分小柄なようだ。

その若い男自身は特に大柄というわけでもないが、

黒いフードの相手はそれよりさらに小柄。

にも関わらず、黒いフードの相手は、

勇敢にもその若い男に立ち向かってきたのだった。


 真っ暗な美術館の絵の前で、

その若い男と黒いフードの相手が取っ組み合いをしている。

物言わぬふたりの息遣いと衣擦れの音だけが、深夜の美術館に響く。

お互いに美術館に不法侵入している身同士、

大きな声や物音を立てるわけにはいかず、静かだが激しい応酬が続く。

その若い男は小柄な黒いフードの相手の腕を取って捻り上げようとするが、

相手は武道の心得があるのか、巧妙に手を払われて掴むことができない。

逆にその若い男は相手より体格が良いことを利用して、

黒いフードの相手の体捌たいさばきを力と体重で捻じ伏せる。

肉と肉がぶつかり、息切れが混じり合う。

そうして短くも激しい応酬は、唐突に終わりを迎えることになった。

取っ組み合いに夢中だったふたりが、暗闇に足を取られて、

組み合ったままで床に転んでしまったのだった。

ふたりは一緒になって床を転がり、どちらからともなくその身を離した。

その片方が、床を蹴って立ち上がって身構える。

身構えているのは、小柄な黒フードの相手。

床に倒れたままのその若い男は、一向に起き上がる気配がない。

小柄な黒フードの相手がじりじりと近付き、

仰向けに倒れているその若い男の様子を確認して息を飲んだ。

床に倒れたその若い男の胸には、刃物が深々と突き刺さっていた。

偶然か必然か、

絵を切り刻むために持っていた刃物が、

取っ組み合いの弾みに刺さってしまったようだった。

目を見開いて瞬きも出来ず、その若い男は虚空に手を伸ばした。

苦しそうにぱくぱくと動かされた口からは、

暗闇よりも黒い液体が湧き出てあふれていった。

黒いフードの相手は悲しそうに俯いて言葉をこぼす。

「ごめんなさい。

 この絵はどうしても処分しなければならないの。

 そうでないと、私の大切な人が困ることになるから。

 あの人に悪い癖があるのは知っている。

 でも、きっと直るから。

 私が直してみせるから。

 だから、あなたにはごめんなさい。」

固く決意したその声を、その若い男は聞いたことがある気がした。

もしかして君は。

そう言おうとしたが、口から言葉が出てこない。

焼けるように熱かった胸が、今度は凍るように冷たくなっていく。

暗闇のせいか、何も見えなくなる。

すぐそこでは何かを引き裂くような物音が聞こえている。

その若い男が伸ばした手は、何も掴むことができないまま、

やがてぱたりと床に落ちて動かなくなった。


 それからしばらく後。

あの美術館では相変わらず、

人の罪と題された絵画展は続いていた。

絵画展は盛況で、今日も多くの来場者で賑わっている。

多くの来場者にとってのお目当ては、

最近になって追加されたという、ある一枚の絵だった。

美術館の館内の、

一番目立つ場所に展示されている絵の周りで、

来場者達が人だかりを作って口々に感嘆の声をあげている。

「あの絵を見て頂戴。

 見事な名画だわ。」

「本当ね。

 まるで、絵の中から後悔の声が聞こえてきそう。」

「あんなに見事な絵を描くなんて、

 どうやってモデルを用意しているんだろうな。」

人々が夢中になっている絵。

それは、

真っ暗な建物の中で、

胸に刃物が突き刺さって倒れている男と、

それを悲しそうに見下ろす女の情景を描いた絵だった。

そして、その絵の題名には、

「愛する者に命奪われた男」

と書かれていたのだった。



終わり。


 絵画をテーマにしてこの話を作りました。

人が絵に取り込まれるという話はよく目にするので、

逆に人の罪が絵を生み出すという内容にしました。


この物語は、

関わった人達全てが不幸になってしまったようで、

あるいは得をしたかも知れない人達も存在します。


実は、深夜の美術館の扉や窓には一切鍵は掛かっていませんでした。

若い男が窓ガラスを割った後、

窓の鍵を開けなかったのに窓はちゃんと開いています。

これは偶然ではありません。

つまり、この結末へと誘導した人達こそが、

事件が起こって得をしたかも知れない人達なのでした。


お読み頂きありがとうございました。


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