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十二歳


 去年の誕生日は、全然楽しめなかった。


 きっと今年もそうかもしれない。


 ラペールは飾られた去年の肖像画を見ていた。


 一年前。

 具合が悪い、という理由をつけて、彼がいる間は部屋から出なかった。

 出られなかった。

 好きな人のあんな場面をみてしまって、顔を合わせられる筈がない。

 シリウスはそんな子どもっぽいラペールの態度に、真摯に対応してくれた。


 向かい合わないまま、向き合う時間もないまま完成された肖像画は、ごくごくありふれた普通の作品で。


 それを見た家族からも、特にこれと言って目立った感想はなかった。

 ウンデキンベル国国王、王妃、兄である王子たちと似たり寄ったりの可も不可もないアングルで、十一歳になった王女がそこで微笑んでいる。


「会いたくないな」


 こう思ってしまうのは初めてだった。


 どんな顔をして会えばいいのか分からない。


 好きという気持ちが消えてしまえばいいのに、あれから一年経った今も消えてくれない。


 苦しくて苦しくて我慢できなくて、グレースとエマに、全てではないが恋をしていることを打ち明けてしまったことがある。

 

「あぁ。男性はねぇ……」


 と、グレースは訳知り顔で答えるが、エマは静かにラペールの話に耳を傾けていてくれる。

 ただ聞いてくれるだけで、どれだけ心が軽くなったか。


「では、私たちもその日お邪魔しましょうか」

「え?」

 エマが提案するとは、到底あり得ない突拍子もない発言に、二人は言葉を失ってしまう。

「私たちはこのラフトゥ出身だから、いつでも家へ帰れるでしょ?それにもう。誕生日だなんて、お祝いしなくてどうするの」

 一緒に過ごす年数が増えてきたので、自然と態度も口調も友だち同士のそれと近くなる。

「友だちでしょ。お祝いさせてちょうだい」

「わたしもー」

 既に定位置になっている庭の木陰でのティータイム。

 気付けば知り合って五年。来年は卒業の年になる。一応、ジャルダン学園の生徒は、このまま上のクラスに進学することが多い。

 ほぼ毎日一緒に居るのでもう家族同然だ。

 シリウスと知り合った年数の方が長いのに、一緒にいる時間はとても短い。

 エマは隣で少し沈んだ表情を見せるラペールを盗み見た。

「お友だちの誕生日パーティーにお呼ばれという形でよろしいかしら?」

「もちろん」

 こんなに一緒にいるのに寄宿学校の外で遊んだことは一度もない。

 そうやって予定が決まると、女子たちは次の講義のチャイムが鳴るまで、楽しそうに計画を立て始めた。


 ***


 憂鬱な帰省が、そうではなくなったのは一緒に来てくれたグレースとエマのお陰だった。

 一緒に乗る馬車の中でも、おしゃべりは止まらない。

 グレースは先日、婚約者と庭園で逢引をした、と嬉しそうにはしゃぎ、行き過ぎた内容になるとエマが無言で制す、という事を何度か繰り返して、気付けば城の敷地内を通っていた。


 馬車が止まり、エスコートされ降りると、ラペールは勿論のこと、エマとグレースも大歓迎された。

 二人の友人は、背筋をピンと張り、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、お手本のようなカーツィを披露する。


 女性が増え王宮はより華やかになった。


 特にグレースは案内される場所一つ一つ、むしろ一歩歩く毎に「綺麗な細工」だの「輝きが」だのと、いろいろな物に目移りしてしまい、視点が定まらない。


 一方、隣国の王女でもあるエマは、適度に口を開きつつ、王宮の案内を務めるラペールの隣を嬉しそうに歩いていた。


「……」


 そして、隅々まで案内し終わった頃。

 ラペールはある扉の前で足を止めた。

「……」

 扉を見つめたまま動かない彼女を見遣ったエマが、一歩踏み出す。

「えっ。ちょっと待って。エマ」

 言葉がいい終わらないうちに、中々何を考えているのか分かりにくい隣国の姫が扉に触れる。

 そしてそのまま扉を引いてしまった。


 いなければいい。

 という微かな希望は打ち砕かれ、見ず知らずの来訪者に絵師が一瞬、戸惑った瞬間。


「初めまして。私、ラフトゥ国第一王女エマと申します」

 ここで先程よりも、より魅力的なカーツィを披露したエマは、何を思うのか、真っ直ぐシリウスのことを捉える。

 グレースがその後に続けて挨拶をする。

 ラペールは立ちすくんだまま。


「……」

「お久しぶりでございます。王女様」

 どんな言葉を掛ければいいのかラペールが戸惑っていると、シリウスの方から膝を折った。

 ラペールは続けておずおずと手を差し出すと、彼はそこに唇で触れる。

「……」

「お久しぶりね」

 少し距離を取ってしまうのは、一年前見てしまった情景が脳裏を過ってしまうからか。

 ラペールは彼から視線を外し、そんな二人の状況を冷ややかに観察するエマ。

「初めてお目に掛かります。絵師のシリウスでございます。以後お見知りおきを」

 やっと自分のことを述べると、シリウスは姿勢を正して、三人を見た。

「寄宿学校のご学友ですか?」

 絵師は世間話をしようと話題を振る。

「そうなの。ずっと一緒よ」

 質問に物おじしないグレースが即答し、会話が始まる。

 

 やっぱり二人に来てもらえてよかった。

 ラペールは誰にもバレぬよう、軽く息を吐く。


 グレースがいろいろ話してくれるお陰で場も和むし、シリウスを意識しなくて済む。

 グレースが会話を弾ませ、囲む二人がそれに答える、という図式が完成し、エマは静かに黙ったまま、アトリエ内を見回しながら歩いている。

 何か興味をそそられるものでもあっただろうか。

「ここ」

 足を止めて口を開いた。

「全部貴方が描いたの?」

 シリウスに視線は向けず、気に止まった絵を眺めながら。

「いえ。ここにいた宮廷画家の物が数多くあります」

「でも、これは貴方よね」

 絵師が言い終えるよりも早く、エマが口を挟むと、シリウスは「どれでしょう」と彼女の元へ足を運ぶ。

 視線で促したのは、ラペールの肖像画。

「……」

 彼女をモチーフに描いて八年目になる。

 去年の物は家族の肖像画と共に王宮のよく見える場所に並べられ、古い物はここに飾られている。

 シリウスは、敢えて視界に入りにくい場所、自分だけが知り得る場所にそれらを飾っていた。

「そうです。王女様の肖像画を毎年」

「貴方ね」

 今日のエマはやたらと人に対して厳しかった。

 普段の彼女なら、相手が話すことによく耳を傾け、自分の中で上手に噛み砕いてから言葉にするのに、今日はそれがない。

 という事を、ラペールもグレースも、この二人と離れた場所でおしゃべりに興じているので気が付かない。

「何のことでしょう」

 シリウスも、いくら年下の王女とはいえ、明らかな敵意を向けられ、応戦しようとしてしまいそうになる。

「私のラペールを泣かせたのは」

「……」

 核心に迫られシリウスは押し黙った。

「あの子は誰かなんて相手を言わない。でも私には分かる」

「……」

「この絵……。こんな表情のラペールを描けるのに……。あの子の気持ちに気付いてる筈なのにずるい」

「……」

 絵師は静かに王女の親友の言葉に耳を傾ける。

 隠そうとしない彼女の敵意は、同時に羨望だ。

 生まれながらに男であるシリウスへの。

「もう泣かせないで」

 感情を必死で押さえ込もうとする、この隣国王女に、シリウスは同じ立場の者として、彼女を完全な敵として扱えなかった。


 性別。

 身分。

 それ以外にも。

 

 超えられないものは、どうしても存在する。


 並んだ絵画を見ただけで、見破られてしまう感情なんて……と、自嘲気味に笑いながら、シリウスはラペールの元へ向かう様、そっとその背中を押す。

 本当なら、頭を優しく撫でて慰めてあげるべきなのだろうが、彼女もそれを望んでいない。


 ひとまず挨拶に来ただけだから、と、ラペールはシリウスに告げると、彼女たちはアトリエから去って行った。


 ***


 そして、同じ日の昼食後。

 また三人揃ってアトリエにやってきた。


 シリウスは二脚分の椅子を追加で運び、ラペールたちを座らせる。


 適当に描くので自由にしていていいと言ったら、男の存在など気にも止めずに女子トークが始まってしまった。


 シリウスも表には出さないが、ラペールと一対一で向き合うことが少し怖かったので、こういう状況を作ってくれたことは、ありがたかった。


 友だち同士だとそんな顔で笑うんですね。


 自分では決して引き出せない表情に、諦めのような、嫉妬のような感情が沸き起こる。


 自分は一体何がしたいのか。

 どうしたいのか。

 突き放そうと思っても中途半端で、まだその隣に並びたいと願ってしまう。

 あの庭の片隅で、他愛のない話をしたり、寝顔を見ながらスケッチしたり、幸せな時間を過ごした。

 おそらく、自分にはそんな穏やかに過ぎていく時間を求める権利などない。


 目の前にいるラペールは、いつもの背伸びした表情はしていない。

 大人にも子どもにもなりきれない、悪く言えば中途半端な年齢で、でも、そこをもがきながら超えていかないと大人には決してなれない、大切な年齢。

 仲良しの親友と大きな声で笑いながら、時には秘密の話しをするように、くるくる表情を変えていく。


 シリウスはそんなラペールを、彼女たちを描き残そうとひたすらにキャンバスに、スケッチブックに向き合った。


 ***


 ラペールの誕生日パーティー。


 シリウスは例年の如く理由をつけて参加しなかった。

 ああいった人が集まる場は苦手で、想い想いに鉛筆を走らせている方が、気が楽だった。

 絵筆を取り、色を混ぜ濃淡の白黒だった世界に色を含ませていく。


 この顔は自分では引き出せなかった。


 白磁の肌に紅を乗せ、キラキラと輝く太陽の色の髪の毛は、肩を伝い胸を伝い、腰まで流れる。

 笑う顔にもいろいろあって、大きな口で笑っていたかと思えば、口角を思いっきり横に広げてみたり、眺めているだけで飽きなかった。


 頭の中に残っている内に、零れ落ちてしまわないように夢中で描いた。


 そして、明日彼女たちがまたラフトゥ国に発つ前に仕上げたい。


 これは完全なる自分のエゴだった。


「……」


 だから、近付く人影に気付かなかった。


 ラペールの12歳になる誕生日パーティーの日。

 絵を描いていた絵師の元に彼女が訪ねてきた。


「貴方。何処かで見たことある気がするのだけれど」


 せっかく彼女と居られる時間を抜け出して、一人で何を言いにきたのか。

 と、シリウスは思ったが、大国の姫を無下に扱う訳にもいかず、筆を置いた。


「そんなこと言いにわざわざ来たんですか?」


 少し棘のある言い方になってしまうのは、目を瞑ってほしい。

 自分が図星をさしていることを感づかれてはいけない。

 まだ12歳の記憶の何が当てになるのか……。


「放浪しながら絵を描いているので、どこかでお会いしているのかもしれません」


 使い慣れた言い訳を述べ、シリウスは話は終わりだ、と言う代わりに筆を持つ。


「わたしも仕上げなければならないものがあるので、もうよろしいでしょうか」


「……そうね」


 恐らくエマが自分の中でも用意していた返答を、シリウスはしたのだろう。それくらい想定している。


「失礼するわ」


 エマは追及せずに、素直に部屋を出て行った。

 仕上げたい絵があるのは事実だから。

 絵師は、訪問者の背を視線で見送り、再びキャンバスに向き合った。


 この三人で楽しそうに笑い合う絵だけは何よりも早く描き上げて、直接彼女に手渡してあげたい。

 肖像画とは別に。


 絵師は寝る間を惜しんで、やっとのことでそれを描き終えた。ギリギリ、馬車に乗り込むラペールたちを見つけ、失礼ながら呼び止めてまで手渡した。


 絵の具は乾き切っていないので、と、言うのが精一杯だった。

 理由は、息が切れていたから。


 静かな所で集中して描きたい、という宮廷絵師の為に、城の隅っこの部屋をアトリエとして使わせてもらっていた為に、王宮の玄関までは距離がある。

 

 肩で息をし、項垂れるシリウスを見たラペールは、乗りかけていた馬車に背を向け、彼の予想外の行動に驚いていた。

 そしてすぐ、困惑した表情になる。

「どうしたの?わざわざ持ってきてくれたの?」

「はい。この絵は、どうしても側に置いてもらいたかったので」

 直接渡したかった。

 心からの本当の気持ち。

 肖像画は、また少し城に留まらせてもらい描き上げればいい。


「ありがとう」


 ラペールは描かれたものを見て笑った。


「……」


 それは、シリウスが一番見たかったもの。

 させたかった顔。

 ずっと、自分で。自分のすることで彼女を笑顔にさせたかったのだ。



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