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十歳


「そういえば、まだダンスは苦手なんですか?」


 ラペール十歳の誕生日。


 社交界デビューまではまだ月日はあるが、身体に叩き込まないといけないので、練習は欠かせない。

 そういえばまだ幼い頃にそんな愚痴をこぼしたことがあったかもしれない。


 ここはアトリエに向かう廊下。


 ラペールの二、三歩前を、王女の歩調に合わせてエスコートしてくれるシリウス。後ろに一つに括られるその白銀は、去年よりも長く伸ばされ、綺麗にお手入れされた白馬の尻尾のよう。

 今、王女がジャルダン学園でお世話をしているルミナスという白馬の毛艶を思い出して思わず、くすり、と笑ってしまう。

 

 そんなことを考えて後ろに付き従っていたからか、シリウスが掛けてくれた言葉に対する返事が遅れてしまった。

 

「ちょっと練習してみますか?」

 目の前を歩くシリウスが悪戯っ子みたいな笑みを浮かべて笑っている。

 好きな人のそんな顔を見せられても、抗える人がいるだろうか。


 誰も使っていないダンスホールの扉は換気の為か大きく開け放たれ、まるで二人を誘っているようにも思える。


「でも靴が」

 今、靴底は革ではあるが、踊る用のそれではない。

「ここの侍従たちは皆しっかり仕事ができるから大丈夫じゃない?」

 砕けた口調なのは、もうシリウスが踊る事を決めているからだろうか。

 優雅に立ち止まり、王女が自分の側に立ってくれるのを目を細めて待っていてくれる。

「もう」

 ラペールは一歩踏み出す。

「少しだけよ」

 口ではそういいながら、嬉しそうに彼の隣に近付く。

「お願い致します」

 シリウスが下から王女の手を取り、エスコートする。


 普段、学友たちと並ぶと背丈が高めのラペールは、ダンスレッスンの際、バランスを取る為に男性パートを踊ることが多々あった。

 外部から男性が出張レッスンで招かれる事もあるにはあるが、それでもなんとなく苦手意識は拭えない。

 授業でのパートナーがグレースだから、というのも関係しているのかもしれない。

 彼女は安心しきってその身をラペールに委ねてくれるのが分かり、それが支えた腕から伝わってくるので、とても踊りやすい。

 では、自分はどうだろう……。

 相手のリードに全てを任せてしまえるまで力が抜けているだろうか、と考えてしまうと、なかなか上手く身体が動かなくなってしまうのだ。


 ダンスホールの中央まで誘われるまま、進んでいく。

 そして、大切なことに気付く。

「音楽が……」

 楽団もなければ歌もない。

「そんなの」

 身体に染み付いているでしょう?

 そう当然の様に笑われてしまったら……。

 幼い頃から城に身を置き、寄宿学校へ籍を入れる前から教育をしっかり受けてきた。

 否定できるはずもなく。


 どちらともなく、互いに向き合うとシリウスがそっと、姫のくっきり浮かぶ肩甲骨の下あたりをホールドの形をとり、ラペールは誘われる様に半身を逸らし受け入れる。


「……」


 シリウスが彼女にのみ聞こえる声で三拍子をとった。

 それはまるで耳元に囁かれる睦言のようで、彼の息を感じたラペールはそこを赤くする。


「……」


 しかし、それもほんの僅かな時間で、王女はリードされるがまま、大きな一歩を踏み出す。

 握られる手が。

 添えられる手が。

 寄せられる腰が。


 ラペールの一歩に合わせた歩幅でステップを刻んでくれる。

 あれだけ人に身を任せることが苦手だったというのに、不思議とそれを感じない。

 いくらラペールの背が高いとはいえ、まだ十歳になる女性だ。なのに、その差を感じさせぬリードを彼はしてくれている。


 下から掬い上げられるように、丁寧に抱えられる。

 ナチュラルターン。

 フォワードロック。

 探るようなシャッセ。

 開いて、閉じて、開く。

 

 ドレスの裾はそこまで踊らないが、ステップを刻みながら嫌味のない程度に揺れる。


「……」

 いきなり繰り出されるウイングにも彼の左サイドに寄るように動きを合わせていく。


 自分たち以外誰もいない広いホール内を、左回りに周りの目など気にすることなく回っていく。

 ピボットでも互いの呼吸がしっかり合い、綺麗に回る。


「どこが苦手なの?」


 しばらく様子を見ながらリードしてくれていたシリウスが自分の動きについてくるラペールに少し視線をやる。


「相手に身を委ねるのが難しくて」

 

 ワルツはコミュニケーションの手段のひとつだ。


 絵師は「ふーん」と何か納得したのかしていないのか、まだ足は止めない。


「先生から何か注意受けたりするの?」

「いいえ」


 身を逸らすのも大変だが、不思議と疲れを感じないのは、彼のステップが上手だからか。

 色んな種類を交えてくるが、ラペールもそれに付き従う。


「楽しい?」

「はい」


 大切に扱われていると感じるから。

 その答えに嘘偽りなどどこにもない。


 エレガントで美しく。

 そう見えているかは分からないが、時間が止まればいいのにと思うほど、幸せな空間。


「とても楽しいです」


「ならそれでいいんじゃない?」


 本人は気付いているのか、今日は時々シリウスの言葉が軽くなることが多かった。

 しかし、ラペールはそれがなんだかくすぐったく感じ、嬉しかった。


 ***


 何故だろう。


 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。


 夢のような時間はふわふわと、掴みどころのない雲のようで。


 シリウスのリードが緩やかになり、次第に足が止まる。


 そうしてお互い、言葉も交わさずに、再びシリウスのエスコートでアトリエに向かった。


 二度目に訪れたそこで椅子に腰掛けたラペールは、初めは背筋を伸ばしていたが、気付けば背もたれを少し抱えるように、寝てしまっていたらしい。


 そんな姿勢で疲れないのか、と、絵師は自分の目の前で再度眠ってしまったお姫様に苦笑する。


 ワルツを踊って疲れたのだろう。

 自分でも気付かなかったが、時計を盗み見たら結構な時間が過ぎていたので、びっくりした程だ。


 また部屋にでも連れて行こうか、と筆を置こうとしたが、そのままスケッチブックを持ち出し、鉛筆を滑らせ始めた。


 この無防備で愛らしい姿を止めておく為に。


 この姿を肖像画として完成させたら「乙女の寝顔をっっ」と顔を赤らめて王女から文句を言われるのは、また一年後のお話。


 ***


 王女は知らない。


 絵師のスケッチブックには、あの時二人で踊った自分の姿が描き足されたことを。


 シリウスが自分の手で花開かせたラペールの、彼のポジションからでないと見えないその表情を。


 どんな気持ちで描いたのか。


 描いた本人でさえ、まだ知らない。


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