七歳(2)
「シリウス」
秘密の場所。
「シリウス」
図書室。
「シリウス」
廊下。
「シリウス」
ラペールはその名を呼びながら城内を駆け回っていた。
時間がないのに。
かくれんぼしているわけではないのに。
必死で与えられた課題に区切りをつけ、時間を作ったのに。
また話してくれるって言ってたのに。
背伸びをしたくても、まだ幼いと言われる王女。
部屋という部屋の扉を開け、はしたなくもスカートの裾を持ち上げ、探し回る。
城に仕える人間たちも、それを注意するより愛らしい姿に目を奪われ、思わず目元を口元を緩ませてしまう。
何故なら、シリウスのいなくなった後の、ほとんどの月日を知る彼ら、彼女らは、こんなに自分の感情で動き回る王女の姿を知らないから。
まだ幼くいてもいい年齢のラペールは、その見た目以上に大人び、兄である王子たちに追いつこうと頑張っていた。
それが、あの日から。
シリウスと知り合ってから、年相応の表情を見せるようになったのだ。
みな、親のように。
妹のように。
姪のように。
まだ本人も気付いていない初恋を優しく見守っていたのだった。
その結末はどんな風に転ぼうと……。
***
「シリウス」
広い王宮内を走り回り、息も切れ切れになったラペールは、また午後の講義が始まってしまう、と、姿を見せないシリウスを恨めしく思っていた。
話してくれるって言ってたのに。
「シリウス?」
そこはラペールがあまり足を踏み入れない部屋。
普段は閉められているアトリエの扉が開いていた。
「シリ……」
王女は、そのまま名前を続けられずに、その垣間見えた姿に息をのむ。
キャンバスを見つめる真剣な眼差し。
その時間を邪魔することなんてラペールには到底無理だった。
いや。
出来なかった。
全てを見透かすような目。
その細められた瞳に何を写すのか。
彼の目にわたしはどんな風に映っているの。
王女は、もう少し間近でその姿を見てみたくて、音を立てぬよう、扉に近寄る。
そこには親である国王と王妃の並ぶ姿がいた。
それを真正面から捉える絵師。
ラペールは知らず知らずのうちに、痛いくらいに脈打ち始めた心臓の辺りを、ぐぐぐぐぐ、と、その握り込まれた小さな拳で押さえる。
彼の目に映るわたしはどんな顔をしているの?
顔が紅色に染まることをラペール自身は止められない。
そして、一歩。
一歩。
後退りをし、そのアトリエに背を向けた。
***
「……」
午後。
今日の予定はダンスレッスンで終わりだった。
ステップを踏むのがまだ苦手だったが、熱中してしまい、予定の時間より長く講師を引き止めてしまったのだ。
何かを振り払いたくて。
気付いてはいけない感情に。
いつかは忘れなくてはいけない感情に。
身体を動かしている間は忘れることができたから。
その何かが、何であるのかを、王女はもう気付いてしまっていた。
「……」
その熱を振り払おうと、無意識であの場所に足を運んでいた。
「王女様」
その姿を認めた絵師が慣れたように呼ぶ。
「シリウス」
あの部屋で絵を描いていた彼が、今は目の前に。
しかしその瞳は、あの時のものではない。
「わたしのことはアトリエで描いてくれないの?」
ふと口からついて出てしまう。
この絵師は、わたしだけを描きにきてくれたわけではなかった。
その事実を目の当たりにしてしまい、胸がざわめく。
「……」
シリウスは、一瞬の思案の後、思い当たったかのように表情を変える。
「ああ。あの時間はアトリエにいましたから。王女様の肖像画が評判良いですよくてですね。国王様からも所望されたものですから」
昨日ふたりで会った時間、彼はアトリエで国王夫妻の絵を描いていた。
王女はその姿を見たのだろう、という結論に達する。
「わたしのことは、ああやって描いてくれないの?」
「王女様は、あのようにじっと動かないでいられると思いませんでしたので」
時間差もなく言われ、暗に幼い子ども、と揶揄されたラペールはムッとする。
「できるわよ」
思わず感情が表に出てしまい、姫はハッと口を押さえる。
「そうですか」
微笑むシリウスは、見て見ないふりをしてくれたらしい。
「では、次回はそのように」
その表情は柔らかく、王女は嬉しそうに、街の年相応の子がよく見せる満面の笑顔を向ける。
「あのね。今日はもう全部終わったの」
「……」
「だから、たくさんお話しして」
一緒に居られない時間を埋めるかのような、おねだり。
ラペールは己の気持ちに気付かれぬよう、無邪気を装ってねだった。
***
その年の王女の肖像画は、頬を染めてどこか遠くを見つめているラペールの横顔だった。