妹の結婚 2020 秋
割と暖かい日が続いた秋の事、結婚式を半年後に控えていた妹が妊娠した。
まだ入籍前だが、まあ、そこは不問。問題はあまり調子が良くないということ。
妊娠がわかったのはつわりも明確ではない早い時期だった。いつになく体調が悪いということで、まさかコロナか!?と緊張が走った。恐る恐る検査するとコロナではなくホッとしたが、一向に具合は悪いまま。
母親が思うところがあったようで「明日病院に行こう」と言った夜、妹はソファから立ち上がった瞬間に意識を失い倒れてしまった。ちょうど俺の目の前だったので咄嗟に受け止める事が出来た。
すぐに目を開けて「大丈夫、大丈夫」と言うが、これは明日などと言ってないで今すぐにと病院に連れて行く。
診察室の前でしばらく待っていると、診察を終えて看護師に車椅子を押され出て来た妹が「妊娠しているって」とテヘっと笑った。父は動揺し、俺も軽度に動揺した。母だけがやっぱりという顔だった。
安静にする必要があるという事で、そのまま産婦人科への入院となったのだが、妹の夫になるはずのヒロト君が大慌てで病院に駆けつけて来るまで、何故か俺が妹の「ご主人」と言われ続ける。
別にどうでも良い事だと思っていたのでそのままにしていた結果、後に少々の混乱と大量の「?」を皆さんの中に発生させる事も知らず、俺は医師からも「ご主人」と言われながら説明を受けるのだった。
確かに妹は色々と父親似だし、俺は色々と母親似ではあるが、医師達は気づかなかったのだろうか。…うん、気付かなかったんだろうな。
両親と三人で医師に向かい合う。医師は俺に向かって話し続ける。
「しばらくの間は絶対安静なので入院となります」はまだ良い。だが、「退院しても安定するまで夫婦生活は控えるように。安定しても妊婦に負担のないかたちで…」という主旨の注意がキツい。心の中で「せんせい、おれは兄なのでふうふせいかつのはなしとかやめてください」と唱えながら黙って聞いた。母は笑いを噛み殺し、父は無言で俯いていた。
この後、ヒロト君が駆けつけたことにより、説明をしてくれた医師とは気まずい空気になったのだが、こう言う事は起こりがちな事だ(多分)。いいじゃないか、医師は役割を果たし、俺は家族として大切な説明を受けた。それだけだ。それに、俺だって今後の為に知っておいても無駄にはならない知識だ。
俺に「ご主人」と呼びかけていた病院スタッフに「やだ、お兄さんなんですって?ごめんなさいね」とぬるく謝られた。まあ、訂正せず放置した俺が悪いんだし。
妹の容態が落ち着いて一安心となってから、この時のことを母が爆笑しながら話したようで、数日後に退院して来た妹が笑いながら誤解の流れを話してくれた。病院スタッフに聞いたらしい。
医師は、廊下で日本人の男性(父)と、金髪の欧米人女性(母)と、その女性によく似た男が三人で英語ではない言語で話しているのを目撃した。では、状態や入院の説明は患者の父親であろう日本人男性にと思ったそうだ。だが、その父が明らかに動揺していて話が上の空だ。この人に話して大丈夫かなとちょっと思った。
その時、病院スタッフが「ご主人」と俺に声を掛け、俺も特に訂正せず「はい」と言い、更に普通に日本語で「しばらくは歩かせないで車椅子の方が良いですよね?」と言ったので、おお、旦那さん日本語通じるじゃん!と思ったらしい。先生の脳内では日本人父娘と、患者の夫と母なのだろうと、つまり年配の二人は若い夫婦のそれぞれの親御さんと理解した様だ。
そして医師が患者の夫、父親、姑と話していたはずの所に婚約者だという男が現れたので、あの場の皆の間で大量のハテナマーク(??????)が飛び交ったのだそう。「まさかの修羅場か!?」と緊張したと言うスタッフもいたようだ。
俺が最初にちゃんと訂正しなかったせいで、思い掛けず複数の人に余計な気を使わせてしまったと反省をした。でも、あそこで俺か父がヒロト君に「おまえかー!!」って言ったら面白かったのかな。いや、面白い必要はないか。
ひとしきり笑ってから、「でもあの時、私、普通に日本語でしゃべってたよねえ?」と言う母。どうだっただろう。よく覚えてない。日本生まれ日本育ちの母は、都合が悪い時は急にガイジンになるが、あの時は日本語で話していたような気がする。
「ママ、白髪を目立たなくするとか言って金髪にしてるから、余計に日本語通じなさそうに見えたんじゃん?」と笑う妹の顔色は良い。あまり笑って腹筋に力を入れてはいけないのではないかと思ったが、多少なら良いらしい。
俺もあれこれ調べたのだ。安静は本当に安静に寝ていなければならず、起き上がったりしてはいけないという事や、よく耳にする「重い物を持ってはいけない」は、時には1リットルの牛乳パックですらアウトなのだとか、つわりは人によって軽い重いが全く違い、重い場合はつわりで亡くなる人もいるのだとか…。
「妊娠は病気ではない」はその通りだが、通常の状態ではないのも事実。病気ではなくても確実に身体は変化し続けていて、全く普段通りでも平気というわけではないのだ。そもそも気分が悪く吐き気がする時点で「病気じゃないんだから」はおかしいだろう。
暴れ者?の妹が目の前で倒れ、1週間ほどだが絶対安静だと入院となり、腹を気にしながらそっとゆっくり動く様子を目の当たりにして、正直俺はちょっと怖くなった。大切に扱わないと壊れるのだと、ちょっとのことでハラハラしてしまうのだ。
ヒロト君も同じなのか、妹には箸等以外は持たせない。わかる、わかるよ。壊れそうで怖いよな。父は黙っているが目で「わかるぞ」と言っている。
母が「パパもそんな感じだった」と言った。「普通はそこまでしなくて大丈夫なのよ。でも今の美織には正解の対応ね。よかったね美織、パパが三人いて」とケラケラ笑う。
この妊娠を機に、妹は退職して自宅静養となり、予定よりもかなり早くヒロト君と入籍をした。
式というか、祝いの宴も家族だけで家で済ませる事にして、親族や友人にはインターネットを通して自由に参加してもらい、二人が婚姻届にサインする所も配信した。
地方にいるヒロト君の御家族もそれぞれに喜びつつ、「会えないと寂しいねえ」と言っていた。
海外の祖父母の所には、何と親族が集まって祝っていたので驚いた。日本以上に普通の生活をしている国なので皆気にしてないようだ。誰もマスクをしていない。母が「もっと気にしろ」と注意していたが、聞き流された。とりあえずその後も参加した全員は無事なようだし、久しぶりに親族が集まって嬉しかったようなので、まあ一応は結果オーライだ。でも、やっぱり気をつけてと思う。
当初の予定では新婚さんは二人で新居を構えるはずだったのだが、妹の体調ももう大丈夫というわけではない。なので、家に同居にしてしまった方が安心だろうと言う事になった。
この時代、同居しているのとそうでないのとでは、状況次第で色々と行動に制限が出る可能性もある。外部との接触が一番多いのは俺なので、割と引きこもり生活が可能な家族をひとまとめにして、身軽な俺が家を出る事で二階を新婚さんエリアにする事を提案。
ヒロト君は在宅で仕事になっている。新婚さんエリアに仕事部屋を設けても良いのだろうが、もし俺だったら息抜きというか気持ちを切り替える場所が欲しいよなあと思った。ヒロト君からは言いにくいかもしれないので、皆で居る時にちょっと言ってみた。
「今住んでる部屋をそのまま仕事スペースにして、家とそこを往復する方が仕事もしやすいんじゃないの?自転車や徒歩で移動出来る距離だし」
ぱっと顔を上げて「そうですね!」と即答で返して来たヒロト君。やっぱりそうだよね。俺達は無言で頷き合った。両親もやりやすい方で良いんじゃないと言い、妹は「別荘だ」とニヤニヤしていた。
全然気にしない人は気にしないんだろうが、俺だったら完全に自分のペースで過ごせる場所は確保しておきたい。如何に妻の両親で家族になるとはいえ、いや、だからこそ、ずっと一緒にいるのは気を使うのではないか。俺は使う。きっとじわじわと疲れる。
うちの両親はもちろん気にしなくて良いとは言うが、それは立場が受け入れる側だから。妹も「平気だよ〜」と呑気に言っているが、既にあるグループに新たに加わる側は、慣れるまで戸惑い、緊張は簡単に拭えないのではないだろうか。同居に限らず何でもそうだろうけど。
受け入れる側だって気を使うはずだし、一番気にしないでいられるのは両方に属している立ち位置の人。この場合は妹だ。
…と考えていて、嫁いだ先での親や親族との関係に苦労する女性の気持ちもわからんでもないなと思った。仲良く、上手くやって行こうと思うが故の気疲れ。その立場になる頻度の違いがあるだけで、男も女も緊張は変わらないはずだ。しかも、何故か「お嫁さん」って親族や家族の中での序列が下になりがちだ。そう、序列があるんだよな。
今は妹夫婦が同居だけど、いずれはまた俺が同居になるかも知れないし、俺が婿に行く可能性も皆無ではない。ちょっとこの感覚は忘れないでおこう、妻のためにも…って、まだ全然結婚する気配もない俺は思う。
もしかすると世の中、緊張しない者勝ちなのかもな。
話が逸れた。
まあ、そんなわけで俺達は引越し準備を進めた。俺が引越して荷物がなくなってから、部屋を繋ぐ為の壁抜き工事が入る。俺は工事まで1ヶ月あれば楽勝で片付けが出来ると思っていた。
結論から言うと、自分の引っ越しよりもヒロト君の引っ越しよりも、妹の荷物の片付けと物置の片付けが一番大変だった。
何故あんなに物がある?一見片付いているように見える部屋のクローゼットや、家具の隙間に置く収納とか、ベッド下収納とか、果ては引き出しの中まで。
妹よ、お前はそんなにも要らないものに囲まれて生きていたのか。子供の頃からの物があるにしてもだぞ。一度でも家を出て暮らした事があれば、もっと整理がついているんだろうに。ていうか、普段から整理しておきなよ。要らなくなった服の処分会はよくやっていた様だが、もっと細々したものもこまめに処分しなさい。
まずは要る物、不要な物、保留、物置行きに分けて行く。あまり動いてはいけない妹に「それは触るな」とか、「もっと大事に扱え」とか「それは捨てる、あ、待って、やっぱり保留!」等と指示をされながら働くのは俺。
たまに懐かしい物が出て来ると、そこで昔話が始まって作業が止まる事も度々。アルバムなんか出て来たらもう作業は一旦停止だ。皆でお茶を飲みながらあれこれ話が出て、更に両親が思い出の品を出して来て地味に散らかって行くとか。まあ、それは楽しかったから良いけど。
一回捨てると言ってから、しばらくして「やっぱ取っておく。物置組にして」となる事が多く、一度「もう全部物置への単純移動で良いんじゃないか?」と言って「何言ってんだ、ぶっころすぞ」と返って来た時は、ああ、妹は通常運転だと妙な安心を覚えたり。
母がこの際だから物置の片付けもしておこうかなと言い出し、これまた要る物、不要な物、保留を分別して、そして新たにしまう物の配置を決めて、記録係の父の監督の元で俺とヒロト君が積んでいく。
すっきりしていく物置。すっきりしていく妹の部屋。大量の廃棄物と手付かずの俺の荷物。そうしているうちに届き始めた若夫婦の家具類。
何で壁抜き工事の前に配送してもらう?順番として、片付いて工事も終わった所に家具を入れるんじゃないの?
「年末になると配送が遅れるって言うんだもん」
ああ、そう。お兄さんは年明けでも良かったんじゃないかなって思うよ。今更言わないけどね。
やっと妹の物が片付き一時一階に移動させ、物置に入れる物は入れ、ホッとしていると「なんだ、お前の荷物はいつ片付けるんだ?工事までに空けられるのか?」と言われる。お父さん、俺は忙しかったので自分の事はこれからやるんですよ。…これから一人でね。夜を徹してね。
そんなこんなでちょっと?バタバタとしながら、無事に実家から数駅離れたニャカメグロに俺は居を構えた、というか戻って来た。前はこの街で一人暮らしをしてたのだ。以前の様に母に別荘扱いされる事はない(そんな事になったら俺が出た意味がない)完全に一人の空間に戻って来た。楽しみだ。さ、段ボール開けよう。
俺の荷物が出てから始まった工事も1週間程で済んで、二階に若夫婦の家具や荷物も運び上げて片付いて、そして年が明けた。
いつかまた俺と妹夫婦が入れ替わって住む事にもなるかもしれないが、当面は俺はここで一人でのんびりやるのだ。まずは、散歩がてらナシゴレンでも食べに行くか。