第1章「ネラダンの町と流れ者」【3】
瀕死の重傷を負ったトットムが発見されたのは翌朝早く。
ミオハリカの川沿いに畑を持つ住民が、平原に何かが転がっている事に気が付く。
昨日の夕方までは何も無かったはずだと、やや不安を覚える。
恐る恐る川を越えて近寄ってみると、それが人である事が分かった。
しかも町の若者であると驚き、慌てて他の住民を呼びに行った。
町の病院へ運ばれたトットムは、かろうじて一命を取り留めた。
彼の意識は戻らぬままだったが、あの流れ者たちにやられたのは誰の目にも明らかだった。
騒ぎはこれだけでは終わらなかった。
ケドンの娘サイマが、どこにもいないのだ。
昨晩、サイマとトットムが2人でいる所を目撃した住民が数名現れた。
その証言を耳にしたケドンは絶望に体の力を失ってしまう。
サイマとトットムは平原で流れ者たちに襲われ、トットムは半殺しにされ、サイマは連れ去られたのだ。
ネラダンの町に暗い影が落ちた。
「…とまあ、ここまでがあらましって所だな」
「いや、長いって。いつにも増して長過ぎでしょ!」
ネラダンの町には宿屋が2軒ある。
ここ“ノープとホガイ”は町の南東にあり、ミオハリカ川に比較的近い。
3階建ての1階は酒場でノープが仕切り、その妻ホガイが2階3階の部屋を宿として客に貸す。
普段ならポロコロを買い付けに来る商人が専らの泊まり客なのだが、今3階の1室にいる彼らは少し様子が違う。
「仕事を成功させるには全員が情報を共有する必要がある。だから俺は知ってる事を全て話すんだ」
「部屋を見てみなよ、ヤンド」
「むむ…?」
ヤンドが首を左右に回すと、部屋が広々としているように感じられた。
「話に夢中で気が付かなかっただろ? ここにいるのは俺と、あんたと、エルスだけだよ」
「後の3人はどうした?」
「下だろ。腹が減ったとか喉が渇いたとか言ってたからさ。なあ、エルス?」
窓際の椅子に座っている少年が顔を向けた。
目が少々充血している。
「お前、寝てたな?」
「そんな事ないですよ」
エルスは慌てて被りを振る。
「嘘つけ。だったら、ヤンドが何言ってたか、しゃべってみろよ」
一旦間を置いて、エルスが口を開く。
「ポロコロって野菜が美味い、とかいう話でした…よね?」
「それ最初の方な! あってもなくてもどっちでもいい所!」
「今、上から聞こえたよな?」
1階の酒場の片隅、正方形の卓を囲む男2人と女1人。
それぞれの目の前には底の深いコップが置かれていて、その全てに赤い酒が注がれていた。
「ルネの声だよ。短気なくせにヤンドの長話に付き合うから」
卓の真ん中には白い丸皿があり、その上には炒って芳ばしい香りを漂わす小さい豆が盛られている。
それを摘んで自分の口へ運びながら、女は楽しそうに呟いた。
隣で1番赤い顔をした髭面の男は、他の席にいる女をじっくり眺めつつ、にやりと口を歪める。
「さらに暢気な新入り君の相手もするとなれば、声が大きくなるってもんだ」
それを聞いて女は高い声で笑う。
「怒ってばかりじゃ血管が切れちゃうから、ルネには今度こそ酒を覚えさせなきゃね」
女の正面に座る浅黒い男は、酔った風でもなく考え込んでいた。
「どうしたのよ?」
「あいつ…ナトウを見たか? 朝から出てったきりのような気がするが」
「確かに帰ってないけど、現場で適当にやってるって。目を輝かせて出て行ったんだからさ」
違いない、と髭面が笑う。
それからコップを持つ。
「張り込み大好きナトウ君に乾杯だ!」
女も自分のコップをそれに合わせるが、浅黒は見ているだけだった。