俺と幼馴染と奴隷契約
「……は? アタシがアンタの奴隷??」
まったく意味がわからないという様にたずね返した後、急激に表情を険しくさせた。
「ばっっっっっっっかじゃないの!!!!???? 世界が滅んだってそんなことありえないわよ! イクスのくせに調子のってんじゃないわよ!!」
自分の装備の重さで動けないのに、そんな状態からよくもそれだけ罵倒できるなと感心してしまう。
エリーは五歳で光の勇者に選ばれて以来、ずっと人類の頂点に君臨してきた。
彼女の言葉は神の言葉であり、否定することなど許されなかった。
誰かにしかられることも、怒られることもない。
どんな無茶な望みでも、エリーが口にすれば周りの大人たちがすべて叶えたんだ。
子供の頃からずっとそんな毎日だった。
人とのコミュニケーションは常に、誰かに命令することだけ。
それがこんな性格にしてしまったんだろう。
そのとき、ダンジョンの奥から大きな足音が響き始めた。
音の大きさからすると巨人族、あるいはドラゴンかもしれない。
エリーが大声を何度も発したから、モンスターが集まってきたのだろう。
エリーが苛立たしげに舌打ちをする。
「なんでこんな時にモンスターなんか……」
自分のせいということはわかっていないらしい。
「先に言っておくが、俺にここの階層の敵は倒せない。なにしろレベル50程度のクソ雑魚だからな」
「そ、そんなことわかってるわよ! いいからさっさと帰還アイテムを使いなさい! 早くしろって言ってるのよドクズ!!」
ここのダンジョンに出るモンスターの平均レベルは150。
レベルが1万を超えていたエリーの敵ではないが、帰るのが面倒だからと帰還アイテムはいつも持ち込んでいた。
もちろんそれを持っているのは荷物持ちの俺だ。
だから俺が使うしかない。
しかし……。
その時になってようやくエリーは俺の考えがわかったらしい。
「アンタ、まさか……アタシを置いて一人で帰る、なんて、言わないわよ、ね……?」
声が恐怖に引きつっている。
もちろん、ここで見捨てて俺一人で帰ることもできる。
きっと多くの人はそうするんだろう。
こんな女どうなっても構わない。
むしろここで死んでも自業自得だろう、と。
でも女神様は言っていた。
これからはどうか真っ当な生き方をしてほしいと。
それには俺も賛成だった。
エリーはわがままで横暴で散々ひどい目に合わされてきたけど、生まれてから今日までほとんど一緒に過ごしてきた。
俺にとっては家族みたいな幼馴染だ。
見捨てるなんてできなかった。
それに、子供の頃のエリーは本当に尊敬に値する人物だった。
明るくて、勇気があって、誰に対しても優しい。
それは子供の頃の、ほんの短い期間だけだったけど、光の勇者に選ばれてもなにひとつ不思議じゃない、本当に素晴らしい女の子だったんだ。
「もちろん、一緒に帰るつもりだ」
「そ、そうよね」
エリーがほっとした様に安堵の表情を見せる。
でも、そんな可愛い顔も一瞬だけだった。
「だったら早くしなさいよドクズ!」
二言目にはこれだ。
やはり誰かがちゃんとしてあげなければいけない。
そしてそれはきっと、最も近くにいた幼馴染である俺の役割なんだろう。
「ただし使うには条件がある」
そうして俺は言った。
「エリーが俺の奴隷になることだ」
こんな性格に育ってしまったエリーを再教育するとしたら、一度それくらいはしないとダメだろう。
俺の条件を聞いたエリーの顔が引きつる。
「そ、そんなことできるわけないでしょ……!」
声にいつもの自信がなかった。
だんだんと自分が不利だということを悟り始めたようだ。
<ギアス>発動にはお互いの同意が必要となる。
強制的に契約を結ぶことはできない。自分の意思で契約を口にする必要があるんだ。
だから俺は重ねて告げる。
「エリーが俺の奴隷になると「誓約」するんだ。そうすれば俺は帰還アイテムを使う」
「だからそんなことありえないって──」
ギャオオオオオオオオオオオオオオ!!!!
モンスターの咆哮が響く。
どうやらやってきているのは一番最悪のモンスター、ドラゴンだったようだ。
エリーの顔が真っ青になる。
それは危険を感じただけではないだろう。
ドラゴンが持つ<畏怖>のスキルに当てられたんだ。
エリーは精神的強さを示す「精神」のステータスが0だった。
本来ならありえないステータス異常でも、今は簡単にかかってしまうらしい。
エリーが涙を浮かべて俺を見上げる。
「お願い……助けて……」
こんな弱々しいエリーを初めてみた。
今まで散々威張ってきた幼馴染が、俺に涙を浮かべながら懇願している。
その背徳感に背中がゾクゾクした。
絶対的強者を屈服させる快感。
今まで受けてきた様々な仕打ちもあって、復讐してやりたいという気持ちが俺の中で大きくなっていく。
その悪魔の誘惑を、俺は振り払った。
ここでその誘惑に負けてしまったら、俺もエリーと同じになってしまう。
俺は地面に這いつくばって涙を流す元光の勇者に向けて、冷静に言葉を告げる。
「俺の奴隷になると誓うんだ。そうしたら助ける」
「そ、そんなこと……できるわけ……」
まだ拒否してきた。
それだけはどうしても受け入れられない様だ。
けれど、ドラゴンの足音はどんどん大きくなっていく。
やがて俺の正面にある廊下の奥から、鱗に覆われた巨体が姿を現した。
その瞳が俺たちを捉える。
獲物を見つけた王者が、咆哮をダンジョン内に轟かせた。
「ひぃっ……!」
エリーが悲鳴をもらす。
自分の背後からきているためその姿を見れないことが、より恐怖を煽っているようだった。
ドスン────、ドスン────。
足音が近づいてくる。
それがエリーにもわかったのだろう、すがる様に俺の足に手を伸ばす。
「はやく、早く逃げようよ……!」
「ダメだ」
「このままだとアンタも殺されるわよ! 何で怖くないの!」
「今更だしな」
エリーと一緒にいたら、高レベルのダンジョンに入るのなんていつものことだ。
もはやドラゴン程度が相手なら、恐怖なんて何も感じなくなってしまった。
「お願い……なんでもするから、早く助けてよぉ……!」
「なら誓うんだ」
「それ……だけは……」
ドスン、ドスン、ドスン!
ドラゴンが近づいてくる。
ブレスを吐けば俺たちは一瞬で消し炭になる距離だ。
だけど火を噴くことはなく、慎重に距離を詰めてくる。
ドラゴンは知能が高い。
動かない俺たちをみて、もしかしたら何かの罠かもと警戒してるのかもしれなかった。
もっとも、後ろを振り向けないエリーにはそんなことわかるはずもない。
「グルルルルルルル……」
「ひぃいっ!!」
低い呻き声だけでも、全身をビクリと震わせた。
ドラゴンが一歩歩くたびに、エリーの顔から血の気が失せていく。
爪が床をひっかく小さな音さえ聞き取れる、そんな距離にまで近づかれて。
ついにエリーの精神が限界を迎えた。
「………………誓います」
「なんだって?」
「誓います! イクスの奴隷になるから、早く助けてください!」
<ギアス>の紋章が輝く。
契約完了の証だ。
念のためにステータスも表示させる。
エリー=クローゼナイツ
レベル1
職業:奴隷 (イクス)
攻撃:0(+1)
魔力:0(+1)
防御:0(+1)
精神:-10(+1)
素早:0(+1)
幸運:0(+1)
職業が奴隷となっている。
カッコ内は主人の名前だ。
つまり俺だな。
ステータスが上がっているのは、奴隷となったことで主人の恩恵を受けているからだろう。
なぜか精神はマイナスになっているが……。
心が折れたことで、精神のステータスが下がってしまったのかもしれない。
とにかく誓約は完了した。
もうここにいる必要はない。
荷物から帰還用のアイテムを取り出すと、さっそく使用した。
逃げようとしていることに気づいたドラゴンが、怒りの咆哮を上げながらこちらに迫ってくる。だが、俺の方が一瞬早い。
なにしろ帰還アイテムを使うのはいつも俺の役目だったからな。
何度も使ったおかげで、発動タイミングは完璧に把握している。
ドラゴンの攻撃が届く直前に俺たちの体が光に包まれ、次の瞬間には見慣れた街に戻ってきていた。