夢の途中
「あのな、俺はすでに一回失敗してんだよ。
もうあんなの味わいたくねぇんだよ。」
「俺は過去に、一人の女性を愛した。本当に、心の底から愛してた。
その人の為なら、なんだって出来た。
自分を引き換えにするのも惜しくなかったし、
俺がそれだけする価値がある人なんだって、
とにかく大事にしてた。大事に思ってた。」
「俺がそれを言う度に、嬉しいって言ってくれてた。
それがまた嬉しくて、いくらでも頑張れた。
そして、子供が生まれた。女の子だ。
そりゃあもう、嬉しかったよ。涙が出たさ。
俺の人生で、最高の瞬間だった。
俺の愛した女が、俺の子供を生んでくれた。
この世の全てに感謝したよ。
このふたりのために、もっと頑張ろうって思ったよ。」
「仕事はもちろん、家事も育児も。頑張ったさ。
任せっぱなしにするのは彼女の負担になるし、娘が可愛かったし。
忙しかったけど、幸せだったよ。苦労だなんて思いもしなかった。
彼女には、なるべく娘と一緒にいる時間を多くしてもらって、
娘も彼女のような女性に育ってほしい。
そう言って、そのために頑張ってたさ。」
「娘が学校に通うようになると、彼女には自由な時間ができた。
やっと負担が減ると安心してたよ。
彼女はその時間を自分の為に使った。
そして、日常とは違った時間を求め始めた。
俺が頑張って作ろうとした、平凡な空間よりも、
女としての刺激を感じられる場所を求めた。
他所の男に走ったんだよ。
妻でいるより、母親でいるより、女でいたかったんだと。」
「そっから先はもう地獄の様だったよ、
彼女の言葉は全て信じられず、俺の言葉も通じない。
お互いの主張が噛み合わないから、裁判所で離婚調停。
お上なんてのは弱い物の味方だからな。俺の感情なんて、全く考慮されない。
娘の親権は向うだし、慰謝料なんてもらったところで、
どうにもなりゃあしないさ。」
「俺がどれだけ大事に思ってたかなんて、結局俺にしか分からない。
けど、自分の全てで大事にしてきた存在が、自分を捨てて去って行く。
脱力感なんてもんじゃないさ、魂が抜けてくんだよ。
自分の全てがぶっ壊れちまうんだ。」
「死んじまおうかと思ったこともあったさ、
でも俺が死んだら、娘の養育費が減る。
娘には何の責任もないことだし、それは出来なかった。
娘に不自由させないように。それだけで、この10年生きてきたんだ。」
「分かるか? 俺はたった一人の女性を幸せにすることすら、
失敗した人間なんだよ。
で、全てを失ったんだ。愛も、誇りも、家族も全部だ。
もうゴメンなんだよ。そんな思いすんのは。」
「だからな、こんな、重くてメンドくさいオッサンなんかを
態々選ぶ必要なんかないんだよ。
こんなに疲れてなくて、可能性に溢れてて、同じような価値観を持っていて、
眩しい未来の塊みたいな男を選んだ方が、
きっと幸せになれるんだ。そうして欲しいんだよ。」
「それにな、厳しい事を言うようだが、
今のあかねは、雰囲気に酔ってるだけだ。
本当に俺を好きなわけじゃない。恋に恋してるだけなんだよ。」
「そんなことないっ! そんなことないもんっ!
なんでそんなこと言うのよっ!」
ごめんな、あかね。こんなに泣かせてしまって。
嫌って幻滅してくれた方が、傷は浅くて済むと思うから、今は勘弁してくれな。
「カクさんがどれだけ私の気持ち解ってるっていうのよっ!
勝手に決めないでよっ!」
「どんなに好きでも、想っていても届かないこともあるんだよ。」
「じゃあ、私の気持ちは届いてないのっ?
カクさんは私の事、なんとも思ってないのっ?」
あかねには、嘘を言いたくはない。が、今は言うべきじゃないよな…
「届いてるよ。ちゃんと。 ただ、あかねの想いを受け入れるつもりはない。
あかねの想いを受け入れることが、あかねの為になると思えないからだ。」
「なんでよっ!? それがわかんないって言ってんのっ!」
「あかねが、こんなオッサンと付き合うだの、結婚するだのって言ったらな、
百人中百人が、止めておけって言うぞ。
ご両親は確実に反対だ。絶対許さないだろう。」
「周りから祝福されない関係ってのは、幸せとは言い辛いんじゃないか。
先ず、一緒に歩いたら親子だと思われるんだ。犯罪かもって言われるかもな。
正式な夫婦でなけりゃ、無実の証明も難しい。
きっと陰で、悪口言われるんだ、若い子騙したとか、遺産狙いだとかな。
噂好きのおばさん連中は、喜んでネタにしてくれるだろうよ。
そんな思いしてまで、俺の側にいて欲しいなんて思う訳ないだろう。」
「私の訊いた事に答えてない! カクさんは私の事どう思ってるのよっ!」
これは誤魔化せないかな。
「俺は、あかねのこと好きだよ、あかねのことをとても大事に思ってるよ。
だから、受け入れることはできない。」
「なんでよっ! 大事に思ってるなら、気持ちを大事にしてよ…
こんなに好きなのに…」
「あかね、今までどれだけ恋愛してきた?
誰かを好きになって、その人の好意を感じて、想いを伝えて、
気持ちをぶつけ合って、嬉しくて、苦しくて、
それでも好きだっていう恋愛をだ。」
「こんな気持ちになったの、カクさんが初めてだよ。」
「もっともっと、たくさん、何度も恋愛してくれよ。
今しか経験できない恋愛をさ、同年代の誰か、対等な誰かと、
思いっきりの、とびっきりの恋愛をしてくれよ。
お互いが求めあって止まらない、全てが輝くような恋愛が必ずあるから。
本気でぶつかり合う恋愛は必ず大きな財産になるんだ。
それは今しか経験出来ない。
大人になってからの恋愛とは違うんだよ。
違いが分かった時には、もう無理なんだ。
だから、わずかな、この数年の時間で、全力の恋愛をして欲しいんだよ。」
「俺はその相手になれないんだ。
俺はあかねに本気でぶつかって行く事は出来ないから。」
「わかんないよ、カクさんの言ってることがわかんない…」
「今は、わからないかもしれない。夢の途中だからな。
でも、いつかきっと分かる。あかねならきっと分かる。
あかねの想いを受け入れない事が、今、俺に出来る精一杯の愛情だ。」
「…… もう、会えないの? ……」
「小説書き上げたら、会いに行くよ。」
「いつ? … 」
「あかねが高校生でいるうちに、届けるよ。」
「1年以上ある…」
「そのくらい空いたほうがいいと思う。」
「 … わかった。 帰るね。 送ってくれなくていいから。」
「そっか。じゃあな、あかね。」
「 … またね、カクさん。」
「さようなら。」
あかねは一瞬目を見開き、ゆっくりと振り返る。
俺の言葉を噛みしめるように、泣きながら。
いつもなら、歩き去る俺を見送っていたのに、それもない。
あんな歩き方を… あんな後ろ姿を…
当然だ。俺はあかねを拒絶したんだ。
もしも、今、あかねが振り返って、
その時、俺が見送っているのを見たら、未練になるか…
俺も立ち去ろう。なるべく早くあかねの視界から消えよう。それがいい。
ごめんな、あかね。一時の感情に流されて、
お前の人生の、最も輝く時間を奪うわけにはいかないんだ。
俺なんかの為に使うのは勿体なさすぎる。
これでいいんだ。俺じゃないんだ。あかねにはきっと、もっといい男がいる。
どんな奴なんだろうな、そいつは。 きっといい奴のはずだ。笑顔にする奴だ。
あんな泣かせ方しない奴だ。
あの日の娘の顔とダブるな。ごめんな。こんな男で。
なんでこんなに罪悪感が湧いてくるんだ、クソっ。
今はムリだ。でもすぐに大丈夫なはず。
いつか、幸せそうに笑うあかねを見る事ができれば、きっと報われるはずだ。
見かけることが前提なんて、ストーカーじゃないか。
そういう日が訪れると、想像していればいい。さも現実のように。
誰かの隣で、あの眩しい笑顔で笑っているあかねの顔を……
あの時ほどの虚無感はない。まだ大丈夫だ。あの時程、傷付いていない。
なぜ、あの時と比べている?
人生最悪のあの時とは、比べるまでもないじゃないか。
比べるほどなのか? たった、一か月ほどの時間が…
全力の時間を失ったあの時と同じほどの、ショックだってのか…
同じだとは思いたくない… 認めたくない…
そう思うって事は、そうだって事だ。
そうか、それ程までに大切に思ってたんだな。俺は。
そうだよ、だからこその決断だったはずだ。
別れも愛のひとつなんだって、カッコつけたんだ。
だから、俺の決断は間違ってないんだ。
大丈夫、きっとあかねの為になる決断だ。
俺が我慢すればいい。
花の種を蒔いて、水と肥料をあげた。いつか綺麗な花を咲かせるんだ。
俺が見届けられなくても、きっと誰かの目に留まって、
綺麗だって言ってもらえるんだ。
その花は俺が育てたんだって、そう思えばいいよな。
育てるのが楽しい花だったな。
随分久しぶりに心が動かされたもんな。
いったい何時以来なのか分からないくらいに、しかも大きく。
まさか、また恋をするとは思っても見なかった。
この歳になって、しかも、30近く年下の子にだなんて。
しかもこんなに楽しいだなんて。
あの頃は自分がこんな気持ちになることは、二度とないと思っていたのに。
この想いを小説に出来るかな。
中学生の日記みたいな文章になっちまいそうだ。
あかねには伝わるだろうけど、人には到底見せられないな。
でもいいか、あかねのために書く小説なんだから、あかねのためになればいい。
いつか引っ張り出して、こんな事あったなって思ってくれれば、それでいいか。
こんな事言われたなとでも思ってくれれば、十分プラスになるか。
でも、ラストシーンは今日じゃないな。
バッドエンドはやりたくないな。それじゃあ、読んだら速攻でゴミ箱行きだ。
なんのプラスにもならない。
あかねならどうするだろうな。どう考える。どう受け止める。
どうしたらあかねのためになる?