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 一般的に、クマと遭遇した場合相手を刺激せずゆっくりと立ち去ることと言われている。

 ではもし、相手がこちらを捕食する気満々だったら?


「くそったれ!」


 ずしんと重い足音を響かせ加速しだす大質量を前に、素早く行動を開始する。

 ヒグマの場合、最大で時速60 kmで走ることができるという。この大きさの熊がどれ位のスピードで走れるかわからないが、最高速度で突っ込まれたらひとたまりもないだろう。

 男は横に駆け出し、近場の立ち木の裏に回る。こうして熊との間に障害物を置くことで直接的な攻撃をなるべく避ける作戦だ。


「こっちに来るんじゃねぇぇぇ!!」


 迫りくる熊を睨みつけ、大声で叫びながら、手に持っていた木の棒で幹をガンガン叩く。大した音が出るわけではないがやらないよりましだ。今は思いつく限りのことをとにかくやってみなければ。


 これで少しでも威嚇になってくれればいいっ...っが?!


 男は、熊の予想外の行動に一瞬思考が止まるが本能的に後ずさり、その場を離れようとする。

 しかし大熊は自身の射程圏内に男が入ったと見るや、障害物などお構いなしにその剛腕を振り上げ、立木ごと男を吹き飛ばさんとその腕を振るった。


 っっ!!!


 ずがんっと、とても木を叩いたとは思えないほどの大きな音。衝撃波すら生んでいそうなそれを間近で感じた男は、倒れこむように尻餅をつく。


「っは...はは...。冗談きっついぜ...」


 もう、笑うしかない。

 男の口から引きつった笑い声が漏れる。

 胴回りよりさらに太い木が、メキメキと音を立てて倒れていき、その後ろから大きな影が姿を見せる。

 前の世界ではありえないほど鋭くとがった爪、開いた口からのぞく牙は、陽光に照らされた唾液に濡れ、その凶悪さが増して見えた。

 ぎらついた捕食者の眼光と男の目線が交錯する。


 このままだと...食われるっ...!!


 男は、慌てて熊との距離を取るべく駆け出す。もう形も振りも構っている場合ではなくなった。作戦とか、対策とか、そんなものは今どうでもいい。ただひたすらに、迫りくる死から逃げること。

 男の脳内は恐怖で埋め尽くされ、それしか考えられなかった。

 どこかで、どこか頭の片隅で、舐めていたのだ。あちらの世界よりはるかに凶悪で、残酷なこちらの世界を。


「やってられっか!!!こんなことぉぉぉ!!」


 木と木の間を無茶苦茶に走る。

 男の感ともいえるその行為は、はたして熊には効果的だった。人対熊、普通に考えれば勝ち目など見えないが、小回りの面では人に軍配が上がる。図らずも、今とれる最善策を実行していた。

 木々が鬱蒼と茂るこの森は、人の強みを最大限生かせ、かつ、熊に攻撃のチャンスを与えない。しかし同時に人の体力を大きく削っていくのもまた事実だった。


「はぁ...はぁ...っ!」


 まるで耳元で鳴っているかのように聞こえる心臓の音。ふかふかした地面や、足に絡みつく下生が余計に男の体力を奪っていく。すぐ後ろから迫ってくる獣の吐息が、息つく暇も与えてくれない。一般人の体力なんて、たかが知れている。男の体力の限界も、近かった。

 一方の熊と言えば、。あきらめる素振りも見せず、執拗に男をつけ狙っていた。その動きに精彩を欠くことはない。

 それどころか、仕留めきれない獲物に苛立ちを募らせたのか攻撃のペースが速くなり、男のすぐ後ろで風切り音が何度も鳴りだした。


「はぁ...化け物め...うっ!わぁっ?!」


 木々をかき分け、小高い稜線を登り切ったところで足をもつれさせ、急斜面を転がり落ちる。

 男は咄嗟に腕で自身の頭を庇い、できるだけ体を丸めた。

 ぐるぐると回る感覚と共に、頭や体を地面や木に打ち付けられる衝撃が男を襲う。

 やがて勢いも衰え、男の体が天を仰いだのは、谷を流れる小川の傍らだった。


「うぐっっ!!くっそ...痛えぇぇ...!」


 鳴りやまない耳鳴りと霞み揺れる視界。全身から伝わる痛みをこらえ、ふらつく体を何とか起こしてみれば、稜線上から今にも降りてきそうな熊の姿を朧気ながら確認できた。


「...もはやこれまで...かぁ...」


 川辺に座り込みながらそう呟いた男の顔は、いっそ清々しいまでに晴れやかだった。

 今思ってみれば、途中から何も考えず保身に走った結果、あいつが逃げきるだけの時間を稼ぐことができたのだから十分だ。


「勿論俺も逃げきれたら良かったんだけど...」


 熊は執念深いってどこかで聞いたこともあるしなぁ。ホント...何してんだか...俺は...


 男が自嘲気味に笑って自らの最後を受け入れ空を見上げた時。


 行かないでっ!!


「...は?」


 薄れゆく視界がとらえたのはズドンっと重い音と共に、吹き飛んだ黒い塊だった。




 木々の間を銀の塊が疾走する。その動きはまるで流水のようで、下生を意に介さず流れるように走っていた。


 速くっ...速くっ!


 自身の怪我が完治していないのも忘れ、ひたすらに走る。戦闘の音が響いていることが唯一、人間の無事を教えてくれる。それでも、いつこの音が鳴り止むかわからない。そのことが銀の狐の心を抉り取っていく。


 今はっ!とにかく走れっ!


 不安を消し去るようにスピードを上げる。しかし、目線が低く低木や背の高い草が邪魔をする。

 銀の狐は、少しでも見渡せるように稜線を駆け上がった。ぐんぐんと音は近くなり、ついにその姿を遠目にとらえた。


 見えたっ!!ってあぁぁっ!


 視界にとらえた人間は一瞬。稜線を駆け上がった人間は、勢いそのままに谷川へ転がり落ちていく。


 っ!!


 命があるかわからない。

 銀の狐は、すぐに確認しに行きたい衝動に駆られる。だが、それは問題を片付けた後だ。


 目標はもう、すぐだ。

 銀の狐は、再び走り出す。周囲の音がまるで聞こえなくなっていた。


 正直、わからない。なぜ、ここまで必死になるのか。


 背後に魔法陣が出現し、頭上に鋭く尖った礫が生成されていく。


 何度目かになる、あの人間と最後に見たあの人の姿が重なる様子。

 そっか...あの人と...おんなじなんだ。

 ずっと認めたくなかった。あの人間が持つ、優しさを。


 礫はどんどん大きくなり、銀の狐とほぼ同じ大きさになっていた。


 探していた...。あの人の優しさを。


 あの人とあの人間が、遠ざかり、現実に引き戻される。


 行かないでっ!!


 限界を迎えた礫が紫電を纏って打ち出される。

 音の壁を越えた礫は、今にも坂を下らんとする大熊の頭部に吸い込まれていった。

 その威力は頭を砕くだけではなく、その巨体をも宙へ投げ出させた。





 昼の陽気はどこへやら。少し冷えた空気に、茜色の空が山々を同色に染め上げる。

 じっとこちらを見つめる目線。居心地が悪くなった銀の狐は、ついっと目線をそらせた。


 あの後、急いで人間の傍まで向かった銀の狐だが、人間が気を失っているだけだとわかり、ようやく一息付けた。そしてそのまま倒れるように気を失ってしまった。

 目が覚めてみれば、人間はもう起きており、すっかり夕方になってしまっていたのだ。


「なぁ...なんで戻ってきたんだ...?」


 耳から拾う音は、やっぱり異国の言葉。

 それでも銀の狐は、この人間の言っていることがわかってしまった。


 あの人に...あの人の優しさに...そっくりだったから。


「あの人...ねぇ...まぁいいや。俺は和輝、みんなはカズって呼んでる。お前は?あるんだろ、名前」


 狐の目が大きく見開かれる。


 なんで...?


「わかるよ、お前の言いたいこと。なんでかは、知らないけど。そんで?」


 っ...スノア、スノア=シューミトリィ...


 咄嗟に応えてしまった。

 頭の中がごちゃごちゃして訳が分からなくなる。なんで?どうして急に?


「スノア...か。いい響きだ。とにかくっ」


 いまだに混乱している様子が尻尾から判断できる。そんな狐を微笑ましく思いながら男は話を続ける。


「助かったよ、戻ってきてくれて」


 この時見たカズの笑顔は絶対に忘れないだろう。

 夕日に照らされたその傷だらけの顔は似ても似つかない。

 けれど。


「ありがとう」


 狐の目が揺れる。


 ごめんなさい。逃げて、ごめんなさい。


 絞り出すように紡いだ言葉・・。その言葉と共にカズの胸へ飛び込んだ。


「痛ってて...何だ?お前、狐のくせに泣けるのか?」


 和輝は笑いながら飛び込んできた狐を抱きとめる。


 泣いて...ない...。


「...そうか」


 和輝は先ほどよりもしっかりと、この傷ついた幼い狐、スノアを抱きしめた。


 茜色の空は気持ち高く感じた。夜が来るにはまだまだ時間がかかりそうだった。


やっと名前出せました。テンポ悪くて、なんか申し訳ないですね。

細々ひっそりやっていきます。

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