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幸せの黒い鳥

作者: 長月 おと


季節の寒さを表すような灰色の空の下、弛く編まれた蜂蜜色の三つ編みを揺らし通りを駆けていくひとりの少女ユリアがいた。少女と言いつつも年齢は間もなく成人の18歳を迎え、大人の女性の仲間入りを果たそうとしている。


───もう着いてるかしら


彼女は早まる鼓動に合わせて、歩調の速度もあげていく。魔物が生息しているこの国の主要な街はどこも城壁で囲まれていて、出入りは東西南北の4つの門のいずれかを通る必要がある。

彼女はその門のひとつである南門を目指していた。


ユリアにはひと足先に成人を迎えた大好きな幼馴染みがいる。幼馴染みは教会の洗礼式で魔術の才能が見込まれ、平民ながら領主の推薦を受けて15歳の時から王都の学園へ通っていた。

今は離ればなれになっても仲の良さは変わらず、月に1~2度は手紙をやり取りするほどの『親友』の関係だ。

その幼馴染みは夏と冬の長期休みには毎年必ず帰ってきており、今日はその冬の帰省の日と手紙で知らされていた。



───今回こそ、伝えなきゃ。最後のチャンスになるかもしれないんだもの。なのに寝坊だなんて私の馬鹿!



ユリアは緊張のあまり昨夜遅くまで寝れなかったことを嘆く。

幼馴染みは今年、学園を卒業する。卒業後の進路はまだ決まってないが、優秀な成績を修めている彼は国や貴族に仕えることになるのは予想できた。つまり、この街に長期で戻ってくるのは最後になるかもしれないのだ。ユリアは今度こそ告白すると意気込んでいた。


ユリアの中での告白のプランは決まっていた。この国には『白き聖夜(ホーリーナイト)』という名のお祭りの日がある。出店や屋台が並ぶお祭りとは違い、年末から約1週間前の休日に設けられた大切な人と過ごすと幸せになれるという日だ。昼は恋人と過ごし、家族と夕食を共にして幸せを願う。迷信のような日であって、もっとも告白の背中を押してくれる日だ。

ユリアは幼馴染みに“その日ランチを食べよう”と手紙で約束を取り付けていた。ランチで良い雰囲気を作り、帰る途中の公園で告白するつもりなのだ。そして夜も一緒に…………というところまで想像して、ユリアは足を止めて肩を上下させた。



────間に合ったかな?



南門の出迎え広場に着いたユリアは周囲を藍色の瞳で見渡した。南門の大きな時計は手紙で予告されていた帰還の時間を少し過ぎた時刻を指しているが、幼馴染みの姿は見当たらない。

しかし人が多過ぎて、門の近くまで行くことが叶わない。聖夜のために街に帰ってくる人が多く、王都側に位置する南門は特に混雑していた。



───この調子ならまだ門の外だよね?



ユリアは既に街に入ってきている人から探すのを諦めて、近くの塀の上を拝借して門の入り口一点に集中することにした。

石造りの塀に座り、冷えた指先を擦り合わせて少しでも温まるよう白い息を吐く。実は聖夜のランチの約束はしていても、出迎えの約束はしていなかった。



───まず会ったらなんて言おうかなぁ、ふふふ



既に家に着いてしまっている可能性を考えることなく、足をぷらんぷらんさせながらにんまり笑う。約束はしなくてもユリアが出迎えるのは過去に7回。少し到着が遅れても、優しい彼なら待ってくれている自信があった。これは門で待ち構えてサプライズ告白する予定が、勇気が出ずに見送った情けない回数でもある。

直前まで呟くように練習するも、本人を目の前にすると言葉が紡げなかった。

理由を知らない幼馴染みから見たら、ユリアの行動は意味不明だ。だというのに、黙って言葉を待ってくれる優しさがあった。それでも言えなかったのだが…………そんな優しい幼馴染みを信じているユリアは、寒空の下で待つことは苦にならない。むしろ今回は告白するハードルがないから気楽なものだ。何度も白い息を冷たい空気に送り出し、会える喜びと期待に胸を膨らませ彼を待つ。



───セルジュ…………いた!



見覚えのあるシルエットを見つけ、立てないの塀の上で背筋を伸ばす。深く被る灰色のローブのフードから見える色素の薄い茶色の髪、紺色のマフラーを口元まで巻いて伏せ目がちな水色の瞳は間違いなく幼馴染みのセルジュだった。相変わらず気だるい雰囲気で、感情の変化が乏しそうな表情をしていた。



「よし、行こう!───おっと」



さほど高くない塀からピョンと飛び降りるが、冷えてしまった足が久々の地面に驚き少しふらついた。それも一瞬で、見失う前にセルジュを目指す。混雑する人々にぶつからないように、体の方向を変えながら隙間に滑らせていく。塀を降りてしまったから彼の姿は今は見えない。それでも視線だけは先ほど彼がいた方向を向いて、一歩一歩近づいていく。近づく度に心臓の鼓動は強くなる。



───まだ身長伸びているのかな?



先ほどは遠目だったから分からないが、セルジュは会うたびに変わっていった。ここを旅立つ15歳の時はユリアとほぼ変わらぬ身長だったのに、前回会ったときは頭ひとつ以上高くなっていた。ひょろひょろの細身だった体は肩幅が広くなり、白魚のような手だった指は長く伸び、関節が強調されはじめていた。会うたびに大人の男へと成長する様を見せられ、毎回ドキドキしてしまう。

ユリアは会う前からセルジュの変化を想像して、空っ風で赤くなっていた頬を更に染めた。



「あっ!セル…………ジュ…………」



ようやく愛しい人を見つけ声をかけようとしたが、呼んだ名前は途切れて周囲ざわめきに溶け込んでしまった。セルジュの隣にはひとりの女性が、彼のローブの端を掴んで立っていた。同じ灰色のローブのフードから溢れる長い髪は濡れたように黒く、瞳もインクのように深い色を持つ整った容姿の女性。よく見ると女性には少し大きくサイズの合わないローブの右袖には白鳩の刺繍が施され、セルジュの物だと分かる。



セルジュはまわりの賑やかさで、近くまで来たユリアにはまだ気付いていない。それどころかユリアを探す素振りもせずに、隣の女性をエスコートするように普段は見せない微笑みを浮かべている。風がビュッと吹くとセルジュのフードが脱げた。見えたのは少しだけ赤くなった彼の耳で、楽しそうに女性に話しかけるセルジュの様子にユリアは酷く胸を締め付けられた。



───特別な人なの?私は手遅れだったの?



友達とは思えない距離感に、ユリアは漆黒の女性がセルジュの本命だと悟った。自分には何度も気持ちを伝えるチャンスはあったというのに、何をしていたのかと立ち尽くした。手紙では全く色恋沙汰には無関係だと書かれていたのを鵜呑みにして、間に合うと思っていた。告白すれば付き合えると勝手な期待をしていた。



「─────っ」



ユリアは静かに踵を返し、家へと走った。南門を目指すときよりも速く石畳を蹴り、冷たい風を切るように走った。



「あら、ユリア!もう帰ってきたの?セルジュ君は一緒じゃないのね」

「はぁ…………はぁ…………」


「あら、息も切らして。走ってきたの?」

「はぁ…………うん、ちょっと…………」


勢いよく家に入ってきたユリアに母親は驚き聞くが、指摘の通りユリアは呼吸が整わず答えられない。その間に自分の気持ちを知る母への説明を、酸素の足りない頭で考える。



───何て言おう。セルジュが美人を連れてきたって?きっと恋人だって?私は告白する前に失恋したって…………?


まだ現実を受け止めきれないユリアは、先程の光景を冷静に伝えられる状態じゃなかった。


「セルジュに会えなかったの。寝坊なんてしちゃったから、もう先に広場を離れたっぽいんだよね」

「あら待っててくれなかったの?ってそうよね。約束もしてないし、セルジュ君だって早くおうちに帰りたいわよね」


「そうそう!だからすれ違ったかと思って、走って引き返してきたんだよね。結果はご覧の通りです」

「まぁ寝坊したユリアが悪いわね。疲れたでしょう?部屋で休んでて良いわよ」



テキトーに思い付いた誤魔化しが通じたことにホッとしつつ、自分の部屋へと続く階段を駆け上がった。


「うぅ…………っ」



部屋に入るなり扉を背もたれに座り込むと、涙腺が気持ちを追い越した。まだ本人に確認したわけでもなく、実感も沸いていないのに涙は勝手に流れ出す。



───あれは誰なの?いつからなの?私の方が先に、ずっとずっと前から好きなのに。後から取らないでよ!



頬を伝うように溢れた雫がスカートにシミを作り広がっていく。まるで醜い気持ちが心に広がる様子に見えた。見知らぬ女性に嫉妬心が沸き出るが、今日まで何も行動できなかった自分が抱いていい感情ではない。ユリアはただ情けなさに嘆くことしか出来なかった。

腫れた目については読書で泣いたと説明し、母親には見え透いた誤魔化しを重ねた。





翌日、ユリアは寝坊することなく朝起きて、勤め先の仕立屋に仕事に出掛けた。朝の澄みきった冷たい空気が肺に吸い込まれると背筋がシャキンと伸びて、頭はスッキリと晴れる。昨日の凹んだ気持ちを切り替えるのに、ちょうど良い寒さだった。

ユリアの仕事は服にオーダーメイドの刺繍を施すことだ。簡単なワンポイントもあれば、裾全てに針を通すこともある。手先だけは器用なユリアの刺繍は立体的で繊細だと評判だった。そして急な依頼にも対応できる速さがあった。それが売りだというのに、今日は針が進まない。


───朝は大丈夫だと思っていたのに。納期もあるのに。なんでセルジュの事ばかり思い出しちゃうのよ…………なんで美人さんがセルジュの刺繍入りローブを着ていたのよ



セルジュの纏うローブの白鳩の刺繍はユリアが一針一針気持ちを込めて縫ったものだった。学生と言えど魔術の実習には怪我が付きもので、無事を祈って1着1着に白鳩を羽ばたかせた。

渡したときのセルジュは本当に嬉しそうにローブを抱え、何年も大切に着てくれていた。



───大切なものを着させてあげるくらい、やっぱりあの美人さんの事が大切なのかな。ダメダメ!今は仕事中なのに!



セルジュの刺繍を思い出しては、打ち消し。また思い出しては…………を何度も繰り返すばかり。ユリアは針を止めてため息をついていると、とんとんと肩を叩かれる。



「ユリア。今日は少し早いけど終わりで良いよ。疲れでも取りなさい」

「でも…………そうですね。ありがとうございます」



今日1日集中できてないユリアの様子を見ていた雇い主は、咎めることなく笑顔で帰宅を促す。本来は刺繍の仕事は自宅で行っても良いはずだった。しかしユリアの刺繍は人気のため依頼も多く、お客様との打ち合わせをするために店舗まで出勤してもらっていたのだった。

ユリアは雇い主に感謝して頭を下げてから、コートを羽織っていつもより30分ほど早く仕立屋の扉を押した。



「ユリア」

「え?……………………セルジュどうして」



扉を閉めてすぐに声をかけられ、横を振り向く。そこには先程から頭を離れない灰色のローブにぐるぐる巻きのマフラーをしたセルジュが立っていた。どれくらい待っていたのか、彼は鼻先を赤くして少し不機嫌そうな顔を向けていた。


「ユリア、家まで送る」

「いらない。ひとりで帰れるわよ。セルジュ遠回りでしょ?」


わざわざ寒い空の下で仕事終わりを待ってくれていた事は、以前なら跳び跳ねるように嬉しかったはずだろう。だが今は一緒にいたくなくて、ユリアは平静を装い突っぱねる。

しかしセルジュは表情を変えず、ユリアを見下ろす。



「いや、送る。言いたいことがあるんだ」


その言葉にユリアの心臓はズキリと痛む。



───あの美人さんのことなのかな。だったら嫌だな。いつかは聞かされるんだろうけど、今はできれば聞きたくない。



「寒い。行くぞ」

「えっ、ちょっと」



考え事をしているとセルジュがユリアの家の方向に先に歩き出す。逆方向に行くわけにもいかず、ユリアも歩き出した。できるだけ自然に距離を開けようとゆっくり歩くが、セルジュはすぐに立ち止まって振り向きユリアを待った。


「…………っ」


言葉にしない優しさが今は辛い。ユリアは軽く唇を噛み、諦めたように隣に並んだ。どうせ話を聞かされるのなら短時間で済ませたいユリアは、すぐに家に着くよう不自然でない程度に歩調を速めた。


「歩くの速くなった?」

「寒いから早くおうちに入りたいの」


「ふーん、でも遠回りしない?」

「なんでよ」



ユリアにはセルジュの意図が全く分からない。横目でジロリと見るが、セルジュは少し口先を尖らせ拗ねていた。


「だって昨日迎えに来てくれなかったじゃないか。いつも来てくれるから待ってたのに」

「それは…………ごめん」


約束はしていなくても、彼の中では街に帰郷して最初に会うのはユリアだと思っていたのだ。陽の光の恩恵がない曇り空の下で待たせたことに罪悪感を覚えたユリアは、正直に謝った。


「いや、そんなに凹まなくても…………」


肩を落とし、口をへの字に閉じて何かを耐えるように謝るユリアの姿は今にも泣き出してしまいそうだった。いつもの元気さを見受けられない様子に、セルジュは慌ててフォローをいれる。しかしユリアは足元の爪先を見つめるように俯いたまま。



「何かあった?こんなこと珍しいから」

「……………………」



ユリアは答えられない。自分ではない異性がセルジュの隣に立っている光景から逃げたと言えるはずもなかった。既に失恋をしているのに、失恋を前提の告白など2度死にに行くようなものだ。ユリアが理由を考えあぐねいていると、セルジュが答えを待つのを諦めて話題を変えた。


「でも元気なら良かった。風邪だったらって心配したんだ。でも仕立屋の窓からユリアの姿が見えてさ…………そうだ、こっちの道通っていかないか?」

「……………………え?」


遠回りの話は続いていたようで、小さな公園を通る道をセルジュは指差した。その公園は昔から一緒に遊んでいた思い出の公園で、聖夜の待ち合わせ場所だった。

セルジュは先に進もうとするが、ユリアの足は先程のようについていけない。


「ユリアどうしたの?」

「行けないよ」


「…………はぁ、少しくらい付きあえよ。寒いなら貸してやるから」

「そうじゃなくて」


「良いから。巻かれろ」

「セルジュ…………」


首に巻いた紺色のマフラーを外しながら、面倒臭さそうにセルジュはユリアの側に戻る。抵抗する隙もなく、勝手にぐるぐる巻きにし終えると表情は一転して満足気に眺めてくる。

マフラーには彼の温もりが残っていて、まるで抱き締められている気分になる。冷たい色彩とは逆の優しい水色の瞳を見ていると、本命は自分ではないかと勘違いしそうになった。それがまたユリアの胸を締め付けた。



「なんでこんなこと私にするの?」

「なんでって…………それは、ユリアが…………」



セルジュは気まずそうに視線を逸らし、言い淀む。


───なんで私のせいなのよ。セルジュにとって私は優しくする相手じゃないはずなのに。



ユリアは悔しさを耐えるために下唇を噛む。


「一緒に来ていた黒髪美人はどうしているの?」

「黒髪美人?あぁ、アーテルは僕の家にいるよ。なんで知っているんだ?後で紹介しようと思っていたのに」


セルジュが不在なのに、彼の家に滞在している事実はユリアに更なるショックを与えた。


───セルジュの両親に紹介する位の間柄で、彼女ひとりで留守番ってことは公認なのね。もう、認めなきゃいけないじゃない。私は諦めなきゃいけないじゃないの!



「アーテルさんって言うんだ。しかも呼び捨てで、ローブを貸すほど大切なアーテルさん放っておいて私のところに来ないでよ」

「ローブ…………もしかして本当は南門に来てたのか?何で声をかけなかったんだ」



「できるわけないでしょ!あんなに美人な人と仲良さげなところを見せられて…………邪魔者の私が入れるわけないじゃないのよ!」

「ユリアが邪魔者なわけ無いじゃないか!あの時だって僕はアーテルと一緒にユリアを待ってたんだ!来てたのに帰ってたとか酷いじゃないか」


二人は互いに睨み合い、白い息にのせて言葉をぶつけ合う。ユリアは勝手に来られ、勝手に自分のせいにされ、望んでもいない残酷な優しさに怒りが溢れた。


「酷いのはどっちよ!アーテルさんがいるのに私と聖夜の約束までして、とんだ浮気野郎ね!」

「なんでそうなるんだよ。アーテルは僕の」

「聞きたくない!約束は無しよ!じゃあね!」

「ユリア待って────」


逃げ出そうとしたユリアの手をセルジュが掴む。その手の温もりをずっと欲してしまいそうになるが、ユリアは希望を振り払った。



「離して!嫌い!」

「────っ!?」



セルジュがユリアの言葉にピタリと動きを止めた。手の力が弛んだ瞬間にユリアはセルジュの手をすり抜け、立ち尽くす彼を置いて走り去った。セルジュとの関わりが切れたことを表すように、握られていた手はあっという間に熱を失っていった。

溢れ出す涙のせいで冷たい水に落とされたように視界は揺れて、呼吸は息苦しい。走っているのに冷たい風を受けた体は冷えていく。このまま悲しい心も凍って欲しいと願うも、首に巻かれたマフラーが優しく涙を受け止めて願いは叶わない。でもユリアはマフラーを捨てることはできず、そのまま家へと飛び込んだ。

目を充血させ、涙で濡れたまま冷たい風を受けた頬は真っ赤になっていた。それを見た両親はただならぬ娘の様子に目を見開いた。



「ユリア!どうしたの!?こんなに泣いて」

「怖い思いでもしたか!?怪我は無いか?」

「お、お母さん…………お父さん…………私…………私、失恋したぁぁぁぁぁあん、うわぁぁぁあん」



その夜、ユリアは昨日と今日あったことを泣きながら明かした。自分の勇気のなさが可能性を逃していたこという事実を再確認し、心がナイフに抉られたように痛む。



両親はユリアの初恋は長く、毎年どれだけセルジュの帰郷を楽しみにしていたかよく知っていた。帰郷の日が近づくにつれてカレンダーを確認する回数が増えたりもしていた。それを微笑ましく見ていたのだ。

ユリアの嘆きに両親は心を痛め、母親は急遽ユリアの好きなマドレーヌを焼いて、父親は久々に頭を撫でた。


「ぐず。心配かけてごめん…………明後日の聖夜は1日お父さんお母さんと過ごして良い?」

「あぁ、もちろんだ。毎年過ごしてるじゃないか」

「ご馳走追加しなきゃね」

「うん、ふたりともありがとう」



両親のお陰でようやくユリアは落ち着きを取り戻した。ここで自分はセルジュのマフラーを持って帰って来てしまったことを思い出し、頭を痛める。まだまだ納得は出来ていないし、セルジュへの恋心は残ったまま。まともな会話が出来る自信はなく、手に余る問題になっていた。



「お母さん…………マフラーなんだけど、セルジュがもし来たらお母さんから返してくれる?私、セルジュに会えない」

「分かったわ。きちんと洗っておくから安心しなさい」


「お父さんもセルジュがうちを訪ねてきたら…………」

「ユリアは体調が優れないとでも言っておくよ」



ユリアは両親の優しさに甘えて、頭を下げた。これで暫くセルジュと会わなくて済むようになったのだ。自分の気持ちの整理をする時間ができたことに胸を撫で下ろした。




翌日、ユリアは仕事の終わりの時間をむかえ、そろそろ帰ろうと針の数を確認していると雇い主から声がかかる。


「裏口に昨日と同じ薄茶色の髪の青年が立っているね。ユリアと待ち合わせかい?」

「────え?」


しまった!とユリアは思った。お店の正面の窓からはユリアが作業しているのが見えるようになっているのを忘れていた。



───そうだった。これじゃ昨日と同じじゃない。マフラーを取りに来たのかな。でも…………セルジュは悪くないけど、私はまだ顔を合わせられないしマフラーは家だわ。昨日は逃げ切れたけど、本当はセルジュの方が足は速い。どうしたら…………



ユリアはカーディガンの裾を握りしめた。

今にも泣きそうに瞳を潤ませ考え込むユリアに、雇い主は顎の髭を指で撫でながら問う。


「会いたくないのかい?」

「はい…………昨日喧嘩のようなものをしちゃって。今はできれば会いたくないんです」



うーむ、と数秒だけ思案すると外を指差した。


「じゃあお客様用の入り口から今のうちに出なさい。裏の彼には気付かれないだろうしね。凍えないように彼にはタイミングを見て声をかけるから」

「あ、ありがとうございます!」


個人的な事情なのに昨日に引き続き、自分を気遣ってくれる雇い主に感謝してそっと表から店を出た。あまりの冷え込みにぶるっと体が震えた。


───そろそろ雪が降りそうな気温だわ



見上げた空は沈む心を表したように深い灰色で、罪悪感が押し寄せるように夜の闇に染まりつつあった。



───セルジュごめん。あなたの幸せを祝えるまで時間が欲しいの。



失恋はしてしまったけれど、幼馴染みが大切だという事は変わらない。大切な人だからこそ、本当は幸せを願いたかった。今はそれが出来ないユリアは心の中で謝罪を繰り返し家路についた。しかし帰宅して数分後、来訪者によって玄関の扉が叩かれる。


「あら、どなた?」

「セルジュです。ユリアはいますか?」


母親の問いに答えたのはセルジュの声だった。ユリアの心はまたズキリと痛む。母親がユリアに確認するような視線を向けるが、ユリアは大きく首を横に振って台所に隠れた。

母親は玄関からユリアの姿が見えないことを確認して、玄関の扉を開ける。無きマフラーの場所を補うように、灰色のローブを首元に手繰り寄せながら立つセルジュがいた。台所に隠れていていても足元に感じるほど、走るように入り込んだ外の空気は冷たかった。



「セルジュ君、久しぶりね」

「おばさん久しぶりです。あの、ユリアは…………」


「マフラーでしょ?ユリアに貸してくれてありがとうね」

「いえ、寒そうだったので。それでユリアは」


「ユリアから頼まれてね、マフラーは私から返すわね。見送りも私がするわ」

「……………………っ」



ユリアの所在を確認しようにも、母親によって話がずらされてしまう。ポンと笑顔でマフラーを渡されると自然と帰宅を促され、ユリアの拒絶が現れていた。セルジュは受け取ったマフラーを見つめ、静かに奥歯を噛んだ。



「今日は帰ります」

「えぇ、気を付けて帰ってね」



セルジュのまだ諦めていない光の宿った瞳を見て、ユリアの母親は肩をすくめた。

セルジュはユリアの部屋に続く階段を一瞥してから、礼儀正しくユリアの母親に頭を下げる。ユリアはその様子を台所の物陰から覗いていた。



───もう帰っちゃうんだ。



ユリアはぐっと無意識にスカートを握り締めた。自分から避けておいて、諦めの早いセルジュに寂しさを感じてしまっていた。


セルジュはローブの白鳩を少し靡かせ、玄関から出ようとユリアに背を向けていた。ユリアは声はかけれなくても見送ろうと物陰から頭を上げた時、近くにあった調味料ボトルに触れてしまった。


コトッ────



胡椒が入っていた小瓶が倒れ、音を立てる。


「────っ!」

「…………ユリア」


セルジュがピクッと音に反応し、立ち止まると振り向いてしまった。見開かれた視線は真っ直ぐにユリアへと伸びている。まるで“会いたかった”と言わんばかりに、嬉々と一瞬輝いた水色の瞳はユリアには眩しかった。だけど、それは願望でしかない。ユリアはセルジュが口を開こうとしているとわかった瞬間に、身を翻し階段へと駆ける。


「ユリア!約束の場所で待ってるからな!」

「─────!」



ユリアは遅れて手で耳を塞ぐ真似をしたが、懇願するようなセルジュの声が鼓膜を揺らす。



「勝手な約束放棄は認めていない!僕は待ってるからな!」

「─────っ!」


一段だけ階段に踏み込んでいた足を止めた。こんな寒い中で待たれては罪悪感に耐えられない。逃げるのをやめて振り向き「行かないから、待たないで」と伝えようとしたが、彼はすでに背を向けていた。



「セルジュ!私は─────」



手を伸ばして引き留めようとするが、走り去る彼の残影を掴むだけだった。一方的に投げ付ける言い方は、まるで昨日の自分と同じだった。きっとこのまま何も言わなければセルジュは雪が降っても本当に待つつもりだと分かり、ユリアは頭を抱えた。



───どうやって断れば良いのよ。直接なんて言えないよ。手紙は間に合わないし、伝言を頼みに実家に行けばやっぱり会う可能性が高い。それに今はアーテルさんもいるし…………



セルジュのローブを纏った黒髪の女性を思い出し、痛みを感じて胸を押さえた。母親は自分で答えを見つけなさいと言うように、ユリアの頭をひと撫でして台所に戻る。



───きっと聖夜に出掛けようとするセルジュを不審に思って、アーテルさんが止めてくれるはず。アーテルさんにも怒られれば良いんだ。でも…………なんでセルジュは私にそんなに会おうとするの?



小骨が喉に引っ掛かったような違和感に首を傾けるが、理由は分からない。ただ疎ましいと思ってしまったアーテルに頼ってしまうユリアがいた。

自分の事に必死だったユリアは、このとき母親の生ぬるい視線には気付けなかった。



翌日、心の重みを残したまま聖夜の当日を迎えてしまった。その日の朝は快晴で、放射冷却によって街は今期一番の冷え込みをみせていた。結露した窓のガラス越しからでも冷気を感じるほどで、カーテンを開けたときに流れ落ちる冷たい空気が足元を冷やす。


───こんなに寒くてもセルジュは待つ気でいるのかな



何度も振り払ったはずの思考は、またセルジュの事で占領されてしまう。午前から今夜のご馳走を母親と仕込んでいる間も、思考を拭いきれず何度も手を止めた。それを見ていた母親はユリアにポンと家の財布を手渡した。


「ケーキ買ってきてくれないかしら」


「え、作るんじゃ…………」


「こういう時くらい売り物を食べたいなぁって思ったのよ。売り切れてたら作るけどね」



母親から暗に“気になるなら見てきなさい”と言われていることに気付き、素直に外へ出る。外の寒さは窓から感じた冷気とは比べものにならないくらいで、着こんだコートの中で身を縮ませた。

吐息はあっという間に白くなり、氷の粉となって睫毛に付着する。瞬きする度に目元が濡れるような感覚は、本格的な冬の訪れを告げていた。


運よく一軒目でケーキを手に入れたユリアは、時間を持て余していた。気分転換できたと言える心情ではなく、今帰っても母親にまた心配されるだけだと分かる。だからといって公園に行く勇気もない。

ユリアは最寄りのベンチに腰を下ろして、通り行く人々を眺めることにした。コート越しにベンチの冷たさは伝わるが、全身に注がれる太陽の光が寒さを和らげる。その太陽の陽気のように誰もが今日の聖夜に浮き足立ち、笑みを絶やすことはない。

自分と同じようにケーキを抱える親の周りを楽しげに走る子供。ひとときの逢瀬を楽しもうと、身を寄せ合う恋人たち。



───本当は私もこうなると思っていたんだけどな。うまくいかないな…………



膝の上に乗せたケーキの箱を見ながら、自嘲する。すると箱に影が落ちた。ふと上を見上げて視界に入ってきた人物に、ユリアはひゅっと喉を詰まらせた。


影の正体である美しい人が黒い瞳を真っ直ぐに、ユリアの姿を映していた。灰色のローブではなく、見覚えのない紺色のコートを羽織っていた。


「アーテルさん?」

「はい。アーテルです。お話ししたいです」


少しぎこちない口調が気になるものの、ユリアは頷いた。アーテルは許可が出ると、隠すことなく安堵のため息をついて隣に座った。



「えっと、なぜ私と話を?」

「まだ自己紹介してません。アーテルの事を伝えにきました」



───アーテルさんは私が彼女だから、セルジュと関わるなと言いに来たのかな。私はきちんと避けて、セルジュから勝手に来てるから文句言われても困るんだけど…………でも彼女としては彼氏が他の女と遊びにいくのは面白くないよね



きっとセルジュに言っても聞いてくれず、自分の所に言いに来たのだと見当をつけた。同時にセルジュは待ち合わせ場所で待っているのだと知り、申し訳なさからユリアは苦情を受け止める覚悟をした。



「教えてもらえますか?」

「はい。私はセルジュ様から召喚魔法による契約でアーテルという名前を貰いました。カラスの使い魔です。はじめまして」


ユリアは聞きなれない言葉に耳を疑う。


「使い魔?恋人ではないのですか?」

「恋人ではありません。カラスの魔獣と人間は結ばれない。セルジュ様はアーテルの仮のご主人様です。アーテルの本当のご主人様はユリア様」


「え?私がご主人様!?」

「はい。セルジュ様がユリア様を守るためアーテルを召喚しました。セルジュ様からお願いされ、譲渡契約しました。今は人型の幻術使ってます」


「何でセルジュが私を守るの?」

「アーテルは答えられません。言ったら怒られる。魔界に戻される。それは嫌です」



セルジュに口止めされているようで、アーテルは口の前で人差し指をクロスさせた。

ユリアは頭が混乱していた。セルジュとアーテルが恋人でないことに安堵し、アーテルが魔獣であることに驚き、セルジュが自分のためにアーテルを召喚した理由に希望が芽生えていた。

ユリアはアーテルに向けていた視線をケーキの箱に戻して、冷静を取り戻そうとする。その間もアーテルの言葉は続く。


「ユリア様がアーテルいらないと言っても魔界に戻されます。不要なのに契約の継続は無意味だとセルジュ様きっと考えます。今もアーテルのせいでセルジュ様とユリア様は喧嘩してます。セルジュ様はアーテルの召喚を後悔してます。でもアーテル必要とされたいです。ユリア様、セルジュ様と仲直りして下さい。セルジュ様はユリア様至上主義。謝ればすぐ大丈夫です」



アーテルはベンチを下りて、正面からしゃがみこみユリアを見上げた。長い黒髪が地面につくことを気にせず、真っ黒な瞳は真剣で、口は一文字に閉じられじっとユリアの答えを待っていた。


ユリアは自分の早とちりのせいでセルジュを傷つけてしまったことにショックを受けていた。自分のために召喚してくれたアーテルを勝手に疎み、優しいセルジュを避けてしまった罪悪感に、素直な気持ちが埋もれそうになっていた。いますぐ会いたいというのに、足は凍ったように動かない。



一昨日「嫌い」と言ってしまったときのセルジュの表情を思い出し、ズキンと心が痛む。本当は好きなのと謝りたいが、セルジュは今回の自分勝手な行動に呆れてしまったのではと不安が生まれて、アーテルの最後の方の言葉は耳に入っていなかった。



「ユリア様、とにかく来るのです」

「え?」



膝の上が軽くなる。思考の世界から現実に意識が戻ったのに、目の前の光景を受け入れられない。

瞬きの瞬間に黒髪美人のアーテルの姿は消え、代わりに目の前には真っ黒なカラスがケーキの箱を足にぶら下げて羽ばたいていた。


「ちょっと、それうちのケーキ!」


制止の言葉を聞かずにアーテルは多くの人々の頭上を優雅に飛んでいく。一方のユリアは慌てて、人の隙間をかき分けケーキの箱を追いかけた。


「アーテル!どこにいくの!?」


遊ばれているかのように追い付きそうで、追いつかない。でも諦めきれない微妙な距離をアーテルは飛んでいく。急にお店の角を曲がり、路地裏を通り、また大きな通りに飛び出る。葉が落ちて枝だけになった街路樹の横を走り、ようやく鬼ごっこは終演を迎えた。


黒いカラスは公園のベンチに座る灰色のローブを纏う青年の膝に箱を乗せた。


「アーテル、何処から持ってきた!?人間界で盗みはご法度だ。悪さするならここに留めておけないぞ」

「アーテル仕事した。まだ魔界に帰りたくない」


カラスは続いて青年の薄茶色の髪を(くちばし)で摘まむと、強く引っ張った。ケーキの箱を落とさないように両手で支えているセルジュは、アーテルの攻撃に反撃できない。頭を傾けて避けようとした反動で、ユリアの方を向いた。


「アーテル!お前!…………って…………」

「セルジュ…………」

「来てくれたのか」


目が合えばセルジュが驚いたのは一瞬で、泣きそうな安堵の表情へと変わる。耳や鼻先はすっかり赤く、約束の時間だった1時間前から待たせていたのだと分かる様子だ。


「アーテルがユリア様を連れてきました。仲直りさせたいです。帰らなくていいですか?」

「アーテル…………ごめん」


自分を気遣ってくれたアーテルに対して、魔界への送還を仄めかしたことに罪悪感を抱いたセルジュの肩が下がる。そして、その光景をユリアに見られたことに今気付き、罰が悪そうに横目でユリアを見やる。


「恥ずかしいところ見せちゃったな。これユリアのケーキか?」

「うん。家族で食べようと思って」


「そっか…………なぁ、少し話せるか?」

「うん」


ユリアは促され、セルジュが空けてくれた隣に座った。ユリアが座った場所は先程までセルジュが腰かけていた所で、冷たさではなく優しさを感じた。アーテルはカラスの姿のままセルジュの肩に乗っている。数分のよそよそしい沈黙を破ったのはセルジュだった。


「えっと、アーテルは学園の授業で召喚した僕の使い魔なんだ。普段はカラスの姿なんだけど、人間界のルールを早く教えるために人型になってもらってたんだ。本当は僕がユリアを守りたいけど、いつも側にいれないのが悔しくて、代わりにアーテルをユリアにって考えたんだ…………ユリアは前から王都に遊びにいきたいけど外が怖いって言ってただろ?だから安心できるようにと…………ユリアが王都に来てくれたら、僕ももっと会えるのにって思って。ついでに驚かせたくて手紙に書かなかった結果、誤解されるとは…………」



一気に言い終えると水色の瞳を伏せ、セルジュの薄い唇から悲しげなため息が溢れる。いつものように楽しみに迎えを待っていたのに、ユリアに放置された寂しさはこの凍てつく気温よりも身に堪えた。

ユリアに会えると、驚かせられると、舞い上がっていた気持ちが客観的な判断を失わせていた。あの日はセルジュの耳が赤かったのは、アーテルに浮かれた気持ちのままユリアの事を語っていただけだった。しかし隣に見知らぬ女性が自分のローブを着ていたら勘違いするのも仕方がないと、嫌いと言われた日にようやく気付いたのだ。



再び沈黙の時間がながれる中、セルジュの悲しげな表情をみてユリアは後悔していた。セルジュが自分を大切にしてくれていることは、次の日の行動からもヒントはたくさんあった。なのに見て見ぬふりをしていたのだ。


ユリアは覚悟が揺るがないように、ぎゅっとコートの裾を握り締めて口を開いた。


「セルジュ…………私もごめんね!勝手に暴走して…………でも本当にショックだったの。だって…………だって…………本当はセルジュが好きなんだもん!」


「──────!」


「すごく好きだから、信じたくなくて逃げていたの。今もね、まだ好きなの。セルジュは…………その…………セルジュは私のこと…………」


勢いよく言い出してみたものの、恥ずかしさと不安で言葉尻は小さくなる。言い終わってから込み上げる緊張感で、めまぐるしく血流が回り全身が熱くなった。前から考えていた告白の台詞はまともに言えず、雰囲気作りも何もない。返事のないセルジュの反応に“やはり手遅れだった”という考えがユリアの頭をよぎる。表情から確かめようと、彼の顔を見た。


瞳の青さが際立つほど顔を赤く染め上げ、マフラーに顔の下半分を埋めているセルジュがいた。ユリアが顔を上げたことに気付くと、寒さなど忘れさせるような雪解けのように蕩ける笑顔を浮かべた。


「やっと言ってくれた…………ずっと待ってたんだ。待ってて良かった」


ユリアの心臓はドクンと強く反応した。幼馴染みといえど、表情の変化が乏しい彼の至福の笑顔など見たことがなかった。それが自分に向けられている。只でさえ年々大人になっていくセルジュにドキドキしていたのに、ユリアのトキメキがとどまることを知らない。


「ユリア、僕も好きだよ。ずっとずっと前から。手紙だけじゃ寂しくて、年に2度帰ってこれる日をいつも待ち遠しくしていたんだ。今回の帰省は今まで一番の幸せだ」

「────っ」


笑顔だけではなく、真っ直ぐな思いの丈についにユリアは両手で胸を押さえた。心臓が爆発しそうで、呼吸を忘れた肺は空気が足りない。押さえた手からは心臓の鼓動を感じるほどで、聞こえてくる胸の高鳴りはピークを迎えていた。


「ユリア!?」

「嬉しすぎて、いろいろ飛び出しそうだから押さえているの!」


「そっか、相変わらず可愛いね。本当に好き」

「~~~~~~!」


性格の変わりように、セルジュは頭でも打ったのかとユリアは心配した。表情だけではなく、言葉の糖度も急激に増して砂糖に溺れた気分だった。足掻けば足掻くほど甘い砂丘に心も体も捕らわれ、抜け出せない甘い罠だと思った。

わずかに残る冷静さをかき集め、セルジュに聞く。


「セルジュ…………そんなキャラだっけ?」

「うーん。ずっと控えめにしていただけ」


「何で控えめ?」

「帰郷する度にユリアは僕に告白しようとしていたでしょ?何故か毎回途中で断念してるし…………でもユリアが一生懸命サプライズで伝えようとしているから、その勇気を台無しにしたくなくてずっと待ってたんだ。感情を抑えないと、ユリアがソワソワしただけで顔が緩みそうで…………だから我慢してた」


セルジュは恥じらう乙女のように両手で顔を隠す。一方のユリアの動悸は続いている。



「えっと、知ってたの?嘘でしょ?心理透視?」


「バレバレだったよ。過去の待ち合わせで僕が近くに来ていたのに気付かず、独り言で“セルジュ好き”とか練習で呟くの聞こえてたし。迂闊すぎ。何度悶えたことか…………本当は僕から早く告白したかったけど、何度も告白にチャレンジする予兆をみていたら“次こそ頑張れ!”って応援してしまって、自分から告白するタイミングを失い、そのうち今回まで来てしまいました」


「……………………本当に色々ごめん」


ユリアは蜂蜜色の髪を振り下げて、謝罪した。今回の待ち合わせだけではなく、各方面でやらかしてセルジュを待たせていたことに申し訳なさが込み上げる。頭を下げただけでは、罪悪感は消えそうにない。



「セルジュ、私に何か償わさせて!お願い事ない?できることなら何でも聞くよ!」


「…………複数でもいい?」


「いくらでも!」


ふんっと鼻息荒く、前のめりで力強く頷いた。セルジュは拳を口にあてながら数秒だけ思案すると、肩に乗せていたアーテルを指さす。


「まずはアーテルをそばに置いてくれる?アーテルはこう見えても高等な魔獣なんだ。知能高いし、姿も変えられるし、魔力も多い」

「本当に良いの?使い魔って貴重なんでしょ?」


「貴重だからこそユリアの側に置いておきたいんだ。頑張ればまた別な魔獣を召喚できると思うし。とにかくアーテルを連れて王都に会いに来てくれる?年に2回しか会えないのは寂しいよ。僕はもっとユリアといたいんだ」

「────っ、うん!アーテルが良いのであれば」



甘えるようにユリアを求めるセルジュの姿にまたうっと胸を押さえる。人間界に残れるとわかったアーテルは喜び、二人の周囲を旋回する。



「アーテル嬉しいです!アーテル人間界の食べ物が好きで魔界に帰りたくないです。人間界の食べ物は最高なのです!」

「…………という事なんだ。本当は契約で繋がった僕の魔力さえあれば大丈夫なのに、食べ物が欲しいだなんて変わった召喚魔獣だだろ?」

「うん。でも仲良くなれそう!セルジュ本当に良いの?ありがとう」


アーテルの単純な理由にユリアとセルジュは顔を見合せて笑う。ユリアは召喚魔獣=強く怖いイメージを持っていたが、嬉しそうに飛ぶアーテルを見てそのイメージは崩れた。


「あと次なんだけど…………」

「うん!何をすればいい?」


「僕とこれからデートして欲しい」

「もちろん!ご飯食べに行こう。今日ずっと一緒に…………あ」


快諾したものの、セルジュの膝の上に鎮座する箱を見て思い出す。中は家族のために買ったケーキで、昼御飯も母親が作ってしまっている。帰らなければ無駄になるのは明らかで勿体ないと分かりつつも、元々セルジュとしていた約束を破ることも心苦しい。ユリアは腕を組んで言い方法はないかと頭を捻る。その頭の上にアーテルがちょこんと乗った。


「アーテル?」

「ユリア様、アーテルがケーキを運ぶです」


「え?でも私のおうちの場所わからないんじゃ」

「ここについた日、セルジュ様が何度もおうちの前通ったです。アーテル知ってます」


南門に現れなかったユリアを心配して、セルジュは何度も家の前まで来ていた。アーテルを肩に乗せて来たものの、具合が悪かったとしたら迷惑になるだろうし、でも心配だしとウロウロしていたのだ。それをアーテルに暴露されたセルジュはまた乙女のように顔を両手で覆った。

一方のユリアはアーテルの提案に光明を見出だし、誘いに乗ることにした。


「アーテルお願いできる?私のお昼ごはん代わりに食べていいわ。お母さんのご飯は美味しいの!きちんと自己紹介と私が帰らない説明はできる?」

「食べる良いですか?アーテル嬉しいです。頑張って説明します」


そしてアーテルは闇のような瞳を輝かせ艶のある黒い羽を広げると、器用に乙女セルジュの膝からケーキの箱を持ち上げた。


「ちゃんとお母さんに会うときは人型の方も見せてあげてね。きっと分かってくれるわ。それと夜ご飯には帰るって伝えてくれる?セルジュも一緒に連れてくからって」

「かしこまりました。アーテル仕事します」


「うまくできたら、ケーキも一緒に食べれるわよ」

「アーテル頑張ります。ケーキも食べたいです。いってきます!」



そういって本来の主であるセルジュの許可を待たずに、アーテルはケーキの箱も持ってバランスよく空に舞い上がった。説明の通り、本当の主はユリアだとアーテルが認めていた証拠だった。


「ユリア、夜ごはんお邪魔して良いの?」


アーテルを見送っていると、乙女モードから復活したセルジュにコートの裾を引っ張られる。料理はユリアの失恋やけ食いのために多めに仕込まれていた。量に関しては心配する必要がなかった。


「心配かけた両親を安心させたいし、それに明日からまた仕事だし…………二人きりじゃなくても、できるだけ一緒にいたいの」

「ユリア」


セルジュは立ち上がり、宝物のようにユリアを抱き締めた。ユリアはセルジュの胸に頭を預ける形になった。頬に触れた灰色のローブは冷たいのに、顔の熱は集まるばかりで引きそうもない。


「セルジュ、ここ外だよ」

「でも誰もいない。これもお願い事だから許して」


逃がさないとばかりに腕の力は強まる。


「それと今から手を繋いで歩きたいし、仕事の日は帰りの見送りもさせて。僕はもっとユリアと一緒にいたいんだ」

「…………う、うん」



ユリアの返事に満足したのか、ようやく腕の力が緩められ新鮮な空気が肺に一気に入る。空気が足りなかったせいなのか、セルジュの甘い空気に当てられたせいなのか、ユリアはくらくらと目眩がした。長年の片思いが成就した喜びは未だに実感できないほどで、幸せな微睡みの海に漂うような感覚だ。冷たい新鮮な空気で目を覚まそうと求めるが、出来ない。


空気を求めた唇には柔らかな感触が押し当てられ、視界にはセルジュの顔だけが映る。ようやくセルジュにキスされたと気付いたのは、顔が離れて白い吐息が何度か混ざり合ってからだった。



「ごめん、我慢できなかった。これも許して?」



18歳の男なのに首をコテンと傾ける仕草が似合うなと、他人事のようにユリアは放心しながら眺めてしまっていた。まるで甘い毒に侵されたように、頭は思考を放棄していた。

セルジュは性急すぎた自覚があり、少し申し訳なさそうな笑みを浮かべてユリアに手を差し出した。


「ユリア、一緒に行こう」


ユリアは黙ってそっと手を重ねる。セルジュが手を握り込むとユリアの手は隠れるように包まれた。


久々に天を見上げると快晴だった空には厚い雲が広がり、陽の恵みのない外ははひたすら体温を奪う。それでも長く手を繋いでいたい二人はゆっくり歩き、繋がれた手だけは温かくなるばかり。

ユリアは横目でセルジュを盗み見た。表情の変化が乏しかったはずの彼の口角は上がり、水色の瞳は細められ輝いている。クールだと思っていたはずなのに、鼻唄でも奏でそうなほど上機嫌で前を向いていた。

視線を上から下へと移す。よく見れば灰色のローブは年季が入っていて、裾に解れが見つかる。


「新しいローブかコート買わないの?寒くない?」


素直な疑問をセルジュに投げ掛ける。


「だってユリアの刺繍が入っているんだ。捨てられないよ。寒さは重ね着すればなんとかなるし」


セルジュは空いた手で優しくローブを撫でる。

その愛しそうにローブを見つめる瞳は、穴が開いても着続けそうな瞳だった。それもこれもユリアの刺繍が入っているからという理由だけで。


───セルジュが大切にしてくれているのは嬉しいけど、無理してるのね…………だからマフラーぐるぐる巻きにして寒さを誤魔化してるんだわ。風邪引かれたらいやだな。だってまだ離れているから、すぐに看病なんてしてあげられない。


「ねぇ、セルジュ。ごはん食べ終わったら服屋にいきましょう」

「欲しい服あるの?プレゼントしようか?」


「欲しいのは私のじゃなくてセルジュの服だよ。新しいローブとコートを選んで!そして、また刺繍させて」

「良いの?仕事たくさんあるんじゃ…………」



セルジュはユリアは人気刺繍職人だと認識していた。忙しいユリアに自分の刺繍を頼むのは悪いと思い遠慮していたのだ。帰郷してから仕立て屋で正当な手順で頼んでも順番待ちしている間に、自分は王都に戻ってしまう。新しい刺繍は諦めていたに近かった。


「私の腕を信じなさい!セルジュのためなら何針でも刺すわ。引退するこのローブの刺繍部分は何かリメイクすることにして…………ちなみに新しい刺繍の模様は私の好みで良いかな?」


ユリアは自信を表すように胸を張った。セルジュのためなら、寝る間を惜しんで仕上げる気満々だった。それにシンプルな模様を好むセルジュへの刺繍は、簡単なものだった。


「もちろん!うわぁ、新しい刺繍楽しみだな。どんなのを考えているんだ?」


ユリアは期待に満ちたセルジュの眼差しを受けて、提案した。



「アーテルを羽ばたかせるの。私たちが向き合えたのはアーテルのおかげでしょ?」

「なるほど、それは楽しみだ。アーテルも喜ぶ」



セルジュは嬉しそうに笑った。ユリアはその笑顔をずっと輝かせたいと思った。

空からは光が舞い降りるように雪が舞い降りてきていた。更に気温は下がり、冷たい風が頬を撫でていく。二人はお互いの温もりをを求めるように寄り添い、雪も溶かすような温かい笑顔で歩いていった。




これは一羽の黒い鳥が結んだ二人のお話。




読んで頂き有難うございました。



《追記》

誤字脱字の報告をしていただき誠に有難うございます。

個人へのお礼を差し上げられず、この場のお礼にて失礼致します。

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