第7話 魔族が街に滞在して二日目
魔族達から〝闘神〟と呼ばれている魔族は、人族の初日をホテルで過ごした。
そして翌早朝、オリバが闘神を訪ねてきた。
闘神はホテルの部屋にいる。
オリバは闘神の前で頭を下げてから話を始めた。
「ゼムド様、今日はどのようなことをお望みでしょうか?」
「街中を見たい、お前たちがどのように生計を立てているのか、またどのような規律に基づいて人の営みが行われているのか自分の眼で確かめてみたい」
「分かりました。では不肖ながら私めが同伴させて戴きたいと存じ上げます。宜しくお願い致します」
そう言うと、ゼムドはホテルの外に、オリバ達が用意した魔道車というものに乗せられることになった。
魔道車とは、鉄の骨組みにタイヤというゴムという車輪で動く箱のことだった。
オリバの話からすると、寒ければ内部の空間を温められるし、熱ければ冷やすこともできるそうだ。人が歩くのに比べればはるかに早く動くことができる乗り物で、この乗り物が動きやすいように道路はアスファルトというもので整地されていた。
しばらく街並みを魔道車から覗いていたが、町には誰一人として出歩いていない。
「おい、どういうことだ? 何故人が一人もいない?」
オリバはやや困った顔をして返答する。
「恐れながら申し上げます。実はあなた様が来たことで、人は皆恐怖して閉じこもっているのです。〝殺されるのではないか〟また〝魔族に与していると思われたら、グリフォンの率いる獣達に報復されるのではないか〟そう考えると、とてもあなた様に会いたがるような人はいないと思います」
「なるほど、それはそうだな」
ぶっきらぼうにそう言った。
昔は他者に会いに行くのは殺しに行くためで、他人のために何か気遣うことも無かった。この数千年はあいつらが色々と率先して動いてくれるので自分から何かに配慮する必要もなかった。
ふむ、では、と思いながら聞いてみる。
「この街には図書館はあるか? 書物、識字に関する場所に興味がある」
「図書館ですか? 残念ながらこの街にはそういったものはありませんが。正式な識字としては商業の契約書、法律によって裁かれた判例について記録しておくような物が主たるものとなります。主にギルド・銀行・裁判所等になります」
「ギルドの仕組みは聞いたことがある。銀行が良い。すぐに案内せよ」
そう命令すると、オリバはすぐに魔道車の運転手に対して行き先を指示したようだった。
到着したのは銀行と呼ばれるところだった。
建物の側面はガラスという透明の板で出来ており、外からでも若干だが内部の様子を伺うことができた。
銀行の入口から一人の若い男が現れ、オリバがその男と話始しめた。そして、闘神はその建物の内部へ、若い男とオリバによって案内されていった。
銀行の内部には人がいるが、皆、こちらを見ている。
こちらにも普段は客がいるのかもしれないが、今いるのは従業員だけのようだ。人の視線に釣られてそちらを見返すと、皆は慌てて視線を外していく。
しばらく歩くと一際豪勢な扉が見えてきて、その扉が開いた部屋へ入るように促された。
部屋には誰もおらず、若い男は『少々お待ちください。担当の者を呼んでまいります』
そう言うと部屋から出て行った。部屋に残されたのは闘神とオリバの2人だ。
しばらくすると若い女がやってきた。
そして部屋に入る前に大きく頭を下げて一礼してから部屋に入ってきた。
「初めまして。こちらの銀行で働いております。キリ=カタスロスと申します。宜しくお願い致します」
そう言って女は頭を下げた。
一通り、キリから銀行の業務について説明を受けた。女は一枚の透明の板を持って入ってきただけだったが、その板に魔力を通すとその画面には様々な情報が写し出された。そして、その画像を見ながら、ゼムドが興味のあることを質問し、彼女が淡々と機械的にそれについて答える、という問答が繰り返された。
なるほど、と思った。
千年前に新しい魔族が一人、俺達のメンバーに加わって以来、そいつの発案で自分達も物々交換等を行うようにはなっていた。
けれども、衣服等については自分の戦闘スタイルに合わせて自らの魔力から合成するため、他種族のように衣服を買う必要もなかった。まぁ、酒や住まいの煌びやかさといった、どうでもいいことも、以前に比べれば、この新しく加わった魔族のせいでやや拘るようにはなっていたが……。
しかし、人族の文化はそれよりも遥か先にあると思った。単純な物々交換だけではなく、それぞれが貨幣によって物を交換し、また余裕があればその金を銀行へ回し、銀行は金に困っている人にこの預かった金を貸し付けることで、人族全体の富の総量を増やすことで豊かになろうとしていた。自分たちのように、単に個として強さを求めるだけではなく、種全体で繁栄しようとしている、また、それが暴力によるものだけでない〝経済〟という発展の仕方をしているのは興味深かった。
透明の板は魔道板呼ぶようだが、これを新しいそのメンバーに見せれば、とても興味を示すのではないかと思った。
ほんの五十年前までは人族でも紙による知識の集積を行っていたが、ある人族が魔力の周波数によって知識を記録できることに気づいたらしい。現在は紙による記録は行われなくなっており、全てこの魔道板によって情報の入力・管理を行っているということだった。
この魔道板は俺にとって、都合がよかった。魔力の周波数を合わせるだけで、中身の情報が取り出せるわけで、会話をするにあたって辞書を表示させ、分からないことは辞書と自分の魔力をリンクさせ知識を吸収できた。そのため理解が早かった。
気が付くと陽が既に落ちかかるような時刻になっていた。
そして、銀行について、聞きたい説明を一通り受けた上で、最後の質問をした。
「ところで、ここは銀行ではないな。本当は何をする場所だ?」
この質問をした瞬間、場の空気が一瞬で変わった。キリという女は最初から無表情、冷静で淡々と聞かれたことに答えていたが、この質問を受けた時だけは、本人は気づかれていないつもりなのだろうが、明確に動揺が見られた。オリバに関しては俯いたままだ。
やがて、オリバとキリは目線を合わせると、オリバが頷いて話し始めた。
「申し訳ありません。たしかにここは銀行ではありません。ここはギルドになります」
少し厳しい目をして、オリバに詰問をすることにした。
「何故、嘘の説明をした?」
オリバは一瞬怯んだような姿勢をしたが、すぐに返答してきた。
「銀行は商業を営む場所であり、主に非戦闘民が利用する場所であります。そのような場所にゼムド様をお連れするのは、少々抵抗がありました。ギルドとは人族の世界では依頼主と冒険者を結び付けて問題を解決する、そのような場所になります。ギルドであれば何か問題があっても民間人への被害が少ないと思われたため、この場所に案内させてもらいました。ただゼムド様にご説明した内容については、銀行の業務に関するもので、虚偽はありません。どうかお許しください」
返答を聞いてから、椅子の背もたれに、自らの体を傾け、一言発した。
「……別によい」
場が沈黙に陥る。
少しして、逆にオリバが尋ねてきた。
「失礼ながら、質問させて戴きます。何故、この場所が銀行でないと分かったのでしょうか?」
椅子のひじ掛けに、ほおづえを突きながら答えることにする。
「その女――キリは俺を見ても特に動じる様子もないが、それが変であった。今までに出会った人族は、最初に俺を見た時、怯えた顔をした。ところが、この女は最初から怯えた様子もない。普段から非日常的な業務に関わっている者だと思った。それに――」
そう言ってから扉の方を見た。すると、オリバとキリもその視線に釣られて、そちらを見る。
「今、この部屋の真向かいにいる人間は、今まで見た人間の中ではかなり魔力量が多い。一人でいるようだが、どうも扉の向こうで何かしているようだ。ここが本当に銀行であるならば、説明を受けた業務内容の性質からすると、あのような魔力を持つ者はいる必要がないだろう」
キリの目つきが変わる。そして、今までになく真っすぐこちらを見据えて喋り始めた。
「まず、謝罪申し上げます。私は銀行に勤めているものではなく、ギルドの副マスターになります。扉の向こうにいる人間は、ギルドマスターになります。先ほどオリバからお話がありました通り、何かあった場合に一般人に被害を与えたくないため、私のような者が説明させていただくことになりました。ただ、ゼムド様にご説明差し上げた内容については、虚偽のないことは誓います」
少し不思議に思ったので、尋ねてみる。
「何故ギルドマスターが出てこない?」
キリは、少し不満といった表情をしながら右手を顎に当てて答えた。
「あの方は脳筋でして……」
手元にある魔道板の辞書とリンクさせるが、ノウキンという言葉が分からない。
「〝ノウキン〟とはなんだ?」
キリは、ああ、つい、という顔をして返答した。
「力はあるのですが、デリカシーがなくて交渉事が苦手、細かい作業は向かないといったことや、事務的な仕事を放り投げてすぐに現場へ行こうとする、気分がいいと皆を集めて仕事をサボってどんちゃん騒ぎをする、あとは足が臭い、とかですかね」
キリの説明を受けたが、これだけは今日聞いた話の中では一番よく分からない。
まぁ、重要そうではないが……。
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キエティはキリとオリバから、通信板で魔族の報告を受けていた。
キリの声が、通信板から聞こえてくる。
「話をしてみた感じでは、力づくで街を支配しようとしたり、何かを傷つけたりする様子は見られません」
次にオリバの声が聞こえてくる。
「私との会話でも、こちらが虚偽の説明していた時や、やや非礼的な言葉を掛けてしまったとしてもそれほど気に留めていないように見えます」
そして、次にまたキリの声が聞こえてきた。
「それに驚いたのが、魔道板に対して直に魔力で接触して、情報を吸収していることです。通常の私たちが言葉を指定して、単語を検索するのとは違い、魔道板に組み込まれた魔石に直にアクセスしてそこから情報を吸い上げているのです。このようなことができるのは相当繊細な魔力コントロールが必要なはずで、戦闘に特化しているはずの上位魔族が、このような細かいことができるのに驚きました」
こちらから気になったことを聞いてみる。
「現在は、その魔族はどうしていますか?」
「現在は最初に滞在した宿に戻って魔道板で辞書を読んでいるようです。与えてある辞書はもちろん重要な機密事項にはアクセスできない、一般的な知識に関する情報しかありません」
オリバからの返答だった。
「そうですか。ご報告ありがとうございます」
そう答えて通信板の通信を切った。
キエティは驚いていた。
魔族が銀行に行ってみたいなどと言い出すとは思っていなかったし、どこへ行きたいと言い出してもギルドへ連れて行って、そこが目的の場所であると思わせようと画策していた。
ところが、訪れた魔族は会話の途中では、既にそこが銀行でないと気づいていたにも関わらず、指摘もせず、怒りもしないというのに驚いた。エルフの資料によれば上位種の魔族ですらそんな知能のある行動を取るとは聞いたことが無かったからだ。
このことが世界にどのような影響を与えるのだろう? と考える。
このような魔族の上位種が世界にいい意味で協力的であれば、高い魔力コントロールは、極めて緻密・精巧な魔道具を作るのに役に立つかもしれない。あるいは、従来の技術では生成することができなかったような医薬品の開発にも使えるはずだ。
ただ、一方、悪い点で考えれば、このレベルの知能のある魔族が集まって、世界を支配しようとすれば世界全体の不均衡さに直結する可能性があると思った。
現在、全ての生物の中で頂点に位置するのは龍族だ。圧倒的な戦闘能力と長い寿命、高い知能を持ち合わせることで世界全体のバランスを取っている。一方で魔族はそうではない。群れることなく、各地に点在して生きている。現在、魔族が何か他種族に害を与えるということはほとんどない。強いものと戦うことに興味がある程度で、他種族を支配し、蹂躙したりとかはしない。
極まれに獣族の上位種に対して戦いを挑むことはあるようだが、大半の魔族は殺される。
単体でいくら強いと言っても獣族の連携に勝てるほどの魔族はそうそういない。
むしろ、この近年厄介なのは獣族の方だ。高い知能を持ち、闘争欲求に自尊心を持ち合わせている。
獣族の上位種は龍種以外にも複数存在するが、いずれも尊大だ。従来、獣族も長い年月をかけて互いに覇権を争っていたが、三千年ほど前に龍種が世界の頂点に立ってからは、表立って争いを禁止された。ただ、一方で獣族が本来持った有り余る闘争心は、他種族に対して理不尽さを強要することが目立つようになっていた。
現在、人族は定期的に人族をグリフォンに一定数供物として捧げているが、これは本来する必要が無い行為である。名目上〝他の地域の獣族に対して人の肉を好む連中がいる、そいつらは本来お前たちを生かしておく気がないが、私たちが間に入って仲裁案を提示した〟と言い出したが、要は獣族の方が人族よりは上であり、優越性に浸ってみたく、弱いものを嬲ってみたい、その提案をされて困る人族を見たいだけなのだ。
一定数の供物として献上される人間の選別には苦労している。以前は犯罪者を供物として献上していたが、それではダメだと言われ、最終的には健康で犯罪歴のない若い人族の男女を一定数提供することになっている。
小さい子供が悪いことをすると〝そんなことをしていると供物送りにされちまうぞ〟と叱る言葉があったくらいだ。このことは人族の中でも暗い歴史として語り継がれている。
キエティは今後について考えていた。
人の首領は、グリフォン達が、あの魔族のしたことの連帯責任として人族に賠償を求め、人口の九割等の供物を強要されるかもしれない、などと言っていたが、キエティはこの可能性は無いと思っていた。
理由は龍種が世界を統べてからは、龍種は魔力コントロールの研究を極めて重要視しているからだ。この魔力コントロールの研究で、現在、人族は他種族に比べて明らかに貢献しているはずで、このような人族の人口を大きく減らすような罰は龍種が許さないはずだ。
ただ、それでもグリフォンは今回の事件について人間にもそれなりの賠償を求めるだろう。魔族に脅されていようがいまいが、グリフォンが殺されたこと自体が不名誉なことであるし、おそらく人族だけでなくて、関係のない支配地域の種族でさえ何らかの罰を背負わされるとさえ思う。高い戦闘能力を持ちながら、それでも龍種に及ばないという理由で、龍に仕えるのはグリフォンにとっては屈辱的なことだ。そして、そのはけ口に使われるのがその支配されている他種族なのだ。
正直、あの魔族がグリフォンを倒したと聞いた時は若干すっきりしたのは事実だった。
この二千年間人族を献上し続けてきた、そんなシステムを作らざるを得なかった自分たちにも腹が立つし、その理不尽を強要してきた連中が一泡吹かせられた、というのはちょっとすっきりしたのだ。
あの会議場でドワーフの漏らした感想は大半の人族なら誰しも思うことだ。
あの魔族は一体何をするつもりなのだろうか?
オリバの話によると〝自分の領地にするから従え〟と最初に言ったらしいが、行動からすると本気で支配を目論んでいるとは思えない。本気で支配する気ならば、人の国の辺境地ではなく、すぐに首都へ来るはずだろう。
あの魔族に早い段階で接触して、何かしらの情報を得ておいた方がいい気もするが、しかし、後でエルフ種の代表が、自分からグリフォン殺害犯に接近していたことがグリフォンにバレたら、相応の責任が生じる。自分から会いに行くことはできない。
次に、グリフォンはどうするつもりなのだろうか?
最終的に、あの魔族に対して討伐隊を差し向けることにはなるだろうが、現在はとにかく情報収集をしているのだろう。グリフォンにとっても異常事態すぎて、対処に困っているのは想像に容易い。
キエティは考え続ける。
夜は更けていくが、キエティの考えは止まらなくなっていった。