猫はサイテーの気分だった。
「・・・くっそぉ・・しつけーなぁ・・コイツ。」
由紀は画面をみながら呟いた。三日前からコンタクトしているヤツの一人に“会おう会おう”とやたらに言ってくるのが居るのだ。やんわり、とかわしていたのだが、どーにもうるさい。
「・・こっちはテメーみたいな、うざったいヤツを相手にしてる程ヒマじゃないぞっ・・と。」
“え~☆ カオ見ない方が、楽しくっていいじゃん!”
由紀がメールを返す。
“そんなコト言わずにさぁ~。何にもしないよぉ~。”
返信はすぐに来る。やはりコイツはしつこい。何もしないハズがないだろが。由紀は苛ついていた。
「ふ・・う。こっちはさっぱり。」
隣でジュンがヒマそうに大きく、ノビをした。ジュンの“おもちゃ”のカマ太郎も最近は忙しいらしく、あまり顔をださないのもヒマの要因の一つだ。
「確かにねぇ・・ここ最近は率が良くないよねぇ・・。」
由紀もため息をついた。加護が運営しているサイトはご多分に漏れず一つや二つではない。もっとも、入り口が違うだけで結局は由美達が相手をするワケだが。しかし、最近はそのサイトの何処からもアクセス数がぐっと減っているのだ。
「・・飽きられたのかもな。」
ふと気づくと、後ろに加護が立っていた。
「・・・そーゆー場合は何か手を打つんですか?」
由紀が尋ねる。
「う・・・ん。そうだなぁ・・。しばらく様子を見て、ダメなようなら一旦サイトを閉じて、構成を一新してから別のサイトとして立ち上げ直すか・・・だなぁ・・。」
サイトのデザインは加護がやっている。決してそんな話をすることはないが、加護の素人離れしたデザイン力はそれなりに美術の勉強をしてきた賜物だと、由紀は睨んでいた。
「加護さんのデザインって、あたし的にはスキなんですけどね。どぎつくなくて。」
「あんがとさん。でもさ、お客サンが望んでいるモノのイメージを絵にしないとさ、中々と付いて来てくれないわけよ。・・ま、最近は当局の取締りも厳しいし、潮時かもな・・。」
そう言って、加護はまた奥に引き込んだ。自分が目指してイメージするものとお客の望むイメージとのギャップ。加護は常にその狭間で苦しんでいる。僅かに開いた扉の向こうで画面を見ながらデザイン案を練る加護の後姿に由紀それを感じた。
「あぁ~あ。アタシんこともさっばり。」
向こうでもミキさんが両手をバンザイしていた。
「商売上がったりよ。・・ところでさ。」
ふと、何かを思いついたようにミキさんが由美の方を向くと、
「ネェ、ユミさんの“しつこい相手”ってどんな人?」
と聞いてきた。お客になるかも、という意味に由紀には聞こえた。
「そーですねぇ・・ちょっと軽い、かな?メールの感じだと、あたしと同い年くらいだと思う。う~ん・・そのくらいしか・・。」
「ねぇ、ねぇ。こっちもヒマだしさぁ、アンタその相手に会って見る気、ない?」
「へっ?」
由紀は意味が分からず、聞き返した。
「会う・・て、別にそーゆー趣味は・・」
「そうじゃなくてさ、どんなヤツが誘いをかけてきてるか興味があるじゃない?不っ細工なヤツかも知れないし、ホスト系かも知れない。アンタがそれをチェックしてアタシ達に報告しないか、って話。」
ようはミキさんはヒマつぶしがしたいのだ。まぁ、打ち合わせとゼンゼン違う格好をしていけば、バレる心配はないか・・。由美もたまには現物を見てみたい気になった。
「そうね・・じゃ、お顔を拝見してくるかな・・。」
「ユキさん、がんばってねぇ~お話、楽しみにしてるから。」
ジュンが手を振ってくれた。
“しょーがないな。じゃ、一時間後に駅前で会いましょう。こちらの目印は・・”
由紀はメールを返すと、着替えるためにアパートに戻った。
一時間後、由紀は自分で指定した駅のコンコースに居た。大きな駅だし、向こうの格好は分かっているから、こっちからは判別がつくに違いない。さて・・鬼が出るか蛇が出るか・・。
なるべく目立たないように目配りをしていた時、由紀の肩を後ろからポンっと叩く者がいた。
「やぁ、待ってたよ。遅くなってゴメンね、ユキさん。」
ウソっ!・・コイツだ!チョット待て、こっちはメールとはゼンゼン違う格好だぞ。どうして分かったんだ?・・仕方ない、人違いで誤魔化すか・・。
一瞬の間に考えを巡らせて由紀が振り向くと、そこには由紀の良~く知った顔があった。
「げっ!て・・・テメェ、カマ太郎!」
背後に居たのは“カマ太郎”シマだった。
「おいおい・・面と向かってそれはないだろう。ま、陰でそう呼んでるのは知ってたけどさ。」
シマが苦笑いを浮かべていた。
「テメェかよ、あのしつこいメールを寄越しやがったのは!」
「まぁまぁ・・そう大声を出さんと・・、周りが見てるじゃないか。」
シマが由紀をなだめる。
「やかましい!どーゆーつもりだ!」
よりによって、まさかカマ太郎だったとは・・自分には男運が無いにも程がある、と由紀は心の中で嘆いた。
「落ち着いてくれよ、とりあえずさ。キミに話したいことがあるんだ。・・少しだけでいいんだけど、時間・・・無い?」
由紀の剣幕にシマは恐々尋ねた。
「ねぇよっ!」
由紀は吐き捨てるように言い残すと、きびすを返した。
「おーい、あの、ジュン達には内緒にしておいてく・・」
後を追おうとするシマを振り切るように、由紀は急ぎ足でその場を去った。
「あ~ぁ・・サイテー。」
事務所に戻った由紀は不機嫌モード全開だった。
「あれあれ、その様子じゃぁ、大した話は聞けそうにないねぇ・・。」
ミキさんが呆れた顔で言った。
「・・・あれ?ジュンは?」
由美の話を楽しみにしていた筈のジュンがいない。
「あぁ、ジュンなら先に返したわよ。風邪でも引いたのかしら、具合が悪いみたいだったから。ま、まかり間違ってアンタが相手と意気投合でもしたら帰りが何時になるかわからなしいね。」
今日のミキさんは何時に無く雄弁だった。
「・・世の中って、ホント、ロクなヤツがいないですよね!」
由美のボヤキにミキさんが笑った。
「はは・・ま、確かにね。アタシも色んな人間を見てきたけど、“これは”って言えるようなヤツはまず、居ないね。オトコだけじゃぁない。電車に集団で乗ってくる女学生だってヒドイもんよ。騒ぐし、暴れるし、化粧直すくらいならまだしも、着替えまで初めるコもいるのよ?アタシでも目のやり場に困るわ。・・自由だか人権だか知らないけどさ、皆んな甘ったれてんのよ。世の中にさ。アタシゃ、そう思ってるね。」
まるで自分の事を言われているようだ。由紀は思った。自分だって親の仕送りで学校行って生活してるのだから。それでも色々と欲しいモノを買うためにバイトをしている。肝心の学業なぞ、虚空の彼方に飛んでってしまっている。間違いなく自分もその“甘ったれちゃん”の一人なのだ。
加護さんは自分達の分も含めて生活のために、ヤバイ橋ではあるけれども出会い系サイトの運営に心血を注いでいる。客がソッポを向いてしまえばメシが食えないのだから、まさに真剣勝負だ。ジュンも小学生バイトが違法なのは当たり前としても、自分の生活を維持するために自ら望んでここで働いている。決して口には出さないが、きっと自分も他の子と同じように塾に行ったり遊んだりしたいだろうに。ミキさんもそうだ。危ない仕事だが、彼女にはこの仕事しかないのだろう。それでご飯を食べている。国に帰ってしまったがミッシェルにしても然りだ。母国に残してきたの家族のために、慣れない異国の地に来て必死に日本語を学び、仕送りをしていた。この中では一番恵まれている筈の自分だけが、いい加減な生き方をしている。自分だけが・・・。
こんなに情けない気分になったのは、何時以来だろう。由紀は黙って下を向いた。
「・・・ユキさん。アンタはさ、まっとうな人間なんだろ?アタシ達とは匂いが違うからね・・。アンタ達から見りゃぁアタシ達なんてゴミ箱あさる野良猫みたいに映るかもね。でもさ、思うのよ。世間じゃ野良猫なんざ捕まったら保健所行きでしょ?でも野良猫がいなくなったら誰がドブネズミを捕まえるのさ?ネズ公は猫より遥かに捕まえにくいわよ?ネズミの害も猫の比じゃぁないしね。結局、野良猫を駆除して一番困るのは当の人間様なのよ。社会の暗闇でアタシ達野良猫がドブネズミを捕まえるようなマネをしてやっているお陰でさ、“ちゃんとした”飼い猫が何もしなくても怒られずに済む、って話なのよ。ヘンな話ね。」
そう言うと、ミキさんは立ち上がってうつむく由紀の背中を軽く叩いた。
「さ、今日はもうお帰り。夜半から冷えるってニュースで言ってたわ。」
由紀は、あふれる涙を堪え切れなかった。