猫は孤独を拗らせている
その日の夜。一人で暮らしているアパートに帰るまで、由美はあの求人案内の事をぼぅと考えていた。
“出会い系” ・・ねぇ。
玄関のドアを開け、冷蔵庫のドアポケットを覗くと、ペットボトルのお茶は賞味期限が切れていた。
「しまった・・さっきコンビニに寄った時に買っときゃぁよかった。」
三日続けて友人宅に泊り込んだので冷蔵庫の中身など、すっかり由美の頭から離れていたのだ。
「缶ビールはあるけど・・うー・・アルコールも四日続くとなぁ・・たまには休肝日をとらにゃぁ、健康診断って来週だったよなぁ・・。」
そういえば、と由美は思い直して部屋の隅に置いてあった段ボールの中を漁った。
「確か、ママから・・送ってくれた中に・・お茶の葉が・・」
がさがさと探っていると奥の方から、ビニール袋に入ったお茶の葉が出てきた。
「おぉ、これこれ。とりあえず、お湯を沸かすか・・。」
由美は腰を上げ、ヤカンに水を張って火を付けた。
「あ~ぁ。我ながら寂しい生活してるなぁ・・。」
テーブルの上にはさっき買ったコンビニの弁当が、まだ袋に入ったままで置いてあった。
由美は壁に背中を付けながら、じっとコンロの青い火を見ていた。
きっと、自分と同じように都会に夢を求めて意気揚々とやってきて、その結果、同じように孤独に苛まれながら暮らしているヤツが大勢居るに違いない。皆表面は何気にしているけども、独りになった事を認識した瞬間の辛さは独り暮しをした事のある人間にしか、理解できまい。 ロクに見もしないテレビをつけっぱなしにしているヤツなんてのは皆そうだ。窓の外で電車の車輪が枕木を渡るゴトンゴトンという音色が、心の傷にツメを立てて引き裂いていく。
その時、ポケットにあった由美のスマホが着信を知らせる音楽を奏でた。
「・・?誰だ・・?」
表示は携帯からと思われる電話番号の数字だけが並んでいて、アドレス帳に無い人物であることだけが確かだった。
「・・・はい・・?どなた。」
少々不機嫌気味に電話に出た由美に、相手は陽気に返してきた。
「やぁ、久しぶり!ボクだよ。コージ。」
それは、あの結婚式場を辞めるきっかけを作った元カレだった。
「あぁっ?コージィ?あんた、携帯代えたの?」
「まぁね。どっちにしろ前の番号だと、電話に出て貰えないかも知れないだろ?」
「・・絶っ・・・対に出なかったわよ。・・で、今更何の用事?まさか今頃になって、あん時の引っ掻きキズの話をされても、もう時効よ。」
明らかに怒気を含んだ由美の声にめげる事なく、コージはあくまで陽気だった。
「はははは・・いや、まいったな。確かにさ、あの時はホント大変だった。アンダーソンさんもハウエルも居なくて神父役ができるのがボクだけだったろ?かと言って誰にでも出来るものではないしね。巫女のコに借りたパウダーを顔に塗りまくって、とりあえず誤魔化したけど、妙に白くなるから周りが変な顔をするんだよ。気付かれやしないかって、ヒヤヒヤしてさ・・・。」
「・・あんた、何よ。そのハイなのは?そもそも、何であたしに引っ掻かれたのか、理解してるの?」
「いや、すまなかった!」
コージの声が急に低姿勢に変化した。
「本当に申し訳ないと思ってる。電話で謝れる事では無い、と判ってるケド、とりあえず一言あやまりたかったんだ。ホントにゴメン!」
「・・とりあえず、ってねぇ・・あんた。」
由美はため息をついた。
「あれから、三ヶ月も経ってんのよ?・・何が、とりあえず、よ。・・要するに結局、あのコとうまくいかなくて別れたんでしょう?で、元カノの処に電話を寄越した、と。こうゆうムシのいい話でしょ?いい加減にしてよ!人を安く見るにも程があるわ!」
そう捲くし立てると、由美はスマホを耳から離した。
「ま、待ってよ!い、今近くにいるんだ、一寸でいいから話を聞いて・・・」
乞う様なコージの声を無視して、由美はスマホの電源を切った。
「ちっくしょぉ・・コージめ・・。今のスマホ、契約してからまだ半年しか経ってないんだぞ。番号変えたらカネが要るだろうが!・・くそぉ、手間かけさせやがって・・。」
墳然としながら、由美はスマホをベットに投げた。
だが、と由美は思った。
コージの気持ちも百パーセント理解できない訳ではない。自分と違って天然系のあのコが魅力に映ったとしても不思議ではなかったし、コージがあのコに振り回されるのも目に見えていた。まぁ、良くもって半年と見ていたが、意外にネを上げるのが早かったわけだ。
きっと、手に余って別れたのはいいけども、急な孤独に耐えられなかったに違いない。元カノなんかに電話してくれば怒られるのは当たり前だが、それでも誰かに相手をしてもらいたかったのだろう。結局、コージも今の自分と大差ないのだ。
誰もが、孤独に打克つために次の出会いを求めている。理想の相手を。そして理想とは比較論でしかないことに気づいた時、人は過去のオンナや過去のオトコが急にいとおしく思えることがあるのだろう。だが、覆水が盆に返る例は稀だ。
出会い、か・・。
由美は改めて考えた。
確かに人の寂しさに付け込んで商売するというのは、どうかと思う。それが犯罪の温床と化していることも、知らない訳ではない。だが、フェイクと心得てメールのやりとりをするのなら、一時だけでもお互いに寂しさを紛らわせることが出来るかも知れない。そしてこちら側は相手によって、色んな役を演じていく・・。
そう思うと今まで色々なバイトを経験してきたことも、あながち無駄ではなかった気もする。
巫女や・・スタンド、ケーキ屋とかもやったわねぇ・・。三日で辞めたけど、ベビーシッターの経験もあるから、保母さんのマネとかもできるかも。それに昔とった杵柄で女子高生とか・・。キャラクターは女友達の連中を参考にすりゃぁいい。今までにあいつらから貰ったメールの打ち方を参考にすれば、数人分を使い分けることも不可能ではないか・・。よし、これも社会勉強だ。
意を決したように由美はヤカンを火から下ろし、少し冷ましてからお茶の葉を入れた。