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時の楼閣、境界の色  作者: アルマチーク・イワコフ
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第二章

月曜日はいつだって憂鬱。

そう考える人は多いのではないだろうか。


北原優子もそうだった。


ゴールデンウィークも先月で終わり、近頃はずっと暑い日が続いている。

駅のホームで電車を待っている今も、首筋をつうっと汗が伝っていく。

その暑さに加え、月曜日のホームには疲れた顔の大人たちがひしめき合う。何とも陰鬱な光景だ。

早くも夏休みが待ち遠しくなった。


『間も無く、一番線に各駅停車・碕枷行きが参ります』


やってきた電車に乗り込むと、車内の空気は冷えていて、温度差に肌が驚く。少し爽快だった。


『まもなく、上岸』


どうでもいいことを考えているうちに隣の駅に着く。


電車通学を始めたのは今年の四月からだ。

始めのうちは新鮮さを感じられたが、慣れて当たり前になってからはそう思えなくなった。

今では、駅のアナウンスを聞くだけで毎朝の気だるさを思い出して憂鬱な気分になるし、吊革に掴まって立っている時間も長すぎると嫌になる。


しかし、憂鬱な月曜日にもかかわらず、今日はとても気分が良い。


梅雨はまだまだやって来る気はないようで、連日快晴だ。

そんな日には気分が良くなって、明るい音楽を聴きたくなる。音楽鑑賞は数少ない趣味だ。

イヤホンを嵌めてしばらく聞き入る。


「ん…っ?」


しかし、それは不意に中断された。

爪先にコツンと、何かがぶつかったからだ。


足元を見やると、りんごが一つ転がっている。見渡すと、近くの網棚にダンボール箱が乗っており、その中にぎっしりとりんごが詰まっている。あまりに季節外れだ。


周りの人は知らん顔でそっぽを向いている。きっと皆、自分が動くのが面倒臭いのだろう。


仕方なく拾いあげようとすると、誰かと手がぶつかった。驚いて顔を上げると、見知った顔と目が合う。


「あ、おはよう」


「おはようございます」


白い半袖のTシャツに普通の短パン、というラフな格好に、赤いランドセル。

肩までの後ろ髪を一つに束ねた苺型のヘアゴムは、大人びた雰囲気とはひどくアンバランスだ。


その子は同じ学校の初等部の生徒だった。

まともに喋ったことはないが、同じ電車に乗り合わせるうちに顔見知りになっていた。


挨拶すると律儀に返すのだから、きっと真面目な性格なのだろう。

実際のところは知る由もないが。

その子について知っていることは、本当にその程度だった。


以前、持っていた手提げ袋の中に、「六年一組・白鳥葵(しらとりあおい)」と綺麗な字で書いてあるのが見えた。

実際に呼んでみたことはないが、心の中では勝手に「(あおい)ちゃん」と呼ぶことにしている。


挨拶を交わすだけの些細な間柄ではあるが、既に少しばかり親しみを覚え始めていた。


「あの」


その葵ちゃんが突然、やや緊張した面持ちで何かを言いかけた。

いつもならお互い干渉せずに、学校のある駅に到着するのを待つだけなのに。今日はどこか様子が違う。

一体、どんな用があるのか気になった。


「えっと……」


しかしその先がなかなか続かない。

年上に話しかけるのには結構な勇気がいる。

幼い子供なら尚更だろう。

内心で葵ちゃんを応援した。


「ちょっとごめんよ」


葵ちゃんが言い淀んでいると、その後ろをスーツ姿の男が擦り抜けて行った。


突然大人に話しかけられて圧倒されたのか、葵ちゃんは尚も黙り込む。

そして結局何も言えずに俯いた。

一つに束ねられた髪が首の上で悲しげに揺れている。


先ほどの光景などこの街では頻繁に見られるもので、そこに哀れみを抱く大人は周りに誰もいなかった。

誰もがお互いに不干渉で、関わり合いを避けるようにぎゅっと口をつぐむ。

まるでそれがルールのようだ。


いつもの自分も同じで、そのまま何もしなかったかもしれない。だが今日は不意に、ふと優しい気持ちが湧いた。


「どうしたの?」


屈んで背を低くし、なるべく笑顔でたずねるよう努める。周りから注目されても、不思議とあまり気にはならなかった。


「え」


葵ちゃんは、はっと正気を取り戻したようだった。


「あの、そのりんご」


指差した方角には先ほどのりんごが転がっている。


「……もしかしてそれ、あなたの?」


「いや、そうじゃなくて……」


再び何かを言いかけた途端、電車が不意に止まる。

目的の駅に着いたのだ。


『まもなく、芒ヶ原…』


有無を言わさずホームに押し出され、ごった返す休日明けの駅を人ごみに流されるように改札を出て、構内から出口へと向かう。


その途中で一旦立ち止まり、忘れ物のりんごを駅の忘れ物センターに届けた。


「それで、何の用だったの?」


もう一度尋ねると、葵ちゃんは何かを考え込むように黙り込み、やがて顔を上げた。


「いえ、もういいです。気のせいでした。引き止めてしまってすみません」


「あ、そう? もういいの?」


理由は分からないが気が済んだようなので、そろそろ学校へ向かうことにする。


「じゃあ、また今度ね」


「……待って下さい!!」


そうして出口へ向おうとすると、何故か強く引き止められた。


「えっ、何?」


まだ何か用があるのかと思いながら尋ねると、葵ちゃんは三度(みたび)考え込み、やがてさも大切なことのように言った。


「実はこれから、降るそうなんです」


突然そんなことを言われ、戸惑う。


「雨……?」


雑踏の中立ち止まって空を見上げるも、何ら変わった様子はない。青空の真ん中では、六月の太陽が眩しく輝いている。


「どうして分かるの?」


納得できず葵ちゃんにそう質問した。


「とにかく降るらしいです。まだそっちへは行かない方がいいと思います」


なぜこんなにも強く主張するのだろうと不思議に思った。

何にせよ駅舎の中だ。

天気など問題にはならないだろう。


「いや、別に平気でしょ」


雨くらい、と心の中で付け加え、その場を去る。

振り返ると、葵ちゃんがとても哀しげな顔をしていたのが、なぜか頭から離れなかった。



少し後、芒原駅を監視していたモニター室が俄かに騒がしくなる。


「構内で、天井が崩落しました!」


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