第一章
目覚まし時計が24時間振りにけたゝましく鳴り響いている。ベルのものから鳥のさえずりでも流れてくるような爽やかでイイ感じのものに買い換えようかと思いながら煩わしいソレを止めると、次第にもう一度眠りに落ちようかという酷い倦怠感に襲われるのも毎度のことであった。とっとと支度を済ませ、アパートの一室を出ると出社時間まであと40分。
「マズいな...」
思わず独り言が漏れる。公園の木漏れ日を抜け、そそくさと駅へ向かった。道中コンビニで昼食を買うようなヒマもなく、発車ベルに急かされながら使い古されて所々錆びついている山吹色の在来線に飛び乗る。乗車率は150%ほどであろうか、暑苦しいのと狭い場所は苦手だが臭う人が近くにいないだけ十分マシなものだ。
「株式会社松浦警備」の文字と大きな目のマークがついた看板が見えてきた。職場だ。腕時計に目をやると、7時16分。あと3分強で出社時間である。危なかった。
「やあやあ、磯場定匁君じゃあないか。」
事務室のデスクにつくと、どこか剽軽で上辺だけ威厳を保とうとしているような、よく聞き覚えのある声がした。
「相変わらず磯場はギリギリ出社だよな、まったく」
とは毎朝いただく後輩、刈畝冬吾からのお言葉である。先輩に向かって敬語を使わないことへの違和感はとうの昔に消滅し、――というよりも諦めたという方が順当だろう――今では側から見れば仲良しコンビといった具合だろうか。大変不本意ではあるが。それと刈畝が遅刻魔なのに対し僕は入社以来無遅刻無欠席の優等社員だという事実も鑑みてほしいと常々思う。
株式会社松浦警備は公共の場の監視カメラの管理・設置を行う企業であり、大きな目の社章も決して秘密結社的な意味はなく「社会を見守る目」として30年ほど前、設立当初に制定されたもの、だそうだ。
そんな会社での退屈な事務作業をひと段落つかせ、10分ほど小休憩をとったあと、本務ともいうべき業務が待ち構えていた。
「今日は水曜日だから...8時から10時と14時から16時、か」
と、特にあてもなく自分のシフトをつぶやき、担当の「第3モニター室」の重厚な扉を開ける。モニター室と呼ばれる部屋は社内に8室あり、それぞれ地区ごとに分かれて監視カメラの映像を受信、異常がないかを社員が24時間体制でチェックする業務をおこなっている。これこそが松浦警備の最も知られた業務であり、小、中学生が社会科見学に訪れることもしばしばであった。
第3モニター室は僕が毎朝利用する最寄駅も含めた鳳澤市の鉄道駅の監視カメラが対象であり、通勤通学ラッシュの様相がありとあらゆるモニターに映し出されている。
水曜日早朝担当の連中の怠けっぷりは社内でも定評があり、案の定今日も半分以上が眠りについているようだった。この連中に監視業務をさせても務まらないことは明白なのでさっさと追い出す。朝のひと時をモニター室で一人で過ごすのが僕の密かで誰にも侵されない愉しみであった。
そして今日も、また一つ密かに愉しみにしていることがあった。毎週同じ時間帯に同じ場所を見ていると利用客の顔も覚えてくるもので、語弊があるかもしれないが「気になっている人」がいるのだ。そろそろ7時47分、いつもの電車が芒原駅のホームにやってくる頃だ。
この時間帯に芒原駅に降車する人はさほど多くないので、「あの人」も見つけやすかった。ホームに降りた十数人を見ていくと......いた。髪の長い、どこか流麗な風情を漂わせる女学生である。もちろんお互いを知らないし、名前も分からない。この一方的な「出会い」に、僕はロマンに似た儚さを感じるのだった。
――僕はこの人に干渉するつもりはない、いや、なかったのだ。




