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第八話 魔物と遭遇したようです。


「エドガルト王子……」


 ユリアンとツェラの声が綺麗に重なる。

 できることなら、はしたなく悲鳴を上げてしまいところだ。が、ツェラはどうにかこうにか、悲鳴を呑み込んだ。

 隣ではユリアンが、呆然とした顔で立ち尽くしている。

 最悪のタイミングで見つかってしまった。

 自分の運の悪さと、ユリアンに対する申し訳なさでギュッと唇を噛んだ。


「やぁ。ええっと、君はなんて言ったかな? ファーナの侍女の……」


 普段であったら顔を覚えてもらっていたことを嬉しく思うかもしれないが、今はただ恐怖しか感じない。


「ツ……ツェラ、と申します」

「ああそうだ、ツェラだったね。君たちはどこに行こうというのかな?」

「そ、それは」


 どうやら、攪乱作戦は失敗のようだ。

 正直に言うべきか、黙っているべきか、それとも嘘をつくべきか。

 ファーナの不利にならず、なおかつユリアンに類が及ばないようにするにはどうしたらいいのか……。

 王子の視線から逃げるように首を垂れたツェラは、この期に及んでまだ迷っていた。



「教えてくれないか、ツェラ。ファーナは今どこにいるのかな?」


 ツェラが申し開きをする前に、単刀直入な問いが飛んできた。


「そ、それは……」

「ああ、答えは後でいいや。それより、さ」


 口ごもりながら逡巡する彼女を、明るい声音で遮った。


「君、なにか妙な気配をくっつけてるね? それどうしたの?」


 尋ねられたが、なんのことかさっぱりわからない。

 ツェラはいぶかしそうにエドガルトを見た。彼はさも興味津々といった態で目を輝かせ、ツェラを見ている。

 いや、正確に言えばツェラの足元を見ている。

 つられて見下ろしてみるが、泥に汚れた足元が見えるだけだ。ブーツの隙間から泥が入り込んで気持ち悪い。早く脱ぎたいくらいだ。


「それ、と申されますと?」


 うまく返事ができないツェラに変わって、ユリアンが尋ねた。一介の騎士が許可もなく口を開いた場合、不敬と取られてもおかしくないが、エドガルトは気を悪くしたふうもない。


「それと言ったら、それだよ。ツェラの足に纏わりついてるそれ、魔物の気配だよ」


 言われてふたりはぎょっとした。


「まっ、魔物!?」

「ちょっと、待ってください。このあたりで魔物が出たという報告は上がってないはずです。この森は底なし沼があちこちにあり、危険ですが、本当にそれだけで……」


 ツェラは体を凍らせ、ユリアンは慌てふためく。


「うん。今朝、僕が通った時もこんな気配はなかったのにね。不思議だよね」


 言いながら、エドガルトは道の左右に広がる森をぐるりと眺め、高い針葉樹の梢に視線を止める。


「かすかにだけど、森全体に、君の足に付着しているのと同じ気配を感じる」


 端正な横顔。視線だけがツェラに向けられた。


「この森と同じ……?」


 ということは、この森に逃げ込んで、沼にはまり、ユリアンに助け出されて戻ってくる間に遭遇したというのか。


「君がこの森の中にいたのはどのくらい?」

「そう長くはおりませんでした」

「一番強く気配が残っているのは、右足かな。なにか思い当たるふしはない?」

「右足……? あっ!」


 ツェラはハッとして、彷徨わせていた視線を王子へと戻した。

 沼にはまった時、木の根が絡んだのは右足だった。


「なにか思い当たることがあったんだね!?」


 やけにきらきらした笑顔で身を乗り出してきた王子の剣幕に気圧されて、ツェラは思わず後退った。


「私の勘違いかもしれませんが……」


 間違いだったら恥ずかしい。前置きをしてから、沼にはまった時の様子を打ち明ける。


「先ほど、その……ひとりで森に入りましたところ、底なし沼に落ちまして。もがいている間に足首に木の根が絡まって、暴れるほど深みにはまって難儀しておりました」

「そういえば、おまえ、引き上げる時、木の根が絡まってるって言ってたよな。でも、そんなに抵抗を感じなかったけど?」


 ツェラの言葉を裏付けるように、ユリアンが口をはさんだ。ツェラに向かっての言葉だが、王子がそばにいるのに!? とそちらが気になって冷や汗をかいたが、男性陣は気にしていないようだ。

 後で注意しないと、と心の片隅で決意する。


「ユリアンの手が触れた途端、なぜか急にほどけたんです」

「それだ」


 黙って聞いていたエドガルトだが、急に腕組みをとき、ぱちんと指を鳴らした。


「それだよ、ツェラ」

「でも、ただの木の根では……?」

「足首を確かめてみるといい」


 確かめてみろと言われても、足首は泥だらけだ。いや、泥だらけという表現は生ぬるい。

 まずこの泥を落とさないと……と思うと躊躇が生まれる。

 が、確かめろと言うのを拒否するのも難しい。


「はい。では失礼して……」


 あたりを見回せば腰かけるのにちょうどよい大きさの岩が転がっている。

 そこへ座り、四苦八苦しながら元の色がわからなくなったブーツを脱いだ。

 目を上げてみれば、ユリアンにエドガルト、そして彼の護衛が三人、自分を注視しているのが見えた。

 恥ずかしさに顔が火を噴きそうだが、恥じらっている雰囲気でもないので、なんとか平気そうな表情を作り出す。

 彼女の逡巡を、泥の多さに難儀しているのだろうと解釈したのか、エドガルトは護衛に声をかけ水筒を受け取った。

 それをツェラに差し出す。


「これで洗い流すといい」

「ありがとうございます」


 確かにどうやってこの泥を拭おうかと思っていたのも確かなので、ありがたく受け取った。


「俺が水をそそぐよ。そのほうが洗いやすいだろ?」


 その通りだ。ユリアンに水筒を渡し、まだ少し痛みの残っている足首を洗う。冷たい水が心地よい。

 まだ乾いてもいない泥は簡単に落ち、白い肌が露わになる。


「なっ……これ、なに……?」


 洗う手を止め、ツェラが呆然と呟いた。

 足首を赤い痣がぐるりと取り巻いている。しかもその形は根が巻き付いてできたとは思えない形をしていた。


「手形、か?」


 ユリアンがぼそりと言う。確かに五本、指のような痕があり、掌のような比較的大きめの痕に繋がっている。


「やっ、やだ、ユリアン、怖いこと言わないでよっ」

「だって、これ、どう見ても……」

「やだやだ、言わないでってばー!」


 口にしなかったらなにもなかったことにできるのか? と思ったが、ユリアンは口をつぐんだ。そういえば昔からツェラはこの手の怖い話が苦手だった。きっと内心には恐怖の嵐が吹き荒れているに違いない。ツェラの顔を覗きこんでみれば、ユリアンの予想通りだ。唇を真一文字に引き結んで強がっているが、ばっちり涙目になっている。


「根が絡まったんじゃない。君は魔物に襲われたんだ」


 エドガルトは自分の仮説が正しかったと満足げに頷くが、ツェラもユリアンもそれどころではない。この痣はただの痣なのか、それともなにかよからぬ魔力が込められているのか。――例えば、痣があるだけで生気を吸い取られて、しまいには衰弱死するとか……。


「この痣はこのままで大丈夫なのでしょうか?」

「んー。たぶん? なにに襲われたのかわからないから、なんとも言えないな」

「そうですか……」


 頼りない答えに、ツェラは肩を落とした。わからないというなら仕方がない。しばらく様子見するしかないだろう。答えが出るまで気が気でないだろうが、これも身から出た錆。甘んじて受けるしかない。

 でも、やっぱり怖い。

 震えながら、小さなため息をこぼした。


「ツェラ、君は本当に運がいいね。――君は近衛騎士だろう?」


 エドガルトの言葉の後半はユリアンに向けたものだ。

 運がいいとはどういうことだろう? と思うツェラの足元で、ユリアンが「はい」と答えた。


「近衛騎士は、王の……ひいては歴代の王の祝福を受けている。身に着けているその制服にある銀糸の刺繍だって加護の証を意匠化したものだ。となれば弱い魔物など手を出せないだろうね。だから、君に触れられたツェラを手放したんだよ」

「そういうことだったのですか」


 ツェラは感心すると、ユリアンに感謝の目を向けた。


「ああ。君がこの……ユリアン君だったかな? 彼と一緒にいる限り、弱い魔物は手を出せないから安心するといい」

「わっ、わかりました! 一緒にいますっ」


 言うなり、ユリアンの腕をガシッと掴んだ。

 王子の前だというのもなんのその。恐怖心が勝ったのだ。


「いててっ! ツェラ、もうちょっと力、ゆるめて。痛いって」

「だって、私、ユリアンと一緒にいないとっ」

「わかったから落ち着けって!」

「落ち着けないよ! この痣が呪いだったらどうするの!?」


 押し問答を続けるふたりを笑顔で見守っていたエドガルトがおもむろに口を開く。


「じゃあ、ツェラが安心できるように心配の元を断ちに行こうか」


 良く響く声が、まるで遊びに行こうというかのような軽い口調で、とんでもないことを紡ぎ出した。

 

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