第六話 早くも危機の予感です。
「悪い。待たせた」
ユリアンは、裏門の跳ね橋を渡った先で待っていたツェラに声をかけた。
疲れたのか、木の根元に隠れるように座り込んでいたため、少し見つけにくかったが、それよりもいつも元気な彼女がしゃがみ込んでいたことの方が気になった。
どこか具合でも悪いのだろうか?
「ユリアン! ううん。大丈夫。じゃあ、急ぎましょ」
馬を引いたユリアンと、ツェラは連れ立って歩き出す。
人の多い城下街では、馬は引くものと決まっている。騎乗して街を歩く機会は、パレードや凱旋などごくごく限られている。
隣を歩くツェラはよほど急いでいるらしい。
いつもは彼女の歩調にあわせてゆっくり歩くのだが、今日はそれどころか置いていかれそうになる。
(急がないと日が暮れてからの帰城になるからな。急ぐのも無理はないか)
ユリアンはそう考えて、何も言わずツェラの歩調に合わせた。
平穏としか言いようのない午後の雑踏に似つかわしくない速さで道を行けば、程なくして南門が見えてくる。
侍女のお仕着せのツェラと、近衛騎士団の制服を纏ったユリアンは、番兵に咎められることもなく門を出た。門の外側には旅人向けの露店がいくつか並び、水やちょっとした食料を売っている。
午後となっては旅立つ者も少なく、売り子たちは眠たげにあくびをしたり、頬杖をついてぼんやりと空を眺めたりしている。
「ね、ユリアン。ちょっとこっち来て」
「ん? どうした? 少し休むか?」
「ううん。大丈夫。ただ、外套着ようかなって思っただけ。ここから先は馬に乗るでしょ? 寒くなったら困るし。で、羽織るだけとは言っても、服を着ているところを見られるのは恥ずかしいから、人気のないところで着たいの。あと、もしよかったら、なんだけど目隠しになってくれる?」
跳ねっ返りなところはあるが、それでも貴族の娘だ。はしたないと恥じらうのも無理はないだろう。
「これなら隠れられるか? 俺はあっちを向いてるから安心しろ」
ユリアンは街道に向かって立つ。念のために馬を自分の前に寄せ、二重の壁を作った。
「ありがとう。――ごめんね」
「おう」
感謝も謝罪も、人のいいユリアンを巻き込んでしまったことへのものだ。
けれど、彼はまだそれを知らない。
いまさらながらに、胸がチクチク痛む。
籐かごから若草色の外套を取り出して着込み、フードを目深にかぶる。
侍女の分際で主の服を着るなんて……という思いを無理やり押し込んで顔を上げた。
「もういいわ。ありがとう、ユリアン」
フードを目深にかぶったせいで、彼の顔は見えない。が、振り向いたユリアンが瞠目したのは気配でわかった。
「なっ……! ツェラ、おまえ、その服は?」
訝しむのも無理はない。侍女が着るには華やかすぎる外套だし、私物だとしても貧乏貴族の娘には到底買えるわけがない。
ツェラの実家がどんな状況なのかを知っている幼馴染には何もかもが奇異にうつるだろう。
「ん。ちょっとね」
「――おまえ、何をするつもりなんだ?」
問われて彼女は改めて気付く。
ユリアンが騎士だということに。
単純でお人よしだが、愚鈍ではない。今の状況がおかしいということには充分に気づいていただろうし、それでも今まではファーナの命なのだからと目を瞑っていたのだろう。だが、もう看過できないほどにおかしい。ユリアンはそう判断したに違いない。
フードの下からそっと覗きみれば、ユリアンは見たこともないくらい厳しい顔をして、ツェラをじっと睨んでいる。
「ごめんなさい」
「それじゃあ、答えになっていない。ちゃんと答えろよ。おまえは何をするつもりだ? ファーナ様はおまえに何を命じた?」
「命じられたわけじゃないわ。私がファーナ様のためになると思ったから、自分の意思で行動しているだけ」
自分の行動をファーナのせいにされるのは嫌だった。ファーナはツェラの身を案じこそすれ、危ないことをさせようとはしていない。
ツェラは厳しいまなざしで幼馴染の男を睨み返した。
「じゃあ、おまえのしていること、これからすることは、全て仕える主のためか?」
「そうよ」
「わかった。けど、俺は感心しないな。俺にばれないように努力してたみたいだが、さっきから人目を気にしてるだろ? そんなこそこそするようなやり方、正しいはずがない。おまえがしていることはよくないことなんじゃないか?」
ユリアンの言葉は強くツェラの心に刺さる。
確かに主の命には背いている。
しかも、ファーナの逃亡に手を貸すこと自体が、国益に反することかもしれない。
国のためを思えば、ファーナの心を無視して私室に軟禁し、国王やエドガルトの指示を仰ぐべきだったのだろう。
でも……
そうわかっていても、ファーナの気持ちに沿いたかった。
「そ、そんなこと……ないわ」
答える声が力なく揺れる。
「なら、なんで目を逸らすんだ! ちゃんと俺を見ろよ!!」
ユリアンはツェラの二の腕を掴み、腰をかがめて彼女の顔を覗き込んだ。
「離して。痛い」
ツェラはつとめて冷静な声を出す。
周りにざっと視線を走らせれば、ユリアンの声を不審に思ったらしい人々がこちらを見ている。
充分に距離はあるが、鍛えられた体から出る声は大きく、予想以上に遠くまで届くのだろう。
これ以上注目を受けるわけにはいかない。
「――悪い。つい、カッとなった」
ユリアンはハッと我に返って、慌てて手を離した。
「ううん」
痛む二の腕をさすりながら、ツェラはユリアンから視線を外した。こちらを見やる人々を見返せば、誰しもがそそくさと視線を逸らし、それまでしていた作業に戻っていった。
おそらく、あの人々の記憶には、今の諍いがしっかり刻まれてしまっただろう。
彼女は諦めのため息をついた。
城を出る時は名案だと思ったのだが、やはり彼を同行させたのは誤りだったと後悔する。
(わざと人目に付きたいとは思ってたけれど、これでは付きすぎだわ。もう少し、漠然と印象に残るくらいがよかったのに)
ファーナが向かうのと真逆の方向で『フードを目深にかぶった身分の高そうな女性』の姿を印象づければ多少の攪乱になると思ったのだ。
ツェラひとりでは移動手段が徒歩か、もしくは辻馬車を拾うくらいしかない。辻馬車を拾えば今度は人目に付きすぎてボロが出る可能性が高まるから、徒歩一択だ。
明後日の待ち合わせに間に合わせるとするなら、城下街と南門あたりで通行人や商人に話しかけ、そのまま街道を南下、適度なところで引き返し、城壁の外をぐるっと迂回して北へ向かうくらいしかできない。
そう考えていたのだけれど、思いがけずユリアンに出会ったことで欲をかいてしまったのだ。
馬を走らせれば、もっと遠く……それこそ近隣の町や村へも行けるのではないかと。
しかも、騎士らしい供を連れていたら、いかにも高貴な女性のお忍びっぽいではないかと。
(でも、ユリアンのことを全然考えてなかった……)
ここまで来て、ようやくそれに思い至ったのだ。
騎士である彼が、侍女の口車に乗せられて王女の逃亡に加担したとなったらどんな処分を受けるか……。
叱責で済むわけがない。よくても騎士の称号は剥奪されるだろうし、罪人として投獄されたり――処刑されるかもしれない。
小さい頃から騎士になるんだと言って努力して、努力して、やっと騎士になったばかりなのに、こんなことに巻き込んでいいはずはなかったのだ。
「やっぱり、ひとりで行くわ。日暮れまでには村につけると思うし。帰りは明日でもいいって言われてるの。せっかくの休みなのにつき合わせちゃってごめんね。じゃあ、私、そろそろ行くわ」
「おい、待てよ」
そそくさと逃げ出したツェラの手がぐいと強引に引かれた。たたらを踏んだが、なんとか踏みとどまって振り返る。
「な、なに? ほらユリアンも早く帰ったほうがいいわ。私なんかと噂になっちゃったら困るでしょう? あなた、女の子にモテるんだから」
笑って誤魔化そうとしたが、ユリアンはますます渋い顔になる。
「馬鹿なこと言うな。ここでおまえを放りだせるわけがないだろう! そんな軽装のまま徒歩でビルケ村まで歩く? しかも女ひとり、見るから高そうな服で? なんの冗談だ。襲ってくださいと言ってるようなものだろ!」
「お、おそっ!?」
「世の中にはな、おまえが思うよりたくさんの悪人がいるんだ。城下街の治安が良いのは国王陛下が警備に心を配ってくださっているからだ。城下と同じと思って街を出るのは大きな間違いだ」
言われてみれば確かにその通りだ。高価な服を着た女の一人旅なんて、例え短くても危険だ。気負いすぎて自分が周りからどう見えるかなんて、すっかり忘れていた。
「それでも、私、行かないと」
「だから、俺に正直に話せって言ってるんだ。ことと次第によれば、協力してやらないこともない」
「説明してる時間なんてないわ。――手を離して」
力づくで振りほどこうとしたものの、いくら手に力を込めても拘束する手は緩まなかった。
締め付けられる痛みにツェラは顔を歪めた。が、厳しい顔をしたままのユリアンは手をほどく素振りもない。
「離してほしいなら、言えよ」
「だから、そんな時間はないと言っているの」
一歩も引かず、彼女はユリアンを睨みあげた。
とにかく早く彼を追い返して、一刻も早く南に向かわないと。