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第四話 逃亡? させるわけがない。

「陛下。どうぞ、お気を確かに」


 一回りも二回りも小さくなったような王の肩に、力強い手が置かれた。


「エドガルト……王子?」

「私はこれでも魔法使いの端くれです。どうかファーナ姫を元に戻すお手伝いをさせてください」


 力なく顔を上げたアザールの目に、まぶしいばかりの笑顔が映る。


「どうして一言相談してくださらなかったのですか。水くさい」

「しかし……」

「どんな顔になろうとファーナ姫はファーナ姫です。私の愛しい婚約者であることに変わりはありません」


 しかも、その顔は爬虫類に酷似しているというのなら、なんの問題もない。愛嬌があって可愛いではないか。しかし、ただ単に好きだと言ったのでは、無理をしているのではないかと疑われてしまうかもしれない。

 一般の人々からみた魔術院というのは、謎めいたものであるらしく、多少はったりをかましても納得されてしまうものだ。その利点をここぞとばかりに使ってみる。


「魔術学院では様々な生き物を飼っておりまして、私も愛情をこめてたくさんの生き物を飼育していました。蛇も蜥蜴も蛙も愛くるしい生き物です」


 その生き物は日干しにされたうえ、主に魔方陣を書く際のインクの材料として消費されるものなのだが、そこは言う必要もない。


「そうか。そうか! 手伝ってくれるか!! いやぁ、よかった!! 首席で卒業したという秀才が力を貸してくれるのだから安泰だ!! よろしく頼むぞ、エドガルト王子」


 今までの憔悴はどこへ行った? と聞きたくなるほど、顔を輝かせたアザールは、エドガルトの両腕を握り込み、力強くブンブンと振った。

 握手のつもりなのかもしれないが、痛い。かなり痛い。


 ――意気消沈した様子は演技だったのか?


 そう疑いたくなるほどの浮かれようだ。

 エドガルトの同情を買い、彼が自発的に力を貸すように、もしそれが叶わなかった場合は他言する気が起きにくいように。 

 もしそうだとするのなら。


 ――さすが、喰えない御仁だ。


 優秀だのなんのともてはやされることが多いが、老獪な王には敵わない。自分の未熟さ、青さを思い知らされた気がした。

 反面、その老獪な王の申し出た婚約解消を回避できたことは誇らしかったし、何よりこれで公然とファーナに会いたい放題だ。

 今までは、ひと目会うにしても様々な段取りや打ち合わせが必要だったが、それを全部すっ飛ばして気軽に会えるのだから、嬉しくないわけがない。

 昔、大人の目を盗んで、城を探検した時のように、また二人きりで笑い合えるのだと思うと、胸が高鳴って落ち着かない。


「早速ですが、陛下。ファーナ姫にお会いして、どのような状態なのかを確認したいのですが」


 にやけてしまいそうになる頬をどうにか引き締め、エドガルトは真面目腐って頼み込んだ。


「おお、そうだな。誰かファーナをこれへ」

「はっ」


 先ほどアンネリーを呼びに行った侍従が恭しく首を垂れた。


「お待ちください、陛下。姫にご足労いただくまでもありません。普段の生活の様子になにか糸口があるかもしれませんし、もし陛下のご許可さえいただけましたら、私からうかがいます」


 一度偽物を連れてきた男だ。信用ができない。

 角が立たぬような理由をつけ、じっと見つめれば、アザールはエドガルトの言いたいことを察して苦笑いを浮かべた。


「許す。――使いを頼む。ファーナへ、エドガルト王子が行くと伝えてくれ」


 言葉の後半は隅に控える侍従に向けてのものだ。命じられた男は一礼すると執務室を出て行った。


 侍従を待つ間、アザールとエドガルトはにこやかに他愛もない談笑に興じる。先ほどのやり取りなど初めからなかったかのような穏やかさだ。

 しかし、締め切った扉の向こうから慌ただしい足音がかすかに聞こえ、ふたりはふと真顔に戻った。

 と、同時に、そばに控えていた双方の護衛たちが一斉に顔を引き締めた。いつ何が起きても仕える主を守れるように、音もなく位置取りをする。

 皆が見守る中、扉が大きく開かれた。


「し、失礼いたします!」


 駆け込んできたのは先ほど出て行った侍従だ。

 何事にも動じなそうなすまし顔をしていた先ほどとは打って変わり、面長の顔面が蒼白だ。

 なんとか礼を失しないようにしているのだろうが、やや乱れた髪が彼の慌てぶりを如実に表している。


「なにごとだ?」


 アザールが眉をひそめつつ立ち上がった。


「こ、これを」


 侍従は手にした白い紙を王に渡した。丁寧に折りたたまれたそれは、封筒こそないものの手紙のようだ。

 アザールは立ったまま広げ、書かれた文字に視線を走らせた。

 青黒いインクで流麗な文字が綴られている。


「な……! 馬鹿なことを!」


 読み終えたアザールは、感情のままに手紙をくしゃりと握り潰した。


「陛下? いかがなさいました?」


 王のただならぬ様子に、エドガルトが腰を浮かしかけた。

 が、彼が立つより早くアザールが椅子へどっかりを身を沈ませてた。参ったと言わんばかりの仕草で片手で顔を覆い、無残に潰れた手紙を握った手をエドガルトへと差し出す。読みたければ自分で取れということらしい。

 エドガルトは手紙を受け取り、丁寧に皴を伸ばした。

 くしゃくしゃになってはいても、そこに書かれた文字の美しさは損なわれていない。

 まぎれもなくファーナの筆跡だ。

 ことあるごとに文のやり取りをしていたのだから、間違うはずがない。

 一文字も見逃さないようにと読む間、いち早く衝撃から立ち直った王があれこれと命令を下す。


「近衛を五隊に分けろ。一隊は城内をくまなく探せ。もう一隊は城壁の周辺と北側の森を、残り一隊は城下街を捜索。もう一隊は事件に巻き込まれた可能性を考え、聞き込みと調査を。まだ時間は経っていない。いずれにしろそう遠くには行っておらんだろう。わかっていると思うが、ことを荒立てるなよ」

「御意」


 アザールの指示に従って、周囲が騒然と動き出す。

 最低限の護衛を残し、他の者が退出すれば、部屋の温度が一気に冷えた気がする。

 静かになった部屋で、エドガルトは手にした手紙にジッと視線を注いだままだ。

 彼の顔には何の表情も現れておらず、元来の端正さが冴え冴えと際立っている。


「エドガルト王子。すまぬ。まさかファーナがこのような暴挙に出ようとは……」


 ファーナの所業はアザールも予想していなかったことだ。

 せっかく話がついたと思った矢先に、こんなことになるとは。さすがに取り繕う言葉も思いつかない。


「ファーナが逃げた……逃げた?」


 アザールの言葉を聞いているのかいないのか。エドガルトがぽつりとつぶやいた。


「ふ……ふふふ……あははっ、あーっはっは!!」

「エ、エドガルト王子!?」


 狂ったような哄笑にぎょっとした。


「すぐ連れ戻す。あれも思い余ってこのようなことをしたのだろう。どうか、許してやってくれまいか」

「許す? 嫌だな。許すも何も、私は怒ってなどおりません。――ああ、なんてファーナは可愛いんだ!」

「は?」


 予想外の答えが返ってきて、アザールは間抜けな声を出してしまった。


(可愛い? いま、可愛いと言ったか?)


 聞き違いかとも思ったが、そうではないらしい。エドガルトは、文字をなぞるように手紙をさわさわと撫でさすっては、何度も「可愛い」と呟いている。

 しかし、彼が上機嫌なのも、可愛いを連呼するのも不気味だ。

 エドガルトの護衛にちらりと目を走らせれば、誰もかれもが『いつものこと』と言わんばかりの無表情だ。


「可愛い……とは、どういうことかね?」


 勇気を出して聞いてみた。

 なんだかとんでもない男と娘を婚約させてしまったような気がしたが、その考えは無理矢理意識の憶測に押し込めた。

 なんにせよ、興味ももたないような男に嫁がせるより、溺愛してくれそうな男のところへ嫁にやるほうがいいに決まってる。


「どこもかしかも可愛いじゃありませんか!」


 可愛いと思わないアザールのほうが変だと言わんばかりの口調だ。


「私のことを思って身を引こうといういじらしさ、私の身を案じる優しさ、しかもこの行動力! 僕が来るのは突然のことで時間もなかっただろうに、あの子は必至に考えてくれたんですよ!? 僕のためになると思うことを!! これを愛しく思わない男がいると思いますか、陛下!?」


 話しているうちに気分が高揚するのか、エドアルドの言葉はどんどんと熱を帯びていく。


「い、いや……普通の男は、女に逃げられたら腹を立てると思うが……」

「そうなんですか? それは世間が間違っていますね。なんて残念な世の中なんだ。嘆かわしい」


 アザールの突っ込みはあっさり切り捨てられる。

 

「追いかけっこか。懐かしいなぁ」


 若干引き気味のアザールには目もくれず、エドガルトは懐かしそうに目を細めた。


「まだ幼い頃、ファーナとよく遊びました。いつも僕が鬼で……ふふふ。捕まるのが悔しいみたいで何度も何度も『もう一回!』って言って、愛らしかったんですよ」


 遠い昔、子猫がじゃれ合うように、男女の別なく遊ぶのが許されていた幼いころの思い出だ。


「僕から逃げられたことなんてないのになぁ」


 楽しげに笑うエドガルトに薄ら寒いものを感じたが、しかし、グランツヤーデとの婚姻は絶対にやめられないし、他の者同士で婚姻を……なんて言ったら、エーレヴァルトはエドガルトに滅ぼされかねない。

 ファーナがエドガルトを好きなのは前々から知っていたし、エドガルトもこの通りファーナに並々ならぬ思い入れがある様子。多少変わった青年に成長してしまったようだが、望み望まれて嫁ぐのが一番いいし、国家も安泰だ。

 エドガルトの不思議っぷりには目を瞑ろう。今のところ、さしたる害はないのだ。改めて心に誓った。


(ファーナ、頑張れ。少しばかり愛が重くても、愛がないよりはずっといい)


 脳裏に浮かんだ娘の影に向かって、王はそっと手を合わせた。


「追いかけっこは楽しいので、よいのですが、でも、城から出るなんて危険だ。急いで捕まえないとどんな事件に巻き込まれるか分かったものではありませんね。国王陛下、私も捜索に加わってもよろしいでしょうか? 私の配下もみな優秀です。きっとお役に立てることと思います」

「そうしてくれるとありがたい。儂から話を通しておく。王子は好きに行動してくれ」

「ありがとうございます。それでは早速、捜索に参ります。御前、失礼いたします」


 エドガルトは優雅に一礼すると、供を連れて退室した。


「ファーナ。待っておいで。すぐに捕まえてあげるから」


 ――捕まえたら、もう二度と逃がさない。


 慌ただしく人の行き来する廊下を速足で歩きながら、エドガルトは楽しそうな忍び笑いを漏らした。

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