第二十七話 仕方ない、仕方ない。
「君が悪いんじゃないことはわかってる。わかってるんだけど! 君の手を握ったり、手の甲にキスする男たちを、全員抹殺したくて仕方なかったよ」
物騒なことをのたまうエドガルトの目は真剣で、冗談だろうと笑い飛ばせない。
誕生祝賀会の思い出をたぐり寄せてみるが、エドガルトはいつも端正な顔に穏やかながら華やかな微笑を浮かべ、そばにいてくれたという印象しかない。
あの優しい笑みの下で、そんな物騒なことを考えていたと言うのか。
「それはちょっと……。物騒なことはやめていただけると大変ありがたいのですが」
「うん。わかってるから頑張って自制した。あんなとこで君との明るい未来をふいにしたくないからね」
ここはありがとうとお礼を言うべきなのか? という迷いが一瞬頭をよぎったが、ファーナは「はあ」と曖昧に頷くにとどめた。
「それにしても嘆かわしい!」
「なにがです?」
「僕はさっき、君なしでは生きられないと言った。言ったよね!? なのに、なんで君は『魔術学院に残りたいか』なんて聞くの。どれだけ愛を囁けば君は僕の言葉を信じてくれるの!?」
子どもが拗ねたときのような口調だが、目は炯々と真剣に光ってファーナをまっすぐに見ている。
テーブルの上に置いていたファーナの手に、エドガルトのそれが重なった。慌てて手を引こうとしたが、彼女の手を覆うエドガルトの手は強く、引き抜くこともできなかった。
「目を逸らさないで。まっすぐに僕を見て、ファーナ」
真剣みを帯びた声に誘われて、ゆっくりと顔を上げれば翡翠に似た目と視線が絡む。
見つめられることに胸がドキドキと音を立てる。
その反面、なにを言われるのか、なにをされるのかと、不安もよぎった。
「君がちゃんと僕の言葉を信じてくれるまで何度でも言う。君が好きだ。好きだよ、ファーナ。愛してる。例え君が僕を嫌いになっても、僕はずっと愛してる」
「エ、エドガルト様……」
「君が好き。愛してる。ファーナが好きで好きでたまらない」
ファーナの目をじっと見つめながらエドガルトは「好きだ、愛している」を繰り返す。
そんなふうにされて、狼狽えずにいられるわけがない。
あまりに強く見つめられているせいで視線を逸らすことはできないし、手を握られているせいで席を立つこともできない。
「あ、の……エドガルト様、もうそろそろお戯れは」
「戯れじゃないよ。僕は真剣だ。好きだ、ファーナ。心の底から愛してる」
好きな人から好きだと言われるのは嬉しいが、これはある意味拷問ではないか!
困った。
非常に困った。
ファーナはエドガルトの顔を凝視しつつ、泣きたくなる。いつまで羞恥を煽られ続けなければならないのかと。なぜ、こんなにいたたまれない思いをしなければいけないのかと。
そして彼の言葉を聞くうちに想い始めたのは……。
(私だって好きなのに、どうして一方的に言われないといけないのかしら?)
ということだった。
混乱したせいだろうか、ファーナの思考がどこかずれ始めている。
「エドガルト様!」
強い口調で呼べば、エドガルトはキョトンとした顔で言葉を止めた。
そんな彼から目を逸らさず――いや、本当は恥ずかしいので逃げ出したいのだが――ファーナはままよ、と口を開いた。
「好きです! 私も好きです。ずっと昔からエドガルト様が好きで好きで、嫌われないように必死でした。あなたの隣に相応しいように勉強もお稽古も頑張ってきました。大好きです。愛しています、エドガルト様」
「ファ、ファーナ……?」
エドガルトの口から呆然とした呟きが漏れた。が、ファーナはさらに続ける。
「好きです。好きすぎて自分でもどうしたらいいのかわからないのです。エドガルト様、好……」
呆然としていたエドガルトの頬がみるみる赤くなっていく。
「ファーナ! 待って、待って、ちょっと待ってー!」
そう叫ぶと彼はファーナの手をパッと離し、その手を己の口元へと宛てた。テーブルに肘をつき前のめりになっていた体を起こし、狼狽えたように横を向く。
「ご、ごめん。僕が悪かった。謝るから、もうやめてくれ……」
口元を手で覆っているせいで少し不明瞭だが、エドガルトの声はしっかりファーナにも届いた。
「そんなふうに面と向かって言われると恥ずかしい。こんなに落ち着かなくなるものだとは思わなかったよ」
ようやく、その恥ずかしさ、いたたまれなさをわかってくれましたか! と思ったものの、言ったファーナまでひどく恥ずかしくなってきた。
見る間に全身が熱くなり、顔以外の全身からどっと汗が噴き出した。「あの、その」と意味をなさない言葉ばかりが口を突く。
――どうしよう!? なにか言わないと……このままでは気まずいわ。
焦るファーナの耳に控え目なノックが響いた。
「誰か来たようですわね」
気まずいのを誤魔化すためにそそくさと席を立ち、ファーナはドアへと歩み寄った。
「ちょっと待って、ファーナ!」
と後ろからエドガルトの制止と、椅子を蹴立てる騒々しい音が聞こえたが、ファーナがドアを開けるほうが早かった。
暗い廊下にはツェラとトーニ、ユリアンとシュタール、四人の姿があった。
「お休み中、失礼いたします」
シュタールが大きな体を折り曲げて礼をする。
「ああ、構わないよ」
ファーナのすぐ後ろからエドガルトの声がする。近すぎて驚くものの、背に感じるぬくもりは安心を誘う。
「侍女のおふたりにはそろそろ休んでいただきます。私とユリアンはこれから見張りに着き、他の四人はすでに隣の部屋で仮眠に入っております」
「そうか。ご苦労。なにもないとは思うけれど、よろしく頼む。それから、少しでもなにか変だと思うことがあったら、すぐ僕に知らせて。自分たちで対処しようとは思わなくていい。魔物だとしたら君たちだけでは危険だ。いいね、シュタール?」
「はっ。――それでは失礼いたします、エドガルト様」
シュタールは一礼するとユリアンを連れて玄関の方向へと去ってゆき、それと同時にツェラとトーニも隣の部屋へと消えていく。
「もう、ダメだよ、ファーナ」
ドアを閉じるや否や、エドガルトがファーナを叱った。小さな子どもを叱るように、めっ! と言いながら、ファーナの両頬をはさんで固定する。
なんで叱られるのかわからず、ファーナはきょとんと目を丸くした。
「いくらここには僕たち以外いないってわかってても、不用心すぎるでしょ。もし敵だったらどうするの? もし顔見知りに化けた魔物だったらどうするの?」
「あ……! それは考えておりませんでした。ごめんなさい」
素直に謝るとエドガルトはあっさりと手を解いた。
「これからは気を付けてね。ここは強固な結界に守られた王城じゃない。今は大人しく僕の後ろで守られてて。それが仕事。いいね?」
それではまるっきりお荷物だ。いや、お荷物になってしまうようなことをしでかしたのは自分だ。仕方ない。ファーナは肩を落とし、小さく「はい」と答えた。
「うん。守られてばかりというのもつらいものがあると思うけれど、今は我慢してね? さ、そろそろ寝ようか」
「はい。――――――え?」
素直に答えてから、彼の言動に違和感を覚えた。
まるで一緒に眠ろうと言われているかのような……?
「この部屋のベッド、ふたつあってよかったよね。さすがの僕でもひとつのベッドでは理性がもたなそうだし、いやぁ、本当によかった、よかった!」
上機嫌なエドガルトをよそに、ファーナは目を白黒させた。
さっき部屋割りの話を聞いたときに、かすかに違和感を覚えたのはこれだったのか! とようやく先だっての違和感の理由に気づいた。
『部屋割りは、ツェラとトーニで一部屋。男性陣は悪いけど全員で一部屋だ。ふたりずつ三交代で見張り頼みたいから、実質四人で一部屋を使うことになるね』
エドガルトはそう言った。
ふたりずつ見張りをして、その間休んでいるのは四人。隣の部屋を使う男性は六人という計算になる。
が。
今、この屋敷にいる男性はエドガルトを含めれば七人だ――――
「婚約者同士とは言え、未婚の男女が、ど、ど、同室で休むのはどうかと思いますっ」
「君をひとりにするのは危険だ。今は緊急事態だよ。仕方ない、仕方ない!」
彼の言うことは正しい。しかし、どう好意的に聞いても今の『仕方ない』はこれっぽっちも仕方なく思っていない。