第二十五話 お茶に付き合ってもらいます。
エドガルトとふたりだけの食事は、ファーナの予想よりも静かに進んだ。時折じっと見つめられて妙な緊張を強いられるのを除けば。
返答に困るような質問も、食べ物でうっかり喉を詰まらせるような事態もない。
無事に夕食が終わると、まるで見計らったようなタイミングで、ツェラとユリアンがやってくる。
今度は使い魔たちはいない。
ツェラによれば、彼女特製の焼き菓子に夢中になっているという。
「ツェラ。ちょっとファーナについていてくれるかな。僕は護衛やユリアンたちと今夜の警備について話し合わないとならない。その間、彼女をひとりにしておけないからね」
「承知いたしました、エドガルト様」
ツェラは粛々と命令を受けたが、隣のユリアンは少しばかり動揺しているように見えた。
ツェラはユリアンの狼狽を、大方、エドガルトとふたりきりでは緊張するとでも思っているのだろうと察する。
近衛騎士とは言え、新米だ。自国の王や王子と話す機会も稀だというのに、いきなり他国の、しかも一筋縄ではいかなそうな王子と一対一では気まずかろう。
が、こういう状況なのだし、腹を括ってほしいものだ、と内心でため息をつく。真面目なのはいいが、ユリアンは少しばかり頭が固い。
近衛騎士は臨機応変な対応と、順応性がものをいう。うまくやっていけないとは言わないが、しかし苦労はしそうだと、まるで姉のような心配をしてしまう。
「頼んだよ、ツェラ。――ファーナ、そういうわけで僕は少し外すよ。今日は疲れただろうから、先に休んでいて。ただし、着替えはしないでね。いつなにが起きてもいいように」
最後の注意に、のんびりした空気がすっと引き締まる。
「わかりました。エドガルト様もお気をつけて」
彼の結界のおかげで、幽霊屋敷は現在、幽霊屋敷ではなくなっているようだが、それでもなにがあるかわからない。ここに来るまでに通った、埃臭くて薄暗い廊下を思い出し、言い知れない不安を覚えた。
客室から食堂まではそう遠くないが、つい『気をつけて』などという言葉が口をついてしまった。
「ありがとう。大丈夫だから安心して待っていて」
エドガルトは嬉しそうに目を細め、ユリアンを連れて部屋を出て行った。
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「ファーナ様、ファーナ様! よかったですね!!」
ドアが閉まった途端、ツェラは目をキラキラさせ、両手を胸の前で組みながら、ファーナに向き直った。
皿を下げるために部屋に入った途端、フードもベールも被っていないファーナの姿が見えたのだ。
そうしていられるということは、ファーナの素顔を見ても、エドガルトは平気だったということだ。
「え、ええ……」
ツェラの勢いに気圧されて、曖昧な返事をする。
「エドガルト様の愛は本物だったのですね! そうだろうとは思っておりましたが、本当によかったですー!!」
有能な侍女の仮面を脱ぎ捨てて、いまのツェラは完全に恋に憧れる乙女だ。きゃあきゃあと黄色い悲鳴を上げてはしゃいでいる。
が、そんな中でも茶を淹れる用意をしているところはさすがだ。
「簡単な淹れ方しかできませんので、味は落ちるかと思いますが……。香草茶です。どうぞお召し上がりください。よい匂いがいたしますので、心が落ち着くかと思います。私の故郷の特産品です」
「まぁ! よく手に入ったわね。ありがとういただくわ」
ツェラの言う香草茶とは、彼女の故郷でしか採れない草花の花や実を使って作られた茶のことだ。爽やかな風のような香りと、ほのかな甘さが特徴で、ファーナも大好きだ。だが、いまは時季外れであり、入手困難なはずだ。
「先日、母が送ってくれたのです。今年はこれで最後だと。それを荷物に入れておいたのです。逃亡はなにかと気を張るものだと思いましたので、少しでも落ち着ける時間が持てたらいいのと」
ツェラの気遣いが嬉しかった。
手にしたお茶は、彼女の心の温かさを示すかのように温かい。その温かさを確かめるようにファーナは両手で包み込んで、薄い琥珀色をした茶を真上からのぞき込む。
カップの中では、乾燥した白い小花が湯に浸かったことで元に戻り、くるくると可愛らしく回っている。
「ありがとう、ツェラ。――ねぇ、一緒に飲まない? エドガルト様が戻ってくるまで話し相手になってくれると嬉しいわ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
ツェラは自分の分をカップに注ぎ、椅子に腰をかけた。
普通の主従関係であればあり得ないことだが、もともと気さくな性格のファーナは親しい侍女や召使いをお茶に誘うことがあった。
王女としての威厳が、と眉をひそめる者もいると知っているため、そのお茶会はこっそりとファーナの私室や、あまり人のこない庭園で行われていた。
ファーナなりにその会を楽しみにしていたのだが、顔が変容してからはそれさえ開けず、部屋に引きこもっていた。
お茶に誘えるのはツェラとトーニと、そしてあとごく少数の者たちだけ。だからこそツェラたちは、ファーナに誘われればありがたく誘いを受けるようにしていた。少しでもファーナの心を慰められればいい、と。
「ファーナ様」
椅子に腰掛け、落ち着いたところでツェラが真剣な面持ちで口を開いた。
「なぁに? そんなに改まって」
「私、先ほどまで台所に引きこもっておりましたけれど……、半刻ほどふたりっきりで過ごされたと聞きました。なにか進展はございましたでしょうか!?」
尋ねたほうはひどく真剣だが、聞かされたほうはたまったものではない。ファーナは口に含んだ香草茶を噴き出しはしなかったが、代わりに大いにむせた。
「ファーナ様!? 大丈夫ですか? こちらをお使いください」
差し出されたハンカチを手に取り、ファーナは口を押さえてゴホゴホと咳を繰り返す。やがてそれも収まりようやく話ができるくらいに回復した。
途端――
「ツェラってば、もう! なんということを言うの!」
カナヘビの顔ではわかりにくいが、きっと人の顔だったら真っ赤になっていることだろう。
「だって! エドガルト様のお気持ちは変わらなかったのですよね? 依然と変わらずに愛を誓ってくださったのですよね? でしたら、こう……盛り上がって、ですね! きゃー!!」
ツェラは、これ以上は言えない! というように顔を赤くし、頬に手を当てて身もだえている。
自分の言葉に自分で恥ずかしがっていれば世話はない。
「ツェラったら! 変な勘ぐりはやめてちょうだい。エドガルト様がお聞きになったら気を悪くなさるわ」
「でも! 姫様にはエドガルト様と幸せになっていただきたいんです。そのためなら少しぐらいしきたりに外れたっていいと思います。早くエドガルト様と既成事実でもなんでも……」
「――ツェラ」
とんでもないことを言い出したツェラを、名を呼ぶことで諫める。
ファーナにじっとみつめられて、渋々口をつぐんだが、ツェラはまだなにか言いたそうだ。
「私を案じてくれるあなたの気持ちは嬉しいわ。ありがとう。でも、私は大丈夫だから、そんなに心配しないで?」
ファーナの取りなしに、ツェラはこくりと頷いた。
「申し訳ありません。つい、調子に乗ってしまいました」
調子に乗って、言うべきでないことを言ってしまった自覚は、ツェラにもあった。
ファーナの素顔を恐れなかったエドガルトのことが、とても嬉しくて頼もしかったのだ。エドガルト以外に、いつ解けるともしれない呪いに悩むファーナを、陰日向に支えてくれる存在はいない。そう思ったからこそ、ついつい先走ってしまったのだった。
できることならツェラ自身が、ファーナを支える存在になりたかった。だが、ツェラもトーニもその存在にはなれない。わかっているからこそ、エドガルトに対する期待は高まり、そして早くのっぴきならないところまで関係を進めてしまえ、と思ってしまった。
「恋のお話は、この呪いが解けてからゆっくりしましょうね。いまからその日を楽しみにしているわね。ねぇ、ツェラ。エドガルト様ならこんな呪い、すぐに解いてくださると思わない? じきになんの心配もなくなるわ」
「はい……はい! ファーナ様のおっしゃるとおりですわ! 呪いなんてすぐに解けますね。では来たる日に向けて、私はとびきり美味しいお菓子を研究しておきます!」
意気込んで告げれば、ファーナはクスクスと楽しそうな笑みを漏らした。
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次回更新は7月31日(月曜日)22時の予定です。