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第二十話 いきなりそれは混乱します。

「ねぇ、お願いだから、開けて?」

「わ、わか、わかりましたっ! わかったので、こ、ここ、この手を離していただけますか!?」


 そんな目で見るなんて反則だ! と心の中で叫びつつ、不承不承だがうなずいた。

 恐る恐る口を開けば、いままでの艶めきなど一切なかったような真剣なまなざし……と言うよりむしろ興味津々といったまなざしで、ファーナの口をのぞき込む。


「んー。舌は二股に分かれている、と。ありがとう。もう閉じていいよ。お疲れさま!」


 すがすがしい笑顔でねぎらわれたが、ねぎらわれた本人は疲れ切ったように、すぐ後ろのベッドへ、よろよろとへたり込んだ。


「ま、まさか、…………エドガルト様に……口の中まで見られてしまうなんて……」


 両手をベッドにつき、相当な落ち込みようだ。


「気にしない、気にしない。夫婦になったらもっと色々、あんなこととかこんなこととかするわけだし? そうすれば当然……」

「そ、それ以上は、いいいいいいっ、言わないでっ!!」


 先ほどから、どうしてエドガルトはきわどいことばかり言うのか。しかも、嬉々として。まるでファーナをまごつかせて楽しんでいるみたいにしか見えない。


「えー……、そう? 残念だなぁ。君ともっと将来のことについて語り合いたいのに」

 

 将来のことと言うなら、きわどい話じゃなくていいはずだ。もっとこう、健全ななにかがあるでしょうに!


「そういうお話は、また今度別の機会にでも」


 ファーナは脱力しつつ、早々に切り上げようとした。

 なにか話題をそらさないと心臓に悪い。


「――そうだね。残念だけど。未来の話より先に、君の体の状態を見るほうが大事だ」

「か、からだっ!?」


 せっかく話題をそらそうとしたのに、彼の言葉の中に不穏な単語を拾ってしまい、ファーナは裏返った声で叫んでしまった。

 が、目の前のエドガルトは彼女の大きな声にきょとんとしている。


(私ったら! 意識しすぎよ!)


 素っ頓狂な声を上げてしまった自分を叱りたい。


「うん。もう一回、見せて。後頭部とか」


 焦るファーナとは真逆で、エドガルトの声は冷静だ。


「どうぞ」


 口ごもりつつ短く答えれば、彼はファーナの頭に手を添えて、ためつすがめつ、まじまじと観察している。

 彼の指はなんの躊躇いもなくファーナの肌に触れる。

 人と違うゴツゴツと固い皮膚だというのに、彼の触れ方は昔と変わらない。


(本当に……エドガルト様は気にしていないのかしら?)


 そんな希望が胸に沸き起こった――のもつかの間。


「エ、エドガルト様!? ど、どこを触ってっ……きゃー!」

「ごめん、ちょっとだけ。ちょっとだけ見せて、お願いっ」


 後頭部や頬、顎とあちこちを観察していたエドガルトの指が、とんでもないことをし始めたのだ。

 具体的に言えば、ファーナがきっちりと着込んでいた外套のボタンを外し、しかもその下に着ているドレスの詰め襟のボタンにまで手をかけている。


「見せてってなにをですかっ!」 

「そんなの決まってるでしょ?」


 なにが決まっているのだ、と突っ込みを入れる前に、詰め襟部分のボタンを外し終えたエドガルトはファーナの喉元に指を伸ばす。

 人差し指で首の付け根、鎖骨と鎖骨の間、ちょうどくぼんでいるあたりから弧を書くようになぞった。

 ぞわり、と鳥肌が立つ。

 嫌だと抵抗しようとしたが、予想外に真摯なまなざしを向けられていることを知り、ファーナはぐっと息を飲み込んだ。

「ここが境か。綺麗なものだね」


 エドガルトが独りごちた。

 なにが綺麗なものか。毎日鏡を見るたび、暗澹とした気持ちになるのだ。人の肌と人外の顔と、その境はまるで生まれついてからずっとそうであったかのように自然なのだ。人の肌がだんだん硬化し肌色の鱗に変わる。そしてその鱗は変色して茶色に変わる。

 その肌色と茶色の境がちょうど彼の触れた鎖骨のあたりなのだ。


「綺麗だなんて、そんなこと……ッ」


 吐き捨てれば、エドガルトはそれを拾うようにファーナの頬を手の甲でそっと撫でた。


「ごめん。そうだよね、君にしてみたらこれはとてもつらい変化だった。わかっているはずなのに、珍しい種類の呪いを前にして、どうしても好奇心が抑えられなくて」


 自嘲の笑みが、形のよい唇に浮かぶ。


「君を傷つけてしまったね」


 目が伏せられ、翡翠色の目は長いまつげの下に隠れてしまった。

 ファーナはなんだか申し訳ない気持ちになり、いいえ、と首を横に振った。


「研究熱心なのは素晴らしいことだと思います。私のほうこそ驚いてごめんなさい。私の呪いを解く手がかりがないか見てくださっているのに」


 たとえ研究熱心だという理由でも、女性の服を勝手に脱がす行為が許されるわけはないのに、ファーナはエドガルトに甘い。侍女たちが聞いたら目をつり上げて憤慨するだろうが、残念なことにいまここに彼女たちはいない。


「ファーナは優しい。ありがとう。――というわけで、もう少しよく見ていい?」

「うっ! そ、それは……」


 いま、許すと言った手前、ダメとも言いにくい。

 しおらしい態度にほだされて、いいと言った途端にさらに難易度の高い要求が突きつけられる。昔から何度もこの手で困らせられてきて、そのたびにもう騙されまいと心に誓うが、それが守られた試しはない。

 そのうえ、大人になったからか、それとも魔術学院で鍛えられたのか、より巧妙になっている気がしてならない。


「一通り、この境目を確認しておきたいんだ。どこかに他と違っているところがないか見てみたい」


 理由まで説明されれば無碍にもできない。


「わかりました」


 と頷くと、エドガルトは礼を言う時間も惜しいとばかりに彼女の首を改めはじめた。

 間近にエドガルトの吐息を感じて、必要以上に緊張する。

 その緊張がばれなければいい。

 ファーナはドキドキする胸を手で押さえて、早く終われと祈った。


「――うーん。一通り確認してみたけれどおかしなところはないね。もういいよ。無理を聞いてくれてありがとう」


 納得がいったようだ。彼は外したボタンを元通りに閉めて、丁寧に襟を整えた。

 そして、そのついでとばかり、ファーナの鼻先についばむようなキスをした。


「なっ、ななななっ!?」

「なにをって、キスだけど? 昔だって、頬や額によくしたじゃないか。あれ? もしかして鼻は嫌だった? じゃあ他のところならいい?」


 そういう問題ではないのだ。

 ファーナが飛び上がるほど驚いたのは……


「嫌じゃないんですか? こんな鱗ばかりの顔にキスなんて」

「どうして? ファーナの顔にキスするのを、僕が嫌だと思うわけない。わかった? 僕は君の顔かたちがどんなに変わっても気にしてないんだよ」


 まだ信じてなかったの? とエドガルトは苦笑いを浮かべた。


「本当に、変わらないのですね、エドガルト様は」


 ファーナの口元が微笑みに歪んだ。が、異形の容貌のせいで彼女自身にすら笑みだとわからない歪みでしかない。


「こう見えても僕は頑固なんだ」

「――知っています」


 おどけた口調のエドガルトに、そう返事をしてファーナは小さく声を上げて笑った。

 こんな風に心を許して笑ったのは、これが初めてだった。

 いつも遠慮して、周りがなるべく不快にならないようにとそればかり気にして……。

 そしてそのうえ、自分の変化を粛々と冷静に受け入れているふりをして。

 全部を諦めたつもりで、自分にも他人にも嘘をついて。

 なのに、エドガルトはそんなものをいとも簡単に突き崩して、ファーナをファーナに戻していく。

 不安はまだあったけれど、それでも。


 ――エドガルト様がそばにいてくれる。


 それがとても嬉しかった。


「ねぇ。さっき、ファーナは自分の顔を『蛇ともトカゲともつかない』って言ってたでしょ? 君の顔はね、遠い異国に生息するカナヘビっていう生き物にそっくりだよ。まず鱗。大きくてゴツゴツしているよね。トカゲはもっと細かくてツルツルした鱗なんだ。それにその大きな目。瞬きすると人間と同じに上まぶたが落ちる。そして舌は蛇のように二股に分かれている。どれもカナヘビの特徴だ」

「カナヘビ……」


 ファーナは何度か繰り返して声に出してみた。聞いたことのない名前だ。


「この国や、僕の祖国グランツヤーデの東にある魔術学院の、それよりもっと東に生息する生き物だよ。大きさは……そうだね、このあたりに生息するトカゲとほぼ同じくらいで、姿形はトカゲよりほっそりしている。可愛い生き物だよ」

「エドガルト様は見たことがあるのですか?」

「ああ。研修で東の国々を回った時にね」


 エドガルトは懐かしそうに目を細めた。

 ファーナが知らないところで、きっとたくさんの人と出会い、たくさんの経験をしてきたのだろう。城にいるか、もしくは王女の責務として定められた慈善活動に赴くか、遠出をすることもほとんどなく、人に守られてただ安穏と暮らしていた自分とは違う。

 ファーナにはエドガルトの姿がまぶしかった。

 まぶしすぎて、まっすぐに見つめられない。

 たくさんの経験を積んで成長した彼にひかれる反面、自分だけがおいて行かれてしまったような妙な寂しさも感じるのだった。


※作中のカナヘビはニホンカナヘビを想定しております。

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