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第十九話 諦めるわけがない。

 いままでの話はなんだったんだ? と、呆然としたものの、ファーナはすぐに我に返っった。

 フードの端にかかったエドガルトの指に抗うため、ファーナは両手でぐいっと布地を引っ張った。


「だ、だめです! 絶対だめッ」

「どうして!? 今日、君と会ってからだいぶ経つけれど、僕はまだ一度も君の目を見られていない。こんなの耐えられないよ!」

「エドガルト様に見られたら、私が耐えられません!」


 言い返しながら、ファーナは隙をついてソファから飛び退いた。


「やだなぁ。そんなに恥ずかしがらなくていいのに」


 エドガルトはにこにこと笑いながら、ゆらりとソファから立ち上がる。


「恥ずかしいなどと、そういう問題では……」

「なくないよ」


 じりじりと後退れば、エドガルトはそのぶん距離を詰めてくる。うつむいているせいで彼の長靴のつま先しか見えない。

 手を伸ばされたら気づくのが遅れるかもしれないと思うと、充分に距離を取って置きたい。

 だが、いくら部屋が広めだとはいえ調度品もあるため、やはり限界がある。

 肩越しにちらりと振り返れば、あと数歩でベッドにぶつかってしまう。

 胸の前でぎゅっと握りしめた両手のひらに、嫌な汗がにじむ。

 

「ほら、そんなに堅くならないで。大丈夫。怖いのは最初だけだから。一度見せてしまえば、あとはどうってことないから」

「……で、でも!」

「心配しなくていいよ。僕に身を任せてくれれば悪いようにはしないから」


 そばで盗み聞きしている者がいれば、とんでもない誤解をしそうな言葉を駆使して、エドガルトはファーナの説得にかかる。


「いけません! そんなこと……、無理に決まってます」

「どうして無理だと決めつけるの?」

「だって……誰だって私の顔を見たら嫌悪感を覚えます。エドガルト様にまでそんな目で見られたら……」

「ねぇ、君はそう言うけれど、ツェラだってトーニだって変わらず君のそばにいるじゃないか。ユリアンだってそうだ。みんな君のためを思ってる」


 エドガルトの言葉に虚を突かれた。


「そ、それは、仕事だから。だから、嫌悪感を顔に出さず、一緒にいてくれるのでしょう」

「なら、今日、君の替え玉を引き受けた令嬢は? 彼女も仕事で替え玉に?」

「……いいえ、彼女は違います」

「ほらね。確かに君の顔が変わったことで態度を変える人もいたかもしれない。けれど、変わらない人々が身近にいるじゃないか」


 立ちすくむファーナの両肩をエドガルトの大きな手がポンポンと叩く。安心していいと言いたげな仕草に、ファーナのかたくなな心が揺れ始めた。


「大丈夫。君は疎まれてなんていない。嫌われてもいない。僕にはわかるんだ。――僕には、ね 」


 エドガルトはそう言うと、どこか見えない場所を見るような目をして、さみしげに笑った。

 しかし、足下ばかりを見るファーナはそれに気づかない。


「僕だって、彼らと同じで、君の変化を気にしない。それを信じてはもらえないかな? 僕の愛情は彼らに劣ると思う?」


 なんとも答えがたい問いだった。

 彼は答えを求める気はないらしく、ファーナの答えを待たず、口を開く。


「どうしたら信用してもらえるかな。困ったなぁ。あ、そうだ! いいこと思いついた。ねぇ、僕、自分に死の呪文をかけるよ。君の顔を見て少しでも恐怖や嫌悪を感じたら灰になるような呪文。それならどう? 信用してもらえるかな?」


 とんでもないことを言い出す。

 いくらなんでも、自分に死の呪文をかけるなんて、狂気の沙汰だ。昔から突拍子もないことを思いつく性格だったが、ここまでひどかったのかと、ファーナは絶句する。


「死の呪文って結構難しいし、僕もまだ実践したことないんだけど、まぁうまくやる自信はあるんだ。ねぇ、どうかな?」

「どうかな? じゃありませんっ! そんな危険なこと絶対にダメです!」


 話を振られて、ファーナは慌てて止めた。

 いま止めなければ、エドガルトは飄々と……いや、嬉々として実行してしまいそうだ。


「どうして? 僕は怖がったり嫌悪したりしない。絶対の自信があるから、呪文なんてかけても平気だよ? それに万が一、僕が怖がったり嫌うようなら、そんな僕はいないほうがいい。君を傷つけるような僕はこの世にいらない」


 いくらなんでも極論過ぎる。

 どうしてそこまで自分を思ってくれるのか。どう話せば無謀なことをやめてくれるか。ファーナは途方に暮れた。


「どうしてそこまで……」

「ファーナが大切だから。ファーナがファーナでいてくれれば、外見なんてどうでもいいんだ。自分でも変だと思うくらい、君が好きだよ。ごめんね。重たいかな」  


 困ったような、自嘲を含んだような、小さな忍び笑いが頭上から降り注ぐ。

 心を固く覆っていた不安がほろほろと崩れ始めた。


(信じたい。信じてみたい。でも、怖い。けれど、エドガルト様にここまで言っていただいてそれでも信じられないの? ――私は信じていいの?)


 葛藤がファーナの心を駆け巡るが、徐々に信じたい気持ちへと傾いていった。

 

「いいえ……いいえ、重くなんて」


 答えるファーナの視界。エドガルトの長靴がじわりとにじんだ。にじみは瞬く間に大きくなり、しずくを成して床へ落ちる。

 涙を振り切るようにゆっくりと瞬けば、視界は鮮明になった。

 半年ぶりに会うエドガルトを直視するのなら、涙など浮かんでいない晴れやかな目でがいい。


「――驚かないでくださいね」

「うん。僕を信じて」


 ファーナはそろそろとフードへ手を伸ばす。今度はフードを押さえるためでなく、取り払うために。

 エドガルトは穏やかなまなざしで、彼女の緩慢な動作を見守った。

 ふさり、と小さな衣擦れの音を立てて、覆いは取り払われる。

 うつむけられた顔、伏せられた目がゆっくりと上向いて、エドガルトの顔を見つめる。 一瞬の沈黙。

 見つめ返すエドガルトの目には恐怖も嫌悪も見当たらない。

 ただ事実を事実と受け止めるまなざしだった。

 決して不快でも怖くもないが、少々いたたまれない気持ちになるのは、彼の視線がまっすぐ過ぎるからだ。


「あの、エドガルト様?」


 沈黙に耐えきれなくなったファーナが、彼の名をおずおずと呼んだ。

 が、彼は答えず、ファーナの顔をまじまじと見つめ続けている。

 彼が負の感情を抱いていないことは目の色からわかったけれど、なぜ言葉が聞こえないほど集中して見つめているのか、その理由がわからない。


「エドガルト様?」


 不安に駆られながらもう一度呼ぶ。


「――ぃい……」

「いま、なんと?」


 ぼそりとつぶやかれた言葉はあまりに小さく、ファーナの耳まで届かなかった。よく通る声の持ち主であるエドガルトの声が聞こえないのは珍しいことだった。

 そんなふうには見えないけれど、やっぱりこの顔は彼にとっても不快だったのだろうか? そう思ったファーナは悄然と目を伏せて、フードをかぶり直そうとした。

 

「可愛い」

「え……」


 今度ははっきり聞こえたが、内容が変だ。ファーナは驚き手を止めたが、一瞬ののち聞き間違いだと思い直した。


「待って。なんで隠すの。可愛いんだから隠さないで」

「――はい?」


 ファーナの両手をガシッとつかみ、エドガルトはフードを被ろうとするのを阻止する。


「じょ、冗談はやめてください。こんな蛇ともトカゲともつかない顔を可愛いなどと」


 お世辞にも可愛いとは言えない外見に、わざわざ言うのは残酷であり、無神経だろう。見え透いた嘘は人を傷つけるだけだ。

 悲しみと苛立ちのない交ぜになった目でエドガルトをにらむが、彼はファーナの言葉が意外だとでも言うようにきょとんとしている。


「君の顔は蛇でもトカゲでもないよ。ね、確かめたいから、もっとよく顔を見せて?」


 エドガルトはそう言うと、両手をファーナの頬にあてて固定してしまった。

 論点のずれた彼の答えにファーナはもしかして悪意はないのかもしれないと思い至る。彼には彼なりの持論があるのではないか? と。


「うーん。綺麗な茶色の肌だね。この濃い色の線も素敵だ。肌が少しざらざらしているね。でも、さわり心地は悪くない。いいねぇ。あ、ちょっと瞬きしてくれる? ――ありがとう。なるほど。人間と同じで上まぶたが下りるのか」


 独り言ともつかぬ言葉に、唐突な指示。言われたとおりにすれば、彼はふむふむとひとりで納得している。


「次は口を開けて見てくれる? 大きくね」

「く、口を、ですか!? そんなはしたないこと、無理です!」

「え、ダメ? 僕たちは婚約してるんだし、ということはもうすぐ結婚するんだし、いいじゃない」


 後退りたいが、いかんせん顔を押さえられているので動けない。

 本来なら顔が真っ赤になるところだが、いまのファーナは顔色ひとつ変えられない。その代わり、全身にどっと汗が噴き出す。


「ね? お願い。――それとも、僕が開いてあげたほうがいいかな?」


 なぜか、ひどく艶めかしい目つきで見られてしまい、さらにファーナは焦った。


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