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第十六話 いたたまれませんが同乗します。

 ――気まずい。

 ――とても、とても、気まずいわ。


 ファーナは所在なさげに身じろぎをした。

 結局のところ、エドガルトの馬に相乗りさせてもらうことになったのだが、これはこれで非常に緊張を強いられる。


(でも、馬車で手を繋いで隣同士で座るよりはまだマシ――よね?)


 とにかく顔を見られたくない。

 ごとごとと不規則に揺れる荷台で横に座られるより、馬に同乗させてもらうほうが、見られる確率が低いと考えたのだ。

 ファーナを前に乗せれば、エドガルトの視界から見えるのは後頭部だけのはず。多少の向かい風はフードを手で押さえればなんとかなる。

 ただ……。

 ただ、誤算だったのは密着する面積が多かったこと。

 背中がぴったりと彼とくっついているのだ。

 外套越しとはいえ、エドガルトの体温がありありと感じられるのだ。

 これでは緊張するなというほうが難しい。


(どうしてこんなに胸がドキドキするの?)


 まだ子供だったころのことだが、狭い茂みに潜み、ぴったりと寄り添って蝶の羽化を見守ったことも、彼の膝に座り、神話の本を読んでもらったこともある。

 あの時のほうがずっと距離は近かったはず。なのに……


(きっと顔を見られたくないせいだわ)


 胸が早鐘を打つ理由をそう決めつけて、ファーナは顔を隠すフードを抑える手に力を込めた。ぎゅっと握られた布地は深いしわを刻む。

 それはエドガルトからも見え、彼は困ったように小さく肩を落とした。本当はため息もつきたいところだ。が、その吐息を彼女に聞かれてしまったら、どんな誤解をするかもわからない。今は少しの不安もファーナに与えたくなかった。

 本当は今すぐにでもフードの下の顔を覗いて、自分の愛は変わらないと囁きたい。

 が、話し合うという選択肢すら選ばずに城を抜け出すほど追い詰められている今の彼女に、そんな囁きを受けいれる余裕があるかどうか……。


(とりあえず、今はこうしていられるだけで良しとしようか)


 エドガルトは、ファーナの腰を抱く手に力を込めた。


「あの……エドガルト様」


 おずおずとした声がエドガルトを呼ぶ。


「ん? どうしたんだい、ファーナ」


 エドガルトの返事には、なんのてらいもない。

 自分が気にしすぎているのかもしれないと思いつつ、ファーナは己の腹を見下ろす。

 エドガルトの腕は、左わき腹から腹部をまわり、右の腰骨を包み込むように回されている。

 このように力を込めて抱えていればバランスが悪く、手綱を捌きにくいのではないかと心配になる。

 無理な姿勢での乗馬は体にもよくない。


「その……私も乗馬は人並みにいたしますし、このように、しっかりと抱えていただかなくとも転げ落ちたりはいたしませんが……」

「うん。ファーナが乗馬できるのは知っているよ。だから、間違って落ちたりする心配はしていないよ。ただね……」


 エドガルトは言葉を切ると、意味ありげに視線を後ろへと流す。その先には、ツェラとユリアンの姿がある。

 エドガルトにつられてファーナが振り返るが、ふたりには会話が聞こえていないようで、なにやら言い争いをしている。

 先だってツェラの幼馴染が近衛騎士になったことはファーナも知っていたし、ツェラの話と態度から彼女が幼馴染を憎からず思っていることも知っていた。

 他愛もない雑談や、口論とも言えない言い争いをしている姿を見かけたこともあり、ふたりのことは微笑ましく見守っていたのだ。

 どうしてここにいるのか不思議だったが、それよりもなぜエドガルトがふたりを見たのかが気になった。


「ツェラとユリアンが、なにか?」

「うん、ちょっとね」

「何か失礼でも!?」

「いや、そういうわけじゃないんだ。どちらかと言えば、彼女の行動に助けられたと言えば言えなくもない」


 エドガルトにしてはずいぶんと歯切れの悪い言い方だ。

 よほど言い難いことでもあったのだろうかと、ますます心配になる。ツェラ本人を問いただしたほうが早いかもしれない。侍女の失態は主の失態でもある。もし、なにか失礼があったのなら、ちゃんとお詫びをしなければ。


「もしも言いにくい事でしたら、ツェラから直接聞きます。エドガルト様、申し訳ありませんが、馬をユリアンと並べていただけますか?」

「うーん、そうしてもいいのだけれど、たぶん、ツェラのほうが事情説明しにくいと思うよ。危ないことをするなという言いつけを破って、動いている馬から飛び降りたらしいから」


 エドガルトの言うことに、ファーナは目を丸くした。


「馬から飛び降りた!? な、なんて危険なことをっ!」

「落ち着いて、ファーナ。ツェラは怪我なんてしていないよ。身のこなしが人一倍機敏なのか、それとも運がいいのか、はたまた両方か」

「でも、一歩間違えたら大けがをしていたでしょう。どうして、そんなことを」


 言いかけてファーナは口を閉ざした。

 あのツェラがそんな危険なことをしたのは、おそらくファーナのためになると思ったからだ。

 遠因となったのは自分だ。

 なら、どうしてその行動を責められよう。

 ファーナはギュッと拳を握り、唇を噛んだ。


「――私のせい、ですね」

「君がそう思うなら、そうだろうね」


 雪解け水のような冷たさを含んだ言葉だった。

 それを敏感に感じ取り、ファーナはビクリと肩を跳ねさせ、前にもましてうなだれた。


「でもね。人はみな自分の考えで行動するものだ。君のためになると思って行動したこと、危険なことをするなという君の言いつけ。その狭間で彼女はそうすることを選んだんだ。決して君の言いつけをないがしろにしたわけじゃない。彼女は彼女なりに、君の侍女として自分がすべきと思った行動をした。そこはちゃんと認めてあげて。ね?」

「……はい」

「ただ、侍女の身を案じる主というのも、間違いではないと思うよ。――難しいね?」


 諭すようなエドガルトの言葉に、ファーナは小さく頷いた。

 王女として生まれ、多くの人々に無条件にかしずかれてきたファーナだが、それに驕ることなく、誰にでも親しげに、そして優しく接する。

 それは美徳だが、しかし、その反面、王女という身分との板挟みになっている。

 人の上に立つ者は、時として情に流されず非情な判断を下さねばならない。

 自分の責務と向かい合う真摯さを持っている彼女なら、その時々に最上と思う判断を下すだろう。

 自分の心を傷つけながら。

 それがわかるからエドガルトは歯がゆくてならないし、できるならいつもそばにいて彼女を守りたいとも思うのだ。


「少しきつい言い方をしてしまったかな。ごめんね、ファーナ」

「いえ……私が浅はかでした」


 ツェラの一件で動揺するくらいなら、初めから逃亡など企てるべきではなかったのだ。

 自分の行動によって、誰かが危険な目に遭うかもしれないということをもっと考えておくべきだったし、『危険な真似はするな』と伝えるだけで慢心していてはいけなかったのだ。

 幸い、ツェラには怪我もないという。

 いまはそのことに安堵し、そして、後でゆっくりとツェラと話し合おう。

 ファーナはそう結論付けた。


「あ。そうだ、僕が君をしっかり抱きしめている理由。まだ言ってなかったよね。なんでかわかる?」

「まさか」


 この話の流れでこの質問。

 ファーナはエドガルトの言いたいことをほぼ正確に理解した。


「私も飛び降りると?」

「正解」


 エドガルトは短く答えると、あはは、と大声で笑った。


「ぼんやりしてたら、君にも飛び降りられちゃうんじゃないかと思って」


 彼の声は大きく、ぞれはすぐ後ろのツェラにも聞こえたようだ。

 ユリアンとの言い合いを中断し、ツェラはエドガルトに向き直った。


「エ、エドガルト様ッ! もしやファーナ様に!?」

「うん。別に君から口止めもされなかったし?」


 しれっと答えるエドガルトの顔には悪戯めいた笑みが浮かんでいる。


「す、すみません、ファーナ様、私、その……」

「いいのよ、ツェラ。あなたがそうしたほうがいいと判断したんでしょう? ありがとう。でも、もう少し、自分の身を大事にしてね。エドガルト様からお聞きしてびっくりしたわ。あなたにもしものことがあったらご両親にも、ユリアンにも合わせる顔がないわ」

「ファーナ様ッ! なぜそこにユリアンの名前が出てくるのですか!」

「あら、だって、ユリアンは大切な人でしょう?」


 しんみりしそうになった会話は、ユリアン、の一言で台無しになったようだ。

 ツェラはファーナの言葉を打ち消そうと目くじらを立てる。


「姫様ッ! 私とユリアンはただの幼馴染で!」

「そうです、ファーナ様。俺とツェラはただの幼馴染で、どっちかと言えば腐れ縁ってやつで」


 ユリアンも加わって躍起になる。


「そう隠さなくていいのに。ふたりがここにいる理由、あとでゆっくり聞かせてちょうだいね」


 ファーナは明るい声でそう言うと、まだなにか言いたそうにしているユリアンやツェラに背を向けた。


「あんな憎まれ口を言い合っているけど、さっきはね――いや、この話はあとにしようか。長くなりそうだ。楽しみにしていてね」


 ギィを捕まえた時のふたりの会話から、色々と察しているエドガルトはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。

 人の恋路はどうでもいいが、あたふたするふたりを見るのは楽しいし、さっきの様子を話せばファーナはますますふたりを応援するだろう。キラキラと顔を輝かせるファーナは可愛い。そんなファーナを見られるのなら、人の恋路にだって興味を持とうではないか。


「はぁ。それでは楽しみにしておきます」


 上機嫌なエドガルトと裏腹に、ファーナは事情が飲み込めず曖昧な返事を返した。


「じゃあ、今夜の宿に着くまで、飛び降りたりしないでね?」

「いたしません!」


 そんな怖いことをするわけがない。即答するが、エドガルトは「どうかなぁ?」とうそぶく。


「エドガルト様?」

「だって、君ってばボートから湖に飛び込もうとしたじゃないか。あんな無茶をする君だから、信用できないなぁ」


 完全にからかい口調だ。

 言われたファーナはその時の記憶を一気によみがえらせ、嫌な汗を背中にかいた。


「あっ、あれは!」


 ずいぶん昔のことを持ち出してきたものだ。

 幼いころのことだが、思い出せないほど昔でもなく、記憶はしっかりある。今となってはとんでもないことをしでかしたという自覚はあるし、消し去りたい恥ずかしい記憶の上位に位置する思い出に言及されて、ファーナはこの上もなく焦った。

 エドガルトの記憶にも焼き付いていたとは……恥ずかしくて消え入りたい。


「そう。綺麗な魚が泳いでいたから、取って僕に見せたかったんだよね? 理由を聞いてすごく嬉しかったけれど、もうあんなこと、しないでね」

「しっ、しっ、しませんっ!!」


 恥ずかしさといたたまれなさで、思わずたたきつけるような口調で答えていた。


「うん。ファーナは落ち込んでちゃだめだよ。そうやって僕のからかいにあたふたしてる方がずっと可愛いい」


 それはどう解釈すればいいのだろう?

 ファーナは首を傾げた。

 素直に喜べばいいのだろうか? でも、本当に喜んでいいのだろうか?


「――ああ、町が見えてきたね。もうすぐだよ、ファーナ」


 狼狽えるファーナをよそに、エドガルトは唐突に話題を変えた。

 可愛い云々という話は、どうやらすぐに切り替えてしまえるほどの軽いの話題だったようだ。そう理解したファーナはホッと安堵のため息をついた。

 そんなファーナを見下ろしながら、エドガルトもまた違う意味でため息をついた。

 優しくしようと思っていたのに、ファーナがツェラの心配をするものだから、悔しくてつい強い口調になってしまった。

 傷つけるつもりはなかったのに、突き放すような物言いをした自分に腹が立った。

 きっと謝ったとしても、ファーナは、エドガルトは間違ったことは言っていないと言うだろう。

 わかっているからこそ、口に出せなかった。


「ごめんね、ファーナ。あれはただの嫉妬だったんだ」


 謝罪の言葉は誰にも聞こえず、風に掻き消えた。 

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