表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪待ちの花  作者: Akka
8/22

わびごと 2

帝付きの侍医たちが尽力しほぼ常時看護を受けたにも関わらず、ユウコの体調はなかなか回復しなかった。目が覚めたと思ったらまたすぐに眠りにつくような状態が数日続き、最初に目覚めたときに帝と会話をした以外はまともな意思の疎通も図れない。

国家の精神的な基盤である斎宮が倒れたことが知れれば、大事にならざるを得ない。よってその事実は極一部の人々にのみ知らされる運びとなった。


しかし内裏の中でも帝の私的な空間に近い場所に絶えず侍医が詰めていれば、どんなに注意を払ったとしても貴人が体調を崩したのだという噂が立つのは避けられない。

ユウコの屋敷には、しばらくの間内裏で神事を行うこととなったため帰れない旨伝えてある。

基本的に内親王は屋敷で人目を避けるようにして暮らす。よってそもそも不在に気付く者も少ないので、外にユウコが体調を崩したことが漏れる心配は無い。

 

しかし内裏の中では、帝が気遣う貴人が誰であるのか、噂話に花が咲いていた。


 

「女たちは皆噂しておりますのよ?…主上が新しい方を召されると。しかも主上直々にお部屋に詰めていらっしゃるなんて、いかほど深いご寵愛でしょう」

「……お前もか、キョウコ。その話は飽き飽きしている」

「……否定はなさりませんのね。どちらの姫君が入内されるのですか?」

「詮索好きな女は好かん」

冷たく切り捨てられた女はそれでも儚げに笑ってみせた。それはキョウコが女御として入内し二人が初めて顔を合わせた時から、全く変わっていない。父の期待を背負って入内した幼い日、内裏の中で生き抜くのはこの人に縋るしかないのだとキョウコは悟った。

悲しいほど的確な処世術だった。

だからこそ際立って家格が高くなくても女御として選ばれたのだろう。若く気難しいと評判の帝の傍に侍る女には、余計な主張など不要。ただおとなしく歯向かうことなく、世継ぎをあげられればそれでよい。

しかし今上帝には数人の女が入内しているが、誰一人として未だに子を生せずにいる。

今国には皇位継承権者が極端に少ない。帝に子はなく、妹であるユウコは斎宮。

そしてもう一人はリュミシャール皇帝に嫁い異母妹のショウコ。

この状況が国にとって不安定であることは間違いない。誰もが危機感を抱いている。

「申し訳ございません。他の女たちにもあまり騒がぬように言っておきます」

至高の存在である帝に欠けたものがあるはずが無い。ましてや胤が無いなど。

悪いのは入内した女たちだということになる。内外からかかる重圧は相当なものだ。

子がなければ後宮の女たちには帝のほかに頼るものが無い。入内した以上頼るべきは生家ではなく、己が才覚と帝の寵愛となるのだから。

しかしキョウコの返答に興味がない様子で、タカオはつと視線を庭に走らせた。

「寒椿がもうじき咲くな」

庭でひっそりと咲く準備を始めた花が、冬が近づいていることを知らせている。

「毎年、庭師が丹精込めて手入れをしているものですから、今年も楽しみですわ。冬の間はあの花がないと庭がどうしても寂しいですから」

「……似ているな…」

「主上?」

あの花はユウコに似ている。

他の花が穏やかな季節の中で守られるようにして咲き誇るのに対して、椿は一人厳しい冬を待って咲く。

まるで雪の訪れを待つように。

そして春がやってくれば、未練など感じさせずに躊躇いもなく地面に落ちる。


その苛烈さが。

潔さが。

愚かなまでの矜持の高さが。


「切らせろ」

「は?」

「この庭に椿は不要だ」

「ですが…」

「くどい!」

落としてなるものか。

アレが望むものが、自分でないとしても。

地に堕ちて朽ちていく様を見るくらいならば、いっそ咲く前に手折ればいいだけのこと。


「主上……」

呼びかける言葉に、応えはなく。

歪めた表情を隠すこともなく歩き去っていく。

気難しくはあっても感情の起伏は少なく、強いて言うならば常に不機嫌を保っているのだと思っていた。

突然の変化にかける言葉もなく、女御は去っていく背中を見送った。

「どなたに、似ているとおっしゃるのですか……」

どれほど長く連れ添っても、貴方は私など目に入らないのでしょう。

貴方のお心を占めているのは、未だにただあの方お一人なのですか?

「……っ!」

手もつけられずに冷え切った茶を、高価な茶碗ごと庭の隅に投げつけた。

しかし非力な腕から投げられた茶碗は、椿には届かず茶色く冷たい地面に落ちて砕け散る。

「女御様?!キョウコ様、いかがなされました?」

物音を聞きつけた侍女が声をかけてくるが、今の自分はたとえ気心の知れた者といえども見られたくはなかった。

「大事無い!構わないで」

「ですが…」

「……お願いだから、下がってください!」

主の悲痛な叫び声を聞いて、しばらくの躊躇の後衣擦れの音が遠くなった。

気配が完全に無くなってから、堪えていた涙が零れ落ちた。

この涙を以ってしても、この温かさを以ってしても。私はむくろにさえ敵わない。主上のお心はいつも遠く、現世うつしよを捉えてはいらっしゃらない。





「様子はどうだ?」

突然現れた帝に礼をとろうとする侍医たちを制して、タカオはユウコの枕元に腰を下ろした。本来ならば帝が直に畳に座るなどありえない。ましてや誰かの病床に侍るなど。

しかしこの数日である意味異様な帝の斎宮の扱いを見てきた侍医たちは、賢明にも口を閉ざし治療を続けた。

「斎宮様は、ほんの一時お目醒めになられてもすぐに眠ってしまわれまして」

「ふん。優雅なご身分だな。それで?原因は何だ」

口では皮肉を言っても、その表情は常からは想像も出来ないほどの慈愛に満ちている。それがど気付いていないし気付く気もないというように。

「もともとお体の弱い方ではございませんが、おそらくはお疲れが溜まっていたのだろうと思われます。それに加えてその…不敬に当たりますかもしれませんが……」

「構わん。なんだ?」

「神事の前の禊で、お体を冷やされたことが引き金になったものと考えます。これからはより寒さが厳しくなりますゆえ、お体第一とお考えならばお控えくださいますようお願いいたします」

「……この馬鹿が」

吐き捨てるように呟かれた言葉は、侍医に向けられたものではない。

内々では神事の前の禊など省略が当たり前になっている。タカオとて即位の儀式以外では頭から冷水を被るなんて酔狂な真似はしたことがない。

だがユウコはそれを行っていた。長い髪が水気を含んで重くなるほど。

タカオが巫女たちに呼ばれて駆けつけたときには、髪から滴り落ちた水の中に倒れこむようにして意識を失っていた。

今は髪箱の中に納まっているふわふわとした黒い髪を梳いた。一見すれば指に絡まりそうなものを、実際には指の間から零れ落ちていく様は皮肉だろうか。

それほどの苦行か。お前にとって。

私といることはそれほどまでに辛いのか。実体のない存在にまで許しを請いたくなるほどに。

「主上、斎宮様が時折呟かれるのですが私どもには何のことやら」

「……何と?」

「それが本当に分からないのです。全く聞きなれない音ですがおそらくは『レイシア』と」

――――神経が、焼き切れる音がした。

無意識に弄んでいた髪を握り締めれば、僅かにユウコの顔が髪を引かれた痛みに歪む。

「レイシア…だと?」

突如帝の眉間に刻まれた皺を見て、侍医たちは平伏して言葉を続けた。

「いえ、それが正しいのかはわかりません。聞きなれない音でしたので…。

 勿論私どもには主上の一言ですべてを忘れる準備があります」

どうやら皇族の秘密か何かとでも思っているらしい。そうであればこの者たちに一言忘れろと命じるだけで済んだものを。

ここまで不愉快な思いをさせるとは、どこまでも忌々しい。

―――砂漠の、皇子!―――







「会えない?」

能面のような顔をした侍女は、淡々と言葉を紡いだ。

「はい。ユウコ様におかれましては、斎宮様としてのお勤めでこちらにはいらっしゃいません」

「……随分、長いね?」

昼間に訪ねたときも、斎宮の勤めの最中であると言われた。彼女の複雑な立場と地位を理解しているのでそれに異を唱える心算は無い。

しかし一日中宮にこもっているというのは到底信じがたい話だった。

加えて、ここ数日はユウコの屋敷を訪ねていなかった。だとすれば今日だけでなくその前からこの不自然な状態が続いていた可能性がある。

「……神事に関しては、私には分かりかねます」

「確かにね。君のその立場もわかるよ」

周囲に他に人がいないことを確認して、すっと目を細めてレイシアは言葉を紡ぐ。

「でも僕は彼女の夫だ。君はそのことを理解したうえでその態度なのかな?

僕は君を害したくは無い。出来るなら君の意思で知っていることをすべて話してもらいたいんだ」

侍女の顔に微かに怯えが走るのを確認して、少しばかり良心が痛んだ。しかしそんなことに構ってはいられない。

明確に何がおかしいと言えるわけではない。取り越し苦労になる可能性のほうが高いことは分かっている。

しかし、ざわつく不安は消すことが出来ない。

「あ…、の。私には分からないんです。ただ内裏からしばらく戻らないと手紙があったとしか」

「そう…」

「本当に、他には何も…」

「信じるよ。それで、その手紙はユウコの直筆だった?」

「私は遠目にしか…。でも、女性の筆ではなかった…ような」

それだけ聞けば十分だ。おそらく本当にこの女はこれ以上のことは知らないのだろう。もとより、末端にまでずべての情報が伝わっているとは思っていないが。

「そう。ありがとう。分かっているとは思うけど、このことは…」

侍女の顎をきつめに掴んで視線を合わせれば、今度ははっきりと怯えた表情になった。

「分かっています。口外は、しませんから」

その返答に満足して屋敷を後にした。

ユウコが大切なことの連絡を人任せにするとは思えない。だとすれば何かあったと考えるのが適当だろう。


ざわつく不安を押さえ込んで、馬首を返した。



天帝の君のお名前公開です。まぁ「砂漠の蝶」では早々に公開していたのですが。


ご感想・コメント大歓迎です。よろしければ一言お願いします。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ