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雪待ちの花  作者: Akka
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わびごと

簡単に衣服を整えると、ユウコは何も言わずに部屋を辞した。

今のところ、互いに自分達が最低の行いをしていることは分かっている。獣にも劣る、人間として生きる価値の無い行為。

しかし兄の中で、罪の意識は確実に薄くなってきている。ユウコを引きとめようとする仕草、物言いたげな視線。

どうすることもできないまま、ただ事実だけを積み重ねて。

この国の過去の文献を遡れば、父を同じくする者同士が睦みあったという記録は残っている。血が近いもの同士の子は何らかの障害を持つ可能性が高くなるらしい。しかしその反面天つ才を持つものも生まれることがある。時の権力者はその可能性にかけていた。

つまり多くは捨て駒で、求められているのは低い確立で生まれるかもしれない者だけだ。

今は無い国だが、海の向こうの国では父と母を同じくする者同士が子を為すこともあったらしい。

しかしこの国においては、同じ腹から生まれた者達が睦みあうのは絶対の禁忌だ。

その禁忌を、国を治めるべき帝と信仰の中心である斎宮が犯している。自分でも吐き気を覚える行為を、どうして人が許すだろうか。



体内から粘液が流れ出る感覚に、眉をひそめる。ずるりと太腿を伝っていくのと同時に、自分の大切なものも流れ落ちていくようだ。

こんな生活は綱渡りだ。いくら手早く胤を流したとしても、子を作らないための薬を飲んだとしても、そんなものは確実ではない。


もしこの腹に子を宿したら。


迷う余地は無い。堕胎するしか道は無い。この父親の存在は知られてはならないし、純潔である斎宮が孕んだとなれば、それは神に対する冒涜だ。

ユウコは足早に人払いのしてある回廊を抜けると、車に乗って館へ戻った。







宮の最奥、御神体が置かれている場所に入るためには、毎回身を清めなければならない。

皮肉にもこれが最も人目につかずに、情事の後の身体を洗うことの出来る場所だ。普段ならば入浴は女官の世話にならなければ怪しまれるが、これは一種の神事であるため人目もなければ手伝いも無い。

宮の中庭には、山から引いている沢がある。ユウコはそこでいつも禊を行う。禊は形式的なものなので、本来は専用の浴室で身体を清めてから沢の水で手を洗うことで十分だ。しかしこの冷たすぎる水を浴びることで、最後の一線が保たれるような気がしている。

冷たい水が身体を伝っていく。

反射的に縮こまりそうになる背中を意識して伸ばすと、するすると伝うべき場所を通って水が流れていく。

濡れて張り付く浴衣ごしに冷え切った肌をさすると、細い月がユウコを嘲るように笑っていた。


「……ショウコ」

同じ月を見ているだろうか。

最愛の妹は、今も元気でいるのだろうか。幸せを見つけられたのだろうか。

 

何通も何通も書き続けた手紙に返信は無い。

やはり許されないことをしたのだ、と後悔しても断罪してくれる人はいない。

それでも。たとえ罵られるだけだとしても。

「ショウコ…声を聞かせて……」

震える身体を抱きしめた。

顔の前に広がる白い息が散り散りになり消えてゆく。その後を追うようにまた不安定な塊が生じては消えてゆく。

呟きは誰の耳に届くことも無く、ただ闇夜に浮かぶ月だけがその声を風に乗せた。







例え身体を清めるための方便とはいえ、一度宮に入った以上斎宮としての勤めを怠るつもりは毛頭ない。斎宮の白装束に身を包み、祭壇の前に座れば不思議と気分が落ち着いてくる。ひんやりとした祭壇の間の空気は背筋を伸ばし気を引き締めるのにちょうどいい。

祭壇に飾る榊の枝を取替え、杯に水を満たす。榊の葉の艶のある緑が、冷たく透明な水を弾いて木目に一つ染みを作った。

豊饒なる大地を敬い、天界を統べる天帝を崇め奉るのが斎宮の仕事だ。祈りや儀式にどれほどの力があるのかはユウコの知ったところではない。しかしそれらを懸命にこなすことが一種の贖罪と感じるからそれをするまでのことだ。


優しい雨は天帝の恵。

厳しい雨は天帝の怒り。

凍った雪が降る頃は、天帝が我らに与えた休息の時。


大いなる力の前に、人間が出来ることなど何も無い。

だからこそ人は祈るのだ。

時として荒ぶる神が、どうか穏やかに人の世を見守ってくれるよう。


豊かな自然を持つこの国は、その恩恵に与る一方で常にその脅威に晒されてきた。

それぞれの地域がそれぞれに小さな王を有していた時代から、神の意思を実現するのが男であり、神を慰するのは女。これもまた変わることなく今に至る習俗だ。

一人の帝を戴く現在、神からその意思を聞くのは帝であり神に人の思いを伝えるのは斎宮となった。


斎宮が行うべきとされることは、現在においては非常に儀礼化している。

もはや考えるまでもなく、幼い頃に体が覚えたことを無心に行う。

それでいいはずなのに。

次にすべきことは何であったか。常ならば決して抱くはずの無い疑問を持ったとき、ユウコはようやく体の異変に気が付いた。

頭が締め付けられるようにずきずきと痛みを訴える。異様な寒さはきっと自分の体温が上がっているせい。榊の水をこぼしたのは、手が震えていたから?

このままではよくない事態を引き起こす。

そう思って急に立ち上がったのが決定的に良くなかった。

激しいめまいに耐え切れずひざが崩れ、派手な音を立てて体が床に沈みこんだ。床の木目が眼前に迫るが、それが酷く歪んで見える。

「斎宮様、いかがなされました?!」

「斎宮様、ここをお開け下さいませ!」

「斎宮様!」

巫女たちが外で騒ぐ気配をぼんやりと感じ取った。音に気付いてくれたことには感謝したいが、重い扉を開けられるような状況ではない。一度自覚してしまえば体がぶるぶると震えていうことを聞かなくなってしまった。

しかし祭壇の間は中から開けられない限り、例え巫女いえども開けることは出来ない。その扉を開け中に入ることが許されるのは斎宮と帝、ただ二人のみ。

このままではいけない。

せめて扉を開けなければ。

頭がそう警鐘を鳴らすのを聞きながら、ユウコの意識は闇に落ちた。







ざわざわと、遠くに人の気配がする。そばに行きたいような、このままここに留まっていたいような、そんなどこか物悲しい気持ちになったのはいつ以来だろうか。

たとえば旅先で、その土地の人が生活する匂いを感じ取ったとき。そんなときは自分が輪の外の人間だと痛感する。

強く襲い掛かる、郷愁の想い。

だめ、囚われる。

恐怖に目を閉じるが、額にそっと触れた温かさに抗いきれず恐る恐る瞼を持ち上げる。

霞む視界がぼんやりと像を結ぶと、それはよく知った人だ。

「…兄、…上…」

「目が覚めたか?気分はどうだ?」

その声とともに、額にあった温かさが頬へと移動する。それがあまりに心地よくて、ユウコはほっと息を吐いた。

「わたし、は……」

祭壇の間で倒れたことは間違いない。しかしその後の記憶は全く無く、いまだに痛む頭を探るが思い当たるものは無かった。

起き上がろうとしたユウコを制して、タカオは薬湯が入った器を優しく口に押し付ける。ユウコがその独特の匂いに顔をしかめると、相変わらずだなと呆れたように言いながらも有無を言わさずユウコの口に薬湯を流し込んだ。

「ユウコ、無理はするな。確かに斎宮の仕事は大切だが、お前が祭壇の間で倒れているのを見たときは寿命が縮まる思いだった」

苦悩に眉を顰めてかけられた言葉があまりに優しくて、弱った心には甘い毒だ。

「ごめんなさい、ご心配をおかけして…。兄、上……」

高い熱にかすれた声は、自分のものとは思えないほど弱弱しい。

「心配させろ。お前は昔から自分のことに無頓着すぎる。しばらくの間お前の仕事はゆっくり休むことだ。いいな?

 ……神事はしばらく私が代わる。とにかくここで身体を休めてくれ」

その言葉を夢うつつで聞きながら、ユウコの意識は再びゆっくりと沈んでいった。

 




 

よろしければ、コメント・ご感想などよろしくお願いします。


読んでくださった方に、最大級の感謝を。

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