望月の
気を失って力の抜けた身体を、ゆっくりと褥の上に横たえる。
温かさが離れるのを嫌がるように、小さな子どもがむずかるように、ユウコがさぐるように手を伸ばす。
その伸ばされた手に手を重ねて、寝顔を眺める。
常日頃は厳しい言葉と頑なな態度で自分を拒絶するユウコが、甘えるようなそぶりをするのは本当に珍しい。それが見たいがために例え自分の肉体的な満足は得られなくとも、こうしてユウコと過ごすのがやめられない。
この国に来て、妻となる女性が斎宮であることを知らされた。そしてそれが純潔の身を求められる存在であることも。
繋がることなどないのに繰り返される行為を彼女が不審に思っていることも、また不快に思っていることも分かっている。一度は私を侮辱する目的かと糾弾された。
しかしこうでもしなければ、斎宮として自分には到底理解できない神という存在に仕えるユウコはどこか遠くに行ってしまいそうで。
勿論、ユウコにはそれ以外にも課せられた責任がある。この華奢な背中には不似合いなほど、重い荷物を背負わされている。その責任を放棄できるほど、幸か不幸か彼女は無責任ではない。おそらくは自分の彼女にとっては厄介な荷物のひとつに過ぎないのだろう。
心が痛まないと言えば嘘だ。でもそのことでユウコがそばにいてくれることに、暗い喜びを感じている。その心を幾許かでも占めることが出来るのだと思えば、それだけで。
「ユウコ……」
当然眠る彼女から返答はない。
しかしいつかその甘い声で、自分の名を呼んでくれるのではないか。決してそうはならない現実を知りながら、虚しい期待を捨てられない女々しい自分に苦笑した。
ふわりとした黒髪を指に絡める。
ユウコはこの国の人の多くがそうであるように直毛でないことを嘆いているが、そんな必要はどこにもない。女性にしては長身の彼女が動くたびに、一呼吸遅れてゆれる黒がとても美しくて、何度も目を奪われた。
そもそもユウコの美しさは見た目よりもその内面にある。そうでなければ一人の人間にここまで心奪われたりはしない。始めは拒絶しようとして、それでも惹き付けられていつしか目が離せなくなった。
閉じられた瞼に唇を落とす。
ユウコにとって荷物でしかない自分がどんなに褒め称えたとしても、心の琴線には触れないだろうけれど。
「……重症だな」
無防備に横たわる白い身体を見ていると、10年前の安易な言葉を歯噛みするほど後悔する。どうして幼かったとはいえ、安易な約束をしてしまったのだろうか。
これ以上は精神衛生上よろしくない。
頼りない理性をかき集めていつものように乱れた衣服を整え、彼女の部屋を後にした。
石畳の整備された大通りを蹄の音に気を使いながら、しかしそれなりの速度で駆け抜ける。幸い今夜は月が明るいので、目を凝らす必要もない。帝が暮らす城へとまっすぐに続くこの道の両脇には、名だたる貴族たちが屋敷を構えている。
目的の場所にたどり着くと、愛馬の首を軽く叩いて労を労った。
この国に着て驚いたことの一つが、この馬だった。リュミシャールでは王族言えども良馬を手に入れるには、遊牧民から大金と引き換えに買うしかなかった。しかしオースキュリテでは比較的都の近くに馬を育てている村がある。そこではより強い馬、より速い馬を作るために研究も行われているらしい。
にもかかわらず、この国の貴族は馬に乗らない。
移動手段といえば、のろのろと動く牛車が主流だ。歩いたほうがよっぽど早いんじゃないかと何度も口に出しかけた。その上、牛車で移動するには必ず従者が必要だ。いくら帝からある程度以上の自由を許されているとは、決して褒められた生活をしているわけではない身にとっては面倒なことこの上ない。
そんなことを考えながら、気配を殺して屋敷に忍び込み目的の部屋の前にたどり着く。
本当はこんなことはしなくてもいい。この家の娘は先代帝から自由にしてよいと与えられた女だ。
しかし結局は仮初だとしても、無碍にするわけにはいかない事情がある。
「ご機嫌いかがですか?姫」
扉の奥から反応はない。しかし聞こえていないはずはない。
「月があまりに見事ですから、どうしても姫と眺めたくなりまして突然お邪魔してしまいました」
「……月を楽しむお相手は、私以外にもいらっしゃるはずですわ」
衣擦れの音とともに、拗ねるような嘆くようなか細い声が聞こえてきた。
「おかしなことをおっしゃいますね。月をともに愛でたいと思う相手は、一人だけですよ」
祖国と同じ月を見て、それが幸せだと思える相手はきっとユウコだけ。
「……あまりに長い間、お姿を拝見できなくて。私は貴方のお顔を忘れてしまいましたわ」
「ですがこの声は覚えていてくださった。私たちにはそれで十分では?」
かちりと留め金が外れる音がする。
細く扉が開けられた。
媚びるように微笑む女の顔を月光が照らし出す。
その顔に手を伸ばす男の顔は、逆光で見ることは叶わないだろう。
仮にその顔が何の表情もうつしていないとしても、それを確かめる術はない。
あるいはそれは幸せなことかもしれない。愛されているという幻想を抱えていられるのであれば。
「あぁん、殿下、…殿下」
自分の下であえぐ女を、何の感慨もなく見下ろす。
これがユウコだったら。
そう何度も考えて、叶うはずのない現実に打ちのめされる。
「んっ…、あ、やあぁ」
この国に着いてすぐに、自分の妻となる姫は神に仕える人間だと聞かされた。その姫は純潔を求められる身であるから、男を受け入れることは叶わぬと。
その代わりに自由に出来る女を数人用意すると言われ、否はなかった。
気位ばかり高い姫よりは、割り切って楽しめる女のほうがよい。そう思った。
「殿下ぁ、もっと、……もっと私に下さいませ」
伸ばされ絡み付こうとする腕をつかみ、女の頭上で縫いとめる。
ユウコ以外の手は不快でしかない。
しかしこうして欲求を発散しなければ、いつか暴走してしまいそうで。
本当は神に逆らってでも、ユウコが欲しい。あの純潔を汚してしまいたい。
「……っ!」
思考を振り払うように、女を乱暴に突き上げる。
いやいやと目に涙を浮かべて首を振る女が、何度目かの絶頂を迎えたことを感じて、女の腹に欲望を放った。
身体の満足は得られても、心は渇ききったまま。
砂漠の砂が水を吸い込むようにユウコを求め続ける心は、きっといつまでも満たされない。