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雪待ちの花  作者: Akka
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惜しからざりし、命さえ 2

ふわり。

ふわり。


静かに積もり続ける白。

この世の再生を迎えるために、すべてを無に帰するような白。

遠くの山並みも、近くの軒も。

すべてに区分なく贔屓なく。

そんな風に、なりたかった。

そんなような、男性ひとだった。







部屋の中央に置かれた衣装台には、入内のための華やかな衣装が掛けられている。

色目はくれないの匂と一般に言われる五衣唐衣裳いつつぎぬからぎぬも。衣で匂といえば同色が徐々に濃淡を示していくものを表す。

これ以上ない祝いの日にこの鮮やかな色目を用意した気持ちは分かる。

着る者が晴れ晴れとしていたら、外の白に映えてさぞ美しいことだろう。


ユウコはぼんやりとした頭でそんなことを考えた。

レイシアが会いに来たあの日から、どっちつかずな心は決断を拒みずるずると先延ばしにしているうちにいつしか選択肢はなくなってしまった。

妹として、兄を案ずる。

斎宮として国を憂う。

個人としてレイシアを想う。

正しさの尺度なんてものをユウコは知らない。万人共通のそれがあればどれほど便利かとは思うが、おそらくそんなものは世の中に存在しないのだろう。

だから悩むし間違う。

それでいいと人には言える。

しかし翻って自分はどうだろうか。

間違いたくはない。正しい道を選びたい。だって怖い。

「……愚かね」


逃げるならば今しかない。

自由を奪うために使われていた香は、今日の日に備えてここ数日は控えられていた。

逃げる?

どこに?

ユウコはここ数日止まらない手の震えを隠すために、強く拳を握り締めた。

こみ上げる吐き気と頭痛をやり過ごす。

結局、意識がなくなるほど強くないというだけで、香は確実にユウコの行動を制限している。

兄がこのことを知っているのかは分からない。

諾でも否でも嫌いになってしまうことが分かっているので、何度か顔を合わせても話をしようとは思わなかった。

知っていると言われたら、よくもこれほど酷なことをと思ってしまう。

知らなかったと言われたら、よくそれほど無関心でいられるものだと思うだろう。


ため息をつくとその音が思いのほか大きく響き、慌てて周囲を見渡した。

そして衣装の奥の鏡の中に、疲れた顔が映る。

嘘つきとユウコを詰る自分の顔。

兄とよく似た面差し。それは母の若い頃によく似ている。

本当に兄が求めているのは、ユウコではない。

そんなことには本人もユウコもずっと昔に気が付いている。ただそれを口に出さないのは、最後の理性だ。

幼い頃の傷は今も兄を苛んでいて、その兄はやり場のない感情をユウコにぶつけることで傷から目を背けている。







鮮やかな衣装を見ているのが辛くなり、人の気配が無いことを確認してそっと部屋の外に滑り出る。

冬の空気は乾いていて、驚くほど軽く木の扉は横に滑った。

突き刺すような冷気に誘われ、普段は絶対に行くことの無い濡れ縁に立つ。

御簾ごしでない庭園を見るのはいつ以来だろう。

いつから外を見るのにもあたりを憚るようになったのだろうか。

そんなことを疑問にも思わないほど、それが内親王としての当たり前だった。


白い世界の中で、庭園の隅に零れる紅が目を引いた。

他のどの草木も眠るこの季節に、雪を待っていたかのように咲き誇る寒椿。

雪のような人だと思った。

側に居るだけで別の世界にいるように、そのときだけは周囲のあれこれから解放された。

何にも縛られることなく、あるがままに生きていける人。

憧れていた。

焦がれていた。

レイシアの側でだけ、呼吸が出来た。

そうありたいと願った理想だからこそ、巻き込むわけにはいかなくて。

手を伸ばしてみればきっとこの指の先で消えてしまうのだろう。

降り続く雪は決して掴むことは出来ない。

指先で融けて、その形を残すことはない。

それでもユウコは待っていた。

逢いたいと口にすることは出来なくて、気まぐれな訪れの時には酷い態度の鎧を着て。

だからこんなにすれ違ってしまったのだろうか。

身動きが取れなくなるまで、追い詰められてしまったのだろうか。


孤高の紅と気高い白。

それがどうしようもない自分を責めているようで、思わず両手で顔を覆った。

助け出すと言われて、どうしようもなく心が震えた。

その後に兄に入内は承諾されたと聞かされても、真摯な約束を疑う気持ちは起こらなかった。

もう時間は無い。

考えなければいけない。

国のことを。

兄のことを。

斎宮の勤めのこと、内親王の務めのこと。

皇后になったという妹のこと。

レイシアのことを。

そのどれかを取れば他が崩壊してしまう。だからこそ考えなければいけないのに、頭は思考を放り出してしまう。








「ユウコ様」


静かな、けれど断固とした声音で呼びかけられ引きつった顔を向けた。

気が付けば先程までユウコがいた室内には数人の女官が揃っている。

「御召し変えのお時間です」

部屋の中央に鎮座する五衣唐衣裳。

滑るように衣装掛けから外され、その間に長い髪がこれでもかとばかりに梳かれる。

焚き染められる香に、髪に肌に塗り込められる香油。

華やかな装いのための準備はまるで自分を作り変えられていくようだ。

一刷毛、一刷毛。白粉が呼吸を奪っていく。

一筆、一筆。顔に色が乗るたびに個人が奪われていく。

立ち上がることを促され、肩から衣装が滑り落ちる。

変わりに纏った五衣唐衣裳は重さは変わらないはずなのに、ずっしりと重かった。

「どうぞ」

檜扇を渡しながら女官が姿見に掛かっていた薄布を外す。

「……っ!」

そこに映ったのは若い頃の母にそっくりの顔。

そして醸し出される悲壮さは兄にそっくりだ。

「さすがはこの上ないご血筋の」

「お美しゅうございますよ」

「主上のお見立てのお色がなんとお似合いになることか」

次々に浴びせかけられる賛辞の言葉が遠い。

それでも長年の習慣で、顔には徐々に微笑が浮かぶ。

心など伴わなくても、人は笑える。そんなことは物心ついたときから知っている。

口角を引き上げて、細く空気が通るだけの隙間をあければいい。

そうやって笑っていることが、内親王としての義務だ。

長年続けてきたことが、今はこんなにも難しい。

いちいち意味を拾い上げてしまう耳を塞いで、叫びだしてしまいたかった。

「――――っ!!」


「晴れ舞台に臨むお顔では、ございませんわね」








穏やかな声と微笑で、しかし有無を言わせぬ強さで女官たちを部屋から追い出したキョウコは、手ずから火鉢を引き寄せユウコに暖をとらせた。

「この部屋は凍えるように寒い。なぜ火を持ってこさせなかったのですか」

「……。」

そんなことを頼めるはずも無い。

女官たちは己の職分以上にユウコに係わるつもりなど無く、むしろ侮蔑の表情を隠そうとしないのだから。

自然に、誰のものとも決まっていない些細な仕事は見過ごされてゆく。

ユウコとしても、今までそしてこれから自分が行うことになる行為を思えば、敬意を持って仕えよとは口が裂けても言えなかった。


黙り込んだユウコにため息を吐き、キョウコは庭に視線を走らせた。

「ユウコ様は寒椿ですわね」

「……は?」

「ある二人の殿方がおっしゃったのです。ユウコ様は寒椿だと。ほかの草木がただ耐え忍び春を待つ中で、一つ鮮やかに花を咲かせる人だと」

「買い被りでしょう。私は…それほど強くはありません」

膝の上でそろえたこぶしを握り締める。

白の中に咲く紅。

そんな鮮やかな存在ではない。

自分の本質は地に汚れる落葉だ。

「それに…そうだとしても…そんなものにはなりたくはありませんでした」

望んだ姿は雪。

周囲に歯向かうように咲く花ではなく、次の季節への支度を促す自然の理。


「我侭、ですわね」

「我侭?」

感傷を叱責するように、珍しく強い口調でキョウコが切り捨てた。

「私はユウコ様になりたかった。否、今でもなりたい。成り代われるものならば、その立場を私にくださいませ。主上に誰よりも必要とされ求められるその立場を、私にくださいませ」

「キョウコ様……」

「私がどれほど望んでも手に入らないものを、持っているのにちっとも幸福そうでない。悲劇の渦中にでもいるような。そんなユウコ様は我侭です」

「そんなっ!」

望んでもいないものを与えられて、それを喜ばなければ我侭だろうか。

それは違う。

少なくともそこまで己を偽る必要は無いはずだ。押さえ込むことは必要でも。

「私が我侭だというのなら…それはこの立場を望まないことではありません。

 それは……内親王としての立場を重く……思っていることです」

傍から見れば支離滅裂な言い分を、キョウコは冷ややかな顔で聞いた。

これ以上無い生まれを疎ましく思うなど、理解できるはずも無い。

我侭だと言われても仕方が無いのかもしれない。


「重い、ですか」

キョウコは一旦言葉を切ると、静かだが強い瞳でユウコを見据える。

「重いだけなら耐えてください。ユウコ様が強くなれば済むことでしょう。

 主上が背負っているものはそれよりも遥かに重いのです。そんなこと、ご存知でしょう?」

キョウコの顔が一瞬歪む。


「主上は、私には…背負わせて下さらない」

背負われたいわけではない。

本気で相手を好いたのならば、その荷物を背負いたいと思う。

そんなキョウコの心情は手に取るように分かる。

それができない身の上を、それを求められない己の不甲斐なさを、悔やんでいることも。


「もう、おすがりするほかないのです」

好いた相手のために、憎いであろう恋敵に頭を下げられる。

兄がないがしろにしているのは、これほどまでに深い思いだ。

「私が主上のためにして差し上げられること。ユウコ様におすがりするほかないのです」

何を言うことができるだろうか。

これほど純粋な想いに対して、ユウコは言葉を持たない。






何も言うことが出来ないまま、ユウコはやって来た侍女たちによって引きずられるように婚儀の席へ誘われた。







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