惜しからざりし、命さえ
「使える伝手は何でも使う。思いつく限り端から並べろ」
館の使用人は驚きそして慄きながら主人を見上げた。
傲然と言い放つこんな姿を見たことがない。
これではまるでリュミシャール先代皇帝のようだ。
レイシアは穏やかといえば聞こえは良いが、苛烈を極めた父や若いながらも当代一の名君と誉れ高い兄に比べれば凡庸とさえ評された。また周囲も生まれ育った環境を考えれば、レイシアにそういった能力を求めなかったともいえる。
そのような評価はすべて間違っていたと断言できる。
単に、それを必要夜する状況になかったためだ。
奇しくも最も欲するもの――――ユウコは労せずとも与えられた。それがあればそれでいいと怠慢の上に胡坐をかいていたのだろう。
あるいはそれは自分は父や兄とは違うのだという、輪から外された者なりの矜持だったのかもしれない。
しかしそんな見栄はかなぐり捨てて次々と指示を与えていくレイシアの姿は、良くも悪くも酷くリュミシャール皇族らしいといえるだろう。
お仕えしていた方は、このようなお方だったのか。
ある種の感動をもって、平伏して命を受けた。
人を下がらせた自室で、レイシアは行儀悪く爪を嚙んだ。
最善の手は打っているつもりだが、悔やまれることばかりだ。
内裏から戻ってまず考えたのは、どの程度時間的余裕があるのかということだった。
はっきり言ってレイシアはこの国の慣習やしきたりには弱い。
しかし帝の婚儀、しかも相手が内親王では倫理的問題含めてそれ相応の準備が必要だろう。
そうだとしてもリュミシャールまで速度のみを優先して手紙を出して、船旅で1月はかかる。更に返信を待てば最短二月。これを待ってから動くことは出来ない。
結局レイシアが選んだのは故国に対する一方的な通告だった。これは奇しくもレイヴスがオースキュリテに対して行ったショウコの立后の報告と同じ手段である。
故国に対して約10年ぶりに送った手紙は、自分の行動で何か国に不利益になることがあったら遠慮なく切り捨てろということとその場合関与した者は一人もいないという証文だ。
故国から送られてくる手紙はすべて検閲されている。しかし定石であるが故に、当然密書を交わすための手段は用意されている。
それを初めて使うのが絶縁状とは、洒落にもならない。
兄の取り巻きであるシンレットなどはあれでいて結構皇族に対して世話焼きであるから、呪詛と怒りを織り交ぜつつも対策を練ってくれるだろう。
兄がどのように反応するのかはわからない。交流の無い兄弟であったので、そのあたりはあまり期待しないほうが良いだろう。そして兄が動かなければ母が動けるはずが無い。
結局、故国からの援助は期待できないししていない。邪魔立てはしないだろうと推測するしかないのが現状だ。
「……こんなことなら、まめに連絡をしておけば良かったか」
「まったく、そうでございますねぇ」
「!」
完全な独り言にあきれたような返答があり、驚いて首をめぐらせる。
「意地を張らずにあちらとご連絡を、という私の言葉を無視し続けたのはどなたさまでございましょうねぇ」
いつの間にか部屋の片隅に座り込んでいるのは、疾うに初老の域を超えた老女だ。
久々にみたその顔に、都合の悪さもあいまって目をそらす。
「生きていたのか……ヌゥ」
「はい。お嬢様から殿下のことをくれぐれもよろしく、とおおせつかっておりますれば」
ヌゥと呼ばれた老女は背中が曲がり杖無しでは歩けないにもかかわらず、実に巧妙にレイシアを部屋の隅に追い詰めた。
「お前にまで出て来いと言っていない。下がれ。張り切りすぎるとそれが元で死ぬぞ」
「嫌でございます」
「お前…主命を……」
「私の主はお嬢様でございますれば」
皺の中に埋もれた目を細めてヌゥはにたりと笑った。
ヌゥの言うところのお嬢様とは、レイシアの母であるリュミシャール皇太后だ。いい加減若くも無い母を衒いもなくお嬢様と呼べるのは、もうヌゥだけだろう。
母が父に嫁いだときから腹心の懐刀であったヌゥはレイシアを案ずる母によって共にオースキュリテに渡ってきていた。
しかし母の監視をうるさくも重くも重い、また捻くれた自尊心もあって最初の数年以外は遠ざけていた相手だ。
しかし。
「つい昨日まで婆や婆やと泣いていた殿下が、まぁ一人前に男の顔になって」
「……!」
レイシアは低くうめいて頭を抱えた。
何かあるとすぐにこれだ。敵う訳が無い。
レイシアが国から連れてきた者を遠ざけ、オースキュリテから支給された者を用いていたのは、ヌゥの存在が理由でもある。
何かあればリュミシャールの者はすぐにヌゥに報告する。決して清いばかりの生活を送ってきたわけではない成人男性にとって、母親にも似た存在に色事が筒抜けなのは歓迎できない。
「お嬢様もお喜びになるでしょう」
ほくほくとヌゥは笑うが、レイシアはそう思えなかった。
暗い思いが頭を支配しそうになるがそれを振り切って、思考を現実に引き戻す。
「それで結局、お前は何をしに出てきた」
「殿下のご尊顔を拝するためでございますよ?」
「……悪いが、それなりに忙しいのだが?」
「冗談でございます」
からからと笑う相手に疑いが強くなるが、次の言葉で吹っ切れた。
「もしご入用なら、兵を動かせますよ」
その数、一万。
日常の会話を楽しむような調子で言われらので、言葉を租借するまでに時間がかかる。
「……一万、だと?」
ちょっとした地方遠征に向かえるほどの数だ。
それほどの数のリュミシャール軍がこの国に潜んでいるはずが無い。
老人の戯言と聞き流そうとしたレイシアに、ヌゥは尚も言い募る。
「かつて、リュミシャールとこの国が対立していたとき、時の皇帝陛下は誰でしたか。そしてその後を継いだのはどなたですか。よもやお忘れではございますまい。そのお二方が、漫然と時を過ごされるはずがありますまい」
膝でにじり寄るヌゥは嘘をついている様子は無い。
「特に、レイヴス様は…皇帝陛下は、有事の際に殿下がご無事であるよう、逃げ道を確保しておいでです」
「では…本当に動かせるのか?一万の兵を」
「足す、四千」
突如割り込んできた声に驚いたのはレイシアだけだった。
扉にもたれるように腕を組んで立っていたのは、いるはずの無い友人。
「…お前っどうして!」
おや?と首をかしげる榊が顔を向けた先にはヌゥ。
嫌な予感に視線で促すと、当然のようににたりと笑う。
「私がお呼びしましたので」
「……っ!」
言葉にならない叫びを上げてレイシアは額を押さえた。
内裏でユウコとレイシアを会わせる為に、榊が一役買っていたのは知っている。そのせいで軟禁状態にあったが、結果的にレイシアがユウコの入内を認めたことで、むしろ功労者として解放されたはずだった。
これ以上巻き込むわけにはいかない。
そう決めたからこそレイシアは榊にこれまでの感謝と決別の手紙を送った。
もう会うことは無いと思っていたからこそ、涙交じりの、思いの丈を込めた手紙を――――!
「っぁ――――……!」
恥ずかしさで死ねるなら今だ。
女性への甘い言葉はいくらでも言える。恥も衒いもなく泉のように湧き出てくる。
しかしこれは別物だ。
何に当り散らすこともできない歯がゆさにレイシアは床に沈んだ。
それを宥めるように榊はレイシアの背中を軽く叩く。
「……お前、どうして来た」
危険だから来るなと、もう会わないと言ったはずだ。
地位も身分もある男なら、それがわからないはずが無い。
しかし榊はのんびりと言う。
「仕方ないだろ?」
打算が無いわけではない。
しかしそれを込みにしても勝算の悪い賭けに乗った理由。
「僕は君が好きなんだよ」
「兵一万と申しましても、もちろん御国の兵士ではございません」
「傭兵、か?」
それでもさしたる問題は無いが、やはりいざというときの統率は難しいだろう。
考え込んだレイシアに、榊はその先を引き継いだ。
「いや、オースキュリテの臣民、だろう?」
信じがたい言葉だが、ヌゥは肯定を示すように頷く。
オースキュリテの民が、リュミシャール皇族である自分に味方する?
「説明、してくれるか?」
幾分低くなったレイシアの声に、榊は痛みをこらえるように頷いた。
「この国は病んでる。時期は…おそらく10年前、君と忌み姫、否、君とショウコ内親王殿下が海を渡ったあたりからだと思う。
元々、この国の政治体制は閉鎖的だ。地理的にも人員的にも。間接的にリュミシャールと戦ったのは、国の中核で無い周辺民族や協力国だった。ここまでは知っているだろう?」
榊にとっては身内の恥だろう。
それでも偏見無く言葉を紡いでいく。
「一応和平が成って、まぁそれで終われば良かったんだけどね。
今度は戦の恩賞をめぐって諍いが起きた。周辺地域の領主に対して参議の一人が、勝利の暁には国政への参与を認めると証文を書いていたと言う。当然国はそんなものを否定した。既得権益を侵されたくないのはどこも同じだな。
水掛け論になった。でも結局は…両当事者が死んで、話自体なかったことになった」
「それ、は……」
「事故だ。そうなっている」
なっている。
その言葉の裏の意味。
「なんでそんなことになった?同一民族だろう?いくらでも妥協点はあったんじゃないのか?」
「なら君は、家族となら完全に理解しあえるのか?」
強く意識した言葉ではなかったのだろう。
しかしそれは榊が意識した以上に、レイシアに刺さった。
理解できるはずがない。むしろ赤の他人のほうがまだ分かり合えるとさえ思う。
「…悪かった」
「いや、いいよ。
話を戻そう。その後徐々に朝廷から地方が離れていった。当然だな。しかも大きな戦いが収束した直後だったから、外部にそれが気付かれずに済んだ。……問題を先送りにしていたんだ。俺を含めて。
今回の帝とユウコ内親王殿下の婚姻は、正直に言えば認められない。だが、離れていった人心を引き戻すためには、神憑ったことをするしかない。主義も主張も目指す利益も違う、僕から言わせればこの国の人間だって北と南では容貌だって違う。そんな集団が唯一共有しているのが、神話上の祖先だ」
「ちょっと待て。それは……」
「知っているか?イザナギとイザナミという2柱の神話を」
兄であるイザナギと妹のイザナミが馬鍬って出来た国。
兄である帝と妹のユウコの婚姻でそれを模倣しようというのか。
「……狂ってる」
あまりに醜悪な考えだ。
それで人心が戻ると思っているなら、人を馬鹿にするにも程がある。
特定の神を持たないレイシアから言わせれば、そんなものに頼って国政を行おうとすること自体狂気の沙汰だ。
先程から黙り込んでいるヌゥにしても、こみ上げる嫌悪感を抑えるように顔を背けている。
「狂ってるか。確かにね。でも同調する者も一部にはいる」
「そんなことを、帝が考えたと?いくらなんでも……」
「いや、あのお方はそんなこと興味ないだろう。僕の口からは何もいえない」
「……」
「睨んだってれは駄目だ。……ああ!悲しげな目をしたって駄目だ!それを口外できるのは帝かユウコ内親王殿下だけだ!」
そこまで言われてしまえば仕方がない。
とりあえずこの場は諦めて頭の片隅に疑問を保存した。
「……お前はいいのか?家は…どうする」
榊の家が朝廷を裏切ればどれほどの関係者が処罰される分からない。
しかしそんな危惧を榊はあっさりと切り捨てた。
「君に心配されるようなことは何もないよ。それなりに朝廷の弱みも握ってるし、余程馬鹿なことをしない限り朝廷は家に何も出来ない」
家には影武者を置いてあるから今日も問題ないと飄々と嘯く友人の顔をレイシアはまじまじと見つめた。
「何?」
「いやぁ……」
限りなく黒に近い灰色は白になるらしい。
「権力って、怖いな?」
「何を今更。権力は便利だよ」
怪訝な顔をする榊に、そうですねと頷くしか出来なかった。
このあたりは身分は高いが地位を持たずに生きてきたレイシアには欠けている感覚だった。
気の置けない付き合いをしているが、友人が名家の御曹司だと実感するのはこんなときだった。
ずれているのは自分なのか相手なのか。
判断に困るところだなとふと思った。
畳の上に乱雑に広げた地図は、実は相当緻密に地形が書き込んである。
レイシアとしてはこんなものをヌゥが黙って所有していたことには素直に感謝できないし、榊にしてみれば国防の観点からは看過できないが、とりあえずそれらすべてに目を瞑る。
「で、そうする?」
榊がすっと指で地図をなぞる。
その軌跡は都から山の中へそして川へまた山にというように蛇行してはいるが、最後には小さな港にたどり着いた。
「この経路を辿れば国外に出られる。領主たちも助けることはあっても裏切りはしない。海に出れば、あとは協力国が動いてくれる」
そして最後にはユウコを連れてリュミシャールに戻ることが出来るだろう。
ヌゥはおそらくそれを望んでいる。
そうすればリュミシャールにはオースキュリテの皇位継承権者が二人。人質としての価値は計り知れない。
何も言わないレイシアに、榊は窺うような視線を投げる。
「……後悔するよ」
「しない」
そしてレイシアがなぞった線は山の中をひたすら抜けて、南へと下りある一点で止まった。
「目的地はここだ」
考えに考え抜いて、ここしかないと判断した。
勿論逃げるだけならリュミシャールに行けばいい。
しかしそれではユウコの意思を殺してしまうことになるだろう。そしてこの友人を見捨てることになる。そんなことは最初から選択肢の中にない。
「……殿下…」
ヌゥは不満げにレイシアを呼びつつも、仕方がないと大きくため息をついた。
一応の了承は取り付けた。
故国への対応はいいように取り計らってくれるだろう。
一つ深く息を吸って、計画をさらう。
出来ることはすべてやった。
あとはその場その場で吉と出るか凶と出るか。そんなことは誰にも分からない。
「決行は?」
幾分緊張をはらんだ榊の声にレイシアは笑う。
唯一可能性が残された日。
その可能性を作るために、張り裂けそうな思いで了承したユウコの入内。
「決まってる」
朝廷が作り出した箱庭。偽りの延命措置。
そんなものは、破壊してやる。
「入内の日。その舞台。それ以外には有り得ない」
この腕に、君を抱きしめる。
その権利を、奪いにいく。
ようやくレイシアが脱・へたれです。
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