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雪待ちの花  作者: Akka
18/22

君がため

時が止まったような場所だ。

纏わり付く粘着な空気をかき分けるようにしか進めない。

通気性の良い造りは囁く声さえ阻まない。

笑いさざめく姿の見えない人々。

内裏は決して変わらない。それ以外のものを認めない。


「ユウコに会わせて下さい」

ざわりと場が揺れる。

同じ言葉を繰りかえし、それ以外は視線さえも動かさない。

見据えた先には御簾。その奥にいるであろう帝。

脅迫交じりに促された行動はせず、ただそれだけを言い続けた。

「ユウコに、会わせて下さい」

ユウコが望むなら、故国にいくらでも頼んでやる。

国交に支障をきたすな、外交問題にするな。

言われるままに妻も娶ろう。

だから。

「ユウコに会わせて下さい」










通された場所は清涼殿の程近く。

帝の日常生活が営まれる場所にユウコがいるという現実を突きつけられれば眩暈がする。

帝がユウコとの面会を許したのは、単に根負けしたからだろう。

あの無気力を絵に描いたような人間が、外交問題など気にするはずがない。

ただ引き下がる気配の無い様子に焦れて相手をするのが面倒になっただけだ。

ふと思う。

その手間とユウコを秤にかけて、ユウコに傾かない程度の気持ちなのか、と。


「こちらにどうぞ」

先を歩く侍従がある一室の前で立ち止まり中に促した。

散漫な思考を正して深く息を吸い込む。

「……っ!」

その臭いを嗅ぎ分けたと同時に、戸に手をかけて力で押し開けた。

横に滑った戸がぶつかり乾いた木がぶつかり合う音が静かな空間を破壊する。しかしそれよりも際立って異様なのは、室内から零れだした独特の臭いだった。

「どういう心算だ?気が付かないとでも?」

ひっと喉の奥で悲鳴を上げる侍従を許さずに襟元を掴みあげる。

薄暗い室内からは濃厚な甘い香りが漂っている。纏わり付くような重い甘さの香は気分を落ち着かせる効果もあるが、強くなれば身体の自由を奪うものだ。

室内に充満した香りは明らかに後者の用途だろう。

この期に及んでまやかしを使おうとする宮廷に苛立ちを感じずにはいられない。

「眠らせてどうする心算だった?答えろ」

「ぐうっ、あ」

力に任せて侍従を吊り上げる。

続く不測の事態に気が高ぶっている自覚はある。

赤黒く変色する顔を見下ろしながら、どうなってもいいと残忍な気持ちになった。

どうにでもなれ。

これくらい、何の問題にもならない。

これから差し出す代償に比べれば、何と些細なものか。

意識せずに口角がつり上がる。もっと苦しめばいい。自分と、同じくらいに。


「……誰か…いるの?」

誤った嗜虐心は室内から零れた囁きによって雲散霧消した。

頭で考えるよりも早く足がそこに向かう。

「ユウコ!」

声を頼りに薄暗い室内を進む。

天井から吊るされた蚊帳のような布や御簾をかき分けていくと、それに応じて益々臭いがきつくなっていく。

こんな中にいて、平気なはずがない。

様々な疑問が渦巻いたがそれを精査している暇はなく、手に触れた布を握りしめ引きちぎるように外していく。

布が裂ける音とともにふわりと空気が動き、支えを失った布がゆっくりと床に落ちてとぐろを巻いた蛇のような形を作り出した。

「ユウコ!」

呼ぶ声に応答はない。

布が遮っていた光が入ってくると、部屋の異様さがより際立った。

幾重にも張り巡らされた布は、香を逃がさないためだろう。

内親王であるユウコを拘束することは出来ない。ましてや入内しようという女性だ。手荒に扱うなど出来るはずがない。

だからといってこんな手段が許されるか。

怒りのままに進んでいくと、手が布ではない硬い感触にぶつかった。

美しい木目の格子の奥にぐったりと力なく横たわる姿を見て、一瞬で思考が沸騰する。

「ユウコ!!」

格子は揺すってもびくともしない。

部屋を二分する格子は、どう贔屓目に見ても堅牢な座敷牢だ。

ユウコの反応は緩慢で、音には反応しているが視線が定まっていない。

おそらく長い時間香を吸いすぎたのだろう。

無意識の舌打ちとともに踵を返すと、中途半間に残っていた御簾や垂れ下がった布を力ずくで引きちぎり、蹴破る勢いで扉を全開にした。

少しでも空気を入れ替えなければならない。付いてきたはずの侍従がいなくなっていることは予想の範囲内だ。おそらく人を呼んでも誰も来ないだろう。

焦ってもつれる脚を叱責して急ぎユウコの元に戻った。


光を遮る余計なものがすべてなくなってしまうと、より明確に部屋の様子が把握できる。

格子は部屋を二分しているだけではなく四方をすべて囲んでいて、出入り口には三重の鍵が掛かっている。

座敷牢を破壊しようにも、流石に刀は内裏に入るときに預けてある。

力に任せて格子を揺すろうが殴ろうがびくともしない。

「っつ!」

身を切るような冬の風さえもどかしい。

早くこの甘ったるい毒を消し去ってくれと願うしか出来ることはなく、無意味と分かっていても懇親の力で木の格子を殴り続けた。


どれくらいの時間が経ったのだろうか。

少なくとも、日が暮れて夜空に月が浮かぶくらいの時間。

手が赤く腫れ、皮が裂けて血が流れるくらいの時間が過ぎた。

冷たい風に晒されて体はすっかり冷え切っている。ユウコの体も同じだろう。

大切にされていると思い込んでいた。

道ならずとも、請われてここにいるのだと思っていた。

なのにこれは一体どういうことなのか。省みられることなく、心のない人形であることを強いられているとしか思えなかった。

こんな姿を見るために、手を放すと決めたわけでは決してない。

「……泣いて、いる…の?」

風にまぎれそうな小さな声を聞き逃さなかったのはずっと待ち望んでいたものだからだ。

「ユウコ!」

「泣いて、いる…のね」

ゆっくりと漆黒の瞳が焦点を結び、気だるげに長い髪が揺れる。

月明かりの下で見てもやつれたとはっきり分かる顔に、抑えていた感情が堰を切って流れ出す。

あまりの痛々しい姿に顔を伏せるしかない。

「こんなことになっているなんて…どうして」


どんな言葉も白々しく感じられて舌の上で凍りつく。

どうしようもない無力さに押しつぶされそうになった瞬間、小さな手がそっと差し出された。

「……泣かないで?」

震える手が頬を濡らす涙をぬぐう。

それが限界だった。

半ば床に伏せられていたユウコの身体を引き、粗い格子ごしに抱きしめた。

傍から見れば酷く不恰好で滑稽だろう。

「…っ君は、泣くべきだ!」

こみ上げそうになる嗚咽を大きな声で誤魔化した。

服の上からでも痩せたと分かる身体と艶を失った長い髪。

「君がこの国に尽くしても、何も与えられるものなんかない。君はこんな風に貶められるべきではないだろう!?」

「……。」

「頼む。頼むから、逃げたいと言ってくれ。何を犠牲にしても叶えてみせるから」

この言葉にユウコが僅かに身じろぎをした。

しかし淡い期待は一瞬で打ち砕かれる。

ユウコの腕がゆっくりと身体を押し返したとき、答えを悟った。

「違うの」

「聞きたくない」

不自由な体勢であったから距離を置かれたことには抵抗しなかった。しかしその先の言葉には抗う。

「私がこの国を辱めているのよ。道ならぬとわかっていても……お兄様をお慕いしているの。お側にいたいと我侭を言ったのは、私」

「……聞かせないでくれ」

掠れた声の調子は間違いなく懇願。

そこに悲哀が混ざるのは決して聞き届けられることはないと混乱した頭でも分かっているからだ。

ユウコの言葉が嘘だということは分かっている。

状況にそぐわない言葉を信じられるほど、素直ではない。しかし嘘をついてでも守りたいものがあるのだということは分かってしまう。

「……貴方のことを、好きになれればよかった」

静かに落とされた言葉は最後通牒以外の何者でもない。

好きになれればよかった。

何て残酷な言葉だろう。

形だけの関係にユウコの意思などなかっただろうに、それでも努力をしてくれていた。好きになるための努力を。それを以ってしても出来ないのなら仕方がない。

結局はすべて一人相撲だったのだ。

「それが答えなのか?」

既に旗幟は鮮明にされた。更なる言葉を求めるのは気持ちにけりをつけるためだ。

そう出来る自信は全くないが、それでも門出を祝ってやるのが最後の意地なのかもしれない。

「……貴方はもう、自由になって」

「わかった。…今までありがとう」

一体何から自由になれというのか。

これから待っているのは空虚な余生。

それと引き換えにユウコが幸せを手に入れるのならば、それいいとさえ思える。

それくらい、愛している。

愛していた、にはきっと一生ならないだろう。


顔を上げることは出来ない。

ユウコの顔をみればその意思を殺してでも、手に入れたいと願う心があると分かっている。

「君の幸せを願うよ。僕は…君の人生から消える」

「……っ」

最後に格子をきつく掴んだ小さな手を外し、そっと唇で触れた。

不快に思われない程度のほんの短い時間。

これがユウコに触れる最後だろう。

「……もう会うことはないだろうね。君の事が好きだったよ…本当に」

せめて過去にしてやろう。枷を外してしまおう。

この先交わることのない人生なら、それしか出来ることはない。

これ以上ここにいても未練が残るだけ。

そう判断して立ち上がる。月が雲に隠れてユウコの顔が見えなかったことに安堵し僅かに悲しかった。

背を向けて歩き出す。

ユウコがほんの僅かでも別れを惜しんでくれればいい。そんな女々しいことを考えながら。


「…………レイシアッ」

思わず足が止まった。

それはこの国にきてから呼ばれることのなかった名前。

このまま風化していくのだと思っていた言葉。

殿下ではなく天帝の君でもなく。

誰にでも与えられる貴方でもなく。

レイシア、と。

振り返ってしまった自分を誰が責められるだろうか。

強い風が雲を押し流し月明かりが夜を切り取る。

出してしまった言葉を取り戻そうとするように口元に手が当てられていても、その表情は誤魔化せない。

驚愕と。

絶望と。

悲嘆と。

愛惜と。

それらすべてがい交ぜになって現れているのは、止められない激情。

それが何を示すのかはっきりと分かるくらいには、長い間追いかけてきた。

仕草や表情を見続けてきた。


「それが、本当の答え?」

疑問の形は取っていても、これは半ば断定だ。

すっと霧が晴れていくようだ。

答えはこんなに簡単だったのに。

ユウコが紡ぐ嘘に囚われていたのは、自分だけではない。ユウコ自身もまたそうだったのだろう。

拒絶の色が浮かんでいるのではないかと目を背けてきた。ずっとそれを恐れてきた。

だが瞳を見ればこんなにはっきりと訴えていた。

助けて、と。

「ごめんなさいっ忘れて…お願いだから」

これが肯定以外の何だというのか。

助けて。

巻き込みたくない。

そのままにしておいて。

こんなに分かりやすい表現だったのに、見落としていたなんて。

「君以外には、何もいらない」

これまでも伝えてきた心算だった。

それでも伝わらないのなら、行動で示すまで。

「そんなの駄目!…絶対に許さない」

「君に許してもらおうとは思わないよ」

愕然とした顔で見上げるユウコに笑いかける。

「理解してくれなくていい。目指すものが違うのだから仕方ない。ただ、受け入れてくれればそれで十分だ。

 僕は君を助け出す。この牢からも、この国からも」

大それた事を口にしていることは分かっている。

言い逃れが出来ない罪になるだろう。

だがそれが何だ。

国家間の和平なんて下らない。

「望まないわっ!」

激昂し叫ぶ姿さえ愛しい。それを守る行為が罪だと言うのなら、いくらでも罪に問われよう。

皇子という身分もいらない。

二人でただの個人になれたら、どれほど幸せだろう。


「……時間切れかな」

遠くで僅かに床が軋む音がする。

流石に放置しておけない時間になったのだろう。

「何?」

「……ユウコ、もう一度名前を呼んでくれないか?」

唐突な願いに聞こえたのだろう。

迷いを見せるが急きたてるように膝をついて、格子の間から手を差し込んで頤を掴むと視線を合わせる。

「呼んで」

「貴方は馬鹿よ…レイシア」

長い間乾いていた。

欲しかったのは一掬の清水。たったそれだけでこんなにも潤う。

ゆっくりと微笑むと、自分の指を口に含み薄い皮を噛み千切る。

地位も身分もなくすかも知れない。だから誓えるものはこれだけだ。

頤を掴んだ手に僅かに力を込め、血が流れる指をユウコの口唇から差し入れた。

「君が呼んでくれる名前と、この血に誓う。必ず君を助け出す」


いよいよ近くなる足音に立ち上がり歩き出す。

自分の顔に笑みが浮かぶのを止められない。

もう、迷いはなかった。









途中で行き会った従者を連れて帝の元に戻り、レイシアはユウコの入内を認める旨の返答をした。

















ようやくもやもやした関係から抜け出せそうな予感です。

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