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雪待ちの花  作者: Akka
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徒人なれば 2

息子の剣が己を貫こうとしたとき、あれほど覚悟したにも関わらず身体は間違いなく逃げていた。ただそれが追いつかなかっただけで。

血など見たくもない。それが己のものであれば尚更。

己が首筋に刀を走らせたあの皇子は、どのような心持であったのだろうか。






 

「刀は今、貴女の手にある。人が来たら、どう思うでしょうね?」

流れる血など意に介さず、微笑む裏で痛みがないはずがない。

しかし己の価値を把握しているからこそ、それを惜しみなく最大限に活用する。見事、としか言いようがない。

あまりにあっさりと術中に嵌った己に、今更慌てて刀を放り出すことさえ滑稽だ。

脳裏に浮かぶのは、破滅した己。

ある側面から見ればこの皇子の価値は帝をも凌駕する。それを害してかの砂漠の大国が黙っているはずがない。その怒りを静めるためならば、国母の首さえ簡単に差し出すだろう。

比較検討するまでもない、それは当然のこと。

 

どうやら娘は、思っていた以上に普通でない男に愛されたらしい。


「榊」

「はっ!」  

何を言われるのかと身構えた硬い声。いい意味でこの男の感覚は平均だ。

「これまでの事とこれからの事、他言無用と心得よ」

 

「さて、妾の宮で随分なことをしてくれたな?」

「……これ以上のことが起こるか否かは、貴女次第だ」

「小癪な童じゃなぁ?」

「……っぅ!!」

 初めて皇子の顔が歪む。

 当然だ。未だ鮮血が流れ続ける傷口に、爪を立てたのだから。

「調子に乗るでないぞ、小童」

より深く。肉をえぐるように。当然紅く染まる自分の手が震えていることに、どうか気付いてくれるな。

「ぐ…ぅっ!」

しかし皇子は自分を攻撃する手を振り払おうとはしなかった。

また、顔をゆがめても視線を外そうとはしなかった。


 

負けた。

この皇子のために動かないではいられない。

たとえそれが我が子の一方を傷つけることになっても、動かないではいられない。


 

されどユウコ。

妾はこの皇子の思いを伝えることしかせぬ。

脅されようと何をされようと、そなたの意思はそなたのものであれ。


そなたはそなたのものであれ。

 








静か過ぎる最期だった。

この人の死に際はさぞや騒がしいものになるのだろうと思っていたのに。

そのことに意外で、でもどこか納得している自分がいた。


「逝ったか」

状況に似つかわしくない落ち着いた声が響く。

畳に広がった血溜まりを一瞥し、一言命令が下される。

「やれ」

その言葉が何を指しているのか、正しく把握してはいなかった。

反射的に叫んだ言葉に過ぎなかったのかもしれない。

けれどユウコは帝の命令を、これまでにない強さで否定した。


「やめなさい!!」


皇太后が連れてきた侍女たちに向かって振り下ろされようとしていた刀が、皮一枚のところで止まった。

僅かに戸惑いを含んだ怪訝な顔を向けてくる武官をまっすぐに睨みつける。

「ここは不浄を嫌う内裏です!これ以上の不浄は神の怒りを買うでしょう。そのような所業に及ぶなど、赦されるはずもない!

 そもそも力のない女を押さえつけて刀を振るうなど、恥を知りなさい!」

帝の命令に背くことに躊躇していた者も、斎宮が語る『神』に刀を置いて膝をついた。皇太后に着いて来た時点で命は諦めていたのだろう侍女たちは、突然変わった流れに反応できず呆然と座り込んでいる。


じっと自分を見下ろす視線に、ユウコは立ち上がって顔を上げた。

同じ親から生まれたよく似た顔。しかしその内に秘めるものはいつのにか大きく異なってしまった。

「私は…主上、貴方に従うと申し上げたはずです」

しかしこれは恭順の確認ではなく、非難の言葉。

「殺す必要などなかった。私は言葉を違える心算などなかったのに」

まっすぐに投げかけられた糾弾を、笑顔で受け止めた。

「お前は…涙に濡れて怒りに震える瞳まで、母の血に濡れたその手さえ愛しい。

 それはお前の心根が美しいからだ。決して靡かず挫けず、それがなければお前ではない」

「私の言葉が届いていますか?!」

自分の言葉が受け止められていない。そのことが耐えられなかった。

わかっていて受け流しているならばいい。腹立たしくはあるが正常だ。しかし無意識にそれを行っているのであれば、一体どうすればいいのかわからない。

閉ざされた世界を、こじ開ける術を誰も持たない。


「やはり、お前は人形ではつまらないな。そちらのほうがずっと良いぞ、ユウコ。

 お前を拘束するこの腕にこの力に抗え。

 ……私を退屈させるなよ?」


生まれて初めて、この人を憎いと思った。

ただ退屈を紛らわすために人を殺め、弄ぶ。

この人が持つ力ではなく、この人が憎いと始めて思った。








『―――、―――――。

 

 貴女が海を越えてからもうすぐ丸十年。貴女がいない雪景色を見るのは未だに寂しいわ。

 寒椿の色は鮮やかなままだけど、貴女は今幸せかしら?

 私には確かめる術がないので、ただ幸せであることを祈ります。


 もうすぐ伯母上のご命日です。ささやかですが今年も法要を行います。

 貴女を見捨てた私には、こんなことを頼む資格はないけれど、一言でよいから何か言付けを頂戴。

 内親王としてでなくてもいい。

 貴女が忘れたいのなら、この国のことは忘れてしまって構わないの。

 でも、娘としての一言を伯母上に贈って貰えないかしら。


 返事を心待ちにしています。         ユウコ』


 

我ながら情けない文章にため息を付き、筆を硯に戻した。

10年間書き続けた手紙に返事が帰ってきたことはない。すべて仕方のないこととわかっていても、心が痛まないわけではない。


あの日以来ユウコは後宮の外に出ることなく過ごしている。

無論、ユウコの意思ではない。

かといって、絶対的にこの状況を受け入れがたいかと言われれば、それも違う。

母が連れてきた侍女たちは、すべてユウコが引き取った。


あの日起こったことは決して外に漏れてはならない。

ではどうすれば秘密が守れるのか。

簡単だ。目撃者を殺せばいい。事実タカオはその心算で近衛兵を連れてきたのだろう。

しかしそんな暴挙を肯定することなど、出来るはずもない。

一度助けた命には責任を持つべきだ。かといって殺せという帝の命が下っている以上、侍女たちに安住の地などあるはずもない。人目の少ない場所に入った瞬間に無残にも散り果てる運命にある。

ならばいっそあちらの満足がいくように、常時監視を目が届くところに置いてやれば良い。

暴論ではあるが、それは確かに一つの方法だ。


「かと言って…」

今更ぼやいても仕方のないことだとは思うが、こぼれるため息は止められない。

室内に2人。廊下に2人。そして部屋が面した中庭に3人。

これが現在ユウコに付けられている護衛と言う名の監視の数だ。

その他にも当然他の女御や更衣の部屋との境界には、鼠一匹通さぬ検問があり、よくもここまでと苦笑いをしたくなる。

自分には逃げる気がないのだから、これらは明らかにただの無駄だ。

母が自分を逃がそうとして死んだ。否、殺された。

これ以上惨事を繰り返させる心算はない。

息子としても帝としても、タカオの行いは赦されるものではないし、ユウコとて赦す心算は欠片もない。

思い出すたびに脂汗が流れ、夜は夢で叫び続ける日々。目を閉じればありありと思い出す悲惨な光景。

何も出来なかった。

きっともう一度繰り返されても、何も出来ない。

だとすれば繰り返さないしかない。


だから今日も、帝の呼び出しに応じてユウコは部屋を出る。

数多の者を引き連れて、波打つ黒髪を躍らせて。

手には先程したためた手紙。10年前から決して返事が届くこのない、一方的な思いを乗せて。


思いを押し付けているのは、兄だけではない。

 

自分もまた、同じ罪に汚れているのかもしれなかった。



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