一
拝啓。
未だ残暑厳しい時候ですが、朝晩はようやく涼しさも感じられるようになってきましたね。いかがお過ごしですか。僕の方はいつも通りといったところでしょうか。体の方は頗る健康なのですが、気分は憂うつです。こちらでは一日のほとんどを自分の部屋で過ごしています。相変わらず本を読んでばかりいますが、最近ではそれも飽きています。僕がいかに本好きだったとしても、そう毎日四六時中それだけではさすがに飽きがくるというものです。こんなときこそ身を入れて学業に取り組むべき時なのかもしれませんね。しかし、最近は勉強というものが全く出来なくなってしまいました。もはや気持ちの上だけでなく、全身で勉強をするということに対して拒否している感じなのです。勉強しようと机に向かった途端に、発作的に猛烈な眠気に襲われてしまうのです。何とか歯を食いしばってやろうとはするのですが、眩暈や悪寒すら覚えてきて、どうにも耐え難い気持ちになって、それでも我慢してやろうとすると、しまいには、何もかもめちゃめちゃにしたい衝動に駆られてします。先日は、ついにノートや教科書をナイフで切り刻むといった暴挙を犯すまでに至ってしまったくらいです。
この頃は、喜びや快楽というもの対して不感症的になってきている気がします。何をしても楽しさや面白さが感じられなくなってきたのです。実を言うと、小説を読むことにしたって、こういう手紙を書くことにしたって、以前ほど気分が盛り上がらないのです。それどころか、虚しい無意味感のようなものがより強く意識されるようになってきました。何をしていても、一時的に快を得られたかに思えても、次の瞬間には「それで?」となってしまいます。この「それで?」というのが実に曲者なのです。その問いの前には全ての喜びも意味もほとんど打ち消されてしまうという具合なのです。
その一方で、痛みや恐怖と言ったネガティブな感覚や感情に対してはますます敏感になっていくように思えます。以前ならそれほど耐えるのに苦労しなかったような些細な苦痛と思われるものでも、ひどく鋭敏に意識されて、耐え難く感じるのです。最近勉強が全くできなくなったというのも、勉強をする時に感じる苦痛に耐えられなくなったからだと思っています。幼い時分から勉強は好きではありませんでしたが、それでも大学に入るまでは一、二時間くらいは平気で机に向かっていられたものです。しかし、この頃では数分と持たなくなりました。教科書の文章や数式を追うのがとにかく辛くて仕方ないのです。興味の感じられない教科書の内容を理解し、さらにそれをしっかり脳に定着させていくという作業は、意識すればするほど無味乾燥で、まるで雲を掴もうとしているような捉えどころのない不毛な作業にも思えてきて、恐ろしいほどにまどろっこしくて本当に気が狂いそうになります。
勉強以外でもあらゆる苦痛に関してもそうです。例えば、人と接する時などに強いられる緊張や不安などといった精神的な苦痛にしても、机の角に足の小指をぶつけたりしたときに感じるような肉体的な苦痛にしても、あらゆる苦痛が以前よりはるかに耐え難く感じるのです。最近はそういう苦痛を感じるのがとにかく辛くて恐くて仕方なくなってきていて、果たして今後の人生で一体どれほどの苦痛を味わい、それに耐えて行かなければならないのかと考えると、決して大げさでなくこの世が生き地獄に思えてきます。
なんだか初端から暗い愚痴ばかりで申し訳ありません。ニーチェ風に言うと、僕は二十五にしてすでに生とやらに倦み疲れているのかもしれませんね。
今とても寂しいです。実をいうと、僕は今とても寂しいのです。何よりも寂しいのです。だから、こうして手紙を認めているのでしょう。しかし、その一方で、まったくこんな手紙を書くことに何の意味があるのだろうかと、自分でもつくづくバカらしくもなってきています。でも僕はどうしても書かずにはいられないのでこのまま最後まで書きます。