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 例年通り、英雄はその年の盆前になると実家に帰省した。英雄が通っていた大学の夏季休業の期間は、八月上旬から九月の終わりまでだった。英雄は帰省してから一か月半ほど実家で過ごしたが、実家では二階にある六畳の自室に籠っていることが多かった。大抵はそこで小説を読んだり手紙を書いていたりして過ごしていた。英雄が小学時代から愛用していた木製の学習机の上には、常時教科書やノート類が広げられていたが、これは母親に自分がちゃんと勉強しているということをアピールするための擬態だった。度々母親が英雄の部屋に様子を窺いに来たからである。母親は留年を繰り返していた息子のことをひどく心配しており、息子の怠慢を口やかましく咎めることもあったのだ。英雄自身も己の現状を恥じる気持ちは大いにあり、時には本気で勉強をしようすることもあった。テキストに目を通してみたり、その章末に載っている演習問題を解いてみたりしようと度々試みたこともあったのだが、気持ちよりも身体がそれを拒絶しているように英雄には感じられた。それでも無理にやろうとすると猛烈な破壊衝動に襲われ、終には激しい癇癪を起すようにまでなった。実際、英雄は実家で夏休みを過ごしている間、何度も癇癪玉を破裂させ、怒声を発しながら自室の中を荒らしまわったり、何冊もの教科書やノートをはさみやカッターナイフでずたずたに切り裂いたりすることもあったのである。英雄がそこまで荒れ狂ったのは全く初めてのことで、癇癪を起した時の英雄の周囲には、血なまぐさい事件性さえ匂わせる不穏な空気が漂い、英雄の母親を大いに不安がらせたりもした。

 ところで、英雄は大学に入ってから熱心に手紙を書くようになっていた。だが、その手紙は宛ての無いものだった。英雄は高校時代から、かつての名だたる文人たちが友人や師弟の間で密に手紙でやり取りしていたことに対して強い憧れの念を抱き、大学生になれば自分も彼らに倣ってそのような手紙のやり取りをしたいものだと願っていたのだ。ところが、英雄はそのように手紙をやり取り出来る相手を全く見いだせなかった。そこで仕方なく架空の相手を設定して手紙を書くようになったのである。そのことと並行して、英雄は文豪を夢見て小説の執筆を試みていたが、全く思うように書けず難渋していた。だが、手紙を書く際は筆運びが大分スムーズになった。かくして英雄は宛ての無い手紙を書くことに刹那的に熱中するようになっていったのである。英雄は一通の手紙を書き上げるのにかなり時間をかけるようになり、何度も加筆、修正を重ね、清書して仕上げるまでに一カ月ほどかけることもあった。

 英雄はこれらの手紙を自分以外の者に読ませるということは決して無かったが、常に他者や世間の目を意識していた。自分の手紙の内容がいずれ人類にとって重要な歴史的意味を持つに違いないと、うっとり空想することもあった。

 このように、六年余りの間に書き散らした手紙はかなり溜まっており、英雄はそれらの手紙を淡い黄緑色の紙製のファイルバインダーに綴じ、独り暮らしをしていた学生アパートの自室にある学習机の引き出しの奥にこっそり大事そうに保管していた。また、時々引き出しからそのファイルバインダーを取り出し、手紙を読み返すこともあった。

 しかし、大学生活も七年目の頃になると、英雄はさすがそのような己の振る舞いに対して不毛を意識するようになっていた。その年の夏休みも英雄は同じように手紙を書き、それは英雄がそれまで書いてきた中では最も長いものであったが、結局、それが英雄にとって最後の宛ての無い手紙となったのである。

 以下、その手紙の内容である。

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