一人称とカメラワーク
今回は一人称とカメラワークについて話そう。
これは我々が最も得意とする語り口だろう。友達との交換日記や、原稿用紙五枚にも及ぶ読書感想文など、一番接する機会の多い人称である。
メリットのひとつは、とにかく書きやすいこと。思ったことをつらつらと書き綴ってゆくだけで済むのだ。
一人称が最も得意なことは、語り手への感情移入だろう。最近は爽快感あふれる主人公が流行りのようだ。涼しい顔で問題を解決し、可愛いヒロインに惚れられる。鬱屈とした現実を一時的に忘れる娯楽としては、まさにうってつけだろう。
次は一人称のデメリットについて話そう。これには私も散々苦しめられ、いまだ上手く立ち回る術を見いだせずにいる。
それは情景描写と説明文だ。語り手の目はカメラに例えることができる。ただ、極めて小さなレンズしか使えない。大きさは五円玉の穴くらいだろう。それくらい、周りの風景を書き、説明することは難しい。
そんな馬鹿なと思うかもしれない。だが、これは事実だ。私たちの目は、前方の広範囲を『見る』ことができる。では、どれだけ注意深く『視る』だろうか。興味を惹かれない限り、気にとめない人がほとんどだろう。なにより話しが進まなくなってしまう。
前方から歩いてくる通行人の背格好や表情、道路の様子、雲の流れや足元の毛虫まで描写するわけにはいかないのだ。
ゆえに、取捨選択が必要になる。通行人とのすれ違いが物語に必要なら、詳細に書かなければいけないだろう。
場面設定:男とすれ違う主人公
――――ここから例文・詳細バージョン――――
不自然だと思った。前方に佇む男は、橋の欄干に肘をついて、川を眺めている。俺と似たような格好からして、社会の歯車であることは容易に想像できた。
だが、平日の朝からスーツを着た社会人が、このようにのんびりするだろうか。俺の予想を裏付けるように、男性の顔は憔悴しきっていた。
もしかしたら会社をクビになり、格好だけでもと着替えたのかもしれない。だが、この社会のどこにも彼の行き場はないのだ。ハローワークの営業時間まで、一時間はある。俺は哀愁漂う男性の傍らを通り過ぎ、家へと急いだ。
こうやって朝方まで会社に拘束される人生と、会社から切り捨てられた人生。どちらが幸せなのか、俺にはわからない。ひとつわかることは――五時間後に出勤しなければプロジェクトは頓挫するという事実だ。両肩にのった責任の重みで脱臼すれば、病欠を理由に休めるだろうか。そんな空想で自分を慰めていると、大きな水音がした。
振り返った先に男性はいない。まさか。俺は慌てて橋の下を覗きこむ。彼は――バタフライで川をさかのぼっていた。数メートル下から、楽しそうな声が届いてくる。朝日で輝いていたのは、水面だけではない。
己の人生を謳歌する姿は、とても眩しかった。
――――例文・詳細バージョンここまで――――
男性が物語に関与しないのなら『様々な人とすれ違いながら、朝日に照らされる帰路を急いだ』くらいで充分だろう。
心理描写と情景描写と説明文。そして地の文と会話文。
これらは、どれかに偏ると悪文になってしまう。今回は地の文に特化したということで、ひとつ勘弁してほしい。