やるか、やらないか。
口内に唾液が増え、汗腺がガバガバになる。
刺すような緊張が辺りに立ち込め、身動きをとろうとしても動けない。
「にしても、些か物騒だね。僕のようなもやし相手にその警戒ぶりはなんだい。」
「き、気のせい…きのせい。俺達の日課みたいなもんだから気にすんな。」
「ふーん。そうかい。ま、良いよ。」
「そんなことよりシルルちゃんはどこよ。」
堪え切れなくなった柿川が強めの語調でメガネ君に問う。気の短いメガネ君にその語調はまずいと思ったが当の本人は
「そう焦るなよ、柿川結花。あの悪魔なら無事さ。」
なんら変化なく奇妙なほど落ち着き答えた。
「どこにいるんだ?」
ほんの一瞬だったが俺は言いながらこの問いの答えを聞くことに恐怖を覚えた。
「君たちにとってはアレはとても大事なようで安心したよ。奪った甲斐があったね。」
答えが出てこず安堵―――するわけがない。
「答えろ。シルルはどこにいる?」
「なぜ無償でおしえなければならない?」
「…っ!」
聞きたくもない言葉が発せられ頭が痺れる。そして自然と眉間の皺がいつものそれより深くなる。キリタニも黙ってはいるが、鞘に入れてはいるが刀を持つ手の血管が浮き上がっている。そんな俺たちを見てか意地汚いメガネ君の笑みが愉悦により更に狂った形相になった。
「何が欲しいの?」
柿川はただただ素朴に疑問に思ったようで、あまり普段と変わりないように見える。俺達はメガネ君に対しての前評判が元々低いからメガネ君を殴りたい気持ちに駆られるが、柿川はそうではないのだろう。などと思っていたが
「今はシルルちゃんの居場所分からないから聞いてあげるけど調子乗んなよ?」
駄目だ、一番こいつが抑えれてない。語尾はもはや素行不良児まんま、いやそれ以上の気迫が籠っておりなんだか自分の憤怒が陳腐なものに思えてきた。おかげで少し落ち着きを取り戻せた。それにメガネ君の要求も案外可愛いモノなのかも知れない。
「その傲慢な態度には今は目を瞑ってあげよう。要求は聞いてくれると確かに言ったしね。」
どっちが傲慢だ、と心中でひとりごちる。
「では鹿追樫雄――」
突然、名前を呼ばれ俺は心の中を読まれたか、と慌てるが
「———以外の二人の命を要求しよう。」
次の瞬間には動きを止め狂言を口走った阿呆の目をレンズ越しに睨む。罵倒してやりたかったが求められたモノが余りにも日常とかけ離れていた驚きで言葉がでない。
「冗談は時と場合を…」
「本気だよ。」
「理由は?」
「理由なんて今、重要なことかい? ああ、ちなみに他のどんなものを積まれても無理だからね、というか今はこれ以外欲しいものはない。」
個人的な私怨でキリタニを、というのなら分かる。しかし、なぜ柿川まで要求に含まれるのかが全く分からない。それに命を求めるというのもわからない。それこそ、キリタニへの復讐ならば本質的な死より、社会的な死の方がよっぽど傷は深くなる。
「なんで、死ななきゃなんねぇんだよ。」
「恨み…なんだろうね。地獄の煮え湯みたいなこの恨みが俺を大きくしてくれたからな。感謝してるぜ。」
言葉の途中でメガネ君の一人称が「僕」から「俺」に変わり、それまでの狂った微笑みから、品のない下卑た笑みに移行する。口調も落ち着き払ったものから、乱暴な攻撃的なものへ変わる。
メガネ君の様相の変化にキリタニは刀を鞘から抜く。煌めく刃に俺は落ち着けと視線を送るが、キリタニは頷くと構えていた刀をクルっと回転させる。所謂、『峰打ち』と呼ばれる形にしたのだ。いや、違う、収めろといったんだ。しかし、もうメガネ君を睨むばかりでその向こう見ずの闘志に火は着いてしまったようだ。
「いいねぇ、最初からそっちのほうがわかりやすい!」
メガネ君も連られたのか、声音が喜びで高くなり腰を低く構え臨戦態勢に入る。何故だ!お前は腕っぷし弱いだろ、だから人質?、悪魔質?をとったんじゃないのか。
このままでは収拾がつくとは思えず助け船を柿川に求めるが
「桐谷、やっちゃて、ぼこぼこにした上でシルルちゃんの場所を吐かせるわよ!」
この場において平和的に終わらせようと思っているのはどうやら俺、鹿追樫雄、ただ一人のようだ。
やるか、やらないか。(やる。)