奴隷と制限
こいつは一体何を言ってるんだ、というのが、和樹が最初に抱いた偽らざる本音であった。
だがまあそれはそうだろう。
魔物を狩って持ってきたと思ったら何故か待たされ、戻ってきたと思ったら開口一番に奴隷が欲しくないか、だ。
相手の正気を疑うのは当然のことである。
まあとはいえ、待たされたのに関しては、別に問題はない。
ものがものだけに、最初から多分そうなるだろうとは思っていたからだ。
しかし何故そこから奴隷に繋がるというのか。
「というわけで率直に聞くが、お前頭は大丈夫か?」
「やれやれ、人が折角言葉を選んだっていうのに……その言われ方はさすがのボクも少し傷つくよ?」
「言葉を選んだ結果そうなったっていうんなら、やっぱりお前の頭は駄目だな」
例えどんな用件なのにしろ、その言葉選びは確実に間違っていると断言出来る。
まあついでに言うならば、おそらくはそれがわざとだろうということも、だが。
「まったく、こんなにもキミのことを考えての言葉だというのに、酷い言い草じゃないか」
わざとらしい言動に、肩を竦めて返す。
一体どの口がそんな台詞を言っているのやら、という感じである。
だが。
「で、結局のところ一体何が言いたいんだ?」
受付嬢――サティアの言動は、そのほとんどが冗談交じりではあるが、無意味というわけでもない。
つい頭の具合を確かめたくなるようなことも多々あるが、そこには一応何らかの意味があるのだ。
つまり先ほどの発言にも、何か意味があるということであり――
「ふむ……と、言われても、今回は本当にそのままの意味なのだけどね? というか、そもそも最初に奴隷に興味がある、と言ったのは和樹君のはずだけど?」
「は? 俺が奴隷に興味を? 何を……って、あー」
そこでふと思い出したが、確かに以前そのようなことを話したことはあった。
しかしそれは別にアレでソレなことに興味があるというわけで言ったのではなく、若干ニュアンスが違っていたはずである。
「あれは確か、まともに美味いと思える料理がないから、最悪奴隷にでも仕込んで作らせるしかないかとか、そういう話だった気がするんだが……?」
「うん? ボクもそういう意味で言ったんだけど……ああ、もしかして、何か勘違いさせてしまったかな? それはすまなかったね。いや、認識の齟齬というのは怖いものだね?」
「お前な……」
唐突に奴隷が欲しくないかと言われれば、普通はそっちを連想するものであるし、どう考えてもわざとだ。
だが言ったところで意味がないことも明らかであり……和樹は諦めるように溜息を吐きだした。
「というか、そっちでも駄目なことに変わりはないだろ。そもそも冒険者は奴隷を持てないって言ったのは、確かお前だったんじゃなかったか?」
奴隷というものがどういうものであるのかなど、今更説明する必要はないだろう。
それがこの世界に存在しているということも、だ。
しかしこの世界の奴隷というものは、大枠では和樹の知っているそれとほぼ同じではあったものの、一つだけ決定的に異なっているものがあった。
それが、奴隷にも市民権が存在している、ということである。
まあ厳密に言うならば、間接的に存在している、というものではあるのだが、ここで語る場合には大差はない。
重要なのは、奴隷には市民権が存在している、ということであり……冒険者には、市民権は存在していない、ということなのだ。
そしてそれこそが、冒険者が最底辺と呼ばれる理由の一つなのだが……では市民権とは一体どういうものなのか。
これは端的に言ってしまうならば、その街の中で、その国の中で、人として生きていくことの出来る権利、とでも言うべきものである。
極端な話、これを持たない者は、持つ者に対し、何をされても文句は言えないのだ。
さらには、市民権を持たない者は財産を持つことも許されていない。
市民権を持たないということは、文字通りの意味で人として生きていくことが出来るかどうか、ということなのだ。
もっとも、これらに関しては冒険者には当てはまらず、それもまた最底辺と呼ばれる所以の一つではあるのだが……それでも、市民権を持たない冒険者には相応の弊害がある。
その一つが、財産の制限だ。
持つことこそ許されてはいるものの、それは許さなければ冒険者というものをやっていられないからである。
武器や防具は当然のように財産なので、それを持たず魔物と戦えというのは死ねということと同義だ。
だからこその例外であり、だがそれでも市民権を有していないことに変わりはない故の制限である。
その制限というのは、武器防具等を除いた上での金貨一枚以上の財産の所持の禁止だ。
これは一見多いようにも見えるが、実のところそうでもない。
ランク三の魔物を一体でも狩れば、その素材だけで余裕に越えてしまうからだ。
まあそこら辺の理由もあってランク三以降の冒険者というのは別扱いされることになるのだが……今は関係ないので割愛する。
ここで問題となるのは、奴隷というのは、市民権を有するが、同時に財産としても扱われるということであり、その価値は最低でも金貨以上だということなのだ。
つまりはその時点で、冒険者が奴隷を持てないということは確定しており……そもそもの話、市民権を有する者を、市民権を持たない者が所持出来るかという話でもある。
要するに、冒険者が奴隷を持つということは、根本的なところで不可能なのだ。
と、いうような話を、和樹はサティアからその話が出た時にされているのであり――
「ま、そうなんだけどね。でもその時に、ボクはこうも言ったはずさ。例外を除けばね、と」
「それっててっきりランク三以上になれば、って話だと思ってたんだが……違うのか?」
「ランク三以上は別格ではあっても例外ではないからね。そもそも、例外って言うには数が多すぎるし」
「……確かに、言われてみればそれもそうか」
和樹の聞いたところによれば、この街に居るランク三以上の冒険者の数は、凡そ百人程度であるらしい。
この街に居る全冒険者の数が、多くとも一万人程度であるらしい、ということを考えれば、なるほど例外と言うには多すぎるだろう。
例外というものは、また別枠で存在していると考えるのが妥当だ。
「で、今までの話から考えてみるに、どうやら俺がその例外になりそうな感じだが……いいのか? そんな扱いをされるほど何かをした覚えはないんだが」
「まあそこに関しては、見解の違い、といったところかな? キミにとっては大したことがなくとも、こちらにとっては大したことがあった。それだけのことさ」
そう言われてしまえば、和樹としては、そうなのか、としか言いようがない。
ギルドの判断基準など、和樹が知りようはずもないからだ。
「とはいえ、やっぱり違和感はあるな……どうせそういう扱いになったのだって、アレを倒したからだろ?」
アレ――あの時少年達が襲われていた、あの魔物。
ランク一相応の魔物でないことなど、すぐに分かった。
それでもすぐに助けに行かなかったのは、本来冒険者というものは他の冒険者と関わるべきではないからだ。
例え相手が魔物に襲われており、死の寸前にあろうとも、である。
それは成りたての冒険者が他の冒険者に騙されないようにするため、という側面もあるのだが……それも含め、要は余計な面倒事に巻き込まれないようにするための不文律だ。
そもそも、助けたところで見返りがあるとは――感謝されるとは限らない。
むしろ、余計な真似をしてくれたなと、因縁をつけられることすらあるのだ。
勿論冒険者の全てがそうだとは言わないが、そういった手合いが多いのが冒険者でもある。
故にあの時和樹が取るべきだった正解とは、他の冒険者がそうしていたように、無視、であり――
「でもキミはそれを知っていながら彼らを助けた。助けてしまった。ならばそれによって生じた不利益は、甘んじて受けるべきじゃないかい?」
「いや、別にそこに異論はないんだが、俺が言いたいのは、本当にその程度のことで不利益が生じるのか、ってことだ。たかが少し強い魔物を倒したってだけのことだろ?」
「いやいや、アレは一応ランク三だからね? そしてランク一の冒険者がランク三の魔物を倒したっていうのは、十分大事だよ。まあそれはランク二だったとしても同じことなんだけど……よりにもよってランク三だったからねぇ」
「それが何か関係あるのか?」
「大有りだよ。とはいえ、実際には倒したってだけなら問題はなかったんだけどね。持ってきちゃった以上は、誤魔化しようはないし。報酬でそれをやっちゃったら、シャレにならないからね」
「……ああ、なるほど。そういうことか」
そこまで聞かされ、ようやく和樹は得心がいった。
要はサティアが問題としているのは、報酬のことだったのだ。
以前にも少し触れたが、魔物を討伐することで報酬を受け取るには、対応した依頼を予め受けておく必要がある。
だからこそ和樹はその分の報酬は受け取ることが出来ないが……素材に関しては話が別だ。
その死体を丸々持ち込んでいる以上、そっちを換金するには何の問題もないのである。
そして魔物の素材というのは、ランクが一つ上がるだけでその換金額が跳ね上がるものだ。
文字通りの意味で、それは桁が違い……ランク三の魔物ともなれば、その素材の一つだけで金貨に相当するものも珍しくはない。
当然、魔物を丸ごと一匹持ち込めば、解体による手数料等も差し引いたところで余裕で金貨を超え……さて、しかしここで一つ問題がある。
和樹は現在ランク一の冒険者だ。
つまり、金貨一枚以上の財産の所持を禁止されているのである。
冒険者にかけられた制限というのは、制限が緩い分、それを破ることは重罪だ。
具体的には、発覚した時点で冒険者としての資格を永久に剥奪されてしまうほどである。
ついでに、こちらは一般には知らされていないが、スキルや能力が封印され、一般人以下とされてしまう。
これは、事実上の死刑宣告である。
冒険者になる者は、それ以外になれるものがないから冒険者となるのだ。
それを禁止された上に能力まで封印されては、死ねと言われるのと同義であった。
そして和樹に今回の分の報酬を渡すということは、自動的にその罪を犯すことになる、ということだ。
これはギルドがそうなってしまうことを把握していようとも関係はない。
禁止事項を破った、ということのみが重視されるからである。
だがその金を渡さないということもまた有り得ない。
換金された素材を正当な値段で渡すというのは、大前提のことだからだ。
これを破るということは、ギルドとして素材の換金が出来なくなるということであり、それは本来の換金額より少なくしようとも同じことである。
あっちを立てればこっちが立たず……そんな状況でギルドがどちらを選ぶのかなどは言うまでもないだろう。
しかしこれもこれでギルドの信頼を損なうものであり……そこで、例外というものの出番、ということであった。
「……まあ、状況は何となく分かったが、最初から想定しておけって話じゃないか?」
「それはそうなんだけど、本来は有り得ないことだからねぇ……どっちにしろ例外的な処理をしなくちゃならない以上、想定してたところで大差はないと思うよ?」
「それもまあ、その通りか。……というか、それは分かったが、それが何で奴隷の話に繋がるんだ?」
例外扱いしなければならない、ということは分かった。
だがであるならば、それだけでいいはずだ。
そこに奴隷を組み込む必要はないはずである。
「それがあるのさ。というよりは、順番が逆かな? その奴隷の件があるから、キミは例外扱いになるんだよ。あくまで報酬云々の話は、そのついでさ」
「……なるほど。そういうことにするって話か」
返答はなかったが、浮かべられた笑みがその答えだろう。
勿論あくまでもそれは建前だろうが……時には建前をこそ必要とする場面というものも、存在するのだ。
だが当然のように、それで全てが納得できるわけではない。
「そもそも、何で奴隷なんだよ。まずはそこが分からん」
「勿論キミが望んでいたからだよ……というのはさすがに冗談だけれど、まあ、そうだね。色々な偶然が重なり合った結果、といったところかな?」
「偶然、ねえ……」
呟き、疑わしげな視線を向けるも、相手に動じる様子はない。
それは事実だからだ……などと言ってしまうのは、さすがに能天気が過ぎるだろう。
幾ら何でもその全てが、などとも言うつもりはないものの、少なくとも半分程度は狙った結果、といったところか。
「腹が立つのは、それが分かっててもどうしようもないってとこだけどな」
「いやだなぁ、さっきも言った通り、ボクはキミのことを思って言っているんだから、どうにかする必要そのものがないじゃないか」
「言ってろ」
だが何にせよ、この話を受けないという道はない。
既に和樹は選択をし終わった状態なのだ。
彼らを助けるために魔物を倒し、そしてそれを提出してしまっている。
故に今の主導権はギルドにこそあり……勿論、何もかもを捨てる覚悟があれば首を横に振ることだって出来るだろうが、別にそこまでして拒否するようなことでもない。
或いは、この先の話次第ではそういったこともあるかもしれないが、少なくとも今のところそのつもりはないのである。
溜息を吐き出すと、和樹はそのまま頷いてみせた。
「それで、結局どういうことになってるんだ? わざわざ例外を作り出すようなことなんだ、まさか普通の奴隷を寄越そうってわけじゃないんだろ?」
「まあね。ところでその話をする前に、キミは奴隷に関してどれぐらいの知識を持っているんだい?」
「多分一般的な知識ぐらいならあるとは思うが……というか、それを一番よく知ってるのはお前だろ?」
「まあそうなんだけどね。念のため、みたいなものさ」
「念のため、ねえ……」
この世界の奴隷というものは、和樹の元々知っていたそれに比べれば随分とマシな扱いを受けている、というのは既に述べた通りだ。
しかしそれは扱いに関してのみであり、その本質的なことが変わっているわけではない。
金によって売買され、買われた相手に隷属することになる、という意味で、だ。
とはいえ、一言で奴隷と言ったところで、奴隷となる者は様々である。
当然のように全てを同様に扱うわけにはいかず、それぞれの特色等に合わせそれぞれのグレードに分けられているのが基本だ。
グレード、などと言ってはいるが、これは要するにランクのことである。
そう、冒険者や魔物のように奴隷もまたランクに分けられており――というよりは、この世界ではあらゆる基準がランクとなっており、冒険者などはその一つに過ぎないのだが……閑話休題。
冒険者がギルドへの貢献度によってランクが上がるように、奴隷のランクにもまた基準がある。
単純に容姿から始まり、年齢、性別、出自、所持している技能、才能……それと、種族。
あらゆる点を考慮して加点と減点が繰り返され、その結果によってランクが決まる。
そして奴隷のランクが何に関係しているのかと言えば、当然のように値段だ。
ランクの高い者ほど値段が高く、低い者ほど低い。
だが、値段が高いからといってそれが使える奴隷かと言えば、それはまた別の話である。
例えば、元貴族であったり、人前に滅多に出ることのない種族、それこそ精霊であったりすれば、それだけでランク四や五に相当するからだ。
本人が何の役にも立てないとしても、である。
まあそういった奴隷を求めるような人達は、使えるかどうかではなくまた別の価値を求めているのだから問題はないのだが……要は、奴隷というものは、ランクが高ければいいというものではない、ということだ。
むしろ、だからこそランクが高い奴隷ほど厄介事に繋がり易い、などと言うことも出来るのだが――
「……おい。まさかとは思うが、そういう相手なんじゃないだろうな?」
「うーん、残念ながら違うかな。そういう子が奴隷商会に居たらキミに紹介してたかもしれないけど」
「居なくてよかったと安堵しておこう」
ちなみに奴隷商会というのは、文字通り奴隷を専門に扱う商会のことだ。
和樹などはその名前から若干怪しげな想像をしてしまうのだが、基本的には健全な商会である。
基本的には、という言葉を付けたのは、中にはそうではない場所も存在していたり、そもそも人を商品と扱っている時点で健全も何もないから、という理由からだ。
まあそういったことを除けば本当に普通であり……だが、扱っているものがものだけに、色々と問題が発生することもある。
それは別に、商会が理由で起こるものばかりでもない。
例えば、特定の奴隷が売れなかったらどうするのか、というのもその一つだ。
奴隷とはいえ市民権を持つ人である以上、飲まず食わずで放っておくわけにもいかないが、それには少なくない金がかかる。
そのため、ある一定期間売れなかった奴隷は強制的にどこかに売られたりするのだが……その最も多い売り先は、娼館だ。
これは奴隷として需要があるのは基本的に男であり、女が求められるのは珍しいから、とであり……しかし、そう易々と売ることが出来ない者も存在している。
元貴族などがその筆頭であり、精霊などもその一つだろう。
迂闊な場所に売ってしまえば即問題が発生するような者達であり……そういった者達を、稀にギルドが買い取ることがある。
奴隷としてではあるが、職員としてでもあり、受け入れ先の一つとして、だ。
和樹はそれを知っているからこそ、その一人を押し付けてくるのかと思ったのだが、どうやらそういったわけではないらしい。
「いや、そこは完全に否定出来るわけでもないんだけどね? 正当に評価されれば、本来はそっち側だっただろうし」
「……ふむ。凄い嫌な予感がしてきたんだが、帰っていいか?」
「別にボクはそれでもいいし、その時はその時で別の手段を用いるつもりではあるけど……多分キミはそうなった時、後悔することになると思うよ?」
「なるほど……クソだな」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
どこら辺が褒め言葉に聞こえるのかは疑問だが、間違っているというわけでもない。
その言葉が正しいのであろうことを、和樹は知っているからだ。
だがともあれ、そちら側でないとするならば、あとは一つしかない。
「つまり、逆側、か」
「そうだね。というか、だからこそキミに任せることが出来るわけだし。幾らなんでも、ランク一の冒険者にランク五の奴隷を任せることは出来ないからね」
それはまったく嬉しい話ではなかった。
むしろ、ある意味では悪化したと言えるかもしれない。
ランク一というのは、言うまでもなくその中で最も低いランクである。
冒険者であれば見習いや未熟者、初級者に相当するし、総じて最も多く、且つ最も使えない者達のことだ。
それは冒険者に限らず、大抵のことにおいて通じることであり……しかし、奴隷に関してだけは例外であった。
奴隷で最も多いランクは、ランク二だからだ。
基本的に奴隷となるものは、どれだけ技能が低くともランク二となるのが一般的である。
奴隷商会の中にはランク一の奴隷が居ないということも存在しており、それは珍しくないのだ。
ランク一とは、必要最低限の技能さえも有していない者や、最低限の技能はあれども何らかの問題がある者、一流の技能を所持してはいるものの特大の問題を抱えている者などに与えられるものである。
つまりは希望するからこそ一時的に奴隷という身分を与えられはしたものの、奴隷にすら相応しくはないと判断された者なのであった。
そしてどうやらこれから和樹が押し付けられるのは、そういった者のようであり――
「で?」
「で、とは?」
「どんな特大な厄介事を抱えたやつなのか、とっとと話せって意味だ」
「いやいや、厄介事なんて、そんな難しい話じゃないよ。ただちょっと、言葉が通じないだけさ」
「……は?」
今サラッと、何でもないことのように言ったが、どう考えてもそんなわけはないだろう。
というか、今更ながらに知った事実なのだが――
「……種族間で特に言葉の壁みたいなのはないみたいだし、てっきり統一された言語なのかと思ってたが、そういうわけじゃなかったのか」
「共通語はあるし、大抵の人が使えるから言葉で困るってことはほとんどないはずだけどね。ボクが今使ってるのだって共通語だし」
それは素晴らしいことであったが、これからのことには何の役にも立ちそうもない。
というか、サティアでも手に余るような者を相手に、何をどうしろというのだろうか。
「うん? いや、別にボクの手に余る、なんてことを言った覚えはないけど?」
「……は? それってどういう――」
「っと、どうやらちょうど彼女が来たみたいだね。さすが、タイミングばっちりだ」
サティアが振り向いた先に視線を向けてしまったのは、反射的なものであった。
だが見てしまった以上は、必然的にその姿が視界に映りだされ――思わず和樹は、目を見開く。
そこに居たのは、一人の少女であった。
不安と困惑を混ぜたような表情をその顔に浮かべており……しかしそんなものとは無関係に、彼女はその場で妙なほどに浮いている。
とはいえ、その理由は明らかだ。
それは色彩によるものであり――即ち、黒。
和樹と同じように、その髪も瞳も黒く染まっており、見慣れた、だがこの世界では自分以外には見たことのなかった色であった。
理由は聞いてはいないものの、どうやらこの世界には基本的に黒い髪や黒い瞳を持つ者がいないらしい。
そう、この世界の住人の髪は、皆赤であったり緑であったりするのだ。
ある意味ではそれもファンタジーらしくはあるのだが、それに慣れてしまったのか、和樹はその黒の少女がそこに居ることに違和感すら覚えていた。
否、それはまた別の理由によるものか。
しかし混乱している頭では、どうにも思考が上手く働かない。
別に自分が特別などと思ってはいないし、思ったこともない。
だが、それでも――
「やあ、すまないね、わざわざ来てもらって。まあ共通語で話しているから、キミには何を言っているか分からないとは思うけれど」
「いや、じゃあ何で話しかけたんだよ」
反射的につっこんでしまったのは、慣れによるものか。
ほとんど考えることなく言葉は口から放たれ……そこで少女はこちらに気付いたのか、その視線がこちらに向き――その表情が、変わる。
いや、或いは、それ以前の段階から変わっていたのかもしれないが、それを考える暇はなかった。
「それは勿論、キミにそうして話してもらうため、さ」
それがどういう意味かを問い質すよりも早く――
「……え? 日本、語……?」
自分と同じ感情を浮かべた少女が、そんな言葉を口にするのを、和樹は耳にしたのであった。