ギルドの受付嬢
ギルドの受付嬢という仕事は、人気のない仕事である。
仮に外に向けて大々的に募集をかけ、さらには人種性別経歴全てを不問にしたところで、募集枠の一割も集まればいい方だ、とでも言えばその人気のなさが分かるだろうか。
基本的には受付嬢とは、ギルドの中でも窓際に近い、罰ゲームじみた役職なのである。
だがそれは言ってしまえば、当たり前のことだ。
受付嬢ということはつまり、冒険者と接する必要がある、ということである。
そして一般人にとって冒険者とは、魔物と大差ない……否、言葉が通じ、明確に意思があると分かっている分、魔物よりも警戒すべき存在だ。
何せ迂闊に機嫌を損ねてしまえば、次の瞬間には肉の塊になってしまうかもしれないのである。
そんなものと積極的に接したいと思う物好きは、早々いないだろう。
リオナ・ベルネットはその物好きな人間の一人であった。
もっともそれは、子供の頃に冒険者によって助けられ、それが一般的な冒険者なのだと勘違いしてしまったが故の悲劇なのだが……まあ、それを知ったのが受付嬢に成った後のことな時点でどうしようもない。
とうにその幻想は砕け散っており……それでも意外と性に合ったのか、現在の仕事を悪くないと思っているのは不幸中の幸いか。
まあそれはともかくとして、何だかんだと仕事を続けて半年ほど。
冒険者の相手をするのも、仕事場の人間関係にもそれなりに慣れてき始めた頃であり、そうなれば親しい人間の一人や二人出来ようものである。
「……ふむ」
その呟きを発した人物こそがその一人であり、視線を向けてみれば、同じく受付嬢の一人であるサティア・リンデンベルクが何やら考え込んでいる様子であった。
そのことを珍しいと思ったのは、サティアのそうした姿を見たことがリオナにはほとんどなかったからだ。
いや、ほとんどないどころか、或いは初めてかもしれない。
サティアはいつも何処か飄々としている、掴み所のない女性である。
だが接しづらいということはなく、むしろ交友関係は広い方だろう。
言動こそ飄々とはしているものの、それは悪い意味ではなく、どちらかと言えば楽しそうにしていることの方が多かった。
さらにはギルドに入ったのはリオナとほぼ同時期という話なのに、その知識量は驚くほどのものだ。
外見に反してのそれに、人類種よりのハーフエルフなのではないかと噂されるほどであり、年長者でさえも何か分からないことがあると、まずはサティアに尋ねるぐらいなのである。
リオナもサティアには度々助けてもらっており……その逆は一度もない。
故に声を掛けたのは、今ならば自分も助けになることが出来るのではないかと、そう思ったからであった。
「サティアちゃん、どうかしたの?」
ちなみに、ギルドに入った時期がほんの少ししか違わないとはいえ、仮にも先輩に対しちゃん付けで呼んでいるのは、本人がそれを望んだからだ。
まあ厳密には、最初にそう呼んだのはリオナではあるのだが。
最初に会った際、好きに呼んでいいとは言われたものの、サティアの年齢が分からず……同年代ぐらいに見えたことから冗談半分にそう呼んでみたら、それを気に入られてしまったのである。
敬語を使っていないのも、同じような理由によるものだ。
閑話休題。
「うん? 別にどうしたというわけでもないのだけれど……いや。キミにそう聞かれてしまっている時点で、強がっても無駄か」
そう言って浮かべられた苦笑は、おそらく自分自身に向けられたものだろう。
そして言葉の内容に関しては、実に正しい。
リオナが自分から何かを言う場合は、そこに絶対の確信を持った場合のみだからだ。
引っ込み思案というのとは少し異なるが、似たようなものである。
つまりリオナが何かあったのかと尋ねる時は、何かあったのだと確信しているということであり、そのことはサティアも知っていた。
というか、それに関わることもまた、かつてサティアに相談したことの一つなのだが……まあ、余談である。
「ま、確かに、どうかしたと言えばどうかしているかな。思い悩んでいる、とまで言ってしまうと大げさな気もするけれど、ちょっと困っていることがあるのは事実だね」
「それは……わたしには手伝えないようなことかな?」
口に出した瞬間、言ってしまった、と思った。
あのサティアが困っているようなことなのだ。
自分なんかが何かの役に立てるとも思えず……だがそれでも、何かの役に立てればと、そう思いながら言ったのである。
しかしだからこそ、余計に困らせてしまうのは本意ではなく――
「ふむ……キミに、かい?」
「あ、えっと、別に無理ならそう言ってくれれば――」
「いや、ならちょうどよかった。ちょっと誰かの意見を聞きたいと思っていたところだからね。あまり時間はかからないとは思うけれど……そういうことなら、少し手伝ってもらってもいいかい?」
「あ……う、うん、わたしから言いだしたんだし、全然大丈夫だよ! 今暇だし!」
「一応今は仕事中なんだけれどね……まあ、確かに暇だけど」
苦笑交じりの言葉を聞きながらも、まさか本当に頼ってくれるとは思っていなかったので、口元が勝手に緩む。
だがすぐに思い直すと、気を引き締めた。
何せあのサティアが困るような何かなのだ。
浮ついたままでいたら、本当に邪魔になりかねない。
むん、と気合を入れながら、サティアの方へと向かい……ふと、首を傾げた。
「それで、何に困ってたの?」
先にサティア本人が言ったように、今は仕事中である。
そして意外と、と言ってしまっては失礼になるが、サティアは公私の区別は付ける方だ。
つまり今悩んでいるということは、仕事のことで悩んでいたということになるが……サティアが悩むようなことで、リオナが手伝えるようなことなど何かあっただろうか。
「うん、コレなんだけど……キミにはコレが何に見えるかな?」
そんなことを考えているリオナに向かってサティアが示して見せたのは、一匹の魔物であった。
厳密にはかつて魔物であったものというか……まあ要するに魔物の死体なのではあるが。
素材ではなく魔物と言ったのは、原形を留めているからだ。
丸ごとではなく、胴体から真っ二つになってはいるものの、それ以外は完璧に近い。
毛皮は絶望的だろうが、それ以外の素材であれば問題なく取れるのではないだろうか。
などということを冷静に考えてはいるものの、リオナは別に魔物の死体が平気というわけではない。
今冷静に考えることが出来ているのは、ある程度見慣れたことで耐性が付いたからだろう。
ギルドに魔物の死体が持ち込まれることは、珍しい事ではない。
ギルドは魔物の素材を換金出来るようにしているが、冒険者の全てが魔物を解体出来るわけではないのである。
そういう冒険者のために、ギルドは解体の代行を請け負うようになっており、そのためにちょくちょくと魔物の死体がギルドに持ち運ばれてくるのだ。
そしてそれを一旦受け取り、代行の元へと運ぶよう手配するのも受付嬢の仕事なのである。
半年も続けていれば、嫌でも耐性の一つや二つ付いてしまう、ということだ。
ただ、それでも完全に慣れたというわけでもないし、中には未だに吐きそうになってしまうぐらい酷い有様の死体もある。
それと比べれば……否、比べることさえ馬鹿らしくなるぐらい、その死体が綺麗だったというのも、冷静でいられた理由の一つだろう。
何せ綺麗というのは、その断面すらも含んでいるのだ。
少なくとも、リオナはここまで綺麗と言えるほどの魔物の死体を、今まで見たことはなかった。
まあ、それはともかくとして――
「何に見えるって……ホーンラビット、じゃないの?」
どれほど眺めてみたところで、それ以外のものには見えない。
というか、ここまで原形が残っているならば、見間違う方が難しいはずだ。
その上で、こんな外見をしている魔物は、リオナの知っている限りでホーンラビットしか存在していない。
悩む必要などないはずなのに、サティアは一体何を悩んでいたのだろうか?
「ふむ……まあ、そうだよね。ということは、これを奇貨として、見間違えたとすれば……彼には事情を説明して、いや、やっぱりさすがに無理があるかな?」
「えっと、何か聞いちゃいけないことを聞いてる気がするんだけど……それは置いておくとして。見間違えってことは……これはホーンラビットじゃない、の?」
自信がなかったのは、リオナは所詮ここで働いていた半年分の知識しかないからである。
それでもこの周辺に出現するランク一の魔物であればその全てを把握できた自信はあるが、逆に言えばその程度でしかない。
それ以外の全てを知らない、と言い換えることも出来るのだ。
だから、それもその一つだと言われてしまえば、お手上げであるし――
「まあ、率直に言ってしまえばそうなんだけど……ふむ。ところで、一つ聞きたいんだけど、ホワイトラビットって知ってるかい?」
「え……? ホワイト、ラビット……?」
疑問符を付けて返したのは、それを知らなかったからではない。
あまりに有名過ぎたからであった。
「それって……あの創世神話の……?」
「うん、アレとは別物だけど、それと同じ名前を冠している魔物のことだね」
だがそれが有名なのは、同時に名前だけでもある。
その事情故に、名前だけが先行して有名になり、その姿かたちを伝える情報というのは、ほとんど伝わっていないのだ。
故にそれを利用した詐欺などもよく発生するし、実は存在していないんじゃないかなどという噂まである。
実はリオナも、半ばギルドが箔付けのためだけに流した情報なのではないかと思っていたりもしたのだが……まあ今の問題は、そこではない。
今この状況で、その名前をサティアが出したという意味だ。
それは、つまり。
もう一度、眼前の魔物の死体を見る。
どこからどう見ても、リオナにはホーンラビットにしか見えないのだが……。
「えっと……嘘だよね?」
「さて……嘘だったらボクもどれだけよかったことか」
「え、だって、わたしにはホーンラビットにしか……」
「まあ、色違いというか……いや、この場合は色違いですらないんだけど。本当に何でここまで一緒にしたんだろうね? 冗談半分だってのは分かるし、ボクもそういうのは嫌いじゃないんだけどねぇ……。それに、名は体を表す、とはよく言ったもんだよ」
後半はサティアが何を言っているのか分からなかったが、確実に分かったことが一つだけある。
どうやらこれは、本当にホワイトラビットだということだ。
冒険者ギルドを含む、かつて四大ギルドなどと呼ばれていたその全てを壊滅に追いやった、あの曰く付きの魔物、ということである。
リオナの顔から、一斉に血の気が引いた。
「ど、どうしよう……? に、逃げた方がいいのかな……!?」
「まあ落ち着きなって。別に何が起こるってわけでもないだろうし」
「で、でも、またギルドが壊滅するようなことになったら……」
「いやいや起こらない……とは言い切れないけど、コレが原因で起こることはないさ」
「ど、どうしてそう言い切れるの? だって、昔は実際に起こっちゃったんでしょ?」
「うーん……そうだね、どういったものか……まあ、四大ギルドが壊滅したのは事実だし、コレがその切っ掛けとなったのも事実だよ? けれど、所詮切っ掛けでしかないんだよね。今言われているのは、そのほとんどがただの噂さ。根も葉もない、尾ひれが付きまくった、ね」
「……そうなの?」
「そうなの」
「なら……サティアちゃんは、一体何をそんなに悩んでたの?」
ただの噂でしかないというのならば、最初から何の問題もないはずだ。
ホワイトラビットは、その噂さえなければ、確か分類的にはランク三に属する普通の魔物のはずである。
いつも通りに対応すればいいだけなのではないだろうか。
「普通の魔物、というわけではないかな? 噂とは関係なく、元々かなり稀にしか出現しない魔物だしね」
「あまり見かけないってこと? でも、今回見つかったってことは、これから定期的に見かけるようになるんだよね?」
「普通ならそうなんだけど、それに関してもコレはまた特殊っていうか、ホワイトラビットはリポップしないんだ」
「え、そうなの? それなら、確かに珍しくもなるね」
「まあ今回はそれで助かったとも言えるけどね。何せ今回コレが見つかったのは、街のすぐ近くの狩場だったんだから」
「え……近くの狩場ってあそこだよね? 冒険者の人達、大丈夫だったのかな?」
「大丈夫だったみたいだよ? 手遅れになる前に手助けに入ることが出来たらしいからね」
「そっか……よかった」
「……ふふ」
「む……な、何かな?」
文句を言ってはみたものの、何故笑われたのかなど、聞くまでもなく分かった。
見も知らぬ冒険者が無事でよかったなどと、そんなことを言う物好きなど、ギルドにもリオナぐらいしかいないからだ。
サティアもどちらかと言えば冒険者寄りではあるが、それでも誰かれ構わずそんなことを言うわけではない。
そのあたり、リオナにも未だかつての幻想の名残がある、というところだろうか。
「いや、何でもないさ」
「むー……」
「まあそれで話を元に戻すけど、稀にしか出現しないからこそ、色々と付加価値があるのさ」
「付加価値って……他の魔物よりも素材が高いとか、そういうこと?」
「そうだね。ホワイトラビットは分類的にはランク三だけど、素材の価値的にはランク四相当……或いは、それ以上かもしれない。毛皮の分がマイナスにはなるけれど、換金するとなればかなりの額になるだろうね」
「えっと……やっぱり問題があるようには聞こえないけど?」
「ここまでならば、ね。で、そのこともあるし……あとは一応、噂とはいえ、ああいった話もあるからね……ちょっと、いや、かなり、かな? 厄介事も付きまわってきちゃうのさ」
「厄介事……」
そう言われて思い浮かぶことは、一応リオナにも幾つかある。
その中の半分ぐらいは噂で聞いたものだが、残りの半分はここ半年自分の目で見たりサティアに聞いたりしたものだ。
そしてそのどれもが、厄介事と呼ぶに相応しいものであった。
その結末も含めて、だ。
というか、そもそも冒険者というものに成った時点で、厄介事を引き受けているとも言える。
特にランク三ともなれば、尚更だ。
何せその身分の保障と引き換えに、ギルドからの依頼を断ることが出来ないのだから。
例えそれが確実に死ぬようなものであったとしても、だ。
しかしランク三とは、それを承諾した上でなるものなのであり……つまりは言ってしまえば――
「自業自得……とはあまり言いたくないけど、でも仕方ないことじゃないかな? だってランク三以上の冒険者の人って、そういうことを承諾しちゃってるわけだし」
「いや、まあ、うん、そこはボクも異論ないんだけど……今回コレを持ってきたのって、彼なんだよね」
「彼……?」
そういえば、誰がこれを持ってきたのかを確認していなかったと思い、リオナはサティアの担当場所の向こう側へと視線を向ける。
そしてそこに居る人物を確認し、サティアに視線を戻し、もう一度その人物を見た。
二度見である。
件の彼が訝しげに眉根を寄せるが、リオナはそんなことを気にしている場合ではなかった。
名前は知らない。
だが顔はよく知っていた。
サティアとよく楽しげに……或いはサティアがよく楽しげに、とも言うが、会話をしている相手であり……しかし彼のランクは確か――
「えっと……わたしの記憶が確かなら、彼はランク一だった気がするんだけど?」
「そうだね」
「つまり、ランク一の冒険者が、ランク三の魔物を倒したっていうこと?」
「そうなるね」
「……嘘だよね?」
「残念ながら、事実だよ。まあ彼が嘘を言っていなければ、の話ではあるけれど……そこで嘘を吐く理由が彼にはないしね」
それ以上リオナが言葉を続けなかったのは、言うべき言葉がなかったからではない。
これ以上何かの言葉を口にすれば、それが絶叫となってしまうだろうことを理解していたからだ。
それぐらいリオナは驚いたし、それぐらい有り得ないことであった。
例えるならば、赤ん坊が魔物を倒した、という程度には有り得ない。
ランク三の魔物とはそういうものであり、ランク一と三の間には、それほどの差が存在しているのだ。
勿論リオナも厳密にその差を理解しているわけではなかったが……それでも、サティア以外の者に言われたら絶対信じなかった言葉であった。
いや、正確に言えば、サティアの言葉でさえも信じられているかは微妙なところであり……。
「えっと……」
「いや、余計な気を使わなくても大丈夫だよ。ボクだって、キミがそんなことを言ってたら信じられたかは分からないしね」
それはそれで少し悲しい気にもなったが、まあさすがにそれは勝手すぎるだろう。
自分は信じないのに相手には信じて欲しいなど、我儘以外の何物でもない。
まあそれはともかくとして――
「それで結局、どうするつもりなの?」
幾ら冒険者とはいえ、ランク一の少年に過度な厄介事を押し付けるのはアレだろう。
もっともサティアもそう思ったからこそ悩んでいたのだろうし、だからこそこの話をリオナも聞くことになったのだろうが。
というかそれで気付いたのだが――
「……あれ? わたしはこれ悩んでいることの内容を聞いただけで、何の役にも立っていないような……? ご、ごめん、ちょっと待ってね。わたしも今からどうすればいいのか考えるから」
「いや、話を聞いてくれただけで十分だよ。おかげで、考えも纏まったしね」
「ということは……?」
「うん。何とか誤魔化そうかとも思ったんだけど、まあ元はとはいえば彼がやらかしたことが原因だしね。仕方ないから、厄介事は彼に責任を持って背負ってもらうとしよう」
正直に言ってしまえば、いいんだろうか、とは思ったものの、サティアの顔を見ればもうそれで決めてしまったのだということが分かる。
それに、リオナにも何かいい考えがあるわけでもない。
思うところがあったとしても、頷くぐらいしかリオナに出来ることはなかった。
「そっか……」
「ま、それに最初から厄介事は背負ってもらうつもりではあったしね。それが一つや二つ増えたところで大して変わりはしないだろうさ」
「……さすがにそれは変わるんじゃないかな?」
「なに、彼ならそれでも大丈夫なはずだよ。さて、それじゃあそうと決まればさっさと彼には伝えないと……っと、その前に、一つ頼まれごとをしてくれてもいいかな? ちょっと彼女を呼んでくれないかい?」
「え? 彼女って……もしかして、あの娘のこと? 別にそれはいいけど……」
「何、悪いようにはならないって。それじゃあ、悪いけど頼んだよ」
そう言って、礼を述べながら件の彼の元へと向かっていくサティアのことを、リオナは何とはなしに見送る。
やはり若干のいいんだろうかという思いはあるが、まあサティアなら多分問題はないだろうとも思いつつ、自らも頼まれたことを話すために動き出し――
「やあ和樹君、ごめん、待たせたね。ところで早速なんだけど、キミ奴隷が欲しかったりしないかい?」
漏れ聞こえた言葉に、やっぱり早まったかもしれないと、リオナはそんなことを思ったのだった。