表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/68

怒りに燃えてうずくまる者

「間一髪、というところでしたね」


 眼前、足元ギリギリといったところの地面が抉れているのを確認しながら、雪姫は思わず溜息を吐き出していた。

 あとほんの僅かでもタイミングか、着地位置がずれていたらあれに巻き込まれていただろう。

 そしてそうなっていたら、例え雪姫でも無事ではいられなかったはずだ。

 それを考えればまさに間一髪であり……だがそれも、自分一人の働きで出来たことではない。


「さすがに今のは寿命が縮んだです」

「だね。出来れば二度とやりたくないもんだ」

「普段のオレなら邪魔すんなとでも言ってたかもしれねえが……幾らなんでも今のはねえな。悪い、助かった」

「いえ。咄嗟のことでしたし、成功するかは割と賭けの部分もありましたから」


 言葉を返しながら一瞬だけ後方へと視線を向け、三人が無事であることに今度は安堵の息を吐き出す。

 つまり雪姫が現在最前列に居るということだが、これはあの瞬間最後まで雪姫がその場に留まったからであった。


 その理由は単純で、二つの意味で即座に逃げるわけにはいかなかったからである。

 一つ目は、魔物を抑える者が誰も居なくなった場合、先ほどの攻撃を何らかの手段で耐えるか避けるかすることでそのまま抜けられてしまう可能性を考えたからだ。

 勿論その可能性は限りなく低いのだが、有り得た場合の状況を考えれば無視するわけにはいかなかった。

 特に倒すために妙に手数を必要としていたのも、その万が一が起こり得ると考えた理由の一つである。


 二つ目は、というよりもこちらの理由が本命だが……そのまま雪姫が抜けた場合、ほぼ間違いなくレオンが間に合わなかったからだ。

 別にレオンの敏捷が低いというわけではなく、相手の予測攻撃範囲があまりに広すぎたのである。

 それは危険察知等のスキルの複合により得られたものであり、咄嗟に判断するしかなかった。


 故にレオンが離脱したのよりも数瞬その場に残り、さらにほんの少しでも到達するのを遅らせられないかと、攻撃に合わせてこちらも攻撃を放ったのだが……それに合わせたのが、マルクとリオだ。

 とは言ってもマルクは離脱しながら、リオは雪姫よりも一瞬早く離脱したものの、それがなければ雪姫も届かなかっただろう。

 完全にアドリブ任せの行動であったが、おそらく誰が何かしないでも、余計なことをしても、誰かしらに被害が及んでしまったことであった。


 そういった意味では見事な連携だったと言うしかないが、所詮はまぐれである。

 もう一度同じことをやろうとしたところで無理だろうし……出来たとしても、これ以後は意味があるとも思えない。

 何故ならば――


「確か……ニーズヘッグ、でしたか? まさか、と言いますか……何故こんな場所に居るんでしょうか」

「僕は初見なんだけど……もしかして、アレのことを知っているのかい? まあどんなものなのかは、今の攻撃だけで十分分かったわけだけど」

「そうですね、多少知ってはいますが……それを伝えて意味があるかは正直疑問ですね」

「あ? 何でだよ? こっちにとっちゃ未知の敵なんだから、少しでも知っといた方がいいだろうが」

「フルパワーのブレスが直撃したら、後方の街が一撃で消し飛ぶ、というような情報でも、ですか?」

「……それはさすがにリオでもどうしようもねえですね。というか、出来るならとっとと逃げてえです」


 厳密に言うならば、雪姫の言った情報は正しくはない。

 何故ならば、実際に街に向けてブレスが撃ち込まれたことはないからだ。

 だがその威力から考えれば、その程度のことが可能だろうと予測されるのは事実である。

 もっとも何にせよ、こんな場所に居ていいような存在ではないことに変わりはないのだが。


 何せその姿と名は、雪姫でさえも知っているほどに有名な魔物だったのである。

 それがどういう意味を持つのかは、改めて言うまでもないだろう。


「……そうですね、正直私達程度が頑張ったところで、どうにかなるような相手ではないですし、可能ならば私もそうしたいぐらいです」

「具体的には、どれぐらい拙い相手かはわかる?」

「少なくとも私は、この世界で和樹さん以外にアレを打倒可能な存在を知りませんね。まあ和樹さんと同等の存在がいるのならば、話は別ですが」

「ほう……? そんな話を聞かされちゃあ、オレとしては滾るだけなんだが?」

「これは本気の忠告ですが、止めておいた方がいいです。先ほどのは、アレにしてみれば攻撃の範疇にすら入っていない、ただの牽制ですから」

「……マジです? というか、何でそんなことしたんです?」

「アレの辞書に油断などというものは載っていませんからね。まずは攻撃ですらないものを放ち、相手の脅威度を測るんです。もっともアレにしてみれば、大抵の相手はその牽制だけで終わってしまうでしょうが」


 ニーズヘッグは、所謂龍だ。

 四足を地面に着いている状態での高さは八メートル程であり、しかしこれは龍としては決して大柄な方ではない。

 むしろ小柄と言うべきであり、しかもそのレベルのことを考えれば、本来は数十メートル程はなくてはおかしいような魔物である。


 だがこれは、決して安堵出来る要素などではない。

 それは要するに、数十メートルの巨体が、僅か八メートル強の身体に押し込められているということと同義だからだ。


 素早さ強靭さ、或いは単純な攻撃力。

 そのどれを比べても同レベル帯のそれらとは頭一つ以上抜けており、さらにその口から吐き出されるブレスは必殺の一撃を秘めている。

 あと一歩というところまで追い詰めたパーティーが、ほんの一瞬の油断を見せたところにブレスを叩き込まれ全滅した、という話は珍しいものではないのだ。


「ちなみに、僕達がどう見られたのかは分かる?」

「そうですね……路傍の石程度には見られたのではないでしょうか?」

「石だぁ……? 随分と舐められたもんだな」

「いえ、正当な評価です。そして先ほど言ったように、アレに油断はありません。路傍の石ころであろうとも、躓くことのないよう確実に排除してきます」

「……やっぱりここは逃げるべきじゃねえですかね? これはさすがに、残ったところで無駄死ににしかならねえ気がするです」

「私としてもそれに異論はないのですが……おそらく」


 こちらも改めて言う必要はないだろうが、雪姫がニーズヘッグのことを知っているのは、ゲームに登場していた魔物だからである。

 もっとも、当たり前のように雪姫では相手にならず、友人ですら勝つのは不可能な相手だ。

 それでも多少なりとも情報を持っているのは、それが必要な特殊な魔物だからであり――端的に言ってしまえば、ニーズヘッグはボス系の魔物なのであった。


 しかも最悪なことに、本来であればニーズヘッグは本当の意味でのボスであり、そういった仕様となっている。

 つまりは――


「……っ、やはり、ですか」


 それが起こったのは、それに見られたと、そう認識した瞬間のことであった。

 特別な何かが発生したわけではない。

 轟音が響いたとか、光が発生したとか、そういうわかりやすいものではなく……だが、次の瞬間には明確な変化が生じていた。

 それは単純に言うならば――頭で逃げようと思ったところで、身体がそれにまったく反応しなくなったということである。


「今、何か違和感なかった……?」

「あ? オレは別に何も感じなかったぜ?」

「リオも何も感じたですが、それが何なのかはちょっと……」


 確認している余裕はないが、おそらく今ステータス欄を見れば、雪姫のそれには状態異常として挑発という文字が並んでいることだろう。

 それが、ボスの仕様という意味だ。

 ボスから逃げることは出来ない。

 当たり前のことである。


 マルクとリオが違和感を覚えたのは、二人にこの場から逃げるつもりがあったからだろう。

 なのにまったく身体がそれに反応しないことが違和感となり、逆に逃げるつもりなどが毛頭ないレオンは何も感じなかった、というわけである。

 これは単に気付いていないというだけなので、効果がないというわけではなく……何にせよ、逃走が不可能になったことに違いはなかった。


「もう余裕がないために端的に事実だけを伝えますが、今のアレの行動で、私達はこの場から逃走することが出来なくなりました。逃げるという行為に身体が反応しないため試せばすぐに分かりますが、こうなった以上アレは既に戦闘態勢に入ったと見て間違いないでしょう。その隙に殺されてしまう可能性も高いため、お勧めしないとは言っておきます」

「っ……それの解除方法は!?」

「専用の解除薬を使用するか、一時間経過するか……或いは、私達が死ぬか、です。ちなみに当然ですが、薬はありません」

「はっ……要はアレをぶっ倒しゃあいいってことだろ? なら、オレのすることに何一つ違いは――」


 瞬間、雪姫に理解出来たことは、自分の視界の中を凄まじい速度で何かが通過していった、ということだけであった。

 遅れ、後方で響いた轟音を耳にし、そこでようやく、何が起こったのかということを悟る。

 そしてそれと、リオの悲鳴のような言葉が届いたのは、ほぼ同時であった。


「レ、レオン……!? も、もしかして……死んじまったです……!?」

「いや……一瞬だけど、レオンが反応してたのが見えた。多分、死んではいないはずだ……五体満足でいられてるのかは、分からないけど。それに、レオンの心配をしていられる余裕はない」


 要は、レオンだけが遠距離攻撃を受け、遥か後方へと吹き飛んで行ってしまった、ということだ。

 それが攻撃しようとしたレオンに反応したからなのか、偶然なのかは分からないが……何にせよ今分かっていることは一つだけである。

 やはり戦ったところで、万が一にも勝ち目などはないということだ。


 レオンの安否を確認している暇すらもない。

 それどころか、次の瞬間には自分の身体が粉々になっていてもおかしくはないのだ。

 だが。


「ユキ、僕達に勝ち目は!?」

「ありません。むしろ生き残る可能性という時点でほぼゼロだというべきでしょう」

「な、なにか方法はねえんですか!?」

「たった一つだけ」

「それは!?」

「私達が死ぬのよりも先に、和樹さんがこの場に現れることです」


 諦めるつもりはないが、それしか方法がないのも事実である。

 そしてその希望も、次の瞬間には潰えていてもおかしくはない。

 自分の死という形で、だ。

 勿論最後まで足掻くつもりではあるが、そもそもそれが通用するような相手ではなく――


「なら、この中で最も時間を稼げる可能性があるのは!?」

「それは……私、でしょうね。一撃を食らった時点で終わりですから、スキル的に考えて私が最も適しています。もっとも、一秒が二秒になる程度ですが」

「分かった、マ――」


 言葉が最後まで続くことはなかった。

 その理由が即座に分かったのは先の経験があったからであり、言葉を掻き消すような轟音と共に、後方から一つ、気配が減る。

 しかしマルクが何を言おうとしたのかを察することが出来たのは、直後に自分の身に起きたこと故だ。


 ――アクティブスキル、エクストラスキル:オーバードライブ。


 脳裏に何故という言葉が浮かぶも、それを思考するよりも先に身体は地を蹴っていた。

 同時に反射的にリオへと視線を向けるも、リオも何となく状況は察したのだろう。

 その顔には何かを託すような笑みが浮かんでおり、次の瞬間にはその姿は視界から消え去っていた。


 攻撃が当たるのよりも先に後方に飛び退いていたのは見えたため、最悪でも死んではいないだろうが……そんな慰めにもならない思考に唇を噛み、さらに地を蹴る。

 轟音が背中で爆ぜ、だが速度は欠片も落とさない。

 それが普段の自分の数倍のものになっているのを確認しながら、少しずつ何が起こったのか、何が起こっているのかを把握していった。


 先ほど自身に使用されたスキルは、おそらくマリーが使用したものだ。

 以前切り札があるというようなことも言っていたし、間違いないだろう。

 マルクが叫ぼうとしていたのもそのことであり、アレだけでそれを把握したのだから凄いとは思うが、今は蛇足である。


 その効果は、全ステータスの上昇。

 しかも、パーセントなどではなく、倍という言葉で表せるような単位での上昇率だ。

 ただ、その分効果時間は短いだろう。

 おそらくは、持って一分。

 十分過ぎる時間であった。


 何せ本来ならば、秒すらも持たないはずだったのだ。

 それが一分も持つというのだから、これに文句を言ったら罰が当たるというものである。


 とはいえ一分持たせられるというのは、何もこのスキルの効果だけが理由というわけではない。

 逃げに徹しているとはいえ、ニーズヘッグが本気で戦っていれば、やはり一秒も経たずにやられていただろうからだ。


 ニーズヘッグが本気で戦っていないのは、それもまたボス仕様故である。

 最初から本気のブレスを放ちまくるボスとか、クソゲーにも程があるだろう。

 だからこそ、ボスは徐々に力を発揮する仕様となっているのだが……どうやらそもまた、有効であるようだった。


 まあ、一分持たせたからといって、何がどうなるというわけでもないのだが――


「……私が諦めるわけには、いかないですしね。託されてしまいましたし」


 マルクがこのスキルを自分に使用させ、リオは何もさせないことで雪姫が何の枷もなく逃げられるようにし……おそらくはレオンが動こうとしたのも、その最初の的を自分に絞らせるためだ。

 ならば勝手に諦めることなど許されるわけがないし……何よりも。


「和樹さんは、きっと来てくれます。ならば、それまで時間を稼ぐのが、私の役割というものでしょう」


 だから、諦めずに、逃げ続ける。

 きっと彼は、期待に応えてくれるから。


 どうしてマリーがエクストラスキルを使用できるのか、という疑問もあるが、それは一先ず棚上げである。

 それもこの場を生き残れなければ、何の意味もないのだ。


 逃げることのみに思考を集中させ、視界をニーズヘッグに固定し、足はひたすらに動き続ける。

 正直に言ってしまえば、ニーズヘッグが何をしているのかは、実は未だに分かってはいない。

 僅かな事前動作と勘、危険察知等のスキルを頼りにしてかわし続けているに過ぎないのだ。


 しかしそれでも、通用していた。

 自分の身体は動き、轟音は秒と立たない内に連続して響き、どれだけの時間が経過したのかは分からずとも確実に時間は過ぎていっている。

 感覚はとうに麻痺し、だがひたすらに見て地を蹴り見て地を蹴り見て地を蹴り見て――


「――あ」


 地を蹴ろうとした瞬間、膝からガクンと、力が抜けた。


 ――タイムアップ。


 そんな言葉が頭に浮かんだが、未だ自分の身体以外に変化はない。

 誰も現れず、魔物は健在だ。


 妙に自分の身体が地面に倒れこんでいくのが、周囲の光景が流れる速度が遅いような気がしたが、これはつまり走馬灯的なアレなのでしょうかと、そんなことをふと思う。

 それにしては何も思い出が浮かびませんがなどとすら思い……何となくその瞬間、ニーズヘッグの目が、自分を捉えたのだということを悟った。


 ああ、これは避けることも耐えることも出来ませんねと、そう思い――


「……和樹、さん」


「――無茶しすぎだ、馬鹿」


 不意に零れ落ちた言葉に応えるように、魔物が消し飛んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ