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混乱の中の人助け

 どうしてこんなことになってしまったんだろうか、などと、今更考えたところで意味はない。

 或いはこれは罰なのかもしれない、などとも思うも、それもまた無意味であった。


 そもそも、仮にそうだったとして、何がどうだというのだ。

 今更自分達がしでかしてしまったことを否定することなど、出来はしないのである。


 周囲に視線を向ければ、そこには居たのは三体の魔物だ。

 いつもの自分達であれば、さてどうやって狩ろうか、などと舌なめずりをしていただろうが……あくまでもそれは、ここにはランク一の魔物しか出ないということを知っているである。

 マッドベアーなどという、ランク三が居るなどと、どうして想像できようか。


 そもそもランク二でしかない自分達では、その中の一体にすら嬲り殺しにされてしまうのだ。

 だが気付いた時には既に遅く、逃走は不可能である。

 六人全員でバラバラの方向に逃げたところで、仲良くアレらの腹の中に収まるだけだろう。


 いつも通りの狩りをしていただけだったというのに、本当にどうしてこんなことになってしまったのだろうか。


「くそっ、何だってこんなことに……っ!」

「何でだよ……俺達が一体何したってんだよ……!?」


 仲間達が好き勝手な言葉で嘆き始めるのを聞きながら、そっと息を吐き出す。

 皆同じ心境のようであったが……敢えてその理由を探すのならば、結局のところは自業自得なのだろうと、心の中だけで呟いた。


 ふと思い出すのは、もう半年は前のことだ。

 ランク一のまま底辺で燻っていたところを、解体屋に属していた冒険者の一人に声を掛けられた時のことである。


 その意味するところが理解出来なかったわけではない。

 理解した上で、そんなことはどうでもいいと思ったのだ。


 自尊心などを後生大事に抱えていたところで、死んでしまえば何の意味もない。

 全ての冒険者が清廉潔白などということは有り得ないし、むしろ大半がそうではない者達ばかりだ。

 何せ自分も含めて、所詮は冒険者である。

 もう一つばかり足を踏み外したところで、何が変わるというのか。


 自分達の手を汚す代わりに手に入るのは、安寧だ。

 多少上納金を出さなければならないが、代わりに様々な知識や技術を教わることが出来るし、ランクを上げる手伝いまでしてくれると言う。

 こんなおいしい話を断るのなんて、間抜けしかいないだろう。


 だがその間抜けは、意外にも近くに居た。

 同じ村の出身だったそいつらとは、最終的には喧嘩別れのようになり……その三ヵ月後、無事ランクアップを果たした自分達とは違い、未だ底辺を這いずっていたそいつらを見て、本当に馬鹿だなと嘲りすら浮かべたわけだが……。


「やっぱ正しかったのは、お前達だったってことなんかね? なあ、テオ……」


 こちらへと向かってくるマッドベアーの姿を、諦観と共に眺めながら、自嘲交じりにかつて袂を分かった友人の名を呟き――


「さあね? まあでも敢えて言うんなら、どっちが正しかったとか間違ってたとか、そういう話ではなかったんじゃないかなっていう、それだけのことじゃないかな?」


 振り降りてきた言葉と共に、眼前のそれが斬り裂かれた。


「……は?」

「や、久しぶり。半年振りぐらいだっけ? ああでも三ヶ月ぐらい前に見かけたか……それと、そういえば、ランク二になったんだって? 言うのが遅くなっちゃったけど、おめでとう」

「あ、ああ、ありがとう……って、いや、そうじゃねえだろ!?」


 我に返ると同時、反射的に叫び、だが即座にそんな場合ではないと気付いた。

 たった今呟いたばかりの友人が何故ここに居るのかや、今のはどういうことかなど言いたいことや聞きたいことは幾らでもあったが、眼前に迫っていることに比べれば瑣末事である。

 こちらに顔を向けている友人の、その向こう側から、立ち上がったマッドベアーが物凄い勢いでやってきているのに比べれば。


 だがそれを注意するべく口を開こうとするも、どう考えてもそれを伝えるより友人がミンチとなる方が早かった。

 それでも、諦めることなく喉を震わせ――


「あ――」


 しかしそれより先に、甲高い音が響いた。

 それは当然のように友人の命を奪った音ではなく、気が付けば一振りの剣が前方に繰り出されており、それがマッドベアーの爪を防いでいる。

 かと思えばそのまま捌かれ、振り抜かれたもう片方の腕と共に、再度甲高い音が響く。


「やれやれ、やっぱりカズキさんみたくは無理か。まあ、分かってたことだけど」


 正直に言ってしまえば、もう完全に眼前の状況に頭がついていってはいなかった。

 何せ疑問は何一つとして解決されず、むしろ増える一方なのだ。

 何故ランク三の攻撃をそこまで容易く捌くことが出来、しかも何処か暢気に呟くことすら出来ているのか。


 そういった真似が出来る冒険者が居るということは知っている。

 だが目の前に居るのは、よく見知った……見知っていた友人なのだ。

 悪い夢でも見ているのかと思ってしまうのも、仕方のないことだろう。


 そしてどうやら悪い夢は、まだまだ続くようであった。


「そりゃ俺達程度じゃあの人の真似事すら出来るわけねえだろ」


 先ほどの再現をするかの如く、言葉と共に振ってきた斬撃が、マッドベアーの身体を斬り裂く。

 しかも降り立った人影はまたもや見知った顔であったのだから、本当に悪い冗談のようである。


「……ラウ、ル?」

「よう、久しぶりだが、元気そうだな? ああ、そういや、ランク二になったそうじゃねえか。一応おめでとうって言っとくぜ」


 だからそんな場合じゃないだろうと言いたかったが、喉が震えることはなく、ただ口は無意味に開閉を続けるだけであった。


「あれ? そっちもう終わったの?」

「いや、終わってねえんだが、お前の手助けをしろと無理やり押しやられた」

「え……ってことは、今フィーネは二体相手にしてるってこと?」

「そういうことだな。とはいえ、さすがに俺も素直に引く気はなかったんだが……あんなのを見せられちゃあな」

「あんなの? ってどんな……あー、なるほど」


 心底納得した、とでも言いたげな様子に、つい自分も視線を向けると……そこには確かに、なるほどと言いたくなるような光景が広がっていた。

 そこでは顔見知りの少女が、二体のマッドベアーを相手にやり合っていたのだ。

 しかもどちらかと言うならば、少女の方が優勢ですらある。

 有り得ない光景に、渇いた笑いすら出てきそうであった。


 確かに以前からずば抜けたセンスを持ってはいたが、それも所詮はランク一の中では、だったはずだ。

 最後に見かけた時には少女もランク一だったはずであり、その時点では自分の方が既に上回っていたはずである。

 それが、気が付けばこれだというのだから、一体何があったというのか。


「まあでも、最近では僕も諦めがつくようになってきたよ」

「まーな。元から才能の差ってのは感じてたが……ここ最近は何があったのか、さらに極まってやがるしな」

「多分リオのこととかで、思うところがあったんだろうね」

「あのフィーネがなぁ……だが、らしいっちゃあらしいか。そのせいで若干危うくもあるがな」

「それを支えてこそ、じゃないかな?」

「違えねえな」


 というか、雑談交じりにそんなことを言い合っている二人も十分おかしい。

 二人がかりとはいえ、何故マッドベアーとまともに打ち合うことが出来ているのか。

 否、二人という人数でさえ、本来ならば少なすぎるのだ。

 そんなことが可能なのは、ランク三でも上位に位置するような冒険者ぐらいのものだろう。

 一人で二体同時に相手にすることに至っては、既にランク三の領域ですらない。


 本当に、一体何があればそんなことが可能になるというのか。


「……何でだ?」

「え?」

「ほんの数ヶ月だぞ……? その前までは、間違いなくオレの方が上だった。なのに何で、何をどうやったらそんなことが出来るようになる……!?」


 気が付けば、そんなことを叫んでいた。

 優勢とはいえ、三体ものマッドベアーがそこには居るというのに……衝動に突き動かされるように、自分でも馬鹿だと分かる、そんな言葉を叫んでいたのだ。


 だが誰がどう見ても理不尽だと分かる言葉を受けながら、視線の先の少年は、困惑した顔すら浮かべることはなかった。

 振り下ろされるマッドベアーの爪を受け流し、返す刀で斬り裂きながら、仕方ないなとでも言いたげな苦笑を浮かべていたのである。


「まあ正直その疑問はこっちの台詞でもあるんだけど……まあ、敢えて言うんなら、運がよかった、ってことなんじゃないかな?」

「運、だと……?」

「まあそうだな。真面目に分析すりゃあもっとそれらしいことを言えるのかもしれねえが……結局のところは、それ以外に言いようはないんだろうな」


 何の気負いもなく言われた言葉は、だからこそ説得力がある気がした。

 そもそも、そんなものはないなどというつもりはない。

 何せこんなことになるまで、まさに自分は運がいいからここまで来れたのだと、そう思っていたからだ。

 もっとも同時にそれは、謙遜の意も含んだものではあったのだが……どうにも二人は本気で心底そう思っているようであった。


 そのことに、何処か毒気を抜かれたような気がして、息を一つ吐き出す。

 そもそも……二人が以前とまったく同じ態度で居ることも、調子が狂う要素の一つではあるのだ。

 この状況もそうだが……ある意味で、自分達は彼らを裏切ったも同然なのに。


 それが腹芸である可能性は、ほぼ皆無だろう。

 何故ならば……二人はおそらくフィーネよりはマシなどと思っているのだろうが、根が正直なところは、三人共ほぼ同じだからだ。

 その程度のことならば、よく知っているのである。


「はぁ……ま、どうでもいいことだけどな」

「どうでもいいって……そっちから言ってきたことじゃないか」

「……そうだな」


 言っている間にも、マッドベアーの身体は少しずつ削れていく。

 咆哮が響き、猛攻が繰り出されるが、二人の様子が変わることはなかった。

 まるでこの程度のことは大したことがないと言わんばかりで……きっと、二人からしてみれば、その通りなのだろう。

 自分達では知らないような高みを、彼らはきっと知っているのだ。


 そのことを羨ましいと思わないと言えば嘘になるだろうが、きっとそんな資格はなかった。

 憧れる権利なども、多分とうに捨ててしまっている。


 そしておそらくは、それが答えだった。

 運などという曖昧なものではなく、二人……否、三人の今の姿というのは、それを最後まで捨てることがなかった故の結果なのだ。


 だからそれを捨ててしまった者に出来ることなどは、たかが知れていて。

 あの頃とは比べ物にならないような斬撃によってマッドベアーの首が刎ね飛ばされるのを、ただぼんやりと眺めていることしか出来ないのであった。














「知り合いだったみたいだけど、いいのかにゃ?」


 先ほどの状況を何処かから見ていたのか、合流直後にミアから投げかけられた言葉に、テオは肩を竦めた。

 正直に言ってしまえば、確かにそれなりに積もる話もあったが――


「まあ、そんな場合じゃないですしね。無事ここを乗り切ることが出来たら、話なんて幾らでも出来ますし」

「大部分をミアさんに抑えてもらってた状況だったっすしね。俺達だけ楽をするわけには、さすがにいかねえっす」


 あの場に三体しかマッドベアーが居なかったのは、ミアがその他の魔物を抑えてくれていたからなのだ。

 もしもあの場にあと一体でも多く魔物が居たとすれば、きっとやられていたのはテオ達の方だっただろう。


 そもそもラウルが楽とか言いはしたものの、実際に楽だったというわけではない。

 特に二体を相手にしていたフィーネはかなりの無茶をしたと言える。


「……頑張っ、た」

「確かに頑張ってたし、久しぶりだったからいいとこ見せたかったってのも分かるんだけどね……」

「それで出来ちまうのがアレだがな。つーか、それ言ったらお前もだろ」


 ラウルのツッコミに、肩を竦めて返す。

 その通りだったからだ。


 とはいえ、それだけのために、雑談をしながらマッドベアーと戦うなどという、危険な真似をしたわけではない。

 あれはこちらにそれだけの余裕があるのだと思わせることで、安心させるためでもあったのだ。


 助けに向かった以上は、例えどれだけ余裕がなくても余裕があるように見せなければならない。

 それは傲慢にも、人を助けようなどという大それた真似をしようとする者に規せられた、義務だ。

 かつて教えられた言葉の一つであるが、テオもその通りだと思う。

 それが出来ないようでは、最初から助けるべきではないのだ。

 誰かを助けようと思うのならば、その程度のことが出来なくては話にならないのである。


 そういう意味で言えば――あの人達はやはり、その資格が十分にある、ということなのだろう。


「……大丈夫なのかな、アレ?」


 それは誰に問いかけるものでもなかったが、皆同じようなことを考えていたのか。

 テオに倣うかのように皆の視線が北側に向き……そこに広がっている光景に、ミアが溜息を吐き出した。


「まあ、駄目だろうにゃ」

「いやいや、そこは駄目でも大丈夫だって言って俺達を安心させるものなんじゃないんすか?」

「分かりきったことを取り繕っても無意味にゃ。それにあちし達は助けに回ってる側にゃ。現実を直視しなくてどうするにゃ」

「……直視……もう無、理?」

「それはちょっと諦めが早すぎにゃ。……もっとも、時間の問題だってことに、変わりはないだろうけどにゃ」


 黒い波は、おそらくその数で言えばマシにはなっていた。

 完全な黒ではなく、所々に隙間が見えるのが、その証拠だ。


 だがその代わりとでも言うかの如く、悪化したものがある。

 それが縦方向のそれ……要は、大きさだ。

 遠目からでもはっきりと分かるほどに、迫ってきているそれらは巨大なものが増えている。

 大きければ強いというわけではないが、巨大なものが次々と迫ってくるというのは、それだけで十分な恐怖だ。

 当然戦力的にも弱いということは有り得ず、戦線が維持されているのが信じられないぐらいであった。


「まあユキ達が行ってなかったら、多分とうに崩壊してたにゃ。そしてそうなってたら、街も大変なことににゃってただろうし……それを考えれば、テオ達の張った意地は意味があったってことかにゃ」

「……でもこのぐらいのことは、予想通りだったんですよね?」

「っていう話だけどにゃ。でも、予測できてたところで、対応できなきゃ意味ないにゃ」

「十分対応出来てる気もするっすけどね。というか、ミアさんは行かなくていいんすか?」

「あちしが行ったら劇的に改善されるっていうなら考えるけどにゃ……それに、こっちも疎かにしていいことじゃにゃいし。まあ、最悪の場合はそれも考えてはいるんにゃけど。こっちで幾ら頑張ったところで、あっちが崩壊したら元も子もないしにゃ。というか、そもそもカズキは何してるにゃ。カズキが居れば、あのぐらいどうとでも出来るじゃにゃいか」

「……予想外の、ことが、起こっ、た?」

「まあそういうことにゃんだろうけど……まったく、本当に何処で何をしてるにゃ!」


 叫んだところでどうしようもないということなど分かってはいるだろうに、それでも叫ばなければやっていられないのだろう。

 虚しく響いたそれに向けるように、ミアは再び溜息を吐き出した。

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