異変の中の異変
「ったく、あの馬鹿は……」
途切れた……というよりは、自分で強制的に途切れさせた言葉を思い返し、和樹は溜息を吐き出した。
無駄に気負っているよりはいい、と言うべきなのかもしれないが、それにしたって限度というものがあるだろう。
……そこに微塵も安堵を覚えないと言えば、嘘になるだろうが。
「どうかしたの?」
「いや……ただちょっと、馬鹿が相変わらず馬鹿なことを言ってきただけだ」
問いかけに溜息混じりに言葉を放つが、どうやらそれで何となく事情は把握できたらしい。
頷きながら、瑠璃は口を開いた。
「ああ、あの娘が何か言ってきた、ということかしら? ……随分と仲がいいみたいね?」
「そうか? ……まあ、悪くないとは思うけどな」
「やっぱり仲がいいんじゃない。あなたは本当に仲が良くない相手ならば、はっきりとそう言うもの」
確かにそれは事実であったので、和樹はつい瑠璃から視線を逸らす。
まったくこれだから付き合いの長い人間は、などと心の中で愚痴を零しながら、腕を振るった。
「……正直に言ってしまえば、少し嫉妬するわね」
その言葉には和樹は何も言うことは出来なかったので、引き続き黙る。
その気持ちも、分かるといえば分かるからだ。
要するに、自分の知らない間に、自分の友人同士が仲良くなっていた、というようなものであり……というかまあ、そのままではあるのだが。
「あの娘結構人見知りする性質なのだけれどね?」
「そうか? そんなことはなかった気がするが……いや、そういえば、初めて会った時はそうだったか?」
――アクティブスキル、アタックスキル:霞朧。
当時のことを思い返しながら、踏み込み、一閃。
――アクティブスキル、アタックスキル:一刀両断。
続けて、耳障りな絶叫が響く間も与えずに、両断した。
一つ息を吐き、瑠璃が追いつくのを待ってから、再度駆け出す。
「まあそれは、あなたもそうだけれど」
「……そうか?」
「そうよ。少なくとも、余程親しい仲ではなければ、あなたは相手のことを馬鹿なんて言わないでしょう?」
――アクティブスキル、ハンタースキル:クイックドロウ。
――アクティブスキル、バレットスキル:バーストバレット。
――アクティブスキル、エクストラスキル:ユグドラシルの杖。
渇いた音と共に吐き出された弾丸が、極光色を伴いながら周囲に散らばり、爆ぜ、斬り、飲み込み、その軌跡の先に居る全てのものを消滅させていく中を、一足飛びに踏み込む。
眼前に居るのは、五メートルを越す巨体。
だが真に厄介なのは周囲の取り巻きであり、それは既に露払いが済んでいる。
勿論それそのものも一筋縄でいくものではないのだが――
「……まあ、それは否定しないが。だけどそれは、人見知りとは関係ないだろ?」
「気軽に軽口を叩けるような人が少ない、ということなのだから、間違っていないわよ。人と深く関わろうとしないというのも、人見知りの一種だもの」
「……そう言われると正しい気もするんだから、不思議なもんだな」
――アクティブスキル、ソードスキル:奥義一閃。
和樹が腕を振るった直後にあったのは、真っ二つとなったそれだけであった。
「……それにしても、やっぱり悔しいわね」
地面へと傾いていくその横を走りぬけながら、聞こえた呟きに視線を向ける。
真横を向きながらのそれは、おそらく独り言ではあったのだろうが、声の大きさからして同時にこちらに向けられるものでもあるのだろう。
しかしその意味するところが分からずに、和樹は首を傾げた。
「あん? 突然何がだ?」
「わたしはエクストラスキルまで使っているというのに、あなたは普通のスキルだけで十分だという事実が、よ」
「そりゃ三年もあればな……むしろその程度できてなかったらこっちが困る」
プレイヤースキル――というよりも、センスというものは時間がかかろうが埋まるものではない。
ブランクがあれば一時的に迫ったようにも見えるが、所詮それは相手の錆によるものだ。
リハビリが済み勘を取り戻してしまえば、元に戻るものでしかないのである。
だが逆に単純なレベルやステータスの差というものは、基本的にブランクがあれば埋まるし、開く。
そしてそれは簡単に取り戻せるものではなく、しかも攻撃力という観点から見ればやはり最も関係してくるものはそれなのだ。
三倍ものレベル差があれば、幾ら最上級の一つとはいえ、通常のスキルでも追い抜くことが出来るのは当然のことなのである。
センス次第では時にレベルの差を無視出来るように、レベル次第では時に格の差を無視することが可能、ということだ。
「まあそれはそうなのだけれど……同時に、確かに時間が流れたのだということも、実感しているわ」
「そっちに関しては、それこそ今更だろ」
まあ内にずっと居た和樹と外にずっと居た瑠璃では感覚のずれというものがあるのだろうが……何にせよ今更であることに違いはない。
今更何を言ったところで過去は変わらないし、意味もないのだ。
意味がないことを承知の上ですることに意味がある、ということもあるだろうが、少なくともそれをすべき時は今ではないのである。
それに。
「それにしても、そろそろ言っていいか?」
「……いいわよ?」
「おかしいだろ、この状況」
その言葉に、ああ、ついに言ってしまったのね、とばかりに瑠璃が溜息を吐き出す。
正直に言えば和樹も出来れば気付かなかった振りをしていたかったのだが、さすがにそういうわけにもいかなかった。
そもそも、予定で言えばもうとうに二人は街に辿り着いているはずだったのだ。
二人が全力で走ればその程度のことは可能だったし、少なくともシルバーウルフを倒しそこから走り出した時点では間違いなくそのつもりであった。
だというのに――
「道中に魔物が腐るほど居るのは別にいい……というか、状況を考えればそれが当たり前だしな」
「問題は、何故魔物同士で争っているのか、ということね」
魔物が魔物と争うということは、基本的にはない。
縄張り意識などというものもないのか、近くに別の魔物が居たところで、気にすることはないのだ。
或いは余程の力量差があれば餌として狩るようなこともあるが、結局のところそれは狩りであって争いではないのである。
だが現在和樹達の眼前で繰り広げられているのは、間違いなく争いと呼ぶべきものであった。
しかも一体二体の話ではなく、視界に存在しているその全てが、互いに争いあっているのだ。
一対一で戦っているところもあれば、乱戦となっているところもある。
明らかに異常と、そういうべき状況であった。
もっとも、それだけであるならば実際には何の問題もない。
勝手に減ってくれるというのならば、それに越したことはないからだ。
しかし。
「ったく……こっちのことなんか無視してくれていいものを」
「それに関しては、こちらの自業自得でもあるから、何とも言えないわね」
「まあそれはそうなんだけどな」
言っている間にも、一歩を踏み出した瞬間、互いに争っていたはずの魔物の目が、まるで示し合わせたかの如く一瞬でこちらに向いた。
そのことに溜息を吐き出しながら、一閃。
斬撃と銃撃で捨て置き、視界の端でこちらに近寄ってくる影を捉えながら再度溜息を吐き出した。
「それにして、本当に最悪な組み合わせだな……これも計画のうちなのか?」
「生憎と、あまり信用されていなかったみたいで、大したことは知らされていないのよ。ただ……多分違うとは思うわ。何か予想外の事態でも起こったのではないかしら?」
「まあこんなことが狙って出来るんなら、もっと色々やりようはあったか。それが分かったところで、事態が好転することはないが」
こちらに向かってくる魔物は、歩を進めるごとに増えていた。
そこに例外はなく、一定の範囲に近付いた時点で、争いの手を止め次々とやってくるのだ。
ただそれは、別に異常でも何でもなかった。
状況だけを見ればそうも見えるが、和樹達はそれが何を原因にしたものなのかを、きちんと理解していたのである。
もっともだからこそ、同時にこれがどうしようもないことなのだということも、理解できてしまっているのではあるが。
「挑発、か……ちっ、十分前の注意散漫な自分を殴り飛ばしてやりたい気分だ」
「急いでいた、というのもあるのでしょうけれど、この程度ならば気にする必要はない、という風に考えていたのも原因の一つでしょうね。まあ何の言い訳にもならないことに違いはないけれど」
魔物の中にもスキルを使用するものは存在している、というのは以前にも述べた通りである。
こちら側ほど多様ではないものの、無視出来ない程度には気をつけなければならないものであり……とはいえ、所詮それもレベル差があれば何の脅威にもならないものだ。
が、中にはそういったこととは無関係に厄介なスキルというものも存在している。
その筆頭がデバフ系――つまりは、こちらのステータス等を下げてしまうものだが、その程度ならば、やはり和樹達であれば無視してしまうことが可能だ。
しかしそれでも無視出来ないものもあり……その一つが、挑発、というものであった。
分類的には状態異常に属するが、これが他の状態異常と異なるのは、耐性というものが存在していないことである。
要するに、かけられたら強制的にその状態になるしかないのだ。
もっとも、これは本来自分に対して使用するものであるため、当たり前の話であり……その効果は、戦闘相手の逃走阻止、というものである。
つまり、絶対に相手を逃さないようにする時に使用するためのものなのだ。
だが本来、という言葉を使ったことからも分かるように、実は挑発効果を与えるスキルというのは、相手にも使用することが可能なのである。
というよりは、後にそれが可能になった、というべきであろうか。
逆に言うならば、その仕様が必要になった、と言うことも可能だが。
和樹達がプレイしていたゲームにおいて、状態異常というのは、戦闘単位ではなく時間単位で発生するものであった。
そこに例外はなく、挑発に関しても一時間という時間が設定されていた。
それは要するに、戦闘が終わった後でも、その効果が切れる前に魔物と戦闘を開始したら逃げることが出来なくなるということである。
これはどう考えても困るということで、相手にも使用出来るようになったわけだが……挑発効果を与えることが出来るスキルというのは、魔物の中にも使用できるものが存在しているのだ。
そしてそういった魔物が、ここに来るまでの間に居た事に和樹達は気付かず……間抜けにもそれを受けてしまったと、そういう話である。
ちなみに戦闘というものは、戦闘状態にある魔物に近付いただけでも発生してしまうものである。
ただし普通はヘイトが戦闘相手に向いているため、関わろうとしなければ何の問題もなく立ち去ることが出来るのだが……挑発状態にある場合は、相手のヘイトを強制的に受けることになってしまう。
二人が目に付く魔物全てを倒しながら進まなければならない状況になっているのは、そんな理由からであった。
「しかもそれだけならばまだしも……どうにも妙なのが混じってるみたいだしな」
「そうね。……あの倒しづらさは、回復力が高いのかしら? ただ耐久力が高いだけならば、わたしには関係がないもの」
「そうだな。だが、回復力……というよりは、むしろ……? まさか、とは思うんだが……」
和樹達の周囲に居る魔物は、確かにランク的には五に属するものではあるが、それでもシルバーウルフほど強いわけではない。
本来であれば、瑠璃も通常のスキルだけで倒せるような魔物でしかないのだ。
なのにエクストラスキルまでを使ってすら、時には倒せないことがある。
それもまた、異常の一つであった。
「何か心当たりでもあるのかしら?」
「……まだ何とも言えないな。勘違いであって欲しいってのが正直なところだが……まあ、何にせよ厄介なことに変わりはない。それによくよく考えてみたら、魔物が逃げ出す、という時点で既に色々とおかしいしな」
「そうかしら……? この周辺に居る魔物は確かに倒しづらいのもいるけれど、レベル的にはシルバーウルフとはかなり離れているでしょう? 狩られるのが嫌で逃げ出す、というのが有り得ないとは言い切れないと思うのだけれど」
「そうだな、それだけであれば否定は出来ない。だがあそこにいたのがシルバーウルフとなると、話は別だ」
「……どういうこと?」
「伊達に白銀の王とか呼ばれてる魔物じゃないってことだ」
白銀の王というのは、所詮はプレイヤーが勝手に名付けた字である。
しかし当然ながら、そこにはそう呼ばれるだけの所以が存在しているのだ。
というのも、シルバーウルフという魔物は、どれだけ格の差があったとしても、他の魔物を襲うことはないのである。
どころか、時にはそういった魔物を守るようなことすらするのだ。
そこには種族どころか、場所すらも問わないことが、かつて実際に実験したことで判明している。
さらにその時も、他の魔物は逃げるどころか庇護下に入るような素振りすら見せたことがあり……そのような経緯から、シルバーウルフは白銀の王などという大仰な名で呼ばれているのだ。
畏怖されることはあるだろうが、そこから恐怖で逃げるようなことは有り得ないのである。
「つまり……今回の元凶は、アレではなかった、ということかしら?」
「多分……いや、間違いなく、な。アレの姿を見るまでは俺もそれが原因だと思ってたんだが……というか、あいつはもしかしたら、むしろあそこで何かから守ろうとしていた可能性すらあるな」
「……だとしたら、悪いことをしたかしら?」
「ま、仮にそうだとしても、状況が状況だったしな。お前を見捨てるってのは有り得ないし、運が悪かったと思って諦めてもらうしかないさ」
「…………そう」
だが何にせよ、することに違いなどはない。
一刻も早く街に向かうため、眼前の魔物を斬り捨てると、地を蹴った。