白と黒と
正直に言ってしまえば、何をやっているんだろうかと自問したことは一度や二度ではない。
最善を考えれば、間違いなくあの場は見捨てるのが一番だっただろう。
狙撃もせず、割り込みもせず、帰らせもせず、自分が街に報せに走るか、或いはそのまま魔物の対処に当たってしまうのが間違いなく最善ではあった。
そこからのシルバーウルフがどう出るのかだけは不確定要素だったが、それも多少の時間が稼げることだけは間違いがないだろう。
他の懸念がなくなれば、彼と自分ならば倒すことは十分可能だったはずだ。
晴れて全てが丸く収まり、万々歳である。
一人の犠牲を除けば、ではあるが……どうせそのところは変わらない。
むしろ不確定要素が増えたことを考えれば、こちらの方が遥かに犠牲が生じてしまう可能性が高く……それでも、それが分かっているというのに、身体は勝手に動いていた。
その理由としては――
「……まったく、我ながら女々しいわね」
呟きながらハンドガンの銃口を向け、引き金を引き絞った。
瞬間渇いた音と共に弾丸が飛び出し、パラライズの効果を与えられたそれが軌跡を描く。
本来ならばレベル差から当たることはないそれだが、必中の効果を持つパッシブのおかげで何の問題もなく突き刺さる。
動きが止まるのを確認する間もなく飛び退り、ようやく息を吐き出した。
「とはいえ、やってしまった以上はどうしようもない、か」
――アクティブスキル、バレットスキル:クリエイトバレット。
――アクティブスキル、サポートスキル:コンセントレーション。
――アクティブスキル、サポートスキル:明鏡止水。
弾丸の補充と効果の切れたスキルの掛け直しをし、だが再度息を吐いている暇すらもない。
そこを飛び退った瞬間、轟音と共に寸前まで自分の立っていた地面が爆ぜた。
「万能抗体……幾ら元ボス種とはいえ、酷い話よね。まあ、嵌め殺しが出来てしまう以上は、当たり前の対策なのだけれど」
それでもゲームではないのだから出来てもいいだろうに、などと思ったところで、出来ない以上は言っても仕方がない。
最初は十秒ほどは続いた状態異常も、既に一秒も持たなくなっている。
おそらくはあと二、三回もすれば完全に効かなくなってしまうだろう。
「それがわたしの命の刻限……諦めるつもりなど毛頭ないけれど、さてどうなるかしらね」
勿論他にも手は残されてはいるが、やはり無条件で一息吐けるというのは大きいし、ソロだということを考えればほぼ必須のレベルである。
或いは近接戦闘をメインとするならば話は別だが、瑠璃のメインウェポンは銃だ。
近接戦も出来ないわけではないが、さすがにこのレベル帯の相手では厳しい……というか、不可能である。
まともにやり合おうとすれば、次の瞬間には肉の破片すらも残っているかは怪しい。
そもそも、こんな相手とソロでやり合うというのが間違いなのだ。
魔物のレベルは公表されてはいなかったが、有志の研究の結果、大抵の魔物のレベルは算出されていた。
その数値がここでも正しいければ、瑠璃とのレベルは実に四十以上。
同値でも厳しく十離れていれば絶望的と言われていたことを考えれば、ここまで健闘出来ているのは称賛されて然るべきことですらあった。
とはいえそれは、逆に銃を使用しているからこそ出来たことだとも言えよう。
他の武器だったならば、不可能だったに違いない。
まあその場合は、そもそもこんなことをしてもいなかっただろうが。
数多ある武器の中で、銃というのは非常に非力である。
それは何故だという問いに対し、ファンタジー世界なんだから銃より剣のが強いのは当たり前だろ、という回答はどうかと思うし、それで納得してしまうのもどうかとは思うが、瑠璃も納得してしまった側なので仕方がない。
まあもう少し理論的な話をするならば、そこに自分の能力を重ねることが出来ない、ということが理由だ。
どれだけ筋力があろうとも、銃の場合はそれによって与えられる威力は同一なのである。
故に、最初の頃はともかくとして、初心者を脱する頃には銃とはあまり使えないものに成り下がってしまう。
瑠璃がそれでも使い続けたのは、ずっと使っていたからというのもあるが、単に趣味の問題でもある。
ステータス的に何故か腕力がほとんど上がらなかったというのも、理由の一つではあるが。
それに銃というのは何も悪いことばかりではない。
多種多様な攻撃が可能だという利点も存在しているのだ。
まあ劣化魔導士だとか劣化弓兵だとかいう不名誉な名も頂戴してはいるが、それも使い方次第ということである。
勿論そのためにはそもそも銃が必要だが――
「クリエイト系のスキルを取っておいて本当によかったわ」
初級のものでしかないが、あるのとないのとで大違いだ。
何せ瑠璃は銃で戦うために、スキル構成をほぼそれ専用にしている。
どれだけレベルが高かろうとも、銃がなければ話にならないのだ。
本来は自分でも銃が作ってみたくなり、オリジナルのそれを作るために取ったのではあるが……地を蹴り後方に飛びながら、思い出してしまった記憶を投げ捨てる。
美術は苦手なのよと、言い訳のような言葉を口の中で転がしながら着地し――
「とりあえず、ちょっとはしゃぎすぎだから落ち着きなさい」
瑠璃が四十もレベルが上の相手の攻撃を避けることが出来るのは、ステータスが素早さ特化だからだが、当然それにも限度はある。
スキルを使用し先読みをしたところで、どうしたって数度も繰り返せば捕まってしまうのだ。
故に一旦相手の動きを止めるために銃口の先から弾丸を吐き出させれば、シルバーウルフはかわす素振りすらも見せなかった。
それは避けようとしたところで無意味だということをいい加減学習したということなのだろうが、同時に少しでも早く耐性を得ようという動きでもあるのだろう。
万能抗体――状態異常に対してパッシブで発動するスキルであり、どんな状態異常に対してもそれを受け続けることで耐性を得ることが出来るようになる。
少しずつではあるが確実にどの状態異常に対しても効果があり、戦闘開始から戦闘終了まで効果は持続するために非常に厄介な代物だ。
だが。
「そういえば、それはまだ見せたことがなかったわね。折角なのだし、存分に味わいなさい」
――アクティブスキル、バレットスキル:サンダーレイン。
弾丸が着弾した瞬間、天空より複数の雷が降り注ぎ、白銀の毛並みを貫いた。
どこら辺がバレットなのか、という話だが、弾丸を座標指定の媒介にしているため問題はないらしい。
まあそれに、これも魔導士の使用するようなものとは異なり、知力などの影響は受けない上に、何故か銃や弾丸が威力に影響を及ぼす。
そのことを考えれば、確かにバレットスキルではあるのだろう。
閑話休題。
轟音と僅かに巻き上がった砂塵が晴れれば、シルバーウルフは地面に倒れ痙攣を繰り返してた。
だが倒せたわけでは勿論なく、単にスタンしているだけである。
こちらは状態異常には属さないので万能抗体が発動する心配はないが、確率での付加なため今のは運がよかっただけだ。
弱点属性ではあるので普通よりはダメージは与えられたはずだが、所詮は焼け石に水である。
むしろより警戒が強まってしまうことを考えればデメリットの方が大きくはあるのだが、状況を考えれば仕方がなかっただろう。
「一応切り札の一つではあったのだけれど……本当に嫌になるわね」
『グルルルルルゥ……!』
数秒も経たずに立ち上がったそれは、怒りの形相で瑠璃のことを睨みつけていた。
厳密には狼の怒った顔などというものは分からないのだが、その唸り声と先ほどまでとは明らかに違う顔付き。
それと。
「ついに本気にさせてしまったかしら……?」
シルバーウルフの周囲には、薄っすらと白い霜のようなものが下りていた。
さらには所々に、半透明の結晶のようなものが出来つつある。
唐突に襲い掛かってきた肌寒さに身体を震わせるが、それは気のせいではない。
実際にシルバーウルフを中心にして、周囲の気温が下がっているのだ。
「さすがは雪原の主、といったところね」
シルバーウルフは本当に、言葉通りの意味でこんなところに居ていい魔物ではないのである。
本来は雪原にしか出現しないはずの魔物なのだ。
そのせいもあってこんなことが出来るとは今まで知られてはいなかったのだが……生憎と出来れば知りたくはない情報であった。
「とりあえず、もう出し惜しみをしている場合ではないわね」
今までここで瑠璃が時間稼ぎをしていたのは、別にしたくしていたわけではない。
例え十秒の時間を稼げたところで、それが解けた瞬間に食い殺されることが分かっていたので、それ以外に取れる手段が存在していなかっただけなのだ。
初撃でヘイトを稼いでしまった以上は、十秒程度で移動できる距離では意味がない。
そのため、無駄だと分かってはいても、少しずつ手を崩しながらここまで何とか引っ張ってきたのだが……もうそんなことを言っている場合ではなかった。
少しでも手を緩めたら、待っているのは死だ。
――アクティブスキル、サポートスキル:先手必勝。
――アクティブスキル、サポートスキル:一意専心。
――アクティブスキル、サポートスキル:疾風迅雷。
――アクティブスキル、サポートスキル:心眼・偽。
――アクティブスキル、エクストラスキル:ユグドラシルの杖。
刹那の間にスキルを重ね――
――パッシブスキル、サポートスキル:危険察知。
「――な」
それでも遅かったのだということに気付いた時には、既にどうしようもなかった。
眼前には、それの毛並みと同じ白銀の爪が迫っており――しかしそれ以上にどうしようもなかったのは、足元がいつの間にか凍らされて動けなくされていたことである。
その瞬間瑠璃の頭を過ぎったのは、そういえばシルバーウルフのスキルの中には、思考能力と身体能力を奪うというものがあった、というものだったが、やはり今更過ぎてどうしようもない。
後悔は、当然のようにある。
恩義とかもっと早くに捨てておくべきだったとか、意地など張るべきではなかったとか、あの頃に戻れるのならば馬鹿な自分を殴ってやれるのにとか……。
だが走馬灯のように過ぎった光景は、始まった時と同じように呆気なく途切れた。
音を作ることもない唇が、ただ無意味に言葉を形作り――
――アクティブスキル、アタックスキル:グラン・ノヴァ。
瞬間、後ろから伸びてきた拳によって、眼前のそれが吹き飛ばされた。
「……え?」
「なんていうか、随分と不思議な気分だな」
言葉と共に真横に現れた人物が誰かなどは、考える必要すらない。
こんなことが出来る人物には他に心当たりがない、というのもあるが、その声を間違えるはずがないからだ。
でも同時にそれは、有り得るはずがなかった。
有り得てはいけなかった。
だってそんな場合ではないし、頼んでもいないし――
「昔は助けられる側だってのに、今じゃ助ける側になったんだからな。何でも続けてみるもんだ」
助けられていい道理なんてものが、あるはずがない。
「……なんで?」
「ん?」
「……なんで、助けたのよ。助けになんて、来たのよ」
だから、気が付けばその言葉を口にしていた。
澱んで溜まっていた感情が、勝手に溢れ、流れ出ていく。
頭を過ぎるのは、あの時の、最後の光景で――
「だって、わたし……あなたを裏切って……だから、助けなんて、必要ないって……」
懺悔のような言葉に、しかし隣に立つ少年は――和樹は、ただ苦笑を浮かべていた。
「ったく、一体いつの話してるんだっての。あれから何年経ったと思ってるんだ? そんなもん時効だろ、時効。大体異世界の、しかもゲームの頃の話なんてのを今更持ち出すかっての。それに、確かに助けは必要ないって言われたけどな……助けないとは言ってないぞ?」
「で、でも……」
「でももクソもねえよ。ったく、これだから頭でっかちは。随分大人っぽくなってると思ったら、結局中身は変わってないじゃないか」
「な、なによ……あなたなんて、何一つ変わってないじゃないの」
嘘だった。
見た目もそうだが、中身の方もあの頃と比べ明らかに成長している。
おそらくはあの頃のままであったならば、和樹は未だ自分のことを許していないと思うからだ。
というか、だからこそ、助けになんてこないと、望みながらも否定していたのであって――
「ま、そうかもな。正直自分でもあんま変われたと思ってはいないんだが……それでも、多少は変われてるはずだ。その証明ってわけじゃないが、ちょっとアレ倒してくるから、そこで見ててくれ」
一歩前に踏み出したその背中が、あの頃はいつもすぐ傍にあったそれが、妙に遠くに見えて……瑠璃は悔しさに、その唇を噛み締めた。