冒険者ギルド
冒険者が何でも屋のようなものである、というのは既に話した通りだが、そうである以上は誰かが冒険者に何かを頼むことがある、ということだ。
だが当然ではあるが、一見して誰が冒険者であるのかなどは分かるわけがない。
それに何より、頼む側としても何処の馬の骨とも知れないような相手に頼むのも嫌だろうし、それが遂行される保障もないともなれば頼む気にもなれないだろう。
逆に冒険者からすれば、誰が自分にそういったことを頼んでくれるか分からないし、無事遂行したところで難癖を付けられ報酬を支払われなかったとしたら困ってしまう。
そんな両者の仲介者のような役割を果たしているのが、冒険者ギルドというわけであった。
そしてそのような役割を持っているため、当たり前のこととして冒険者ギルドの中にはそれ用の設備などが存在している。
依頼の受諾、及びその遂行を告げるためのカウンターと、それを告げ、受け取るための受付嬢だ。
カウンターはついでに依頼の報酬を受け取るための場所にもなっており、主に混むのは昼と夕方となっている。
依頼を受ける時と、それを報告する時、というわけだ。
今はちょうどその混雑時であり、和樹が座っているのも、そんなカウンターの一つであった。
「それで、結局何匹ぐらい倒したんだい?」
「さあな。十匹から先は数えるのを止めたしな」
報告を終えた和樹は、それに対して返って来た言葉に、そう言って肩を竦めた。
そこに嘘はない。
例え数えるのを止めた理由が、あまりに消し飛ばしすぎて嫌になったのだとしても、だ。
その言葉そのものに、嘘はないのである。
「それちょっと格好つけて言ってるけど、要はそれだけ失敗したってことだから、全然格好よくないよね? 結局今回キミが提出してきた角はいつも通り五つだったわけだし」
「結果が全てじゃない、過程こそが大事なんだって習わなかったのか?」
「誰にだい? というか、どう考えても依頼は結果が全てだよね?」
「やかましい」
そんな風に軽口を叩きながらも、和樹は早くしろとばかりに視線で促す。
それに眼前の受付嬢は肩を竦めるが、仕事は仕事である。
カウンターの下に手を伸ばし、それをカウンターの上で広げると、複数枚の銀色の硬貨がそこに並べられた。
その合計数は、十。
ホーンラビット一匹につき銀貨二枚であることを考えれば、ピッタリの計算である。
もっとも、今回の報酬分ということからすると、実は不足しているのだが……。
「ふむ……ナイフの分は既に引いた後ってことか」
「どうせ買い換える気はないだろうと思って引いといたんだけど、余計なお世話だったかい?」
「いや、確かにそのつもりだったしな。助かる」
「ふふ、どういたしまして、と言っておくよ」
冒険者が受けることの出来る依頼には、様々なものがある。
中には本当にただの雑用のようなものまで混じっているのだが、当然その報酬はその内容次第だ。
割のいいものもあれば悪いもあり……だが、やはり最も一般的なものは、魔物退治だろう。
そしてそれは基本的に、一匹あたりの報酬額が決まっている。
ホーンラビットは、それが銀貨二枚だということだ。
しかしそれを受け取るためには、とあるものが必要である。
倒したかどうかなど、ギルドでは確認のしようがないからだ。
故にそれは、その魔物にしか存在しない素材で以って行なわれる。
ホーンラビットは、その角が倒した証となるのだ。
要するに、今回和樹が持ち返る事が出来た角の数は五つだった、というわけである。
さてところで和樹は角以外にも素材を回収していたが、当然それも換金が可能であり、それは依頼の遂行報告と同時にここですることが可能だ。
和樹も既にそれは渡しており、だからこそ本来ならば報酬が銀貨十枚では足りていない、ということである。
他の素材の分が、そこには入っていないからだ。
だがその理由も、既に和樹が口にした通りである。
即ちナイフ――解体用のナイフと、引き換えになったのだ。
別に解体用のナイフは、ギルドからの貸与品というわけではない。
冒険者が個人で用意するものであり……しかし最初の一本は基本的にギルドで買うことが決まっている。
何故ならば、ギルドで扱っているそれが、最も初心者向けだからだ。
主に値段的な意味で、だが。
さすがに安いだけあって、ある程度以上の魔物を解体するにはそれ以上のものが必要となるのだが、普通はそれまでに買い直すようなことはない。
解体用だけあって、きちんと手入れを怠らなければ、その程度は持つのだ。
ならば何故和樹は今日それを買うことになったのかと言えば……解体用のナイフは、所詮解体用でしかないからである。
そう、和樹が今日咄嗟に使ってしまった、あの一幕。
あれのせいで、買い直す必要が出てきてしまったのであった。
まあそういった理由により、今日は本来受け取る報酬よりも少なめになってしまったわけだが、これは完全に自業自得なので誰に文句を言うことも出来ない。
敢えて言うならば自分に向けてならば可能だが……それも虚しいだけだろう。
和樹に出来ることは、そのことを反省し、次こそは、と挽回を誓うことだけである。
「……さて」
「おや、もう行ってしまうのかい?」
「用事は終わったしな。なのにあんま居座ってても邪魔なだけだろ?」
「別にそういうことはないんだけど……まあ、忙しい時間帯なのは事実だし、ボクにキミを引き止める権利はない、か」
「そんな権利を持ってる誰かがいるのかの方が疑問だけどな」
「さて……どうだろうね? もしかしたら、近いうちにその権利を持つような誰かが、現れるかもしれないよ?」
「それはもしかして神託か何かか? 或いは、予言か?」
「さあ……それも含めて、どうだろうね? まあ多分、ただの戯言さ」
「……そう願っといてやるよ」
そんなことを言い合いながら、和樹は立ち上がる。
そして妙に意味深そうな笑みを浮かべる受付嬢へと肩を竦めながら、その場から立ち去るのであった。
冒険者とは最底辺の存在である、とは既に述べた通りではあるが、かといって不要な存在だというわけではない。
必要だからこそ、最底辺ながらも存在を許されているのであり、それは主に魔物に対抗する上での話である。
特にこの街に限って言えば必須とすらいえ……最底辺を束ねる組織ながらも、冒険者ギルドが街の中心に位置しているのは、そういった理由からであった。
そんなギルドを後にした和樹が目にしたのは、故に当然のようにこの街の中で最も栄え、また賑やかな光景だ。
ギルドのような施設だけではなく、様々な店が並び、その場所を彩っている。
そこを訪れる者も様々であり、陽が沈みつつあるというのに、その流れや声は途切れず、和樹はその目を僅かに細めた。
だがすぐに視線を外すと、その場から歩き出す。
中央にギルドが位置するほど必要とされているとはいえ、所詮冒険者は冒険者である。
その場に留まっていたところで益はなく、そこに混ざろうにも今の和樹には金がない。
今日の討伐数はいつもと変わりなかったとはいえ、ナイフの差し引き分むしろ少なくなっているのだ。
まあいつも通りであったところでそこに混ざれるほどの金にはならないわけではあるが……何にせよ、余計な寄り道をしている余裕はなかった。
そうして歩き出した和樹が向かったのは、街の中央を走る大通りからは外れた場所を走る道だ。
ほんの少しだけざわめきが遠くなり、しかし完全に消えることはない。
そこにもまた、人の流れというのは存在していたからだ。
もっとも、先のそれが賑わいであるのに対し、こちらにあるのはどちらかといえば煩さではあるが。
大通りと同様様々な店が立ち並んでいるというのに、受ける印象は乱雑さである。
行き交う人々もまた同様であり、怒声や罵声が飛び交う中を、和樹はいつものように進んでいく。
そんな中、ふと和樹が苦笑を浮かべたのは、随分慣れたものだと思ったからだ。
最初この道を通った時にはおっかなびっくりといった感じではあったのだが、今ではそのようなことは微塵もない。
まあ厳密には、物見遊山的な心境であった、といった方が近いかもしれないが……何にせよ、慣れたことに違いはないだろう。
「慣れたって言えば……」
喧騒に紛れるように呟きながら、和樹は周囲を見回す。
視界に映るそれらを見ても、気が付けば何も思わなくなっていた。
それを考えれば、やはり随分と慣れたものだとは思うものの……。
「……考えてみれば、最初からそれほどでもなかったか?」
別にコスプレを見慣れていたというわけでもないのだが、異世界といえばそういうものだという意識があったのだろうか。
頭頂部に人外の耳が付いていたり、尻尾が生えていたり、または耳の位置が同じでも先端が妙に尖っているような人を見ても、やはりここは異世界なのだという思いを新たにしただけであった。
それは要するに、所謂獣人やエルフなどと呼ばれるような者達がこの世界には普通に存在している、ということではあるが……まあ、ここがファンタジー世界を基礎としていることを考えれば、何の不思議もないだろう。
ただ、そういった者達が普通に存在しているとはいえ、大通りの方ではその特徴を目にするのは稀である。
種族が異なるというのは、何もしていなくとも諍いの原因になることも多く、普段は隠すようにしているからだ。
そういったことは、例え異世界であろうとも変わらないのである。
ここがそうなっていないのは、互いに対する慣れと、大雑把な雰囲気によるものだろう。
普段から気にしていない者達が集まっているというよりは、この場の雰囲気に流され、一時的に気にしなくなっている、というわけだ。
怒声や罵声は互いに気を使う必要がないが故であり、その表れの一つでもある。
一見すると雑多で、耳障りでもあるのに、何処か心地よさのようなものを覚えるのはそれが理由だろう。
まあとはいえ、今はこの場所も和樹には関わりのない場所である。
大通りに面している店はその全てが一流のそれであり、ここにあるのはそこから漏れたような店だ。
扱っている物もそこその値段で抑えられてはいるが、それでもそこそこはする。
冒険者の中でもさらに底辺に位置する和樹では手が出せるようなものではなく、さらに今はナイフの件と今朝の失敗のことも合わさり尚更縁遠い。
脇目も振らずその場所を抜けていった。
そうして和樹が辿り着いたのは、そのさらに先にある、とある建造物の並ぶ区画だ。
人の流れは緩やかになっており、騒がしい声も既に遠い。
歩いている人達もすぐに何処かの建物へと入ってしまい、それに倣うかのように和樹もその中の一つへと入っていく。
入ってすぐに感じたのは、薄暗さだ。
視界が利かない、ということこそないが、光量は最低限しかなく、見やすいとは決して言えない。
だがそれでも問題ないと思えるのは、眼前に広がっている部屋が決して広いとは言えないからだろう。
と、和樹が動くのに合わせ、視線の先で動きが生じた。
数メートルも離れていないカウンターの奥、そこに座っている少女が、こちらへと視線を向けたのだ。
しかしやってきたのが和樹であることに気付いたからだろう、その視線はすぐに手元へと戻される。
和樹もいつものことなので何も言わず、カウンターの上へと銀貨十枚を置くと、その脇を通り抜け足早に奥へと向かった。
すぐ突き当たりにぶつかるが、その横にあるのは二階に上がるための階段だ。
上がり、真横を向けば、そこには一枚の扉がある。
開けば目の前には見慣れた景色が広がっており、踏み込んだ直後、ようやくといった様子で和樹は息を一つ吐き出した。
端的に言ってしまうのであれば、そこは宿屋であり、ここ半年ほど和樹が過ごしている一室だ。
既に自宅と言ってしまっていいほど馴染んでいる部屋でもあるが……その場を見渡すと、先とは異なる意味の息を和樹は吐き出す。
その理由は単純であり、見渡すのに大した時間が必要なかったのが答えとも言えた。
要は、その部屋は狭かったのだ。
寝るためのスペースこそあるものの、逆にそれ以外のスペースがほとんどない。
ベッドが一つあり、だがそれ以外に何も存在していないのは、単に置くことが出来ないからである。
他に部屋があるなどということもなく、純粋にここのみが今の和樹にとっての住居であった。
宿泊費は、先にカウンターの上に置いたのがそれであり、つまりは銀貨十枚だ。
一日分でそれであり……高いか安いかで言えば、ぶっちゃけほぼぼったくりである。
全てを必要最低限に収めれば、一般人であれば銀貨三枚程度で一日を過ごすことが出来る、と言えばその高さが多少は理解が出来るだろうか。
何よりも、今日は多少稼ぎが少なかったとはいえ、一日の稼ぎと等価でこれなのだ。
当たり前のことであり……しかし、そういうことは珍しいことではなかった。
この世界では、というわけでもなければ、この街では、というわけでもない。
冒険者にとってはと、そういうことだ。
不要ではなく、この街にとっては必須の存在とはいえ、最底辺であることにも変わりはないのである。
不満がないというわけではないが、そういうものだと言われてしまえば、和樹に言えることはなかった。
それに、不満はあるが、それに納得できないというわけでもないのだ。
その理由は、冒険者が最底辺だと言われる所以と同じでもあるのだが――
「……ま、虫が湧かないってだけで、その価値はあるしな」
少なくとも和樹にしてみれば、それで十分であることに違いはなかった。
勿論それが一般的な感覚であるかは議論の余地があるだろうが、和樹にとってはそれが全てなのだ。
初日の経験のせいで、そう思うようになってしまった、と言うことも出来るが。
不意に蘇るのは、耳元を虫が這いずり回る音に、それに混じって響く薄い壁の向こうからの嬌声。
腕を、顔を、皮膚を、音を立てながら這いずり回られる感触。
元が何であったのかさえ分からないほどに混ざり合い、故に嗅覚が仕事を放棄するに至った匂い。
周囲の虫に呼応するように、腹のそれも声を張り上げ……唯一あの状況でマシだったのは、視界に映るものだ。
ただしそれも、目を閉じてしまえば見えなくなるから、というだけでしかなく……端的に言ってしまうならば、全てが駄目だったと、そんなところであった。
あんな環境でさえなければ、何だってマシだろう。
まあおかげで金がまったく溜まらないのであるが、同じ条件で探せばここより安いところはない。
ぼったくりであり、狭い部屋であるものの、ここがギリギリ今の和樹でも借りることが出来る部屋なのである。
それに元を正せば、稼げていないのは和樹が原因だ。
解体で、攻撃で、敵を跡形もなく吹き飛ばすようなことをしなければ、最初から何の問題もなかったのである。
もっとも、それをするなというのも酷な話ではあるのだが……ともあれ。
「さて、と」
身につけているものを床に転がすと、和樹もまたベッドに寝転がった。
仰向けになり、既に見慣れた天井を見上げる。
「見慣れた、か……」
果たしてそれはいいことなのかどうか。
まあ少なくとも、いいことではないだろう。
それはつまり、和樹がそれだけここに住んでしまっているということ……それだけの期間、何も変わらなかったということだからだ。
勿論それで満足しているわけではない。
もっと贅沢もしてみたい……などとは言わないが、せめて果実を普通に食せる程度には稼ぎたいし、出来ればもう少し旨いものを食ってもみたいとも思っている。
正直なところ、この世界の料理は和樹の口には合わないのだ。
さすが異世界というべきか、どうも根本的なところで旨いと感じる味に違いがあるようなのである。
今日の夕食はギルドに向かう前に適当な露天で済ませたのだが、それは安いのと同時に、何を食ったところで旨いと感じられないからであった。
或いは高いところや、もっと食べ歩きでも出来れば旨いと感じることの出来るものを見つけられる可能性はあるが、そんなことを出来るだけの余裕はない。
そしてそれが出来るようにするためには、まずは身体を上手く動かせるようになる必要があり……だがそれは、この半年の間まるで上手くいってはいなかった。
否、本当の初期から比べれば、一応成長出来てはいるのか。
「とはいえ、二匹しか狩れなかったのが五匹になった、とか程度じゃな……」
しかもそれが出来たのは、三日目のことである。
これは意外とトントン拍子で上手くいくのでは、などと思っていたらご覧の有様だ。
最早どうやったら上手く出来るようになるのか、それすらも分からなくなりつつあるところである。
一応まだ諦めるつもりはないのだが……それでどうにかなっていれば、苦労はしていないのだ。
「……どうしたもんだか」
呟き、そんなことを思うも、やはり何も思い浮かびはしない。
どころか、背中から伝わる柔らかい感触に、徐々に瞼が重くなってくる始末であった。
結果が伴っておらずとも、頑張っていることに違いはない。
常に集中しているというのは、かなり疲れることなのだ。
もっとも、肉体的な疲れでいえば全然ではあるのだが。
疲れを感じているのは、心の方である。
いい加減休息を取るべきだとは思うのだが、そうも言ってはいられず……そしてそんな状況で、寝るしかないような場所で横になっているともなれば、眠気に逆らうことが出来ないのは仕方のないことだろう。
そんな言い訳を胸中で呟きながら……それから大して時間もかからない内に、和樹の意識は闇の底へと落ちていくのであった。